六野家を守るもの
「あのね、草太。父はあなたにどんな話をしたの?」
草太と美冬はじゃれ合うようにキスをして、幸福感に浸っていた。
しばらくすると美冬は少し真面目な顔をして、草太に尋ねた。
「おようさんと、おようさんの後に生まれたろくろ首の娘の話を聞きました」
宗次郎から座敷牢の話は美冬にはしないでくれ、と頼まれているので、具体的な話は控え、差し支えのない話をした。
「蔵の地下には入ったの?」
隠すつもりだったが、お見通しらしい。宗次郎も美冬は気づいているかもしれないと言っていたが、その通りだったようだ。
「あの、えっと。地下っていうのは……」
「ふふふ。草太は嘘がつけないわね。私ね、知ってるの。蔵の地下に何があるのか。父の鍵をこっそり持ち出して、中に入ったことがあるから」
「そうだったんですか……」
遠い目で過去の記憶を思い出す美冬は、切なく悲しかった。
「あれを見て感じたの。ろくろ首の娘として生まれた女たちの悲哀を。そしておようさんの子孫への思いも伝わって気がしたわ。座敷牢なのに不思議と怖くなかったから」
直系の子孫だからこそわかる感覚なのかもしれない。宗次郎に話を聞いているとはいえ、座敷牢を初めて見たときはぞっとしてしまった草太とは違う。
「だからこそ不安でたまらなかった。草太くんがあれを見て、私と六野家が怖くなって、この家を出ていってしまうんじゃないかって。もしそうなったとしても私にはあなたを引き止める権利はないから。でも杞憂だった。父が結婚を許してくれたって報告しに来てくれた時の、草太の嬉しそうな顔。
『ああ、この人は私と六野家を見捨てないんだ』ってわかったら、嬉しくて嬉しくて。草太はいつでも草太で、広い心で私と六野家を受け止めてくれたのね。すごい人ね、あなたは」
美冬の話を黙って聞いていた草太だったが最後に『すごい人』といわれて、頭を傾けた。何がどうすごいのか、わからないからだ。
「ふふふ。そのとぼけたところも、あなたの素敵なところね。ねぇ、草太。私達に子供が産まれて、その子もろくろ首の娘だったら、どうする? 私はそれが心配なんだけど」
「どうするって? そんなの決まってますよ、めちゃくちゃ愛します! ろくろ首の娘を」
「首が伸びる幼女なのよ? 怖くはないの?」
「怖くないですよ、美冬さんと僕の娘だもん。何を怖がる必要があるんですか? 美冬さんが苦労してきたように教えてやらないといけないこと、守るべきことはいっぱいあるかもしれせんが、頼れるママもいるし、僕は何にも心配してません。きっと世界中探してもいない珍しい家族になりますよ。ああ、でも将来どんな男を好きになるのか気になっちゃうかも。うーん、お義父さんの苦労がその時になってわかるのかな」
楽しそうに語る草太を、美冬は眩しそうに見つめている。自分を見ていることに気付いた草太は、美冬の手を取ると大切な宝物のように、その手を包み込んだ。
「だからね、美冬。どうかこれからも首が伸びてしまうことを恥じないでほしいんだ。人前で首が伸びそうになったら、僕が手を握ってあげるから。僕と一緒のときなら自由にしてくれていいよ。でキスのときや、それ以上のときは首を伸ばさないでくれるとありがたいけどね」
「それ以上のときって?」
とぼけた様子で聞いてくる美冬。いたずらっぽく微笑む様子が可愛い。草太は包み込んだ手をひっぱると、その胸に引き入れ抱きしめた。
「わかってるくせに。僕だって男だよ? いつまで我慢できるかわからないからね。ずっとお預け状態なんだよ、僕は」
「お利口に待っててくれてるのね。いい子ね、草太は」
「そうやって子供扱いしてると、ある日突然襲っちゃうよ?」
「草太はそんなことしないわ。私の心の準備ができるまで、じっと待っててくれるもの」
「まだ『お預け』なの? 悲しいなぁ」
愛しい彼女を全て自分のものにしたい欲求はあるが、美冬の言う通り無理強いするつもりはない。美冬のことが誰より大切だから。
(ちぇ。美冬は全部お見通しか。いつまで我慢すればいいのかな、僕は)
しょんぼりする草太の頬に、美冬は笑いながらキスをした。
「もうじきね。会社への報告もあるから、その辺りのけじめも付けたいの」
ここで仕事の話を持ち出されるとは思わなかったが、それもまた美冬の言う通りだった。ロクノでは美冬の素性は明かされておらず、草太と美冬が付き合っていて、いずれ結婚することも何一つ知らせてはいないのだ。
「会社のほうは、ちょっと時間がかかりそうだね。怖いな」
「あら、私は何も怖くないわ。草太がいるもの。あなたがいればどんなことだって耐えられる。草太もそうでしょ?」
「そうだけど、会社のことはまた別ですよぅ」
