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朕は猫である  作者: 名前はまだない
61/70

#59

毎度更新ナメクジで申し訳ないでゲス。

調味料を小さじ一杯、とか計るとき、こぼれて台所が汚れるの嫌だから調味料を入れる先のボウルの上で測ったりするじゃないですか。

でも小さじ一杯って計るの難しくて、ちょっと溢れちゃったりすると思うんです。

そんな感じだったんだと思います(何が

 もしかしたなら、ヘーリヴィーネの拳骨(教育)からライラが何か余計な物を摂取して、ヘーリヴィーネの起こした奇跡から何か見てはいけないナニカ(・・・)を観て学び、そしてそれらがライラの内で不可思議な化学反応を起こした結果、ライラは喚んではいけないナニカを呼び出したかも知れない、あの夜。

 青年士官が気にかけていた壮年の下士官――オットー曹長と言うらしい――は二月ぶりに、奇跡的に(・・・・)意識を取り戻した。

 と言っても、呼びかけに視線や指を動かすなどして応答が出来る程度でしかなかったが。


 二月(ふたつき)も寝たきりだったのだから、全身の筋肉という筋肉が弱りきっているだろう。元の様に動ける様になるには相当のリハビリを要するであろうが、どうやらあの青年士官は人生を賭して下士官のリハビリに付き合うつもりの様であった。


 一見すれば誰彼落涙の感動話であろうが、朕やライラにとってはそれどころでは無い。


 朕が言うのも何だが、ヒトは本来蘇らないものだ。

 死者が蘇ることは悪い事では無いし、死者が蘇る事が当たり前になることで社会にどんな影響が出るのかは朕にもわからない。

 だが、それを成して、いや、もしかしたならば成してしまったのかも知れないライラにとっては、悪い影響の方が多い事位は容易に予想がつこうと言うもの。


 既にライラには今回の事を朕たち以外には絶対に漏らさぬ様に言い含めておいた。圧強めで。

 朕の尋常ならぬ雰囲気に当初はキョトンとした顔をして(とぼ)けておったライラに、死者蘇生を成した事によりライラを待つであろうと考えられ得る最悪の事態をつらつらと並べ聴かせて震え上がらせてやった。

 この辺りでキチンと解らせておかないと、その内また「あれ私なんかしちゃいました?」的なノリでとんでもない事を仕出かしそうだからな。

 ヘーリヴィーネにもこの()が有るのよなぁ困ったことに。

 血が繋がっているわけでもないのに似なくて良い所だけ似るのは何の因果であろうか。


 よって、植物状態だった下士官兵が奇跡的に(・・・・)意識を取り戻した件については、オフェーリアの適切な治療と、青年士官の献身的な看病、そしてエールスリーベ教団が信奉する主神ヘーリヴィーネの慈悲が起こした『奇跡』として、その功績について全部ライラ以外になすりつける(・・・・・・)事にした。


 ……此度の事態の原因を語る上で、直接間接を区別しないのならば、何一つ嘘は言っておらん。

 ただ、最後の引金を引いた者(直接やらかした者)に言及しなかった(・・・・・)だけだ。

 朕、何も(やま)しくない。


 オフェーリアと青年士官と(つい)でにヘーリヴィーネを讃える弁を妙に饒舌に捲し立てる黒猫と少女を、オフェーリアは心底胡乱げな視線で見返しておった。謝意を叫んで号泣する件の青年士官をあやしながら。


 ええい。実際、其方の手柄が無かった訳では無いのだから少々盛ったぐらいで騒ぐでない。賞賛は黙って受け取っておけ。


 そんなこんなで、これからも引き続き修道院に運び込まれる傷病兵たちの治療に当たると言う、オフェーリアの何処となく不満気で不審げな視線を浴びつつ、朕たちは修道院を後にした。

