#67
二分割した後半です。
実はこっちを先に書いてまして。
みんな大好きホーリー◯ットの提供でお送りします。
私、エルミーラ・イスマイロワは先月十八の誕生日を迎えたばかりだった。
私が生まれたのは天上大陸・セレスメアの衛星国、地上国家・バシュカルディア。
バシュカルディアは何もないところで、乾燥した峻険な山岳地帯に囲まれて点在する牧草地で、皆で協力して家畜を育てて暮らしている。
風を読み、天気を読み、家畜を移動させ、それに伴って組立式の家を移動させる。
次の季節はどこに行こうか。それは風を読んで、祖霊の声を聞いて、決める。そんな暮らしだった。
私が十歳の夏、見たことも無い滑らかで光沢のある服を纏って、胸にキラキラと光るブローチを沢山付けた人たちが私たちの集落にやって来て、私の住む世界は変わった。
私たち集落の子供たちを集めて、順番に見たことも無い機械を取り付けて、あれやこれやと検査をした後、そのヒトたちは私の家に押しかけてきて、一方的にまくし立てた。
「貴方様の御息女は類稀な御資質をお持ちだ。素晴らしい御息女です。お父様もさぞや誇らしいでしょう。天上大陸・セレスメアは御息女の様な特別な子女たちの才能を必要としています。お父様さえ宜しければ、御息女を天上大陸・セレスメアにご留学させては如何でしょうか?御息女であれば必ずやご出世なされますでしょう……いいえ、いいえ、費用など、御心配召されますな。それは私設寄宿学校が賄いましょう。寧ろ、御息女を留学させるとなれば、御家族も人手が足りなくて大変でしょうから、その補填も致しましょう。全ては御息女の将来と、セレスメアの発展のためです」
その時、父様に耳打ちされた『補填』とは、バシュカルディアでは相当な金額だったらしい。
トントン拍子で私の留学は決まった。
後に知ったのだけれど、私の集落にやって来た彼らは、私設寄宿学校の私設巡察官だったらしい。
セレスメアでは国家適性評価試験という試験の結果次第で、誰でも平等公平に碩術師様や大臣様に成れるのだという。私設巡察官は地上世界をくまなく回って、私みたいにオドの量が多くて碩術の才能があって、国家適性評価試験で良い成績を取れる見込みがあるにも関わらず、地上世界に生まれたせいで国家適性評価試験を受ける事すら出来ない『恵まれない子供たち』を探し出して、一人でも多くの『若き才能たち』が成功のチャンスを得られるように支援することが彼らの仕事なのだという。
セレスメアまでの道中、私をセレスメアまで引率したミーシカと名乗ったその私設巡察官はそう教えてくれた。なんて立派な仕事なんだろうと思った。
セレスメアに上がったら、彼らのことを『レクルトゥスキ』じゃなくて『ヴェルボーフシチク』と呼ぶ人が居たけれど、セレスメアではバシュカルディアの言葉とはかなり違うスビャルトルースが使われるから、『ヴェルボーフシチク』がどういう意味なのか未だに私にはよくわからない。多分、俗語なんだと思う。辞書にも載ってないし、あんまり良い意味ではないように思えた。なぜ、あんなに素晴らしいお仕事なのに、そんな悪そうな言葉で呼ばれなければならないんだろう、と理不尽に憤慨したりもした。
セレスメアに上がってからは、私みたいな地上世界から留学に来た同じくらいの子どもたちは、男女別に私設寄宿学校に入れられてスビャルトルースの読み書きや四則演算を勉強させてもらった。
寄宿学校は衣食住すべてが与えられて、週末には外出まで許される。
しかも、週末は寄宿学校の食堂が休みになるから、少ないけれど外食する為のお小遣いまで配られた。そのお小遣いを握り締めて、仲の良い仲間と街へ繰り出すのが、毎週末の楽しみだった。
