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朕は猫である  作者: 名前はまだない
56/70

#55

大幅な改訂が入っております。

具体的にはオフェーリアさんが同行する話になってます。


 俺、エッボ・バイトマンは辺鄙な山奥で猟師をやっている。


 自分の故郷の村を“辺鄙”なんて呼び方はしたかねぇが、実際そうなんだから仕方ない。

 一番近い村は早朝に家を出ても昼頃に着けば足が早い方だ。

 生活必需品や穀物なんかの村じゃ不足しがちな食料品を仕入れに麓の街まで降りたりすりゃ、片道だけで丸一日かかる。

 買い物して、戻ってこようもんなら丸三日。とんでもねぇだろ?


 だから病気にでもなったら大変さ。

 こんな山奥の辺鄙な村にお医者様なんか、有り金(はた)いたって来やしねぇ。

 もしどうにもならない病人が出たら、俺みたいな山歩きに慣れてる猟師や、足腰の丈夫な若い衆に病人を背負わせて麓まで下りるんだ。

 この辺だったら、カーリスバーグに行きゃあ軍医様が居る。結構立派な軍隊の屯所があるからな。


 だけども、戦争が始まってからはそんな事は出来なくなっちまった。

 動いてるものを見つけりゃ、兵隊(へータイ)ってのはそれが自分よりも前に居るなら容赦なく撃ってくる。昔、軍隊に居た時に俺もそう教わった。


 前に居る動く奴は敵だ。後ろに居る動く奴は味方だ、ってな。


 だから、下手に山を降りようもんなら、互いに睨み合ってるラサントスからもテルミナトルからも敵と認識されて撃たれちまう。

 それが民間人なのか、味方なのか、敵なのか、なんてのは関係ないんだ。戦場では。

 何せ、確かめる方法が無いし、確かめてる間に先制されちゃ元も子もない、ってわけさ。

 民間人が誤射されたって、軍隊は必ずこう言うだろう。



 「撃たれるようなところに居る方が悪い」



 無茶苦茶に聞こえるかもしれないが、何せ戦争してるんでね。軍隊だって必死なのさ。

 だから俺の村、シュヴェップ村で最初に流れ弾の犠牲になった羊飼いのエトガルは、医者の居るところまで運ぶ事が出来なかった。


 エトガルは、ある日突然山谷を揺るがした複数の爆発音の正体を見極めに、カデン高原まで降りた。

 その夜、エトガルと一緒に下りた数人の村の若い奴らが血塗れのエトガルを担いで戻って来た。大砲の流れ弾が近くで炸裂したらしい。エトガルの左半身はズタボロだった。

 すぐに麓まで下そう、って話になったが、俺が必死に止めた。


 大砲を撃ち合ってる時点で、カデン高原では間違いなく戦争をしている。

 前にカーリスバーグに降りたときも、商店をやってる知り合いが言っていた。



 「近々、戦争になる」



 って。

 それが始まったに違いなかった。


 そんな鉄火場に近づこうものなら、容赦なく殺される。間違いない。

 そう言って、俺は皆を説得した。


 俺だって、必死だったんだ。

 俺だって、エトガルを見捨てたくは無かった。


 だけどよ。俺ぁ、昔軍隊に居たからよ。

 俺ぁそん時、前に居る知らない奴は撃て、殺せ、って教わったんだよ。

 だから、今戦争してる奴らも、絶対撃ってくる。殺される。

 間違いねぇんだって。


 そして、エトガルは大した治療も受けられないまま、妻のカーヤの腕の中から遥かなる円環に旅立っちまった。次の日の晩の事だった。