 他にも支援物資を必要とする場所は有るし、塹壕の航空写真も撮らねばならん。

 また来週に物資を届けに来る事を約して、朕たちは一旦秘密基地に帰って来た。

 のだが。











 私、ウネルマ・タラジドブネにその知らせが届いたのは、ある日の夕方のことでした。

 私の営む小さな孤児院の玄関である小さな礼拝堂の扉に付けられたベルが鳴る音に、生活の足しにと請け負っている手仕事のステッチワークの手を止めて礼拝堂に赴くと、そこには久方振りに見る懐かしい姿がありました。



 「お久しう御座います」



 そう、懐かしそうに目を細めて言った白髪が混じり始めたブルネット(赤毛)の髪を後ろで纏めて編み込み、大尉の階級章を付けたその初老の女は、私が軍属であった頃の部下でした。



 「御目出度う御座います!畏れ多くも双頭の鷲を戴く稀代の英傑が筆頭にして、万民に永劫の繁栄を齎さんとする慈悲深き叡王・シュターケフリューゲル大帝は、貴殿に戦陣への御復帰を要請されておられます!――」



 嘗ての国軍での私の階級を追い越した彼女は、旧交を温める暇もなく、当然の様に踵を打ちつけて背筋を伸ばした彼女は肘を持ち上げて下腕を肩と平行にした、箒兵特有の敬礼で持って、一方的にそう言い放ちました。


 つまりは、後備役(こうびえき)動員が始まったのでした。



 「謹んで、拝命(つかまつ)ります」



 元々、断る選択肢が存在しなかったとは言え、反射的に答礼を行なっていた自分に驚きました。


 召集を告げに来たその女は、定形通りの口上を述べると、最後に少し悲しそうに眉尻を下げて「また中尉殿と轡を並べる事が出来て光栄であります」と、そう言い残して去ってゆきました。

 その後ろ姿は、私の記憶にある彼女の後ろ姿に比べれば驚くほど小さく見えました。


 そんな、感傷に浸るのも束の間。

 私は急いで出征の準備をはじめました。

 彼女の置いていった召集令状には、一週間以内の参集が命じられておりました。


 軍務に必要な物はすべて支給されるとはいえ、身一つで出征する訳にも参りませんので何かと準備をしなければならなかったのですが、それよりも先に私の関心事は子どもたちのことでした。


 私達の住むトシュケルに、他の孤児院はございません。

 誰か私の代わりに孤児院の運営を任せられる方は居ないかと、後備役の動員が近いことを聞いてから方々(ほうぼう)を当たっては見たのですが、戦時中ということもあり(えん)所縁(ゆかり)も無い子どもたちの面倒を見てくれる方は見つかりませんでした。


 役所に毎朝張り出されている『戦況詳報』には連日華々しい戦果が書き連ねられておりましたが、風の噂によれば長期に渡る塹壕戦で(おびただ)しい数の死傷者が出ている、とも囁かれておりました。

 最近ではご近所の知り合いの中にも、ちらりほらり、と前線から戦死通知が届いた者が出たと聞いていおります。


 開戦と同時に国境は封鎖され、重要な交通路である河川も封鎖を受けた為に流通が滞り、トシュケルの市場も閑散として久しく、先日も「国庫の備蓄の小麦を配給しろ」と市庁舎の前でシュプレヒコールが起こりました。

