六野家伝承の真実
春野美冬の事情は、六野家の御先祖にまつわる話から始まった。
六野家の若き当主は、一夜を共にした女性の、あらぬ姿を目撃してしまう。
寝入る女の首がしゅるしゅると伸び始め、行灯の油を舐めたというのだ。まさに妖怪変化。普通なら、恐れ慄いて逃げていくだろう。しかし六野家の若き当主は違った。
「美しい……」と呟くと、寝入る女、いや、妖怪ろくろ首をしかと抱き締めたというのである。若き当主は少々変わり者だったのだ。
仰天したのは、ろくろ首の女であった。うっかり正体を見られてしまっただけでも驚きなのに、首が伸びている己の肢体を男はうっとりと見つめているのだから。
「美しい! この白く艶やかな首筋。見事だ。素晴らしい! 実にいい!」
これでもか、と目の前の男はほめ称える。
ろくろ首の女は呆然としていたが、やがて大粒の涙をこぼし始めた。
ろくろ首である女の正体を見て、化け物呼ばわりするものはいくらでもいた。
水面に映る己の姿を見ても、自らも思うのだ。「私は化け物」と。自分の姿が嫌でたまらなかった。
人間の姿に憧れた。妖怪よりずっと短い命でもかまわない、彼らと同じになれるなら、どんな苦しみも耐えてみせると神に祈った。神が妖怪の願いを聞き入れてくれるわけがない。わかっていても毎夜祈らずにはいられなかった。人になりたい、と。
神社に毎夜祈りに来る女に興味をもち、声をかけたのが六野家の若き当主である。朗らかな笑顔が魅力の男であった。互いに一目惚れだった。
「わたくしの正体を知っても驚かぬのですか?」
「驚く? なぜだ。そなたはこんなにも美しいではないか」
ろくろ首は、はらはらと涙をこぼす。その涙を優しく拭き取りながら当主は告げた。
「どうかわたしの嫁になってくれ。六野家当主の妻となり、共に家を支えてほしい」
「わたくしで良いのですか?」
「ああ、そなたがいい。その涙で確信したよ。そなたは誰より純粋な心をもつおなごなのだと。共に生きられたらこれ以上の喜びはない」
「わたくしを選んでくださるのですね。ならば私は喜んで貴方様の妻になります」
「共に生きよう」
「はい、命尽きるまで」
こうして、妖怪ろくろ首の女は六野家の嫁となった。その名は「およう」。
夫はおようをこよなく愛した。
「どんな姿であっても、そなたは美しい。だから己を卑下しないでおくれ」
「はい、旦那様」
おようは文字通り身を粉にして働き、六野家を支えた。何度も苦難が訪れたが、持ち前の機転で乗り切り、内助の功でよく支えた。子宝にも恵まれた。
やがて六野家は商売で大繁盛していく。ろくろ首のおようは福の神のごとく子孫に讃えられることとなったのである。
おようは晩年、遺言を遺した。
「私は幸せでした。人と同じように愛し、愛され、家族をもった。これほどの幸せがあるでしょうか。私はこれからもこの家を、六野家を守ってまいります。私の子孫に、私と同じように、首が伸びる女が産まれることでしょう。その者は私の生まれ変わり。私に変わって六野家を支えていきます。
どうかその者を愛し、守ってやってくださいませ」
おようは静かに天に召された。先に逝った愛する夫の元へ行くために。
かくして、六野家の子孫には時折、首が伸びる女の子が産まれることとなった。その者を冷遇すれば家はたちどころに傾くが、大切にすれば財と幸運をもたらしてくれる存在となった。
六野家のものたちは首が伸びる女、おようの生まれ変わりを信じて待ち望み、産まれれば家の宝として大切に守った。
これが日本有数の文具メーカーとして君臨する、六野家の秘めた伝承である。