 その後、もっと麓の方にある一番近くの村の奴らが逃げてきた。

 テルミナトルの軍隊が駐留したと思ったら、次の日にはラサントスが大砲をバカスカ撃ち込んできて、何もかも吹っ飛んじまったそうだ。


 逃げてきた奴らは半分ぐらいは怪我していて、少しでも怪我の酷い奴らはその後みんな死んだ。

 村じゃ大した治療なんて出来ねぇんだ。

 俺ぁ、軍隊に居たからよ、止血の仕方位は知ってたが、知ってるのはそこまでだった。

 軍隊に居た頃に習ったのは、



 「止血したら衛生兵を呼んで後送しろ」



 だったからな。

 止血までは出来るが、その後は後送する事しか習ってないんだ。

 この村の後ろってな、軍隊と違ってでっかい山があるだけ。軍医様は居ない。


 それから、何度か同じように避難してくる奴らが居て、そいつらも同じように死んでった。今じゃ半分も生き残ってない。

 最近じゃぁ、戦争から逃げてきて、今もまだ辛うじて生き残ってる奴らも元々シュヴェップ村に居た奴らからも、体調を崩す奴らが出てる。

 お医者様どころか、医療品はおろか食料も防寒具も何もかも足りない。オマケに冬が来て雪が降って、寒いなんてモンじゃない。

 他の村から逃げてきた奴らが加わったせいで、燃料も足りなくなっちまってる。

 そんなだから、体が弱ってる奴から死んでいく。


 そんな中、今年十歳になるカーヤの息子のカリスティンが倒れた。

 高熱が出て、激しく嘔吐して、その内酷い下痢をし始めた。

 病気なのは間違いなかったが、相変わらず戦争は続いていて、お医者様の所には連れていけない。


 そしたら、村長や長老たちがカリスティンは悪魔の祝福を受けたから、山に捨てろ、と言い出した。

 何でも、昔にも同じような症状の奴が出て、その内村中が同じ症状で倒れて、半分以上が遥かなる旅路についたらしい。

 悪魔の祝福は、最初に受けた者を中心に広がるんだそうだ。


 だけど俺には、エトガルをお医者様に(・・・・・・・・・・)連れていくのを(・・・・・・・)止めた俺には(・・・・・・)、もうこれ以上カーヤから身内を奪う事なんて出来なかった。

 カーヤとエトガルと俺は、幼馴染だったんだ。


 俺はカリスティンの為に村の外れに小屋を掘って(・・・)やった。今すぐカリスティンを捨ててこい、と迫る村長や長老たちを宥めすかして、カリスティンをその小屋に隔離した。

 カーヤは世話の為に四六時中その小屋に篭ってた。

 段々と小屋の周囲に異臭がし始め、時々薪や水を汲みに出るカーヤからも同じ異臭がし始め、そのせいで村の誰もがカーヤを汚物の様に扱い出した。


 俺に出来るのは村の奴らに睨みを利かせて、口さがない奴らと村長たちを黙らせることだけだった。猟銃とはいえ、銃を持ってるのは村じゃ俺だけだったからな。

 だけど、俺に出来るのはそれぐらいだった。カリスティンの容体はどんどん悪くなって、カーヤの瞳からは段々光が失せていった。

 俺は今までそんなに気にしたことはなかったんだが、山奥にある村に生まれた事を初めて恨んだよ。

 そんな時だ。


 突然、空から医者が降って来た。


 戦争が始まってから、少しの薬や滋養のつく食い物なんかを支援物資として定期的に空から落っことしてくれていた凡世界救済軍(P C S A)の碩術師様がやってくるはずのその日。