 市庁舎の役人は「流通が停滞していて配給したくとも中央から配給品が届かない」と弁明しておりましたが、言葉通りなのかどうかは解りません。


 私や子供たちも市場で半日も並んで買い込んだ小麦や、庭の菜園の野菜などを遣り繰りして何とか食べている状態です。

 どこも同じような状況でしょうから、私の代わりに孤児院の面倒を見られる方など早々見つかるはずもございませんでした。


 そうこうする内に一週間はすぐに過ぎ、明日にはトシュケルの港から蒸気船に乗らなければなりません。


 もう私には縋る当てが一つしか残されておりませんでした。


 気が引けましたが、チャント(念話)古の王(ナヴィ)へ連絡を試みますが、距離が遠すぎるのか呼び出しても反応がありません。

 これは私が未熟な査証でありましょう。

 チャントは繋がりさえすればどんなに距離が離れていようとも時差無く通信が出来ますが、繋げる相手が遠くに居れば居るほど『繋ぐ』のが困難になるのです。


 このままでは、孤児院の子どもたちが路頭に迷ってしまいます。

 そんな焦りを抱きながら、一縷の望みをかけてナヴィに呼びかけ続けます。


 全知全能の神、秩序の守護者・ヘーリヴィーネよ。

 願わくば、迷える子羊に救いの御手を。


 そんな、祈りが通じたのでしょうか。

 それは唐突にやって来ました。



 『あらやだ。陛下宛のチャントの(監視中の帯域に)波を拾ってみれば(感が有ったと思ったら)、どちら様かしら?』



 それは一瞬の事でした。

 飛ばしていたチャント(念話)の波が、何者かに強引に鷲掴みにされる感覚。

 そのまま、その声が私の脳裏に届いた時には、まるで喉元に鋭剣が突きつけられるような、冷たい感覚が走りました。



 『……ふうん……』



 まるで、天空の雲間(くもま)から覗く大いなる慧眼が私を見極めんと、爪先から頭の天辺まで舐めるように見定められている感覚。

 いえ、それ以上に、他人宛のチャント(念話)を傍受して、さらにはそこに介入するなど、如何な神業によるものなのか。

 私には想像だに出来ません。



 『……これも何かの縁でしょう。貴女、何かお困りなのではなくて?私で宜しければ、お力になりましてよ』



 相手が誰であろう、私の碩術の腕では遠く足元にも及ばないその御業に、私は唯々、頭を低くして今の窮状を訴えるしか有りませんでした。

 私は明日、出征しなけれればならない事。置き去りにされる寄る辺の無い子供たちはどうなる事やら。そんな窮状を必死で訴えます。

 すると



 『成程。それはさぞやお困りでしょう。宜しくてよ。これから示す場所に、子供たちを連れていらっしゃいな。子供たちは、私が責任を持って預かりましょう。途中まで迎えを寄越しますから、彼について来なさい』



 そう、言うが早いか、私の脳裏にどの方向に行けば良いのか、ぼんやりとその方向が思い浮かぶのでした。

 姿も見たこともない、見ず知らずの方の言うことを信じる事に若干の抵抗はありましたが、私にはそれ以外の選択肢が有りませんし、この様な高度な碩術を行使する御方が、態々親切に子供を預かってくれると申されているのです。下手に断りでもして、気分を害されても後々が怖いです。

 私はその脳裏に示される方向に赴く事に決めました。


 明くる日、未だ日も昇らぬ薄明の中を、白く染まる吐息を漏らしながら子供たちを連れてトシュケルの西に広がる名もなき森へと入ります。

 一番年長で反抗期のサミュエルを先頭に、足元の悪い獣道を、手にしたハリケンラターネ(カンテラ)の微かな光のみで足元を照らし、必死に山道を歩きました。


 どれほど歩いたでしょうか。

 先頭でハリケンラターネを掲げるサミュエルに手を引かれたアルマは、足が痛むのか先ほどからベソを掻きっぱなしで、それに苛立ったサミュエルが大声でアルマを叱ります。

 その声に、私の腕の中に抱かれていたまだ三歳のレオンが泣き出し、私に手を引かれていたルイーゼも釣られて啜り泣きだし、その声にサミュエルが更にヒステリックに叫びだしてしまいました。


