夢か現実か
翌朝、草太はオフィスのソファーで目覚めた。体には毛布が掛けられている。
「あれ? なんで、ここで寝てるんだろ?」
春野主任と残業するうちに寝てしまったのか? だとしたら。
「昨夜のことは全部、夢だったんだ」
夢の中では、春野主任の首がするすると伸びていた。子どもの頃に読んだ怪談の『ろくろ首』のように。
「そうだ、夢だ、夢に違いないよ! 現実にあるわけないよ」
闇夜のオフィスに浮かぶ、長く伸びだ白い首。その先には春野主任の美しい顔があった。首は艶やかで、妙になまめかしかったことを覚えている。
「夢のくせに、リアリティがあったよなぁ。僕は欲求不満なのかも。やだな、まったく」
自らを納得させるように、ぶつぶつと呟く。そうこうするうちに日差しは強くなり、他の社員が出社してきた。
「田村君、おはよう」
「草太、今日は早いなぁ」
いつもと変わらぬ朝の光景。草太がオフィスで寝てしまったこと以外、普段と何も変わらない。
「おはようございます!」
いつも通り、元気良く挨拶をする。変わらぬ日常がそこにあった。
「顔洗ってきて、今日も仕事を頑張りますか!」
うーんと体を伸ばし、洗顔のためトイレに向かおうとしたときだった。
「草太、社長がおまえを呼んでるって。社長室に来いとさ。おまえ、なにかやらかしたのか?」
変わらぬ日常が少しずつ崩れ始めていることを、草太はまだ気付いていなかった。
草太の目の前に重厚な扉がある。ノックと挨拶をして入室すればいい。社会的なマナーは頭に入っているが、ノックすることができない。
社長に呼び出された理由がわからないからだ。ひとつだけ、思い当たることがある。昨夜の夢だ。
「あれは夢だもんな。現実の話じゃない」
確認するように、昨夜の夢を思い出す。春野主任の首が、ろくろ首のようにするすると伸びた。
叫び声をあげたら、なぜか社長が走ってきて、草太に襲いかかった。春野主任は社長を、「お父さん」と呼んだ。
いささか支離滅裂な気がするが、夢が現実の話だとしたら。
「ひょっとして、解雇……?」
理由は、社の秘密を知ってしまったから。
「ろくろ首だけに、『クビされる』とか?」
くだらぬダジャレを呟き、自嘲気味に笑う。少しでも気持ちを明るくしたくて言ってみたものの、センスのなさを自覚するだけで、余計に落ち込んでしまった。
扉の前であれこれ思案していたが、時間は過ぎていくばかりだ。現実を受け入れるしかない。クビならクビで仕方ない。草太は覚悟を決め、社長室の扉をノックした。
「入りたまえ」
六野社長の声だ。たった一言だけなのに、草太を震えあげさせるのに十分な、威厳のある声だった。覚悟が萎えそうになるのを感じながら、必死に己を奮い立たせる。
「し、失礼します」
お辞儀をして、そっと入室した。体が震えているのがわかる。立派なデスクの向こうに、社長が背中を向けて立っていた。後ろ姿だけなのに、異様な威圧感だ。
「き、企画部の田村草太で、す」
声がうわずっている。社長の背中から発するオーラが、草太の精神にまで影響してくるのだ。
「田村草太くん」
「は、はい」
ああ、これはクビだ。そうとしか思えなかった。
「君のことを調べさせてもらった。御両親のこともね」
「は……??」
クビにする人間を調べるとは、どういうことだろう? しかも親のことまで調べたと話している。緊張と混乱で、思考がまとまらない。
慌てふためく草太をよそに、社長がゆっくりと振り返った。社長の憤怒の眼差し。その眼力に草太の覚悟は木端微塵に消えていく。
「おめでとう」
「はい! ク、クビですか」
「クビ? 違うよ。むしろ出世だ」
「は……?」
社長がにたりと笑った。渾身の笑顔らしいが、怒りのオーラは消えていない。恐怖しか感じられない。
「今日から君は私の愛娘、六野美冬の下僕。もとい、夫だ。美冬と結婚してもらう。当然、承諾するな?」
それは草太にとって、思いもよらない展開だった。