 その二人は支援物資の代わりに突然空から降って来た。

 奇妙な喋る猫を連れて、朝陽のような真っ赤に輝く飛行箒に跨って、まるで雷みたいな音を鳴らしながら。


 聞けば、ライラと名乗ったその飛行箒の嬢ちゃんが連れてきた、オフェーリアと名乗った少しとう(・・)の立った女が医者らしかった。

 俺が村に立ち寄ったラサントス軍の偵察隊にお医者様を寄越してくれないかと頼み込んで断られてから一週間は経っていなかったと思う。

 正直驚いた。

 本当にお医者様が来るなんて思ってもいなかった。

 思ってもいなかったんだが、よりにもよって女の医者か。

 内心、ガックリと来たもんだ。


 何でも天上世界で修行を積んだって言っちゃいるが、本当かどうかは判らねぇ。

 天上世界では女も医者をやるのかも判らねぇし、少なくとも、地上世界じゃ女は医者に成れねぇ。

 月の物があるからな。急患で医者を呼びに行ってみれば、体調崩して寝てた、なんて事に成りかねない。普通は誰もそんな医者にゃ頼らない。

 頼られない医者ってのは、それだけ経験が積めないってことになる。つまり腕も大したことはない。

 世間一般じゃそう言うのを『ヤブ』って言うんだ。


 来てくれたことは本当に嬉しいが、どうせ来てくれるなら、もっと他に居なかったのかとも思っちまう。


 なんだったら、碩術師だって言うライラ嬢ちゃんだってそうだ。

 俺が見たことがある碩術師様は、軍隊に居た時に箒兵部隊に居た奴らだけだが、少なくとも全員ライラ嬢ちゃんよりも5つは年上だった。

 それに飛行箒ってのは、もっと小さくて、金属じゃなくて木で出来てるもんさ。

 見たこともない金属の飛行箒に乗って来たが、逆に本当に嬢ちゃんが操縦してきたのかすら疑わしい。

 もしかしたら、何処かで誰かが見えない糸で吊って来たんじゃ無いか、ってな。


 だがそんな疑わしげな気持ちも、二人をカリスティンの元へ案内する最中、ライラ嬢ちゃんが小さなカードを取り出してくるりと掌を返したのを見るまでだった。

 くるりと返されたライラ嬢ちゃんの掌には、先ほどあったはずのカードの代わりに小さな紙の箱が握られていた。俺にはよく分からねぇが、薬だってライラ嬢ちゃんは言ってた。

 まるで手品か何かに見えたが、それにしたってスゲェ。


 疑っちまったが、これはもしかしたら、このオフェーリアって医者も、ヤブじゃないかもしれない。

 なんて思ってたんだが、ライラ嬢ちゃんの師匠はずっと嬢ちゃんの肩に乗ってる不気味な黒い喋る猫だって言う。

 信じて良いんだか悪いんだかよく分からなくなって来るが、まぁ『来ない都の名医より、呼ばなくても来る近所のヤブ』って言うしな。

 ……言うよな?あれ?意味違ったか?

 まぁ良い。兎に角、診てもらえるなら診てもらえって事で、俺は嬢ちゃんたちを俺の作った隔離小屋まで連れて行った。



 「カーヤ、居るか?俺だ。エッボだ。お医者様が来てくれたぞ!」



 隔離小屋の前で声を張り上げると、のっそりとした動きで半地下の小屋に蓋をしていた板が動いて、中からカーヤが出てきた。

 カーヤは見るからに憔悴しきっていた。しかも、なんだか小屋に漂う臭いも前よりキツくなってるような気がする。



 「エッボ、お医者様が来て下さったって、本当?」



 だから、カーヤが小屋の蓋にしてた板をどかして出てきた時、立ち込めた臭気に俺は思わず顔を顰めちまった。

 俺の顔を見たカーヤの表情が途端に曇った。

 すまん。これは違うんだ。



 「しかし……いや、何でもない。カリスティンは大丈夫か?」



 何とか誤魔化そうとしても、時すでに遅し。

 カーヤはまるで俺たちからカリスティンを守ろうとするように、小屋の入り口をその細い体で塞ぐ様に立ち位置を変えた。


 マズった。カーヤはカリスティンの世話してるから、その身に臭いが移っちまってるし、その事で村長たちから「カリスティンを山に捨てろ」と言われてるのを知ってる。

 彼女にとっちゃ最後の身内。もしかしたらオフェーリアにカリスティンを診せないとか言い出すかもしれない。


 と、俺が咄嗟にやってしまった反射的な行動に、内心悪態をついていると、ズイ、と俺を押し除けるようにオフェーリアが身体を割り込ませてきた。



 「やあやあ初めまして。私、オフェーリア・ミーシェコーヴァと申します。天上世界で医学を修めておりまして!」



 オフェーリアはそうやって一気に捲し立て、大仰に身振り手振りを交えて明らかに俺たちを警戒しているカーヤを宥め始めた。

 まるで、今日会ったばかりなのに、病気の親族を心配するみたいな接し方だ。

 その献身的な姿に、疑っちまってた自分が情けなくなっちまった。

 よく考えりゃ、こんな僻地に住んでる貧乏人を騙したってなんの得にもなりゃしねぇ。

 ここまで来てくれたってだけで善意以外がある筈もねぇのに俺と来たら、田舎モンの性か何でもかんでも疑り深くなっちまう。

 全く、自分が情けなくなっちまうぜ。



 「カーヤ!オフェーリアさん(・・)はカリスティンを診る為にわざわざ飛行箒に乗って来て下すったんだぞ!しかもお前ぇ、天上世界で修行したってんだから、頼もしい話じゃぁねぇか。さぁ、退いた退いた!」