セレスメアと言う国はなんて良い国なんだろう、と心から感心すると同時に、その素晴らしいセレスメアに『若き才能たち』『未来の英雄たち』なんて呼ばれて留学を許されている自分自身がとても誇らしかった。
空に浮いているとは思えない、セレスメアの摩天楼が並ぶ街のレストランで食べるご飯は、バシュカルディアで家族と囲んだ食卓とは雲泥の差で、パンにはバターがたっぷり使ってあるし、シチューはバシュカルディアでは貴重な塩や香辛料が沢山使ってあって、私は毎週どこのレストランに行こうか、そればかり考えていた。
後で両親に仕送りをする為に、毎週与えられるお小遣いの一部を貯めている同級生が居るのを見て、ちょっと自分が恥ずかしくなった。
それからは、私も両親に仕送りをするようになった。
仕送りを始めると、家族から手紙が来るようになった。
毎回筆跡が違ったから、多分代筆屋に頼んで書いてもらっていたんだと思う。そうよね。父さんも母さんも、文字も書けないし読めないもの。多分、仕送りに添えた私からの手紙は族長辺りに読んでもらって、旅の商人や、もしかしたらバシュカルディアの街まで出て行って代筆屋に手紙を書いてもらっていたのかもしれない。街までは片道2日はかかるのに。
「私の輝く一等星」
既に懐かしさすら感じる故国の言葉で書かれた家族からの手紙には、誇らしそうに私を称えるそんな言葉がそこかしこに踊っていた。
そんな家族からの手紙を読む度、私は嬉しくて、誇らしくて、寂しくて、何度も手紙を抱いたまま枕を濡らしたのを覚えている。
そんな家族からの手紙をいつも上着の内ポケットに忍ばせて、段々と専門性を帯びて難しくなる授業や課題、試験を必死でこなす日々を送った。
年が明け、年級が上がり、何度か試験があって、ある日突然、隣の席に座っていた級友が寄宿学校から忽然と姿を消した。
最近、試験の出来が悪い、と不貞腐れていた娘だった。
同じ様な娘は年を追うごとに増えていった。
多分、生まれて初めて、本物の恐怖を感じた。
寄宿学校から追い出されることよりも、追われるように故郷に帰った私を見た時の両親の顔を想像して。
その顔に浮かぶであろう、失望の色を想像して。
他の娘も私と同じだったのかもしれない。
誰も、天上大陸を追い出されて、失意の中故郷に帰りたくなかった。
元の履いて捨てられる様な地上世界のド田舎の小娘に戻りたくは無かった。
誰もが、天上大陸に来た時の様に、『若き才能たち』『未来の英雄たち』と讃えられたままで故郷に帰りたかったのだ。
それからは、下らない嫌がらせが増えた。
少し目を離せば教科書が無くなり、少し成績が良くなれば、ベッドを水浸しにされた。
寄宿学校に通う誰もが経験した。
家族から私を励ます手紙が来るたびに、その手紙を心の支えにして、歯を食いしばった。
「君たちは祖国の空に輝く新しい星だ!進め!未来の英雄たちよ!」
疑心暗鬼と足下相蹴に満ちた六年間の寄宿学校生活の締めくくりに国家適性評価試験を終えた私は、晴れて寄宿学校を卒業した。
卒業式を締めくくった寄宿学校の校長先生の送辞は、辛かった寄宿学校生活の私の努力を全てを称えてくれている気がした。
私の国家適性評価試験の成績は一番上。第一等級。
卒業の記念にと寄宿学校から贈られた、光沢のある木賊色の大外套の胸に、第一等級を示す白銀の盾を象ったバッヂが眩しいくらいに光っていた。
その大外套を肩に引っ掛けて、故郷に帰った。
実際にセレスメアで職務に就く前の、セレスメアが私たちに与えてくれたご褒美だった。
私たちのためにセレスメアが特別に用意してくれた臨時運行の飛空艇に乗って、久方振りに降り立ったバシュカルディアの大地は輝いて見えた。