急に情けない声を出す草太に、美冬は大きな声で笑った。
「草太はいつまでもそのままでいてね。そんなあなたが大好きよ」
「僕も美冬が大好きだよ」
もう一度固く抱き合った二人は、その日はゆったりと二人だけの、おうちデートを楽しんだ。屋敷中を歩き回り、お互いの思い出話に花を咲かせた。
美冬の離れ家に行くと、二人分の昼食が用意されていた。どうやら夕子が気を利かせてくれたようだ。とろけるような幸福な時間はあっという間に過ぎ、夜になろうとしていた。
「じゃあそろそろ僕は蔵に戻りますね」
「あら、もう戻っちゃうの? もう少し一緒にいてほしいわ」
「もうじき暗くなるからね。オオカミになって、美冬を襲っちゃうかも」
「またそんなこと言って。草太はそんなことしないでしょ?」
美冬はころころと楽しそうに笑っているが、半分本気の草太であった。昼間はお天道様の効力もあって美冬と楽しく過ごせるが、夜になると理性を保つ自信がなくなってしまう気がするのだ。まして今は、交際と結婚を許されたのだから尚更だ。
「男の理性を甘く見てはいけませーん。会社や周囲にきちんと報告して、けじめをつけるまでは、って言ったの美冬でしょ?」
おどけたように話す草太だったが、本音は美冬と朝まで過ごしたくてたまらないのだ。美冬は草太の苦労など知る由もない。
「はーい。私が決めたことだものね。未来の旦那様の仰る通りに致します」
「わかればよろしい」
わざとふんぞり返る草太に、美冬が無防備に笑い続ける。
(可愛いなぁ。本当はこのままずっと一緒にいたいよ)
誰より大切な人だからこそ、美冬の意志を大事にしたい。草太は振り切るように、美冬に「また明日」といって美冬の離れ家を出た。
火照り始めていた体を冷やすように、屋敷内をひとり歩き続ける。どれくらい歩いただろうか、草太が寝泊まりしている蔵へと戻ってきた。
部屋に入ると、草太の分の夕食が置かれていた。おそらく夕子だろう。気が利く。というより、気が利きすぎて怖いぐらいだ。どこからか草太を見ているのだろうか。
「まぁ、いいか。こういうことにも慣れていかないとね」
草太は夕食を頬張りながら、蔵をゆっくり見渡した。六野家の蔵はこの一族の秘密である、ろくろ首の伝承が色濃く残った場所。越してきたばかりの頃は、まさかそんなところだとは思わなかった。
「なんか安心するんだよなぁ、ここ。今もおようさんが守っているのかな」
ろくろ首に守られし一族、六野家。草太はまもなく六野家に婿入りすることになる。夕食を食べ終えると、草太は立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
「おようさん。そして歴代のろくろ首のお嬢さんたち。僕は美冬さんとここで幸せになります。美冬さんと六野家を大事にします。ですから」
草太を一度顔を上げると姿勢を正し、腰を折って深々と頭を下げた。
「これからよろしくお願いしますっ!」
それはおようさんに、そして六野家に産まれたろくろ首の娘たちへの、草太からの挨拶だった。彼女たちが聞いているかどうかは草太にはわからない。けれど何食わぬ顔で仲間入りするのは、少し申し訳ない気がしたのだ。誰からも返事はない。けれどなぜか、空気が温かくなっている気がした。
「あ~なんか眠くなってきた。今日もいろいろあったもんなぁ」
夕食を食べ終えたからか、草太にとろりとした眠気が襲う。何度か目を擦って耐えていたが、我慢できそうになかった。
「明日からまた仕事だし、今日は早く寝ちゃおう」
草太は早々にベッドに入り込むと、そのままぐっすりと寝てしまった。すやすやと気持ちの良い寝息をたてる草太。その寝息に呼応するかのように、枕元に不可思議な気配が、ぼんやりと現れ始めた。足元から少しずつ空中に姿を見せ始めたのは、透けるような白い肌を着物で包んだ、美しい女性であった。
着物を着た女は草太を見ると、するすると首を伸ばしていく。ぐーすかと寝込む草太の寝顔を堪能するかのようにじっくり眺め回すと、静かに微笑んだ。
「う~ん、美冬ぅぅ。えへへへ……」
不気味な寝言を呟く草太の頭を、女はそっと撫でた。慈しむように優しい微笑を浮かべている。それは我が子を見守る母親のような、暖かな眼差しであった。女は静かに首を元に戻すと、美しい女の姿となった。そして草太に向かって深々と頭を下げる。頭を下げた状態のまま、女はゆっくりと空中に消えていった。
草太は知らない。六野家を守る、ろくろ首のおようが、草太の枕元に現れたことを。おようが草太と美冬の幸せを心から願っていることを。
ろくろ首に守られし一族は、草太という新たな人間を迎え、これからも繁栄を続けていくのだ。