 そんな恨めしさに突き動かされて、俺も思わずオフェーリアさん(・・)の肩を持つ。全く、我ながら調子がいいぜ。

 俺たち二人が囃し立てるもんだから初めは警戒の色が濃かったカーヤの表情も、段々と戸惑ったように変わっていき、遂には



 「カリスティンを宜しくお願い致します」



 とオフェーリアさんを小屋の中へ通したのだった。

 全く、手間をかけさせやがって、と俺が胸を撫で下ろしたのも束の間だった。



 「あんたら、悪魔憑きに何をしよる」



 小屋の中に入って行こうとするオフェーリアさんに、俺の背後から聞き慣れたしゃがれ声が降って来たのだった。

 糞ったれ。やっとこ、丸く治ったと思ったのに!


 振り返ればそこには、村の男連中を引き連れた村長(むらおさ)たちが、俺たちを見下ろすように立っていた。

 村長たちの言葉に、オフェーリアさんが戸惑ったような視線を向け、その唯ならぬ雰囲気にライラ嬢ちゃんが俺たちと村長を交互に見やる。

 あの喋る黒猫は……そんな老人たちの姿に、思わしげにその金色の相貌を窄めた。



 「オフェーリアさん、ライラ嬢ちゃん、こっちは気にしねぇでくれ。カリスティンを頼んだ」



 そう言って、オフェーリアさんの背を押して小屋に押し込めると、小屋の入り口から地上へ出る為の小さな階段を一足飛びにして、今度は俺が小屋の前に立ち塞がるように仁王立ちになった。



 「エッボぉ!カーヤぁ!お前は(おめっだ)まだ(まぁだ)カリスティンを庇っとるか(さへっさねぇが)とっとと(はやぐ)捨てて来い(へっしてこい)!」



 酷く訛り加齢も手伝ってかなり溶けた言葉で唸るように怒鳴る村長たち。

 それに釣られるように、不審そうな目をコチラに向けながら村長たちを、村の年嵩の奴らが取り巻いていやがる。


 多分、支援物資が落ちて来ると思ってたのに、思いがけずライラ嬢ちゃんたちが降りてきて、それを俺が連れて行っちまったモンだから、血相を変えて飛び出してきたってトコだろう。


 村の年嵩の奴らはまだ何となく村長連中に従ってる感じだったが、村長たちの雰囲気は取り付く島もなさそうだ。

 元々、村長と助役と出納係の幼馴染三人組――こんな辺鄙で小さな村だが、一応村役場がある。こんな辺鄙なとこだと有りがちだが、村三役が全員家族とか、幼馴染なんてのは珍しくねぇんだ――は事あるごとに口を尖らせてカリスティンを捨ててこいって喚き散らしてたから、もしかしたら俺がカリスティンのために支援物資をちょろまかそうとしてるとか、そんな事を疑っているのかもしれねぇ。


 折角、医者が来てくれてカリスティンが助かって、カーヤにまた笑顔が戻るかも知れねぇってのに、余計な勘繰りしやがって!