私たちが降り立ったバシュカルディアの首都・カラブリクは、私がセレスメアへと旅立った時の記憶と変わらない、赤茶けて背の低い街だった。
セレスメアへと旅立ったあの日と寸分違わないように思える、懐かしい大地を奔る風たちが木賊色の大外套を揺らし、天高く登った陽の光に白銀の盾が煌めいて、街征く故郷のヒトビトは、私たちの格好を見て次々と道を譲った。
背は低いけれど雑多な表通りのヒト混みが勝手に割れていくのは、何というか恥ずかしい気もしたが、同時に何とも言えない誇らしい気持ちで満たされるのを感じていた同期一同は、多分かなり高飛車な態度になっていたかもしれない。
飛空艇の発着場から街の中心街を貫く市場通りを、勝手に割れるヒト混みに任せて進んで、乗合馬車のロータリーで馬車を一台チャーターする。
ガラの悪そうな同じ年頃の男の子の御者からおっかなびっくり告げられた馬車のチャーター料を値切りもしないで支払おうとしたのに、その男の子は私たちが出そうとしたセレスメアの紙幣を見て目を剥くと、「お釣りが払えない」とか言い出して思わず苦笑いが出た。
そうだった、両替するの忘れてたね、と同期たちと笑い合って、お釣りはチップとして御者の子に握らせることにした。
それから、御者の男の子が出発の準備をする間、両替商の所を訪ねて両替をしたのだけれど、一番安いセレスメアの紙幣一枚で財布がパンクしそうなほどのバシュカルディアの紙幣を渡されて困ることになる。
両替商のオバちゃんなど、私たちの取り出したセレスメアの紙幣を見て、まるで神器でも受け取るような態度だった。地上世界に置ける天上世界の扱いを改めて痛感するとともに、分厚い札束を抱えて道中で摘むお菓子や飲み物なんかを食べきれないほど買い出したのだが、寧ろお釣りの少額紙幣で札束の厚さは増えてしまった。
そしてチャーターした馬車の元に戻ると、同じ位の歳なのにセレスメアの通貨をポンと払う私たちを乗せる事になり気が気でない様子の御者の子がチラチラとこちらを伺う視線を心地よく浴びつつ、私たちはカラブリクを発った。
馬車が舗装などされていない懐かしい土の匂いがする細い道を進むに連れて、同期が一人二人と降りてゆく。
道中の小さな町に立ち寄って一夜を明かし、二日目には遂に馬車の荷台に乗っているのは私だけになった。
私はガラが悪いけれどどこか純朴そうな御者の男の子がどんな反応をするのか気になって、荷台の客席から御者台に移ってみた。
懐かしいカラリとした冷たい風が頬を撫でて気持ちよかったし、懐かしい思い出が次から次へと蘇って、近づいてくる故郷が楽しみで仕方がなくなった。
遂に御者の子は声すら掛けて来なかった。
それが悲しいとは感じなかった。ただ、自己肯定感だけが上がった気がして、自分の行動を少しだけ恥じた。でも、御者の子に悪いとは思わなかった。
ただ、気安く声をかけられなかったことが、嬉しかった。
私を乗せた馬車が六年ぶりに私の集落に到着すると、馬車は集まったヒトビトの歓呼の渦に包まれて押すな押すなの大歓迎が始まった。
余りの熱量に御者の子は身を仰け反らし顔を引き攣らせていた。
事前に帰郷する旨を手紙にしたためていたとは言え、やけに人が多いと思ったらどうやら天上大陸から帰ってくる私を一目見に、近くの集落が総出で集まってきたらしい。
まるで冠婚葬祭の様な盛大な歓迎会が昼夜を問わず連日催され、バシュカルディアでは滅多に出ないようなご馳走がズラリと並んだ。
両親は天上大陸帰りの私を誇らしげに皆に紹介して周り、誰しもが手放しで私を褒め称えた。
来訪客には別け隔てなく料理やお酒が振る舞われ、私はひっきりなしに誰かの所へ引き回され、途中からは引き合わされた相手がどこの誰かもわからない有り様だった。多分、私を引き回して回っていた父も知らない人だったのではないかと思う。