 私は何とか皆を元気づけようと、言葉を尽くしますが、既に日は登ったとはいえ薄暗い森の中では、疲労と恐怖に慄く子供たちを落ち着かせる事ができません。

 皆、もう少し、もう少し頑張って、そう声を掛けても、私の焦りを敏感に感じ取った子供たちは更に不安がるばかりです。


 どうすれば、と途方に暮れていた私たちに、低いバリトンの声が掛けられました。



 「あぁ、これは大変そうだね。みんなよく頑張った。もう大丈夫だよ」



 視線を上げれれば、指先に太陽かと思うほど明るい光を灯した旅人風の一人の男が、いつの間にか私たちの前に立っておりました。



 「よしよし。お腹が空いただろう。喉も乾いたかい?」



 言うなり、うらびれたジャケット姿のその男は、被っていたカーキ色のフェルトのハンチング(狩猟帽)を取ると、手の中でくるりと回します。

 すると、いつの間にかその帽子の中には甘い匂いを漂わせるチョコレートに、レモンの切り身が入って無数の気泡を蓄えたレモネードのガラスの小瓶が入っていました。



 「何処の何方(どなた)かは存じませんが、ご親切にありがとう御座います」



 こんな、森の中に都合よく親切な男性が居るなんて、そんな事はありえないのですが、現実に目の前で成された親切には礼を持って応えねばなりません。

 私の言葉に、その男は子供たちにチョコレートとレモネードを配りながら、ニコリと笑って応えます。



 「ご安心ください、お嬢さん(フロイライン)。私は『迎え』ですよ」



 男が指先に灯す灯りに照らされたその顔は、若者とも壮年とも見える不思議な顔をしていましたが、まるで何処かの役者か何かと見紛うばかりの伊達男でした。

 私も歳が歳なら、一目見るだけで赤面したかもしれません。



 「さあ、ついていらっしゃい。まだ少しかかるけれど、みんな頑張ってくれ。着く頃にはパイが焼き上がっているだろうから、みんなで食べよう」



 そう言うと、『迎え』だと名乗ったその男は、私の抱いていたレオンを取り上げると、我が子のように優しく抱き上げ、更にはくるりと後ろを向いてしゃがむと、人一倍人見知りのはずのルイーゼが、私の背後から出てきてその男の背中に負ぶさりました。


 ルイーゼが初対面の相手に、特に男性に負ぶさるなんて、私には信じられません。



 「さあ、おいで」



 優しくそう言うと、男はゆっくりと歩き出しました。

 長い事獣道を歩いてきた事でお腹が減っていたのか、『パイ』と言う言葉に惹かれたのか、サミュエルとアルマがチョコレートをしゃぶりながら大人しく彼についていきます。


 いえ、アウラ(オド)の流れが見える私には、『迎え』と言ったきり名を名乗らない彼から伸びたそのアウラがサミュエルたち四人を絡め取るように取り巻いているのが見えていました。

 まるで、蝶を絡めとる蜘蛛の巣のように。


 その彼のアウラが、私の身体にもそっと触れます。



 「失礼。貴女には見えていたのですね」



 途端、イタズラがバレた子供のように、スルリと私に伸ばしたオドが引っ込められました。



 「ご安心を。別に獲って喰うつもりはありませんよ。ですが、まだ道のりは半分も来ていません。少し、急がなければ」



 また彼からアウラが伸され、今度は絡めとるようではなく、優しく手を差し伸べるように私の目の前で停滞しました。

 彼から伸されたアウラに絡め取られた子供たちが、先ほどまで泣き叫んでいたのが嘘のように大人しくなっているところを見ると、何らかの精神的に影響を及ぼす効果を付与しているのでしょう。

 それが何なのか判らない事は恐ろしくはありますが、あの威圧感のあるチャント(念話)の主が送り込んできた『迎え』の方なのですから、恐れる事も無いというか、むしろ碩術の腕では私は彼の足元にも及びませんから、やろうと思えば何だって害意を及ぼす事が出来るのです。

 であれば、彼の言葉は全くの真実なのでしょう。



 「申し訳ありません。態々お迎えに来て頂いたと言うのに、私ったら」



 そう言いつつもそのアウラに恐る恐る触れてみます。

 


