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忘れられない夜

「草太くん、ごめんね。うちの父が勝手なことばかりいって」

「いえ、そんな……」


 宗次郎との話し合いを終えると、宗次郎は黙って去っていってしまった。宗次郎の隣にいた彼の妻、美代子も早々にいなくなった。普通なら美冬の母である美代子が仲裁役に入ってもよさそうなものだが、美代子はただ黙って見ているだけで、何ひとつ口を挟まなかった。


 黙り込んでしまった美冬を見ているのが辛くなり、草太も六野家を失礼させてもらうことにした。

 美冬が「門のところまで送るわね」と言ってくれたので、ふたりでゆっくりと歩いてきたのだった。


「父はひとりで突っ走るところがあるから。おかげで娘である私も結構大変なのよ」


 乾いた笑いを浮かべる美冬が、どこか痛々しかった。

 

(無理して笑らおうとしないでください、美冬さん)


 美冬に伝えたかった。しかしそんなことを言える資格が、自分にあるのだろうか? 草太は何も言えなかった。ただ、ぎこちない空気が流れていく。


「草太くん、お願いがあるの」


 沈黙を破ったのは、美冬だった。


「はい、何でしょう?」


 反射的に返事をした草太は立ち止まり、美冬に向き合った。


「父が今日話したことは全部、忘れてほしいの。ほら、お付き合いだの結婚だのいってたでしょ? 全て忘れて。草太くんとはこれからもお友だちとして仲良くしてほしいから」

「友だち、ですか……」


『友だち』という言葉に、胸がずきりと痛む。


「そう、友だち。勿論、仕事中は上司と部下よ?」


 努めて明るく話そうとしているのだろう。それが草太への気遣いだと思うと何もいえなかった。


「わかりました」

「ありがとう、草太くん。これからもお友だちとして仲良くしてね?」


 片手を伸ばし、美冬が握手を求めてきた。『友だち』としての握手なのだろう。


(ここで握手したら、美冬さんとはもう……)


 完全に離れてしまうわけではない。友だち、そして上司と部下という関係に戻るだけだ。それはわかっていた。


「草太くん、お願い。握手して」


 美冬の右手が微かに震えていた。驚いて顔を見ると、目に涙がたまっている。泣くのを堪え、必死に笑顔を浮かべようとしているのだ。草太の負担を考え、精一杯強がっている。そう思うと、草太はたまらない気持ちになった。


(ダメだ、友だちになんかなれない)


 草太は両手を伸ばし、美冬の華奢な体を強引に抱き寄せた。

 美冬をこのまま手放したくない。ただ、それだけだった。


「そ、草太くん?」


 突然の抱擁に、美冬は戸惑っているようだが抵抗はしなかった。

 夜の闇が二人を包み込み、そっと隠してくれた。香水の香りだろうか。淑やかな香りが草太の鼻をくすぐる。腕の中で感じる美冬の鼓動。全てが愛しくてならなかった。


「少し、少しだけ時間をください。考えてみます。これからのことを」

「草太くん……」


 それは草太なりの決断だった。すぐに答えを出せるほど簡単なことではない。だからこそ時間をもらって考えてみようと思ったのだ。


「わかった、待ってるわ。草太くん。でも無理はしないで」

「ありがとうございます、美冬さん」


 その夜は、二人にとって忘れられないものとなった。


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