私は将にその時、私が六年前に故郷を離れる時、私設巡察官のミーシカが私たち『恵まれない子供たち』に与えようとしてくれた『成功』を掴んだ気がした。
嬉しくて誇らしくて、セレスメアに戻ったあと、配属先でも一層頑張ろうと、決意を新たにした。
セレスメアに戻ったあと、私が配属されたのは航空艦隊の玻璃の乙女たちだった。
航空戦艦付碩術化特務技能官。
艦隊戦に際して、敵の物理攻撃から艦を守る為に装甲板のすぐ内側で理論防御結界を展開するのが仕事。
とても危険な仕事だけれど、艦隊戦が始まったら戦闘艦の中に安全な場所なんて無いし、何より戦闘艦一隻が戦闘不能になると言うことは、それだけで艦隊戦の趨勢を決しかねず、ひいてはセレスメアと言う私を引き立ててくれた素晴らしい国家体制を危険に晒すことになる。
国家を存亡の危機に晒さない為に、身を挺して戦闘艦を守る重要な仕事だ。
だから待遇も良いし、お給金だって機動兵器乗りと同じくらい貰える。何より制服が可愛い。とっても。
セレスメアの航空戦艦では式典で甲板に並んで敬礼する時、観客に向かって整列するのは私たち玻璃の乙女たちの役目になっている。儀仗兵としての役割も担っているから、制服が可愛く造られているみたい。
白地に青い差し色が入った艦章付き制帽に、同じ配色で飾緒付きのケープレットコートと、その下に同じ意匠でダブルブレステッドのクロップドジャケットに、サイドに細かい刺繍が入ったフレアパンツのセットアップ。それに滑らかで艶のあるアイスブルーに染められたフルグレインレザーのハイヒールポインテッドブーツは本当に格好良くて、それを着て鏡の前に立つたびに嬉しくて頬が緩んでしまう。
だから今日も士官個室の鏡の前で、交代勤務に就く前に身嗜みをチェックしながら、自然と笑みが溢れる。
艦章付き制帽にシワが寄らないように大事に抱えて、士官個室の気密扉を開く。狭いけれど個室が貰えるのも玻璃の乙女たちの特典だ。
士官個室を出ると、ヒトが一人通るのがやっとの狭い艦内通路を壁に身を寄せる様にして他の乗組員たちとすれ違いながら、お互いに略礼を交わして自身の配置を目指す。
腰のツールポーチに詰まった工具類をガチャガチャと鳴らして通廊を走ってきた同い年くらいの整備科の男の子が、すれ違いざまに略礼を交わした瞬間に目を丸くして息を飲んだのがわかった。
何事かと思って歩みを止めずに振り返ると、途端に彼はまるで将官にでもするかのように背筋を伸ばして敬礼をしていた。
彼が何を思っているのかは解っているけど、あえてそれには気づかない振りをして軽く微笑んであげると、小金瓜みたいに顔を赤くして視線を天井へと泳がせてしまった。
可愛い。なんて心の中で微笑みながら私の持ち場である艦首側の左舷主郭装甲板下回廊に続く機密扉を潜る。
就直前のブリーフィングを受けるために、既に同じ組の同僚がギュウギュウに詰まった小部屋に身体をねじ込む。
肩が当たるどころかお互いの吐息が感じられるような距離で同僚たちと挨拶を交わし合う間にも後からあとから同じ組の娘たちがブリーフィングルームに押し掛けて来て、段々と前に押しやられながら場所を詰めていく。
スペースが限られる航空戦艦の艦内なので仕方が無い。
やがて前の組の組長がやって来て、私たちの組長と引き継ぎを行うのを皆で黙って聞く。
と言っても、引き継ぎは基本的にはいつも同じだ。
――特段の申送事項無し。勤務交代実施願います。
――申送事項無し、承りました。勤務交代実施致します。ご苦労様でした。
そういうやり取りを組長たちの脇で聞いて、号令とともに持ち場に駆けて行って、前の組の当直員と交代するだけ。
