憧れの人
パソコン画面の数字が踊り始める。ゆらゆら揺れているうちはまだいい。次第に数字がくるくると回り、草太を夢の世界へと誘い始めたら末期だ。
(ね、ねむい……)
花粉症の症状を抑えるため、病院に行った。薬はよく効くようだ。
しかし眠い。おそろしく眠い。できるだけ眠くなりにくい薬でお願いしますと伝えたのに、この眠気はなんなのだ。
(くっそ、報告書を書かないといけないのに)
強烈な眠気は優しい天使のように、草太を眠りへと誘う。必死の抵抗もむなしく、瞼が閉じようとしたときだった。
「草太くん、ちょっといいかしら」
肩にそっと手を置かれる。柔らかく暖かな手だった。
「は、はい。なんでしょう、主任」
清楚な美貌に、透けるような白い肌。艶やかに伸びた長い黒髪が、その美しさを際立たさせている。草太の理想の女性像を絵に描いたような人が、目の前に立っていた。
彼女は株式会社ロクノの企画部主任、春野美冬だ。草太の上司であり、社の期待を背負う若きホープでもある。その美しさと優しさから男女問わず人気がある人だ。
「ちょっと手伝ってほしいことがあるの。一緒に来てくれる?」
「はい、わかりました」
草太は眠気を振り払うように、勢い良く立ち上がった。先に進んだ主任の後をついていく。姿勢良く歩く姿を、つい目で追ってしまう。後ろ姿からもわかるスタイルの良さと細い足首。
会社内であることを忘れて、つい見惚れてしまう。上司を食い入るように見つめるわけにもいかないので適度に目を逸らすが、どうしても目線は春野美冬の後ろ姿にいってしまうのだった。
「ここよ。草太くん」
「でも主任、ここは」
案内されたのは、企画部が倉庫代わりに使っている部屋だった。
様々な備品が保管されている場所だが、中央に簡易のソファーベッドが設置されており、残業で疲れた企画部社員が仮眠をとる場所でもあった。
「そう、わが企画部の仮眠場所。草太くん、あなた今、眠いんでしょ?」
しまった、バレてる……と思ったものの、春野主任は怒っているわけではないようだった。
「最近の貴方の様子から判断して、早めの花粉症だと思うけど。病院は行ったの?」
「はい、昨日行きました」
「じゃあ、薬を飲み始めたばかりなのね。それは眠いと思うわ。草太くん、ここで少しだけ仮眠をとりなさい」
怒られるどころか、仮眠を勧められるとは思わなかった。
「でも主任。まだ仕事中ですし」
「眠そうにしてると、他の社員にも影響が出てしまうわ。それに薬の効果で眠くて仕方ないなら、上手に仮眠を取ったほうが仕事もはかどると思うの」
春野主任は優雅に微笑んでいる。その姿は、その名の通り、春の女神のごとく神々しい。
「すみません。僕なんかのために気を遣っていただいて」
「いいのよ。その代わりといってはなんだけど、今日は少し残業する予定だから、貴方も付き合ってちょうだい。それでおあいこよ。いいわね?」
悪戯をした少女のように、あどけなく笑う。その柔らかな笑顔に、草太は泣きそうになった。堪えるように軽く鼻をすすると、主任に深く頭を下げた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、少し仮眠とらせてもらいます」
「起きたら、頑張ってちょうだいね」
「はい、遅れを取り戻して頑張ります!」
満足そうに微笑む姿も、また美しかった。
「そうだ、草太くん。これあげるわ」
倉庫を出ていこうとしていた春野主任が、草太に何かを投げてよこした。それは缶コーヒーだった。それも草太がよく飲んでいるメーカーのものだ。
「草太くん、それ好きなんでしょ? あげるわ。コーヒーを飲んでから仮眠を20〜30分。カフェインがおよそ30分後に効いてくるから、すっきり目覚めるそうよ」
「あ、ありがとうございます!」
軽く手を振りながら、さわやかに倉庫を去っていく姿は、なんとも美しい。
マジ女神か……と草太は思った。この女神様のためなら、どんな仕事も頑張れそうだ。
「でも主任、なんで俺の好きなコーヒー知ってたんだろ?」
少し不思議に思ったが、部署内の空気の良さを大事にしている主任なら、ありえそうなことだと思った。
「とりあえずコーヒー飲んで、寝るか」
主任からもらったコーヒーは、いつも以上に美味しくて、気持ちよく仮眠をとることができたのだった。