 「支援物資を独り占め(食いモンさ)しようったって(かぐぞうっだって)そうはさせねぇぞ(やらせんぞ)悪魔憑きに(あぐまつぎさ)食べ物を(食いモン)分けるぐらいなら(けるぐらいなら)他の幼子に分けてやれ(よそさけれ)お前の(テンメェさ)好きにはさせんぞ(やらせん)!」



 糞ったれ。コイツら、カリスティンには食料を分けない気だ。多分、カーヤにも。

 いくらなんでも、そんな事って有るかよ。



 「うっせぇぞジジイども!医者が来てくれたんだ!カリスティンは助かるかもしれねぇじゃねぇか!それを、病気の子供は山に捨てて来いだの、食い物は分けてやらないだの、お前らにゃヒトの心はねぇのか!!」



 頬を振るわせて怒鳴り散らす村長たちに負けじと、俺も怒鳴り返す。

 思わず、いつも肌身離さず腰につけている仕事道具の山刀に手が伸びる。

 村長に村三役、それに取り巻いていた年嵩の村民たちが、俺のその動作だけで一瞬たじろぐ。

 村のみんなは、当然俺が猟師で、腰の山刀を使い慣れていることを知っている。勿論、今は家に置いてはあるが、猟銃の扱いにも慣れていることを知っている。

 つまりは、俺が、もし本気になれば、どう言うことが起こりえるのか、その事に思い至ったに違いなかった。

 そして、俺はその初めの一歩を踏み出しつつあった。


 良いさ。村八分になろうと、この村を出て行く事になろうと、たとえ官憲に突き出されて処刑される事になったとしても!

 カーヤとカリスティンを山に放り出すなんて事だけは止めにゃなんねぇ!!!


 そう、俺が血の昇った頭と狭くなった視野の中でそんな不穏な決意を固めつつあった、その時だった。



 「全く、手間のかかる」



 その声はどこからだったか。多分足元だったと思うが、妙に癪に触るガキみたいな高い声にも関わらず、その一言は俺たちの身体にズシリと重しのようにのしかかかって来た。

 さらには一体何時からか、ゴロゴロと腹に響く雷鳴が俺たちの身体を震わせたのだった。











 何やら唯ならぬ雰囲気の村人たちがやって来た思ったら、エッボは身を挺してカーヤとオフェーリアとライラをまとめて小屋に押し込んでしまった。

 ライラと一緒に朕も隔離小屋に押し込まれる事となってしまったが、小さな蝋燭一つで照らされた薄暗い隔離小屋の中はひどい匂いだった。

 その小屋は地面に人の腰ほどの深さの穴を掘って、その壁面が崩れないように木材を敷き詰め、その上から天井を支える柱を兼用する大きな杭で壁に敷き詰めた木材を固定する作りになっていた。

 普通の石積み壁の小屋を半分地面に埋めることで頑丈な柱を不要とした簡易的な構造の小屋である。

 半分地面に埋まっているせいで、窓がないせいもあって酷く空気が澱んでいた。

 屋根は横に渡した何本かの梁の上から針葉樹の葉付きの枝で葺いた上から土をかけてある様で、上に積もった雪のせいかやけに湿度が高い。

 この村の他の建物も同様の竪穴式住居とも呼べる作りをしているようであったから、換気が悪くチフスが発生した原因の一つかもしれない。

 そんなただでさえ換気の悪い環境に、生理的嫌悪感を呼び起こす臭気が篭ってしまっていた。


 多分、カリスティンは下痢が止まらないのであろう。ちょうど尻の位置に大きな穴が空いた机のようなベッドに、ライラと同じくらいに見える見るからに痩せ細った幼子が尻だけを出す様に毛布で包まれて寝かせられ、ベッドの下には悪臭を放つ桶が置かれていた。


 朕は猫の身なのでヒトよりも鼻が利く分、その猛烈な悪臭に思わず鼻頭に皺が寄ってしまう。

 見れば、ライラはカーヤの手前、一生懸命表情を変えじと頑張っている様だったが、それでも引き結んだ口と眉間の皺は隠しきれていなかった。

 オフェーリアはというと、流石というかなんというか、見事なポーカーフェイスである。こういった生理的嫌悪感を催す臭いにも慣れているようであった。



 「なんだ?何が起こった?其方、わかるか?」



 朕がエッボの慌て様についてカーヤに尋ねてみれば、どうやらこの村の村長たちは以前からカリスティンを山に捨てて来いと主張していたのを、これまではエッボが抑えていたらしい。