なぜなら、私たちが本当に必要とされるのは戦闘が起こる時だけだから。
この私たちが守る艦・ファムアルフートは既に艦齢百年を超える老艦だから、未だ訓練艦にこそなっていないが、本格的な戦闘任務から外されて長いらしい。
現在の主な任務は地上世界へセレスメアの威光を示すための巡航任務が多い。たまに地上世界に姿を見せてセレスメアの偉大さを地上世界に知らしめるのだ。老艦とは言え、その大きさは見る者に自然と畏れを抱かせるには十分だと思う。
だから実際の戦闘に駆り出されることは無いに等しい。この数十年、大きな戦争は起こっていないから、ファムアルフートが実戦に駆りだされることも無かったし、今後も無いと思う。
今回の出撃も地上世界にあまねくセレスメアの崇高な御稜威を識らしめる為の、いつも通りの巡航任務だと聞いている。
なのに、今日の引き継ぎはいつもと少し違った。
「警戒配置が発令されています。重点防御区画の指定あり、右舷艦首。集中防御区画防衛体制ではなく、指定区画集中防御指示です。申し送り終わり。勤務交代実施願います」
フリーフィングルームに居た全員が何を言われたのか良く分かっていないみたいだった。
私たちの組の組長が息を呑んだのが分かった。
「警戒配置発令中、了解。重点防御区画指定有り、左舷艦首方向、指定区画集中防御、承りました。勤務交代実施致します。ご苦労様でした!」
答礼した私たちの組長の薄く紅が差された端正な唇は、小刻みに震えていた。
組長の答礼に合わせて私たちの組が一斉に答礼する。誰も彼もが、異様な空気に飲まれていた。
答礼した私の右手も、震えていた。
解散、の声を聞いて訳もわからぬままに駆け出して、持ち場に就く。
交代を待っていた前の組の子が明らかな安堵の表情を浮かべた。
お互いに敬礼を交わして立ち位置を入れ替える。後は次の勤務交代までじっと装甲隔壁に向かって立哨の様に立ち続けるだけだというのに、目の前の装甲隔壁をじっと見つめて待機姿勢を取った途端、背後で前の組の娘が駆け足で去ってゆく足音が妙な心細さと緊張感を感させた。
チラリと左右を見やれば、私と同じ様に『休め』の姿勢で数十フィート間隔で装甲隔壁に向かって立つ仲間の姿が目に入る。
左右の仲間と目が合った。
普段なら「余所見をするな集中しろ!」なんて怒られるところだけど、皆が私と同じ不安を抱いているのが分かった。
いつもは苦にもならない、ただじっと壁の一点を見つめているだけの事が、酷く辛かった。
体の奥底から湧き上がる、本能的な衝動に身体が突き動かされて、今にも逃げ出してしまいたくなるのを理性でもって押さえつける。
どれだけ経っただろう。
数時間そこにいたかもしれないし、ほんの数秒しか経っていなかったかも知れない。
時間の感覚が分からなくなっていく。
頭の中を占めるのは、いざという時の事だ。
いざ、本当に戦闘になったとして、何をどうすればよかったのか。
もし、敵の攻撃が私の居る所を直撃したとしたら、どうなるのか。
私設寄宿学校ではなんて教わっただろうか?
そう言えば、『何をすればよいのか』は私設寄宿学校で散々教わったのに、『どうなるのか』については、私設寄宿学校では詳しく教わった覚えがない事に今になって気がついた。
言いしれぬ不安が不意に湧き上がって、まるで肌のすぐ下を虫が這いずるみたいにして全身へと広がってゆく。
『合戦準備!合戦準備!総員配置につけ!!!』
突然、艦内放送のスピーカーからけたたましいサイレンが鳴り響いて、急にお腹の底を震わせるような低い振動が床を伝い、不気味な低い金属のこすれる音がどこからともなく聞こえてくる。
機関出力が上がって、主砲塔が向きを変えて敵を指向しているに違いなかった。
本当に戦闘が始まる!?
