趣味を探しましょう
「あの、美冬さん」
「なぁに? 草太くん」
二人は今日も残業していた。草太と二人きりなので、リラックスモードに突入している美冬は、すでにろくろ首状態だ。長く伸びた首がメトロノームのように機嫌良く揺れている。そんな姿を可愛らしく思ってしまう草太だった。
「美冬さんの趣味って何ですか?」
「趣味……」
美冬から笑顔が消えた。揺れていた長い首もぴたりと止まっている。
「しゅみ、しゅみ……」と呟きながら、必死に考えを巡らせているようだ。
「趣味……ないわ、私」
自分で自分の回答にショックを受けているらしく、その顔は強張っている。
「ちょっと質問が悪かったですね。趣味ってほど立派なものじゃなくてもいいですよ。仕事以外で楽しいものって、ありますよね?」
長い首をぐりんと傾け、再び熟考する美冬。
「ないわ。何もない。ずっと勉強と仕事しかしてこなかった」
毎日仕事に奮闘している美冬は、仕事から離れると何をしているのか気になって聞いてみた。まさか何もないとは思わなかったのだ。それだけ努力してきたということではあるが、仕事から離れて
自分を開放する場所や物は必要に思えた。
「草太くんと一緒にいる時が一番楽しいわ。それが趣味じゃダメ?」
長く伸びた首をくねらせ、草太の顔色を伺うように聞いてくる。頬はほんのり赤く、白い首は艶やかさを増している。胸が高鳴るのを必死に堪えながら、草太は質問に答えた。
「ぼ、僕と一緒にいるのが楽しいっていってもらえて嬉しいですよ。でもね。ひとりでいるときでも楽しいことがあったほうが、人生は楽しいですよ」
「人生が楽しい。そんなこと、考えたこともなかったわ」
初めて知った言葉なのか、美冬は不思議そうな顔をしている。その顔は少女のようで、自分より年上の女性とは思えない。
「何か見つけてみませんか? 美冬さんの趣味」
美冬はしばし考え込み、やがて遠慮がちに答えた。
「草太くんも助けてくれる? 私はたぶん何も知らないから」
「僕にできることなら、お手伝いしますよ」
「ありがとう。嬉しいわ」
美冬は満足そうに笑った。その可愛らしさに、何でもしてあげたくなる草太だった。
ひとりで楽しめる趣味を探しましょうと言いつつ、草太と美冬、二人の時間になってしまうことに気付いていない草太だった。
「草太くん、定義がよくわからないから聞くけど、趣味って何かしら?」
「えーっと。仕事や職業としてではなく、個人が楽しみとしていること。ですかね?」
スマホで得た情報を、さも自分の知識のように語る。
「それで趣味というのは、一般的にどんなものを指すのかしら?」
「読書や映画、音楽、スポーツなどですかね?」
趣味を作りましょう、などと偉そうに語ったものの、草太も一般的な知識しか知らないのだった。
「読書はするわよ。仕事の情報収集にいいもの。音楽はそうね、話題の曲を聴くぐらいかしら。職場の皆とのコミュニケーションに役立つから。スポーツはジムで少しするわよ。体力維持に努めないと
仕事に差し支えがでるから」
なんでも仕事に繋がっていく美冬である。わかっていたつもりだったが想像以上の真面目さだ。
「美冬さん、仕事も大事です。でも全てを仕事に繋げて考えてたら疲れませんか?」
「全く疲れないわ」
美冬にとって仕事は何より大事らしい。想像以上に手強いようだ。
「あの、でもですね。趣味を持つと仕事もさらに充実しますよ。心がリフレッシュできますから」
「草太くんといればリフレッシュできるわ」
屈託のない笑顔で話す美冬。その愛らしさにめまいがしそうだ。
「そ、そういうことじゃなくて。美冬さんひとりで楽しめるものをもったほうがいいってことですよ」
「そうね、ひとりで楽しむことも大事よね、ひとりでね」
先程までの笑顔が消え去り、しゅんとした美冬がかわいそうになる。
「わかりました。最初はふたりでしてみませんか?映画はこの間見たから、今度はスポーツでも」
瞬時に顔に輝きが戻る美冬である。よほど嬉しいのか、長い首ごとこくこくと何度も頷いている。ふたりで出来るのが嬉しくて仕方ないようだ。
