草太、実家に帰る②
「幹太兄ちゃん、迎えありがとう」
「おぅ、乗れや」
「うん!」
男兄弟らしい短い挨拶を交わすと、草太は手早く荷物を車に放り込み車に乗り込んだ。
幹太と手を繋いで帰ったあぜ道は、舗装されてアスファルトの道路になっている。あの頃の名残はすでにないが、それでも記憶はしっかり残っている。
「幹太兄ちゃんとよくこの道を帰ったよね。今みたいに迎えに来てくれてさ」
「そういや、そうだった。おまえはあの頃のから泣き虫で弱っちくて、
こいつはこのまま大人になれるのか? って心配になったよ」
「泣き虫ってほど泣いてないでしょ!」
「いーや、そんなことない。駄菓子屋で買ってやったカレー煎餅が辛すぎて食えんとベソかいたり、ゼリー菓子食おうとして潰してヒィヒィ泣いたり。あげく、ひとりで勝手に走って転んで大泣きしたりしてたぞ」
「そ、そうだったけ……?」
懐かしい記憶というものは、どうやら美化されていくものらしい。都合の良い記憶だけを思い出して、懐かしんでいたことが恥ずかしくなる草太だった。
「で? おまえは何を悩みに帰ってきたんだ?」
「な、なんでわかんの?」
「わかるに決まってるだろ? 何年お前の兄貴やってると思ってんの」
頭を軽く小突かれ、ますます恥ずかしくなる。
「家に帰ったらじっくり聞いてやるよ。皆も帰ってきてるしな」
「じゃあ、健太兄ちゃんも、裕太兄ちゃんも帰ってきてんの?」
兄弟4人が揃うのは久しぶりだ。
「おう。草太のお悩み相談室を開催するためにな」
「なんだよ、皆に話したの?」
「そんなの俺が言わんでもバレバレだよ。アイツらも何年お前の兄貴やってると思ってんの」
ガハハと豪快に笑う幹太を恨めしく思いつつも、兄弟の何気ない優しさに心が和む草太だった。
実家に到着すると、四人兄弟の母親が笑顔で出迎えてくれた。
「お帰り、草太」
「ただいま、母さん」
穏やかな微笑みを浮かべる母に会うのは一年ぶりだ。
(母さん、なんか一回り小さくなった気がするな)
気のせいなのか、そうではないのか草太にはわからなかったが、母さんにもう少し会いに来るようにしようと思った。
「居間にみんな待ってるよ。行っといて」
「うん」
田村家の憩いの場所である居間に行くと、次男の健太と三男の裕太がすでに宴会を始めていた。裕太は余裕のある顔をしているが、健太はすでに顔が真っ赤だ。
「健太兄ちゃん、裕太兄ちゃん、久しぶり」
「おぉ~帰ったか、我が弟よ!」
「お帰り、草太。久しぶりの帰省は疲れたんじゃない?」
大きな声で出迎えてくれたのが次男の健太だ。お酒を飲むといつも以上にオーバーリアクションになるところは以前と変わらない。
かたや三男の裕太は涼しい顔でお酒を飲んでいる。柔和な見た目とは裏腹に酒豪なのだ。
「健太兄ちゃん、ちょっと飲み過ぎなんじゃないの?」
「何いってんだ、かわいい末っ子が帰ってくるってのに」
どこまで本気がわからないが、歓迎してくれているのは確からしい。
「草太も飲みなよ。ビールも日本酒もあるよ」
「じゃあ、ビールをちょっとだけ」
お酒にあまり強くない草太は、少しだけ付き合うことにした。よく冷えたビールは乾いた喉に心地良く、注がれたビールを一気に飲み干してしまった。
「おお、いい飲みっぷりじゃないか」
「本当。悩んで実家に泣きついてくるヤツとは思えない」
「別に泣きついてなんかないよ」
「これから泣くんだろ?」
「一体何歳の頃の話してんだよっ!」
いじられキャラの草太は、兄たちにからかわれてばかりだ。
「で、草太は何を悩んでるわけ?」
「おぅ。兄ちゃんが聞いてやるぞ。安心して胸に飛び込んでこい」
酔っぱらいの健太をなだめつつ、草太は三男の裕太に気になることを質問してみることにした。裕太なら何でも答えてくれそうな気がするのだ。
「裕太兄ちゃんに聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「答えられることならな」
端正な顔にニヒルな笑みを浮かべているが、裕太は否定しなかった。