 「もしかしたら、村長は今日こそ力づくでカリスティンを山に捨てようとしているのかも」



 カーヤが唇を戦慄かせながら、そう語る。

 もしかしたなら、支援物資を落とすはずの凡世界救済軍(P C S A)の飛行箒が支援物資を落とさずに今日に限って降りてきて、しかもエッボとともにカリスティンのもとへ来てしまったものだから、村長たちにとっては何やら由々しき事態に見えたのかもしれない。

 例えば、もうダメだと烙印を押したカリスティンに、少ない支援物資を独占されるような妄想を抱いてしまったとして、この様な戦時下においては、それは必ずしも責められる様なことではないかもしれない。



 「オフェーリアや、其方は気にせずカリスティンの治療を始めよ。一刻を争う。ライラはオフェーリアに必要な物を出してやっておくれ。外の事は朕が治めよう」



 そう言い残して、エッボによって閉じられた半地下の隔離小屋の戸板の隙間から朕が滑り出ると、何やら溶けた言葉の応酬がヒートアップし、エッボが思わずといった様子で腰の後ろに差した山刀の柄に手をかけた所だった。

 その様子を見て、エッボを取り巻く村人たち——どうやら村の年長者の集まりと見える——がたじろぐ様に一歩後ずさった。

 どうやら一触触発、下手をすれば刃傷沙汰にすら発展しかねない雰囲気である。



 「全く、手間のかかる」



 朕の言葉に乗せられたオドが、エッボを始めとした村人たちの身に重くのしかかる。

 ついでに更にオドを練り、大気に渦巻くマナを占有下に置き、空を厚く覆う曇天の低層雲に力場を発生させて雲を掻き回し、その際に発生した摩擦によって引き起こされた磁場を碩術で制御する。

 途端、曇天の空に唐突な稲光が走る。


 朕のオドによって威圧されたエッボを始めとした村人たちはその稲光に身を竦ませたのを見計らって、碩術で制御され強い電荷を帯びた低層雲から近くの針葉樹の高木に向かってその電荷を解き放ってやる。


 腹を揺さぶるような轟音と共に、大人一人分ほどの太さの高木が文字通り弾け飛んだ。

 こちらに倒れると危ないし、森の方に倒すと延焼するやもしれんので、『印付』で誰もいない方向に高木が倒れる様にしてやらんとな。

 こう言うヒートアップした群衆というのは、ちょいと脅かしすぎるくらいのショック療法が必要なのである。



 「鎮まれ!鎮まれ!」



 そう叫びながら、稲光が走る天を降り仰いでいたエッボの足を伝い、腰のベルトに爪を引っ掛け、肩口を踏み台に、エッボの頭頂へと朕はよじ登った。

 元々体のデカいエッボは他の村人よりも頭ひとつ背が高く、良いお立ち台(・・・・)であった。急に頭の上に乗られて硬直するエッボの頭頂から、集まった村人たちをぐるりと睥睨してやる。



 「折角急病人を治療してやりに来たと言うのに、何を騒いでおるか!」



 エッボの頭頂に突如として姿を表して威嚇するように犬歯を見せて喋る黒猫を前に、村人たちが眼を見開く。



 「猫が!喋りおる!」



 こういう頭の硬い老人たちは権威に弱いからして、ちょいと威丈高にする方が良さそうである。

 黒雲に走る稲光を背に、強めにオドを放射しながら村人たちを睥睨する。



 「黙って聞いておればのべつ幕なし囀りおって。病気の子供が伏せっておるのだぞ。静かにせんか!」



 喝!とばかりにオドがまるで圧力の様に周囲を襲い、顔面蒼白で完全に腰を抜かして立てなくなってしまった老人たちがヒイヒイ言いながら這いつくばって、それでも彼らの置かれた窮地を訴え始めた。



 「おおおお言葉ですが!お言葉では御座いますが御猫様!カリスティンは死病に御座います!(わたくし)めがまだ二十歳(はたち)の身頃、同じ様な症状の者が出た時がございました!」