『玻璃の乙女たち総員に告ぐ。理論絶対防御結界展開準備!理論絶対防御結界展開準備!各員は思考の並列化急げ!』
組長からのチャント。
チャントに組長の焦りが混じっていて、チャントを受け取った私までが中てられて異常な焦燥に駆られる気がした。
いつの間にか荒くなった息を深呼吸で無理やり整え、眼前の錆止め塗料しか塗られていない灰色の装甲板を見つめながらゆっくりと両手を翳して装甲板に触れる。
すると、背後からバタバタと足音が聞こえて視界の左側に先程交代したばかりの子が私と同じ様に装甲板に手を翳すのが見えた。
ふと、そちらに目だけで視線を向けると、その子も私を見ていた。
彼女は、玻璃の乙女たちのトレードマークである青色のケープレットコートを着ていなかった。
多分、部屋に戻ってコートを脱いだ所で合戦準備が発令されて慌てて戻ってきたのだろう。
彼女の目には涙が溢れていた。
「――私たち、死んじゃうのかな?」
唇を戦慄かせながら掠れるような声で絞り出されたその言葉に、私は怒鳴る様に返した。
「馬鹿なこと言わないで!私たちが、この艦を守るのよ!」
瞬間的に湧き上がった怒りに任せて、そう叫んだ瞬間、チャントで思考が並列化される。
まるで首筋から何か冷たいものが差し込まれるような感覚がして、皆の思考が共有化される。
怖い。
助けて。
誰か。
そんな思考がグチャクチャになって流れ込んできて吐き気を覚える。
普段の訓練ではこんなことないのに。何がどうなってるの。
お父さん。お母さん。私を守って。
『理論絶対防御結界展開!理論絶対防御結界展開!出力、待機状態で維持しろ!訓練を思い出せ!』
組長の合図で理論絶対防御結界を皆で一斉に展開する。相互に並列化された思考が、個々が展開した理論絶対防御結界同士を共鳴させて強度を指数関数的に増幅する。
荒い息遣いが聞こえて、それが自分のものだと気付くまでに随分と時間がかかった気がする。
理論絶対防御結界をいつまで展開し続ければいいのか。
これが時々行われる抜き打ちの意地の悪い訓練であったのなら。
不安が顎から滴る汗の様に、全身から噴き出しそうだった。
『――警報!!!敵艦発砲!敵艦発砲!高速飛翔体複数感知――到達間も無く!総員衝撃に備えられたし!!!』
絶望的な言葉がスピーカーから流れる。
嘘でしょ?嘘よね?
急に歯の根が合わなくなる。
『玻璃の乙女たち総員、理論絶対防御結界出力最大!繰り返す!出力最大!』
組長からのチャントと共に、展開した理論絶対防御結界の出力を上げる。
頭に一気に血が上っていくのが判る。耳の奥で耳鳴りが暴風の如く鳴り響く。視界が見る見る狭窄して、その色を失っていく。
頭が内側からの圧力で、水を入れ過ぎた水風船みたいに今にも破裂しそうだった。
『セレスメアに栄光を!セレスメアに栄光をッ!!!』
組長が叫んだのかは判らない。水の中に潜ったかのように周囲の音が、警報が、誰かがすすり泣く声が、全てがくぐもっていく中で、誰かが狂ったようにチャントでそう叫んでいた。
隣の娘が、悲鳴のような声で唱和した。
滲んでいく視界の中で、私も力の限り唱和した。
「セレスメアに栄光をッッッ!!!」
作中の私設寄宿学校はセレスメア政府に対して人材を販売することでお金を貰っています。
どっかの国でもやってますね。




