草太、実家に帰る①
思い出すのは、美冬の笑顔と泣き顔。抱きしめたときのやわらかな温もりと香り。
ろくろ首体質であることをひた隠し、懸命に生きてきた人。
彼女の首が不自然に伸びることを知っても、不思議と嫌いにはなれなかった。
仕事では企画部の主任として社員のリーダー格なのに、草太とふたりきりになると途端に甘えてくる。彼女のそんな二面性も嬉しかったのかもしれない。
草太は考えねばならなかった。自分にとって春野美冬はどんな存在なのか。
そしてこれからのことを──。
風が草太を心地良く仰いでいる。トンネルを抜ければ、遠くに海が見える馴染みの景色だ。
草太は実家に向かう電車の中にいた。美冬とのこと、そして今後のことを考えていたら、無性に家族に会いたくなったのだ。
「元気かなぁ。兄ちゃんたち」
草太の実家は飲食店を開いていた。昔は食堂だったが、今は庶民的なレストランに変え、長男のが経営している。
次兄の健太は消防士となり、消防署に勤めている。
3番目の兄、裕太は老舗和菓子屋の娘と恋仲になった。熱愛を経て和菓子屋の婿養子となり、今は和菓子職人になるべく修行中。
父は草太が高校生の時に病で亡くなり、母は長男の店を手伝っている。
末っ子で体が弱かった草太は、3人の兄たちによく鍛えられたものだ。
長男の幹太は「いっぱい食って体力つけねぇと!」といわれ、手作りの料理を次々食べさせられた。当時中途半端な腕前だった幹太の料理は、美味しいとは言い難く、食べ切るのは拷問に近かった。
その甲斐もあってか、幹太の腕前はメキメキ上達していき、現在は名料理人として地元で人気になっている。
加えて、草太もそれなりの料理が作れるようになった。
「自分で食べるぶんは自分で作るよ!」と言わなければ、永遠に逃れられないと悟ったからだ。
次兄の健太に「男は体力!」と言われ、よく海に突き落とされたものだ。一時間泳ぎ切るまで出てくるな!といわれ、延々泳がされた。
おかけで体力がついたが、今でも水泳だけは苦手だったりする。
四人兄弟の中でも群を抜いて体力自慢だった健太にとって、消防士の仕事はまさに天職だろう。夜勤や激務も喜々としてこなしているという。
3番目の兄の裕太は、歳も近く仲も良かった。四人兄弟の中で一番容貌が良く、いわゆるイケメンで、女の子によくモテた。様々な女の子と浮名を流したが、高校生の時にとある少女と運命的な出会いを果たした。そこからは彼女一筋なので、意外と一途な性格だったらしい。
裕太に「優しくないと男はモテないよ?」といわれ、忍耐力をつけるためにと荷物持ちや家の手伝いを兄に代わってさせられた。素直だった草太は「優しい人間になるための修行なんだ」と思って頑張った。
社会人となった今では忍耐力は生かされていると思うが、それでモテるかどうかは微妙だった。
「今思うと、よく生きてこられたよなぁ、僕」
つくづくそう思う。兄達にはずいぶんと可愛がられたものだ。
兄達のシゴキのおかけで強くなれた気はするので、感謝は(それなりに)しているが、おかけで今でも弟気質が抜けない。
厳しい兄達ばかりだったせいか、優しい姉に憧れるようになり、それが草太の歳上の女性好きに繋がっている。
「いくら歳上の女性が好みでも、美冬さんは規格外って気がするけどね」
美冬のことを思い出すと、たまらなく会いたくなる草太だった。
『駅に着いたら連絡しろ。迎えにいってやる』
素っ気のないメッセージを送ってきたのは、長兄の幹太だ。兄弟たちはそれぞれ忙しいのは知ってるので、駅から歩いて帰るつもりだった。
「幹太兄ちゃんと一緒に帰るなんて、何年ぶりだろ?」
多忙な両親に代わって、長兄の幹太が保育園や小学校にお迎えに来てくれることがあった。末っ子の草太は長兄の幹太によく懐いていたが、迎えに来てくれたときは嬉しいような、恥ずかしいような複雑な気持ちだった。照れくさくなりながらも、あぜ道を幹太と手を繋いで帰ったものだ。
「幹太兄ちゃん、『迎えに行くなんてはずかしいから嫌だ』っていってたわりに、帰りに駄菓子屋に寄って、お菓子食べさせてくれたりしたよな」
駄菓子屋で買ってもらったお菓子はどれも美味しくて、次は何を食べさせてもらおうかと秘かに楽しみにしていた。
今となっては遠い、けれど大切で、懐かしい記憶。
「たまには幹太兄ちゃんと一緒に帰ってみるか」
せっかくだからと好意に甘えることにした。駅の改札を出ると、幹太の店の名を印したミニバンが止まっていた。すでに待っていてくれたらしい。
幹太が窓から手を振っている。