「そうね、スポーツいいわね。ふたりで出来て、且つひとりでも楽しめそうなスポーツってある?」
「そうですね……気軽に始めやすいところでボーリングなんてどうですか? ボーリング場に行けば全部ありますし。テニスもいいですね。道具を揃える必要はありますけど、ハマれば一生の趣味になりますよ」
「いいわね、ふたりでしてみましょう」
こうして『美冬の趣味探し』という名目のデートが成立した。
美冬が実に嬉しそうに笑っているのを、微笑ましく見守る草太だった。
美冬の趣味にスポーツ、というのは我ながら名案だと草太は思った。スポーツなら仕事から離れられるし、健康的でもある。夜だってきっとよく眠れる。
けれど、現実は彼の思惑通りにいかないのだった。
次の週末、ふたりはボーリング場に出かけた。初めてだという美冬に、ボーリングが得意な草太は懇切丁寧に説明する。
「このボールを投げるのね。え、担いで投げ飛ばすのではないの? どうりて重いボールだと思ったわ。指を入れるところがある? あら、ホント」
どうやらボーリングを見たこともないらしい。いささか不安は感じるものの、ルールやプレイの方法などは理解してくれたので問題はないだろう。
しかし久しぶりでもなかなかの高得点をたたき出す草太に対し、美冬は見事にガターばかり。フォームは悪くないのに、ボールが溝に転がり落ちてしまうのだ。きっと自分の指導方法が悪かったのだと、再び丁寧に教える。
けれど結果は同じ。何度も挑戦してみてもうまくいかない。当然一点も入らない。
企画部の主任として社員のリーダー格の彼女からは、想像もできない姿だった。
「私、下手ね……」
「美冬さんにはボーリングは合ってなかったんですよ、きっと。次行きましょう、次」
今にも泣きそうなほど落ち込む美冬が気の毒になり、スポーツを変えてみましょう、と提案する草太だった。
今度はテニスをやってみた。草太が学生時代に使っていたものを美冬に貸し、ボーリングと同じように丁寧に指導する。
わざわざ新調してきたテニスウェアを着る美冬は、スタイルも良く溌溂としていて、どこから見てもテニス上手な女性に見えた。
しかし。
美冬はボールを打ち返すことも、サーブを打つこともできなかった。
ボールが目の前に来ると恐怖を感じるのか、目を瞑ってしまうからだ。草太が弱く打ったボールを追いかければ、すてーん!と見事に転ぶ有様だ。
ここにきて、草太はよくやく理解した。
春野美冬は、運動音痴だったのだ。それも相当な。
「私って駄目ね……。今頃思い出したけど、私は学生時代から運動が苦手だったのよね。草太くんが側にいれば何だってできる気がしたから、忘れてたけど。ごめんね、草太くん」
「謝らないでください。美冬さんは人よりちょっとだけバランス感覚が悪いだけですよ。ほら、ろくろ首体質ですから」
「そうね、私は妖怪だものね……」
「いや、そうじゃなくて」
慰めるつもりが余計に落ち込ませてしまった。
肩を落とし力なく落ち込む美冬に、スポーツを提案した草太は申し訳なくなる。スポーツが苦手でも趣味として楽しめるなら、なんら問題はない。
しかし、プレイする本人がいちいち落ち込んでしまっていては、楽しむこともストレス発散にもならない。むしろ逆効果だ。
安易にスポーツを勧めたことを草太は後悔した。
「スポーツは美冬さんに不向きなんですよ。きっと。今度は音楽にしてみましょう。音楽をふたりで聴きませんか?」
「…………」
美冬からの返事はない。落ち込みすぎて答える気にさえならないのだろうか?
「美冬さん?」
「私の部屋でならいいわ。暗いところだと私、また首が伸びちゃうかもしれないし。私の部屋なら防犯設備もしっかりしてるし問題ないし」
「わかりました! 美冬さんの部屋に行きしましょう」
美冬が答えてくれたことに安堵し、草太はすぐに了解した。
「本当? 嬉しいわ。草太くん私の家に来てくれるのね。歓迎する!」
(ん、美冬さんの家? ってことは……)
落ち込む美冬さんを少しでも慰めたくて安易に了承してしまったことに、ちょっぴり後悔する草太だった。