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再びの六野家②

「お待たせ致しました、どうぞお入りください」


 美冬に少しだけ待っていてもらい、散らかった衣類やゴミなどざっくり片付け後、美冬を招き入れた。散らかり放題の部屋に美冬を入れるのは、さすがに抵抗があったからだ。


「お邪魔します」


 靴を脱ぎ、きれいに揃えてから、やや緊張した面持ちで草太のアパートに入ってきた美冬は、興味深そうに部屋を見渡している。


「コーヒーとお茶、どっちがいいですか? おもてなしできるようなお菓子でもあればよかったんですが、なんにもなくて」

「どうぞお構いなく。缶コーヒー持ってきたから。良かったらどうぞ」


 美冬から缶コーヒーを渡された草太は、銘柄を見て微笑んだ。草太が好んでよく飲むメーカーのものだったからだ。


「僕の好きな缶コーヒーです。前も思ったんですけど、僕がこれを好きって知ってるんですか?」

「ええ、部下のことを知るのは上司の務めだもの」


 すました顔で話しているが、閉じた口の端が微かに笑っている。おまけにちらちらとこちらを見ては、草太の反応を確認している。たぶん、この話に突っ込んでほしいのだ。草太は苦笑しつつ、美冬の希望通りにすることにした。


「本当ですか?」


 望み通りの反応だったのだろう、美冬は少し嬉しそうだ。


「バレちゃった。実は半分本当で、半分ウソなの」

「そうなんですか?」


 わざとらしく反応して見せた草太に、美冬は嬉々として語り始めた。


「実はね。草太くんのことをもっと知りたくて、よく見てたから」

「なんで、僕のこと知りたかったんですか? 上司として知りたかった?」


 これは本当に素朴な疑問だった。美冬の秘密を知り、親しくなってからの話ならわかるが、それ以前から、美冬は草太の好む缶コーヒーを知っていたのだから。


「上司として知りたかったというのもあるけど。私ね、前から草太くんのこと、気になってたのよ」


 驚いた。とてもそんなふうに思えなかったからだ。


「それって何でですか? ひょっとして前から僕のこと好きだったとか?」


 冗談のつもりだった。男性社員の憧れであった美冬が、冴えない社員である草太を好きになるはずないのだから。

 予想に反して、美冬の顔がみるみる赤くなっていく。語るまでもなかった。


「え? マジですか?」


前から気になっていた、と言われても簡単に信じられなかった。なにしろ草太は女性にモテた経験がないのだ。


「な、なんで僕のことなんて好きだったんですか?」


 頬を赤く染めたまま、美冬は恥ずかしそうに語り始めた。


「最初はね、人懐っこくてかわいいな、弟に欲しかったなぁって思ってたの。でもね、ある日見ちゃったの、私」

「何をですか?」


 これは真面目に気になる。草太はにじり寄るように美冬の話に耳を傾けた。


「うちの会社の受付に、ロクノが販売していた古いハサミが壊れて直らない、って文句言ってきたお祖父さんがいたでしょ? あの時、他の社員は『古いものですし、直すのは無理です。新しい商品を買って下さい』って応対してたのに、草太くんだけ、お祖父さんの話を真剣に聞いてたわよね」

「そういえば……ありましたね、そんなこと」


 いつの話だったか、はっきりとは覚えてないが、おじいさんがあまりに真剣に話すので、昼休みを返上して話を聞いたのだ。

 聞けば、亡くなったお祖母さんが愛用していたハサミで、彼女はそのハサミでせっせと新聞を切り取っていたという。切り取った新聞記事をロクノのノートに貼り付け、それを長年の習慣として続けていたのだ。切り取る新聞記事は、心温まる事件や、料理の記事、何気ない日常の喜びを謳い上げた記事など、後で見直したくなるものばかりを集めていたという。

 お祖母さんが病で亡くなると、お祖父さんは新聞の切り抜きを受け継ぐことにした。お祖母さんと同じように、心温まる記事を中心に、お祖母さん愛用のハサミで。ハサミを通してお祖母さんを懐かしみ、愛情を注いでいたのだ。