 「いえ、私も不躾でした。まさか、オドが見える方であったとは思いもよりませんでした。平にお許しを」



 触れた彼のアウラは、とても暖かく、そして体の底から活力が漲るようでした。



 「少し、体内の丹田(フォージ)を活性化させています。ついて来てください」



 男はサミュエルとアルマを従えて歩きだします。

 私も、彼から伸されたアウラに手を引かれるように歩き出すと、途端に身が軽くなっていることに気がつきました。

 まるで羽でも生えたように軽い体で駆ける様に獣道を行けば、あっという間に森の中に開けた広場に茶色のマッシュルームが連なった様な家が立っているのが見えて来ました。


 そして、もしかして今の今まで結構な距離を歩いて来たのではないかという事に、はた、と気がつきました。

 頭上を見上げれば、まだ陽は頂点までは昇っておらず、『迎え』の彼と出会ってからさほど時間が経ったわけではないように思えます。

 これは彼の碩術の効果なのでしょうか?私には見当もつきませんが、多分そうなのでしょう。



 「さぁ、着きましたよ」



 負ぶっていたルイーゼを下ろしながら彼が言うと、マッシュルームの家から飾り気のないオッドマン生地の白いジャケットスカートを着た一人の女性が出てくるのが見えました。



 「アリアドネ、ご苦労様」



 そう言って、『迎え』の男を労ったその女性から目が離せません。



 「……いや、僕らの名前は明かさないって話じゃなかったっけ?まぁ、もう良いけども」



 柔らかな後光を背にした様に光り輝く彼女の姿を視界に収めているだけで、自然と涙が溢れます。



 「あらそうだったわね。ごめん遊ばせ。今のは忘れてくださいます?」



 そう言ってホホホ、と口元を抑える、とても見慣れた(・・・・・・・)その御尊顔に、子供たちも視線を外せないようです。

 ポカンと口を開けたまま、孤児院の礼拝堂に安置された主神・ヘーリヴィーネ像よりも大分綺麗な同じ顔(・・・・・・・・)のその女性を呆けた様に見つめていました。



 「良くいらしましたわ。歓迎致しましてよ」



 まさかとは思いましたが、しかし伝え聞くところによればナヴィがナヴィに成る前、つまりは初代皇帝へリアクァールであった頃、主上は彼の一番の臣下であったと謂いますし、その佇まいは、やはり今私の眼前に御わすは慈愛と秩序を守護するエールスリーべ教団が信奉する主神に間違いがないように思えてしまいます。

 そんな私たちの視線を知ってか知らずか、大輪の花が咲いたような笑顔で主上(?)は子供たちを迎えました。



 「さあ、貴女たち。スクアッシュ(カボチャ)・パイが焼けているわ。手を洗っていらっしゃい」



 主上がそう告げて庭の井戸を指すと、白昼夢から覚めたかのように子供たちが一斉に歓声を上げて、井戸に向かって走りだしました。

 それに付き添うように無言で後を追う、主神から『アリアドネ』と、商業と旅の神の名で呼ばれた伊達男。

 どうやら子どもたちの面倒を見てくれるようです。



 「歓迎いたしますわ。ウネルマ先生(・・)



 子供たちが走り去った後で、私と向き合った主上が改めてそう告げるのに、思わず(ひざまづ)こうとする私の体が何かに抑えつけられた様に止まりました。



 「勘違いなさらないで。ここに居るのは誰でもありません。まして、貴女が跪く様な者でもありません。良いですね?」



 主上がゆっくりと近づいて来て、優しく私の肩にその御手を置かれました。



 「……ライラを育ててくれて有り難う」



 そのまま、母親の様に温かい腕が私を包みました。



 「貴女が如何なる由縁でライラを引き取ったのであったとしても、私は貴女に感謝を惜しみません」



 唐突に発せられたその言葉を聞いた瞬間。

 私の中に凝り固まった痘痕のような悔恨が、主上の温かい言葉によってゆっくりと蜜蝋のように溶けていくような気がしました。



 「ヒトは何を成したかで讃えられるべきであり、それを成した理由によって罰せられるべきではありません。少なくとも、(わたくし)はそう信じますわ」



 まるで、天空の雲間から私のこれ迄の人生を全て見通していたかの様な、厳かな御言葉。

 私がライラを引き取ったのは、私が彼女の母を凶弾で穿ったからではありません。そう、自分に何度も言い聞かせて、自身の心の奥底に溜まった(のろい)のような悔恨に蓋をしてきました。