 膝間づいて平伏しだした老人たちが自身の経験を語る。

 エッボに対しては訛り全開なのに、朕に対してはキチンと喋っているところを見ると、一応敬意は払ってくれているようではある。


 彼らの語った所によれば、概ねカーヤの言う通りで、要は昔同じ症状の者が居た時は村が全滅しかけた。今は戦争もあって、避難民も居るから冬支度の食料やら何やら一切合財が足りないのに、病のカリスティンを置いておいては確実に村が滅びる。ついでに、明日食べる物にも困っている。

 との事だった。まぁ、最後が本音であろう。



 「済まねぇ、い、いえ、すみません御猫様」



 お立ち台にされたエッボがブルブル震えながら『キヲツケ』の姿勢のまま目尻に涙を浮かべて視線だけで朕を見上げてそんな事を言う。

 こんなに可愛い黒猫が畏れ多くも頭の上に鎮座してやっておるのに、もっとリラックスしても良かろうに、何を上官に怒鳴られた新兵みたいに背筋を伸ばして何をしておるのだ?などと不思議に思ったものだが、そうか。朕が放ったオドには指向性を持たせておらなんだ。エッボも巻き込んでしまった様である。むしろ一番距離が近いから一番影響を受けたのかもしれん。スマンな。



 「村にはもう食料の蓄えが殆ど無ぇんだ。いえ、無いんです。戦争が始まっちまったから元々冬支度は十分に出来なかったし、他所の村からやってきた奴らに食わせてたら、無くなっちまったんでさ」



 あぁ、それは仕方が無い。戦争の影響か。という事は、家畜もかの?

 そう言えば、牧畜で生計を立てていると聞いていた割に家畜を見ない。

 無言で向けた朕の視線にエッボが語った所によると、家畜は大砲の音に驚いて牧草地の柵を飛び越えて逃げ散ってしまったらしい。戦争のせいで村を出れないから逃げた家畜を探すこともできず、更には柵を飛び越えられずに残った家畜も柵に身体をぶつけて怪我をするなどしたため、殆ど潰すしか無かったのだそうだ。



 「普段なら、食料が足りなくなったら俺や若い衆で森に入って獲物を取ってくるんですが、今はそれも出来ねぇんで、みんな不安がっちまってんでさ」



 エッボよ。其方いつの間にか、この爺連中を庇っておらんかの?

 朕、其方の味方してやったつもりなのだがの。解せぬ。



 「なれば、食料を何とかすれば、文句はないのであろう?」



 朕の言葉に、長老連中が「へへぇ~」と変な声を上げて平伏する。

 ……少しオドを強く流し過ぎたかもしれぬな……。



 「ライラ!こ奴らに食料を出してやれ。ついでにその辺で鹿でも狩ってこよう」



 朕が背後の小屋の入り口に向かって叫ぶと、霧吹きの様な物を持ったライラが半地下の小屋の入り口からひょっこりと顔を出す。

 多分、流石に臭いに耐えられなくなって消臭剤でも撒いていたのだろう。



 「オフェーリアさんが、カリスティン君の病気は伝染りやすいから、村のヒトたちも早く抗生剤接種したほうが良いって言ってるけど、その後じゃ駄目?」



 オフェーリアの言葉は多分、カリスティンの症状からチフスで間違いないとの診断からであろう。

 症状が出始めてからでは遅いから、先に抗生剤を接種させたほうが良いのは確かだが、食料が無いといきり立つ村人に大人しく接種させるのは骨だ。

 腹を満たしてからでもそう変わりはあるまい。



 「まずは食料が無いとこ奴らが落ち着かん。抗生剤の接種は後でも良かろ」



 朕の背後で腰を抜かしながらも、「食料」と聞いて目を輝かせる村人たちを見て納得がいったのか、ライラが皆の眼の前に向かってタクティカルポーチから取り出した一枚のカードを放ると、カードは一瞬だけ虹色の光を発してスピカのカーゴベイ()の中に保管されていた支援物資と入れ替わった。

 ドスン、と重たい音を立てて空間転移された航空便規格荷台(パレット)が雪の上にめり込む。


 急に現れた1,100×1,200サイズの樹脂製のパレットの上に積まれた食料品の山を見て、老人たちのみならず集まってきた村人たちがおおおお!と感嘆の声を上げる。

 支援物資としてアリアドネが用意したのは、軍用のレーションが中心で、(かさ)の割にカロリーが高い食品ばかりであった。棒状の栄養バーや、乾パン等が約1,000リヴル(500キロ)程詰め込まれている。


