お守り
二人で草太の実家を訪れた数日後、ロクノで美冬と草太の結婚の報告をした。
草太と美冬の希望もあり、まずは企画部、と日頃世話になっている部署に報告し、その後社内報を通じて会社全体に報告することになっていた。
反発もあると覚悟していたが、ロクノ社員たちは草太と美冬の結婚を、温かく祝福してくれた。
「そうなると思ってたよ。結婚おめでとう!」
「姐さん女房おめっとさん!」
「結婚おめでとう。頑張れよ~」
祝福の言葉は様々だったが、草太と美冬の中はすでに、社内で公認だったらしい。加えて、アクが強めの社長に草太が認められていたこともあって、余計な口出しをしてくるものはいなかったようだ。
「会社の皆が祝福してくれて良かったよ! 美冬の隠れファンは多いから、絶対反発されると思ってたし」
「私はたぶん、大丈夫だと思ってたわ。社内での草太の見方が変わってきてるもの。企画を成功させたのも大きかったのよ」
「でも『あかやし文房具』をヒットさせたのは美冬だよ?」
「発案はあなただと皆知ってるもの。相手があなただから祝福してくれるの。草太の力ね」
「止めてよ。そんなに褒められると調子に乗っちゃうよ~」
美冬に褒められてにやける草太であったが、その高揚感はすぐに消えていくことになる。
宗次郎に読みだされた草太は、ロクノの上層部、六野家親類縁者、ロクノの大株主などに挨拶周り、加えて宗次郎の仕事の補佐をするように言われたのである。宗次郎から「少しずつわたしの仕事も覚えていくように」と言われては断るわにもいかず、草太は慣れない仕事でみるみる萎れていった。
忙しい草太に代わって美冬が結婚の準備を進めることにしたため、ふたりはまたすれ違いの時間が多くなってしまった。
「はぁ……。草太はまた遅いのね……」
ある晩、美冬は草太に会いたくて、草太が寝泊まりする蔵へ来ていた。主のいない、がらんとした部屋。草太はこの晩も宗次郎を補佐して、出張に出ていた。
「草太に会いたい。結婚の準備をひとりでするのって……虚しいわ」
とはいえ、草太の忙しさは二人の未来のためとわかっているので、「ずっと側にいて」などとわがままを言うわけにはいかず、じっと寂しさに耐えるしかなかった。
美冬はベッドに腰を下ろすと、溜め息をこぼす。ベッドには、草太が脱ぎっぱなしのワイシャツが放置されていた。夕子に頼めば洗濯してくれるのだが、忙しすぎて忘れてしまったようだ。
美冬は草太のワイシャツを両手で掴むと、その胸にぎゅっと抱きしめ、その匂いを嗅いだ。
洗濯していないワイシャツは、草太の汗や体臭が染み込んでおり、なんともいえない籠った匂いが付着している。本来なら、臭くてたまらない代物だ。しかし、草太恋しさの美冬にとっては、愛しい人をリアルに思い出させてくれる、貴重なものなのだ。
「草太の匂い……」
草太の匂いに包まれ、寂しさがほんの少しだけ和らぐ気がした。御主人様を慕う愛犬のように、草太のワイシャツの匂いを堪能する美冬の首は、しゅるしゅると伸びていく。首を戻し、また草太のワイシャツの匂いを堪能し、首を伸ばして、ゆらゆらと揺らす。
「草太の匂い、安心するなぁ……うふふふ……」
草太に会いたくて文字通り、首を長くして、待つ美冬であった。自分が変態じみた行動をしている自覚はあったが、草太が不在だからできることでもあった。草太の匂いに包まれると、なにより安心する気がする。
「美冬、何してるの……?」
愛しくて、会いたくてたまらなかった人の声。けれど、今の状態を見られるのは、あまりにも恐ろしい。おそるおそる、長い首をくねらせ、声がしたほうへ顔を向ける。そこには出張から帰ってきたばかりの、草太が立っていた。
「い、いつのまに帰ってきてたの? ひょっとして……今の見てた?」
「うん、見てた」
草太は押し黙った状態のまま、こくりと頷いた。
「ど、どこから?、どこから見てたの?」
「美冬が僕のワイシャツに顔を埋めた辺りから」
自らの変態じみた行為を、草太に全て見られていたことに気付いてしまった美冬は、追い詰められた子犬のように、ぷるぷると体を震わせた。