 すっかり同情してしまった草太は、工場に直接掛け合い、どうにか修理してもらうと、お祖父さんのお宅に届けにいった。業務の一環ではなく、草太の自己満足に過ぎないことはわかっていたが、ロクノの商品を長年愛用してきたご夫婦を無視したくはなかったのだ。


「あの時私ね、草太くんのこと見守っていたのよ。お祖父さんに怒られるようなことがあったら、私が助けてあげようと思って。でも必要なかった。お祖父さん、泣いて喜んでたじゃない? そして、草太くんは言ったわね。

『ロクノの品を御愛用ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願い致します』って丁重に頭を下げてた。それからずっと、草太くんのこと気になってたの」


 草太は言葉が出なかった。ハサミを直してお祖父さんに届けたことは、他の社員からは何一つ評価されなかった。新しい商品を買ってもらい、売上にする行為を無にしたのだ、と笑われたのだから。


「草太くんは、誰よりもロクノの文房具を大切にしてくれてる。草太くんが社長付き秘書のままじゃ、あなたの良さを発揮できないと思う。だから交渉してたの。社員のひとりとして、社長である父にね」

「じゃあ、僕は企画部に戻れるんですか?」

「残念ながら父も頑固でね、今のところは半々といった感じになりそうだけど、ずっと秘書課にいなくて済むと思うわ」

「半々でもいいです、嬉しいです!」


 企画部を離れて、草太は自覚していた。自分はロクノの文房具が大好きで、文房具にかかわる仕事がしたかったのだと。社長について回り、その仕事ぶりを間近で見ることも、美冬との結婚を考えているなら大事なことだ。しかしロクノの文房具に接する時間がない。草太はそれが何より辛かった。


「掛け持ちになるから、かえって大変になるかもしれない。草太くんにとっていい話ではないかもしれないわ。でも私は草太くん、いえ、田村くんと一緒に仕事がしたかったの。共にロクノの商品を愛する者として」


 美冬は女神のごとく、輝いた笑顔を浮かべている。その姿が眩しい。このところ、美冬と会えない日々が続いていたが、彼女もまた必死で説得や根回しをしていてくれたのだ。


「僕も美冬さんと一緒に仕事がしたいです! ありがとうございます!!」


 感情のまま美冬を抱きしめたくなったが、必死に抑えた。自分の部屋で彼女を抱こうものなら、そのまま押し倒してしまいそうだったから。

 代わりに頭を床にこすりつけるように、感謝の気持ちを伝えた。


「いいのよ。それでね、草太くん。これは私からの提案なんだけど。草太くん、うちに、六野家に通いじゃなくて、住み込まない? 名目は秘書ということになりそうだけど、それなら早朝出発して遅くに帰宅、という形を避けられるし、負担が少しでも軽くなると思うの。それに」

「それに?」

 

 草太はオウム返しに聞いてみた。美冬は少しうつむくと、頬を赤らめた。


「私も、草太くんにもう少し気軽に会いにいけるもの」


 草太の顔色を伺うような仕草が可愛らしい。彼女も草太に会いたかったのだ。草太が美冬に会いたくてたまらなかったように。


「それは、社長も了承してるんですか?」

「ええ。私と同じ離れ家ではなく、六野家の別の場所に、あくまで使用人として住み込むならいいそうよ」


 扱いが秘書から格下げされている気がしなくもないが、この際気にしてはいられないような気がした。


「僕も美冬さんの近くにいたいです。できれば毎日会いたいです」

「ええ、私も同じ。だから家に来ない?」


 優雅に微笑む美冬が美しい。

 美冬という美女を得るため、虎の住む屋敷に住み込む。いずれは避けて通れない道なのだ。


「わかりました。六野家に引っ越します。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくね」


 草太は美冬愛しさに、同居を決めた。その先に新たな問題が勃発しようと、彼女に会えるなら、決して負けないつもりなのだ。

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