再びの六野家③
「田村様に御用意させていただいた部屋は、こちらでございます」
六野家の家政婦夕子に案内されたのは、六野家が蔵として使っている建物だった。先祖代々の収納品が多いため、地下と二階まである、それなりに立派な建てものだ。蔵の二階部分が、屋根裏部屋のような形状になっており、そこに草太の部屋は用意された。
六野家で同居を決めた草太は、アパートを引き払い、六野家に引っ越した。美冬と同じ離れ家に住めないのは聞いていたし、理解もしていたのだが、よもや物置部屋のような蔵に住むことになるとは思わなかった。
草太は部屋をぐるりと見回した。物置に使用している蔵とはいえ、貴重なものも多いのだろう、空調設備などもしっかりされているようだ。三角の形状になった屋根裏部屋はきれいに掃除されており、清潔感があった。急遽持ち込んだ思われるベッドと棚だけ新しいが、部屋は年代を思わせる独特の香りに包まれていた。
「このような場所はお嫌かもしれませんが、旦那様の厳命でして」
草太の荷物を抱えた夕子が、申し訳なさそうにしている。
「気にしないでください。むしろ僕、ここが気に入りました。屋根裏部屋って、なんかワクワクしますし」
「そんなもんですか? わたくしにはちっともわかりませんが」
夕子は信じれないといった口ぶりだが、草太は歴史を感じさせる佇まいが嫌いではなかった。屋根裏部屋は昔アニメで見た秘密の小部屋のようだし、案外広くて光が差し込む窓もあるので、不満はなかった。
「僕は田舎育ちですし、こういうところのほうがむしろ安心します」
昔ながらの雰囲気があるほうが、草太には有り難いのだ。
「ご不満でないなら何よりでございます。お荷物はこちらに置かせていただきますね。必要なものがあれば、いつでもわたくしにお申し付けください。御自分で用意していただいても結構ですよ。こちらのお部屋は御自由にお使い下さい。一階と地下にある六野家の品々は貴重品もございますから、不用意に触らないでくださいね」
「わかりました」
「それでは夕食の時間まで、ゆっくりとお過ごしください」
夕子が去っていくと、草太はもう一度、屋根裏部屋を見回した。深呼吸をすると、古い木の香りが漂ってきて、それが草太には心地良かった。ベッドには寝心地良さそうな、ふかふかの布団が用意されている。
「ここが今日から僕の城ってとこかな」
蔵だろうが、屋根裏部屋だろうが、美冬の近くにいられるなら何でもいい。想像以上に居心地良さそうな空間だし、慣れない六野家に疲れることがあっても、ここなら疲れを癒やされそうだった。
草太はベッドにダイブするように飛び込むと、そのままごろんと寝転んだ。天井を見つめながら、今後のことを考える。宗次郎に美冬との結婚が許されたわけではないが、それでも少し前進しているような気がする。実際のところはわからないが、楽天的に考えるのが草太の長所でもあった。
「美冬さんはまだ仕事かな。早く会いたいけど」
その日は土曜日だったが、美冬は仕事で出張に行っていた。草太が引っ越して来ることは知っているので、夜までには帰るといっていたが、「僕なら大丈夫ですので、無理はしないでください」と伝えてある。スマホを取り出し、メッセージ画面を見てみた。
『できるだけ早く帰ります。待っていてください』
美冬からのメッセージだ。彼女のお気に入りのわんこのスタンプが添付されており、『待っててワン』という言葉が添えられていた。それが美冬の姿に重なり、草太は微笑んだ。
「今日会えたらいいけど、仕事がどうなるかわからないもんな」
草太はベッドに寝転んだまま、愛しい美冬のことを思った。形はどうあれ、美冬の側にいられるのだ。こんなに嬉しいことはない。
窓を見ると、時刻は黄昏時になろうとしていた。気温も程良く、屋根裏部屋の空気は心地良い。草太は急に眠気を感じた。
(今日は夕食までゆっくりしていていいと言われたし、少しだけ休もう)
眠気に勝てなかった草太は、そのままうとうとと微睡んだ。蔵は草太という珍客を優しく受け入れてくれた。草太の眠りを邪魔するものはいない。
どれくらい寝てしまっただろうか。「草太くん、草太くん」という声にうすく目を開けると、目の前に美冬がいた。仕事から直帰したのか、スーツ姿のままだ。眠りこける草太を心配そうに見下ろしている。
「美冬さん、帰ってきたんですね。お疲れ様です」
「草太くん、疲れた? ごめんね、引っ越しのお手伝いしてあげたかったのに何もできなくて」
草太はゆっくり身を起こすと、心配そうな美冬に笑顔を向けた。
「引っ越しといっても、そんな荷物ないですし大丈夫ですよ」
「でも疲れてから寝てたんでしょ?」
「思いの外、ここが居心地良かったんで、つい寝てしまいました」
少しだけ寝るつもりが、しっかり寝入ってしまったらしい。外はとっくに日が暮れていた。
「寝てる草太くんを起こすかどうか迷ったのだけど、もうじき夕食だから。今日は土曜日だし、母屋に家族全員集まって食事するの」
「はい、夕子さんからもそのように聞いてます」
「ごめんね、慣れない習慣に戸惑うこともあると思うけど、私もできるだけフォローするから」
「大丈夫ですよ、心配しないでください」
六野家独特の習慣に戸惑いがないわけではなかったが、美冬や夕子には事前にしっかり説明されていたし、どうにか馴染んでいこうと草太は思っていた。
「草太くん、ちょっとだけ。ちょっとだけ隣に座ってもいい?」
美冬はスーツ姿のまま草太の隣に腰掛けると、そのまま草太に体を預けた。
「美冬さん? 大丈夫ですか?」
「出張で疲れちゃった。家族で集まる前に、少しだけ草太くんに触れたい」
「疲れてるなら肩でも揉みましょか?」
「いいの、このままでいさせて。草太くんに会いたくて会いたくて、たまらなかったから」
美冬の思いに、草太の心はときめく。二人の思いは同じだったのだ。
「僕も美冬さんに会いたかったです、ずっと」
「私は草太くん以上に、あなたに会いたかったと思うわ」
「僕の思いだって負けてませんよ?」
「ふふ、どうかしらね」
他愛もない言い合いをしたふたりは、支え合うように体を寄せた。
「草太くん、これからまた大変だと思うけど、二人で頑張りましょう」
「美冬さんがいれば、僕はどんなことだって頑張りますよ」
「嬉しい、嬉しいわ、草太くん。あなたに会えたら、なんだか少し眠くなっちゃった。5分だけ眠らせて……」
草太に体を預けたまま、美冬は心地良さそうに寝てしまった。このまま眠らせてあげたかったが、夕食の時刻が迫っている。腕時計で時刻を確認しながら、ギリギリの時間まで美冬を眠らせてあげることにした。美冬は子供のような寝顔で、幸せそうに眠っている。
「美冬さん、僕があなたを守ります」
草太は美冬の寝顔に改めて誓うのだった。