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草太と宗次郎

二人は手を繋いだまま、六野家の母屋の前に立っていた。六野家の当主、六野宗次郎とその妻、美代子が暮らす場所である。

 仕事で多忙な宗次郎だったが、家族との時間も大切にしており、可能な限り土曜日の夕食は家族団らんで食べることにしているのだ。その夕食に参加するということは、家族であることを認められていると思いたい。

しかし、宗次郎はそれほど相手ではないことは、すでに草太もよくわかっていた。


「いよいよですね」

「父が何を言い出すか心配だわ」

「大丈夫ですよ、きっと」

「そうね、そう思いたいわ」


 少なくとも、娘である美冬を苦しめるようなことをしないはずだ。何か要求してくるとしたら自分に対してだろう。六野家の敷地内に暮らすことなったぶん、美冬とは会いやすくなった。それを美冬の父である宗次郎が愉快に思うはずがない。草太は軽く深呼吸すると、自らの頬を軽く叩き、気合を入れた。


「よしっ! 美冬さん、行きましょう」

「ええ、頑張りましょう」


 草太と美冬は共に覚悟を決め、母屋に入っていった。


「美冬お嬢様、草太さん、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


 家政婦の夕子に案内され、母屋の中を進んでいく。リビングダイニングといっていいのだろうか、大きなテーブルが置かれた立派な部屋に通された。

 草太は、すでに着席している宗次郎に向かって丁寧にお辞儀をした。


「田村草太です。本日はお招きいただき誠にありがとうございます」


 美冬も草太に合わせて頭を下げる。合わせてくれることが嬉しかった。


「お~来たか。二人共ビールでも飲まんか? 日本酒もあるぞ」


 おそるおそる顔を上げれば、宗次郎はつまみを片手にビールを飲んでいた。

 すでに酔っ払っているのか、妙に機嫌の良い声だ。てっきり怒っていると思ったので、やや拍子抜けだ。


「草太くん! こちらに来なさい。注いであげよう」

「はいっ! ありがとうございます」


 サラリーマンの悲しい習性ゆえか、草太は近くにあったグラスを引っ掴むとすぐさま宗次郎の側に走り寄る。


(今、『草太くん』って呼ばれたよな)


 グラスに並々と注がれるビールを見つめながら、宗次郎の動向を探る。これまで「田村くん」と呼ばれたことはあっても、「草太くん」と名前で呼ばれたことはない。親しみを持ってくれたということだろうか? 

 様子を探ろうとする草太を察してか、美冬に聞こえないように宗次郎が小声で声を掛けてきた。


「草太くん。とりあえずは歓迎するよ。美冬も君のことを大層気に入っているようだしな。しばし、お手並み拝見させてもらう」


 グラスに口をつけながら宗次郎がニヤリと笑った。酔っていても威厳は消えていなかった。


「はい。御期待に沿えるよう、精一杯努力致します」


 草太も負けじと小声で応戦する。


「期待など、しとらん」


 宗次郎が鼻で笑うが、どことなく以前ほどの刺々しさは感じないような気がした。


「美冬が見とるから、とりあえずはここまでだ。仲が良さそうに芝居するぞ」

「はい。芝居ですね」


 こそこそと声を掛け合った後、二人は美冬に聞こえるよう、大きな声を発する。


「ささっ! ぐーっと飲みなさい。ぐーっと。祝い酒だからな!」

「はいっ! 頂戴致します!」


 草太はその場で一気にビールを飲み干した。苦いが、コクのある上質なビールだった。


「お父さん、立ったまま飲ませるなんて行儀が悪いわ。草太くんを着席させてちょうだい」


 ビールを一気飲みした草太を案じたのか、美冬が声をかけてきた。


「おお、これはすまん。草太くん、座りなさい。美冬の横でいいぞ」

「はい! ありがとうございます」


 草太は少し火照ってきた体を抑えながら、美冬の横に着席した。


「お父さん、何か変なこと言った?」

「いえ、大丈夫です」


 何も言われなかったわけではないが、美冬に報告するまでもないと思った。


「そう、ならいいけど……」


 どこか釈然としない様子であった。しばし考えた後、何かを言い出そうとした時だった。


「美代子様もおいでになりました」


 夕子の声と共に、六野宗次郎の妻、美代子がやってきた。青いワンピースドレスに白いガウンを巻いている。中年の女性にしては背が高めの美代子によく似合っていた。

 美代子は宗次郎の横に黙って着席する。宗次郎と目が合うと、やや不機嫌そうな眼差しを一瞬した後、ふんとばかりに目を反らしてしまった。


(あれ? ケンカでもしたのかな?)


 宗次郎と美代子の間に、冷ややかな空気が流れている。草太と美冬の手前、体裁は整えているものの、不穏な空気であることは二人にも伝わってきた。


「皆様お揃いですので、お食事始めさせていただきます」


 夕子が皿に乗った料理を順に提供していく。料理はフルコースであったが、家庭的な味付けで、草太にも馴染みやすい料理だった。おそらく、夕子が草太も安心して食べれるメニューにしてくれたのだろう。

 気掛かりは食事のマナーだったが、美冬が小声で教えてくれた。基本的なナイフとフォークの使い方ぐらい知っているが、その他の細かなマナーなど知らなかったので、助かった。

 

「美冬、最近の仕事はどうだね」

「ええ、順調よ。田村くんも手伝ってくれてますから」

「はい、頑張らせていただいてます!」

「あなた、食事中はもう少し楽しい話をしましょう」

「はは、その通りだな」


 どこかよそよそしい会話をしつつも、食事は何事もなく終了した。


「わたしは少し酔いが回ってしまったようだ。先に失礼させてもらうよ」


 宗次郎が一番に席を立ってリビングを出ていくと、美代子もそれに続いて出ていった。

 残されたのは草太と美冬。二人は目を合わせると、緊張が溶けたのか、ようやく笑顔を見せた。


「なんとか終わったわね。草太くん、父に何か言われてなかった?」

「たいしたことじゃないので大丈夫ですよ」


 実際、特に困ることを言われたわけではない。


「草太くんがそう言うなら、もうこれ以上聞かないわ。でも何かあったら必ず教えてね」

「はい、わかりました」


 手を繋いだ二人は立ち上がり、リビングを後にしようとした時だった。


「美冬お嬢様、お願いしたいことがございます」


 家政婦の夕子が突然、声をかけてきた。


「なぁに?」

「宗次郎と美代子様、お二人の仲を取り持っていただきたいのです」


 それは思いもよらぬ相談だった。

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