 それが、主上の一言で全て救われた気がしました。


 ぼやける視界に幼子の様に泣きじゃくりそうになるのを何とか堪えようと、思わず崩折れる様に倒れ込んだ私を、主上が我が子を抱くように優しく抱き寄せて支えてくれます。



 「ごめんなさい。私は、決して万能ではないの。ごめんなさい。だから私は貴女を救ってあげることが出来ない」



 キツく引き結んだ双眸から熱い物が溢れ、畏れ多くも主上の乳白色の上着に小さな斑の滲みを作ってしまいました。


 神はヒトを救わない。

 神を畏れぬ無心論者の主張のようですが、それは真実です。そして、この言葉には続きが有るのに、往々にして忘れられがちです。


 神はヒトを救わない。されど、神在るが故にヒトは救われる。


 これはエールスリーべ教団の教義の根底にある思想であり、すべての宗教に共通する概念であると私は思います。


 神とは、つまりはヒトの為の規範であり、正義の基準であり、善悪を判断する為の根拠なのです。


 主上()が御わさなければ我らは何が正しくて何が罪なのか、その判断さえ出来ない、将に迷える子羊でありましょう。


 故に、主上()はヒトの営みに積極的干渉を致しません。

 主上が普段エールスリーべ教団に対して、教団がまるで存在しないかの如く(・・・・・・・・・)振る舞われておられるのもその為でしょう。

 救いの手を差し伸べれば、直接干渉してしまえば、主上はヒトの規範としての『神性』を失って、ヒトは何事も主上に判断してもらわなければ何も判断できない子羊へと逆戻りしてしまうのですから。


 その主上()が私の為だけに御言葉を述べて下さったのです。

 直接の干渉が我々ヒトの為に成らぬ事だとしても、そこを推して述べられた御言葉。それは、どれだけの想いが篭った御言葉だったのでしょうか。



 「……貴女にも、パイをご馳走したかったのだけれど、あまり時間が無さそうね」



 主上の言葉に顔を上げれば、子どもたちが手を洗って帰って来る声が聞こえます。

 こんな姿を子どもたちに見られるわけには参りません。

 私はそっと主上から離れ、涙を拭います。



 「大変、失礼を、致しました」



 非礼を詫びる私に、花が咲くようにニコリと微笑む主上。

 無言で伸ばされた人差し指が、私の胸元を指しました。



 「貴女の武運長久をお祈り致しておりますわ」



 主上が指された胸元から微かな光が漏れ、微かな温かみを感じます。



 「少しお待ちになって」



 温かみの正体を確認しようと胸元に視線を落とした私を他所に、主上がスイ、と手を振ると、家の中からカタカタと物音がして、黄金色の焼目が付いた美味しそうなパイが一切れ宙を飛んできました。


 それを追いかけるように円筒形の金属製の水筒がひとつ家の中から飛び出してきて、後ろを気にするようにクルクルとパイの周りを回り出します。


 まるでその水筒に急かされるように飛んできた油紙がパリパリと小気味の良い音を立てながらパイを包み込み、更には上等で複雑な刺繍が入ったテーブルリネンが飛んできて、宙に浮きながらクルクルと複雑に折り畳まれたかと思うと、小さな手提げのような形に折り上がります。

 それを待っていたかのように、音もなく宙を飛んでパイと水筒がその手提げ袋の中に収まると、私の手の上にゆっくりと着地したのでした。



 「お茶の一杯もご馳走してあげたいのだけれど、お急ぎのようだから、船の上ででも召し上がって下さいな」



 主上のお言葉に、はたと汽船の時間のことが脳裏に蘇りました。

 私は今日の夕方にトシュケルを出る河汽船に乗らねばなりません。でなければ、後備役の招集期限に間に合わなくなってしまいます。



 「送りましょう」



 子供たちを連れて戻って来たアリアドネ主上が、私に手を差し伸べます。



 「先生、もう行っちゃうの?すぐ帰ってくる?」



 戻って来たサミュエルが私たちの雰囲気を敏感に察して、子供たちを代表してそう尋ねました。

 サミュエルの問いに、私は思わず言葉が詰まってしまいました。

 見る間に、サミュエルの相貌に水晶のような玉の涙が溢れ出します。

 今にも泣き出してしまいそうな私たちに、ヘーリヴィーネ主上が優しく語りかけました。



 「えぇ、ウネルマ先生はすぐに帰って来ますわ。……そんなお顔をしなさんな。先生は貴方たちのための御役目に就かなければならないのです。一番年長の貴方がそんな顔をしていたら、先生は心配で御役目どころではなくなってしまうでしょう?」



