お家に行こう②
「お嬢様、離れ屋のほうへ行かれるのですよね? よろしければ後でお茶とお菓子をお持ちしますよ。お嬢様のお好きなガドーショコラを作る予定ですので」
「わぁ、夕子さんのガドーショコラ大好き。嬉しいわ」
「お嬢様は昔からお好きでしたものねぇ」
「だって本当に美味しいもの。つい食べ過ぎちゃう」
楽しそうに談笑する美冬と夕子。その姿はまさに母娘といった感じで、微笑ましい光景だ。草太が見ていることに気付いた夕子は、にっこりと笑った。
「田村さん、よろしければガドーショコラと一緒にチーズケーキもお持ちしますよ。お好きでしょう?」
「はい、チーズケーキ好きです。……って何で僕の好物を知ってるんですか?」
「なんででしょうねぇ。ふふふふ」
いったい、夕子とは何者なのだろう?
笑顔を絶やさない夕子をじっと見ていると突然、頭上にぴょこっと二つの耳臀部の辺りからもふもふのしっぽが現れたではないか。
「え?」
驚いて目をこすり、もう一度見ると、今度は何もない。でもさっき確かに見えたのだ。
「あら、見てしまいましたか? 私の秘密を。実は私のご先祖は
化け狸と結婚したそうですよ」
「ば、化け狸……?? それ、本当の話ですか?」
「さぁ、どうでしょうねぇ。ふふふふ。それでは私は一旦失礼させていただきますね」
音もなく静かに去っていく夕子が、なんとも無気味に思えた。
「い、今の話は冗談ですよね? 美冬さん」
「本当らしいわ。ご先祖に化け狸がいるんですって。たまに耳としっぽが出てるから嘘ではないと思う。私だって似たようなものだし、人のこととやかくいえないわ」
無邪気な笑顔を浮かべ、平然と答える美冬。
「ば、化け狸の家政婦……?」
ろくろ首の先祖をもつ美冬という例があるのだから、化け狸がいたとしても不思議ではないのかもしれない。だとしても。
さすがの草太も恐ろしくなった。
(どうやら、とんでもないところに来てしまったみたいだな……)
背中に冷汗が流れ、身震いした。恐怖で体が凍り付き始めるのを感じる。
「草太くん、行きましょ。私の部屋へ」
美冬が草太の手を握った。
「美冬さんの部屋……美冬さんだけの部屋ですか!?」
「そうよ。離れ屋は私専用だもの。音楽を聴くなら私の部屋のほうがいいでしょ」
女性の部屋、しかも憧れの人のひとり部屋。草太の脳裏に浮かぶのは、美冬のあられもない姿。ただの妄想とわかってはいるが、もはや止められなかった。
「行きましょう、行きましょう。すぐに行きましょう!」
草太はさくさくと歩き始めた。美冬の部屋へと誘われ、彼の恐怖心は空を飛ぶ一反木綿のごとく、さらりと消えていくのだった。
「草太くん、ここが私が使ってる離れ屋よ」
美冬に案内さえた離れの屋敷は、母屋に比べると簡素な造りでこじんまりとしており、不思議な安心感があった。草太はやっと一呼吸つける気がした。
「さぁ、どうぞ。入って」
「お邪魔します」
離れとはいえ、部屋はいくつかあり、キッチンやバスルームらしき設備もある。やはり一般庶民とは違うと感じてしまう。
「豪華ですねぇ」
つい、本音がこぼれ落ちる。美冬が小さく笑った。
「私の場合、一種の隠れ部屋みたいなものね。子供の頃は昼間でも知らぬ間に首が伸びちゃうことがあったから。人目につかないように、ここで過ごすのがあたりまえだったの」
「ひとりで、ですか?」
「おもちゃ片手に父は来てくれたけど、社長としての仕事もあったから、頻繁には来れなくて。母は私に本を読み聞かせしてくれたけど、おしゃべりする人ではなかったし」
「学生時代の友だちも来たことないんですか?」
「ないわね。友達はいたけど、私の秘密を全て明かせる友達はいなかった。私の家柄を見て近づいてくる子も多かったし」
「そうなんですか……」
想像以上に孤独な少女期だったようだ。ろくろ首体質の秘密を守るには、簡単に人に心を開くわけにはいかない事情もわかる気がした。
(美冬さんが僕といるときだけ妙に子供っぽくなるのは、得られなかった青春を、取り戻そうとしてるのかな)
草太の想像でしかなかったが、そう思えば美冬の甘えたがりは理解できる気がした。
「草太くん、音楽は何で聴く? ミニコンポならあるけど」
「美冬さん、あの」
「なぁに?」
「僕は見ての通り頼りないですけど、僕にできることは頑張りますので、どうぞ頼ってくださいね」
「頼るって何を?」
「何をって。うーん、なんだろ?」
いまいち歯切れの悪い草太の台詞に、美冬が笑いだした。
「冗談よ。草太くんはとても頼りになるわ。今日だって母や夕子さんに会っても逃げ出したりしなかったでしょう?内心不安だったのよ。草太くんが私の家族を見て私のこと嫌いになったりしないか? って」
「嫌いになったりしませんよ。なるわけないじゃないですか。美冬さんのお母さんや夕子さんのこと、驚きはしましたけど、悪い人だとは思いませんでしたし」
美冬は黙って草太の話を聞いていた。
「美冬さんの家族や夕子さんがいたから、今の美冬さんの姿があるんでしょう? なら良いご家族だと思います」
眩しそうに草太を見つめる美冬は、言葉をひとつひとつ噛みしめているようだった。
「草太くんはすごいね。ありのままの私を見て、受け入れてくれる。いままでそんな人いなかった」
「すごいって何がですか?」
草太は本気でよくわからない。美冬は穏やかに笑っている。
「そうやって天然なところかな。草太くんはいつまでもそのままでいてほしい」
悪い印象ではないようだ。自分のことを天然と思ったことはないが、否定するのは止めておいた。
「ありがとう。草太くん。これからも頼りにしていい?」
「はい、喜んで!」
「じゃあ、音楽のこと教えてくれる? 私クラシックぐらいしか知らなくて」
「偉そうにいいましたけど、実は僕も、音楽はあんまり詳しくなくて。二人でいろいろ聞いてみませんか?」
「やだ、草太くん。音楽にも造詣深そうに話してたのに」
「いや、全然。流行りの音楽やアニソン聞くぐらいです」
「アニソンって?」
「アニソンというのはですねぇ~」
草太と美冬、二人の話はいつまでも尽きなかった。