「わ、忘れて? 今見たの、ぜんぶ、忘れてもらえないかしら?」
美冬は痴態を晒してしまったことを恥じ、草太に哀願した。その途端、草太の顔はみるみる赤くなっていく。
「ごめん、無理。美冬が可愛すぎて。忘れてあげれそうにない」
美冬の首は一瞬で元に戻り、美冬もまた顔を赤くしていく。
「わしゅれて! お願い、わすれて」
慌てるあまり、どもる美冬の姿を見た草太は、たまらないといった様子で笑い出した。
「忘れるなんて、もったいなくてできないよ。美冬は寂しくなると、僕の匂いでなんとか堪えようとするんだね。いやぁ、いいもの見せてもらいました。おかげで疲れが一瞬で吹き飛んだよ」
痴態をどうあっても忘れてくれない様子の草太に、なんとか反論しようとしたが、混乱するばかりの頭では無理だった。観念した美冬は、草太のベッドにもぐりこみ、その姿を隠してしまった。しばし笑っていた草太だったが、彼もまた美冬に会いたくてたまらず、明日の朝の帰宅を今晩に早めたのだ。
「美冬? ご機嫌直して? お土産があるんだよ」
「いらないっ!!」
すっかりふてくされてしまった様子の美冬に、苦笑いしながら、その頭を布団越しに撫でた。
「そんなこと言っていいのかな~?」
美冬が布団の隙間から、ちろりと草太の様子を伺う。草太の手には、小さな小箱が置かれていた。それが何なのか、美冬はすぐに気づいてしまった。
「それ、ひょっとして……」
「そう、結婚指輪が出来たんだ。それだけじゃないよ、もうひとつプレゼントがあるんだ」
二つのプレゼントと言われては、さすがの美冬もそろそろと布団の中から
這い出てきた。
「なぁに?」
「ネックレスだよ。僕がいないと首が伸びちゃう、美冬のお守りにいいかな? って思ってさ。普段使いするなら、あまり豪華すぎないほうがいいと思って、デザイナーに作ってもらったんだ。大きくはないけど、美冬の誕生石のサファイア付きだよ。センスに自信ないから気に入らなかったらごめんね」
箱から出したネックレスは、青い石が可憐にデザインされた、品の良い品だった。華やかさにはやや欠けるが、清楚な造りはどんな服にも似合いそうなネックレスだった。
「キレイ……」
「気にいってくれた?」
「うん。草太からの贈り物なら、どんなものでも嬉しいけど」
「これをつけてたら、僕に会いたくてワイシャツの匂いを嗅ぐなんてこと、しなくて済むと思うよ」
「忘れて、って言ってるのに。いじわるね」
「忘れない、たぶん一生忘れないよ。だって嬉しかったもん」
「私も、きっと忘れないわ。草太が私のために贈り物をくれたことを」
「ネックスレスつけてあげるよ」
草太はネックレスを美冬の首に回すと、後ろでそっと留めた。白い滑らかな美冬の首に良く似合っていた。
「夜寝る前は外してね。寝てる間に首が伸びて、ネックレスが千切れちゃうと危ないから」
「そんなことしないわ。大事にするもの」
草太からの贈り物に、ようやく機嫌を直した美冬は、嬉しそうにネックレスを撫でている。
「お義父さんを補佐する仕事や挨拶周りもようやく落ち着きそうなんだ。明日から美冬と一緒にいられるよ。お義父さんの了解も貰ってる」
「本当? 嬉しいわ」
草太は美冬を優しく抱きしめ、美冬は草太の胸に顔を埋めた。
「寂しい思いさせてごめんね」
「ううん。私こそ拗ねちゃってごめんなさい」
「今晩はずっと一緒にいられるといいね」
美冬を抱く腕に、力がこもる。「今夜こそ」草太は念願の思いを果たしたかった。
「うん。あのね、結婚式のことで相談したことが沢山あるの!」
「え、それ今しないといけないこと?」
「そうよ、だって草太がいないと決まらないことだらけだもの。私達、夫婦になるんでしょ?」
楽しそうに結婚式のことを相談してくる美冬を、拒むわけにもいかず、草太は美冬の話を聞いた。
(まぁ、いいか。焦らなくても。今晩はいいもの見れたし)
二人の結婚の話は、着々と進んでいる。挙式予定日は数か月後だ。