 優しくサミュエルの頭を撫でて宥めながら、子供たちを私に向き直させる主上。



 「さあ、ウネルマ先生が後顧の憂い無く征ける様に、皆でお見送りをしましょう」



 そう主上に促されて涙を飲み込んだ子供たちに見送られて、来た時と同様にアリアドネ主上の碩術によって賦活された私は、ヘーリヴィーネ主上の元を後に致しました。


 後に、真夜中を戦地へと征く船上で食べた主上のスクアッシュ・パイは、疲れた体にジワリと沁みるように甘く、涙が零れないようにと星空を見上げて(あお)った水筒の紅茶は不思議といつまでも温かく、惜別に震える体を優しく暖めたのでした。











 「という訳で、何とかしてくださいな陛下」



 久しぶりに帰ってきた秘密基地で、朕たちを迎え入れたヘーリヴィーネは開口一番そんな言葉を宣ったのだった。


 朕としてはそれよりも少し前にウネルマの所で会ったサミュエルとか言う小僧が両手に水の入ったバケツを持たされて部屋の隅に立たされて項垂(うなだ)れている理由が気になったのだが、まぁ多分予想通りであろう。


 ヘーリヴィーネの言わんとしていることは朕も解るつもりであった。

 ウネルマの立場で、後備役の召集を無視して逃げる選択肢は無かったであろう。

 間違いなく子供たちの処遇が危ぶまれる。子供たちと一緒に逃げたとしても、彼女は退役軍人年金と僅かな寄付で生計を立てていたのだから、その先の家計が成り立たなかろう。


 ウネルマがヘーリヴィーネに子供たちを預けて征ったのは、おそらく子供たちの将来を考えてである。


 それを、何とか裏から手を回して助けたい、と言うのがヘーリヴィーネの要望であろう。


 何せ、ウネルマはライラの育ての親だ。

 朕も願わくば無事に帰ってきて欲しいとは思うが、確かに祈るだけでは如何にも心許なく望み薄だ。



 「一応、お守り(・・・)を持たせたので早々討たれる様なことはないでしょうけれど、怪我をして後遺症でも残ったら大変ですし」



 ヘーリヴィーネが不穏な言葉を重ねる。

 そのお守りとやら、もしやライラの服に縫い込んでおる碩術的護符(アイディス)と同種のモノではなかろうな。

 あれはライラ以外皆殺超兵器(タダの爆弾)ぞ。


 朕としてもウネルマの葬式を挙げるのは御免被りたいのは確かである。ライラのためにも。

 そうすると、どんな手を講じるべきか。

 一番良いのは軍隊が喜んでウネルマを五体満足で返してくれることだ。

 勿論、精神も健全なままで。

 方法としては幾つかあろうが、その後にサミュエルたち孤児院の子どもたちに類が及ばないような方法や条件と言うのは殊の外少ない。


 何せ、兵士の一番大事なものを強制的に賭けさせて、見返りに国家の安寧を図ろうと言う悪辣極まりない組織が軍隊なのだ。

 一度徴兵した兵士を何の理由もなく手放す訳はなく、戦争に勝利した時以外には、軍隊がウネルマを解放する条件は一つしかないであろう。


 即ち、戦闘中の行方不明(K I A)だ。


 敵前逃亡とは違うところが味噌である。

 友軍により概ね死亡した事が疑いようが無い状況が目撃されるか証言され、その上で戦闘終了後も原隊に未帰還、残念ながら死体は確認できなかった、と言う状況が望ましい。

 例えば、飛行箒で空戦中に撃墜された、とか。

 勿論、そのように見せてドサクサに紛れて一緒に逃げて来る訳である。


 戦場を駆ける天使のお次は戦場のキッドナッパー(誘拐犯)をする事になるとは。

 我ながら忙しないのう。


ハイエースる。

将にパワーワード。

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