「裕太兄ちゃんはさ、ある日突然、『結婚して和菓子職人になるから』
っていって家を出でったじゃない? 迷いはなかったの?」
「草太にしちゃ、直球だねぇ。勿論、迷いはあったさ。おまえには
いわなかったけど、実は話が決まるまでは結構揉めたんだよ」
草太は驚いた。草太にしてみればある日突然、結婚の話が持ち上がったような気がするからだ。
「そうだったの? 僕は知らなかったよ」
「当時学生だったおまえに、余計な心配をさせたくなかったんだよ。俺も両親もね」
「そうだったんだ……」
自分が知らぬところで深刻な話があったことに、草太は少なからずショックを受けたが、同時に家族の自分への気遣いに感謝もした。
「揉めたのに、どうしてお義姉さんと結婚しようと思ったの?」
「そりゃあ、好きだったからさ。嫁さんのこと」
「それだけ?」
「それ以上の理由が必要か? 俺はね、嫁さん泣かせたくなかったんだよ。『あなたのことは好きだけど、家も捨てられない。うちの和菓子屋を父の代で終わらせたくない』って泣いてたから、じゃあ俺がそっちに行くよ、婿養子になるよ、ってね」
いささか話が軽すぎる気はするが、裕太らしいと思った。裕太は女の子にはとりわけ優しかったから。もちろん優しさだけで成り立つ話ではないから、いろいろと揉めたのだろう。
「後悔はないの?」
「ないよ。全くないっていったら嘘になるけどね。もともと親父みたいに何か作る人間になりたい気持ちはあったし。この家はすでに幹太兄貴が継いでるしな。やってみると面白いぜ、和菓子の世界。めちゃくちゃ大変だけどな」
「そっか……」
流されるままに結婚したような気がしていたが、それは勘違いだったらしい。裕太なりに真剣に考えて結婚を決めたのだ。
「草太、大事な人がいるんだろう? だったら連れてこればよかったのに」
「な、なんでわかんの? 僕、なんにも言ってないのに」
裕太は盛大に吹き出した。
「こんな意味深な質問されたら誰だって気付くよ」
草太の隣で酔っ払って寝ている健太も、「そーだ、そーだ」と寝言のように呟いている。
裕太はひとしきり笑ったあと、草太の頭に手を伸ばし、その頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「草太、おまえは大事な人に、いつも笑っていてほしいか?」
草太の脳裏に美冬の姿が思い浮かぶ。背筋を伸ばして仕事に励む美冬、
首が伸びてろくろ首状態になって慌てる美冬、怖いものと運動が苦手で、笑うと、とびきり可愛くて。自分だけには素直に甘えてくる彼女の姿をどうして忘れられるだろう?
「美冬さんにはいつも笑っていてほしい。泣いてほしくない。できるなら僕が側にいて、彼女の笑顔を守ってあげたい」
それが答えだった。悩まずとも、すでに答えは出ていたのだ。
「大事な人は美冬さんっていうのか? 甘ったれなおまえにそこまで言わせるなら、大事にしろよ。その人のこと」
つまみの皿を片手に、長兄の幹太が部屋に入ってきた。後ろには母もいた。どうやら話は聞こえていたらしい。
「草太、家のことなら気にするな。母さんのことは俺が面倒を見ていくつもりだし、この家もしっかり守っていくつもりだから」
幹太の言葉は力強く、草太にとって頼もしかった。
「息子に面倒みてもらうほど、まだ落ちぶれちゃいないよ」
幹太を背中からつつく母親の姿に、幹太、裕太、草太の三人は笑った。
「草太、あんたは末っ子で一番の甘えん坊だったけど、兄さんたちに散々しごかれたからね、見かけによらず根性はある子だよ。だから心配しなさんな。あんたならどこでだってやっていけるよ」
「母さん……」
母の気持ちが有難かった。男ならぶつかっていけ! という持論をもつ母らしくはあるが、素直に嬉しかった。
「ありがとう、母さん。幹太兄ちゃん、裕太兄ちゃん。ついでに酔っ払って寝てる健太兄ちゃんもね。今度連れてくるよ、美冬さんを。みんなに紹介したいんだ」
家族に美冬とのことを話しながら、草太は美冬が愛しくてならなかった。
(美冬さん、今すぐ貴女に会いたいです)
田村家の夜は、賑やかに更けていくのだった。