 コレだけでもこの村の者全員が一月は食べていける量ではあったが、何分食べごたえは無いし、味も数種類しかなく味気ない。

 飢えた村人たちに今後もカリスティン君を快く受け入れてもらうには、幾らか食いごたえのある食事を取らせて機嫌をとってやる必要がある。

 後で酒も出してやろう。こんなご時世、嗜好品も少ないだろうし、抗生剤の接種には痛みが伴うから、注射なんてしたことのない連中に大人しく接種を受けさせるには餌も必要だしな。



 「おい!いや、御猫様!森は危ねぇ!いや、危ないです!軍隊の斥候がウヨウヨ居る!見つかったら蜂の巣だ!」



 エッボが朕たちが狩りに出ると聞いて目を剥くが、シーキングスフィアを展開できる朕が居れば斥候の接近に気付くことができるし、ライラもスキャニングウェーブが使えるから、エッボが考える程危険でもなければ時間もかからない。

 護身用にライラに滑腔銃を持たせて来て正解であった。



 「何、心配するな。一流の碩術師の御業を見せてやろう」



 「これから山に入るのか?もう昼も過ぎるぞ?!山は日が暮れるのが早いし、無茶だ」



 猟師らしいエッボの忠告は至極最もであり、普通であればそうであろう。だが、一流の碩術師にそれは当て嵌まらない。



 「大丈夫ですよ。すぐ済みますから、少し待っててくださいね。あ、獲物運ぶのに何人か男性の方手伝ってくださいます?」



 ライラが担いできた滑腔砲の遊底を操作して薬室を開放し、タクティカルベストから出した人差し指ほどの弾丸を込めながら村人たちを見回した。

 ライラ専用に設えた滑腔銃の試し打ちに何度か狩りに行ったから、ライラも銃の操作は十分に習熟している。



 「そんなのお安い御用だが、ホントに大丈夫なのか?」



 手慣れた様子のライラにエッボが目を白黒させる。



 「ふむん……ライラ、八時方向、猪が居る。距離約200ショーク。狙えるか?」



 朕が警戒用に展開していたシーキングスフィアがお誂え向きに村の近くの林の中を闊歩する猪を捉え、ライラが朕の示した方向にスキャニングウェーブを飛ばして早速獲物を補足した。



 「ホントだ。狙えそうだから撃っちゃうね」



 言うが早いか、何気ない動作で滑腔銃を構えたライラが、まるで薪でも割るかの如く躊躇いもなく引き金を引く。

 ポン、と言う空気が破裂するような音がして、ライラが射撃姿勢を解いて滑腔銃を背負い直す。

 と、そんな世間話でもするかの如く行われた狩猟の一部始終を、朕を頭上に乗せたままのエッボがポカンと大口を開けて視線で追う。



 「猪?撃ったのか?本当に???」



 「当たりましたよ。運ぶの手伝ってください」



 「俺には何処に猪がいるのかも判らなかったぞ!?」



 まぁ、200ショーク先はヒトが裸眼で視認できる距離ではないからな。

 エッボの知る『狩猟』とは、獲物の痕跡を見つけて長い時間をかけて追跡し、忍び寄り、仕留める、という様な物なのであろう。

 そんな、長時間に渡って行われなければならない狩猟という行為が、まるで家庭菜園から野菜をもぐかの如く容易く行われた事が彼には信じられないようであった。

 近くに偶々猪が居たのは運が良かったとしか言いようがないが、しかし数百ショーク先の獲物を探知できる碩術師の狩猟とはこんなものである。


 野生動物は割とどこにでも居るが、探してもなかなか見つからない。

 それは彼らがヒトから隠れもすれば逃げもするからだ。それこそ命がけで隠れて逃げているのだから、狩ろうとすればそれは命懸けの追いかけっこ、とまでは行かないが難易度が跳ね上がる。

 しかし、彼ら野生動物の探知距離よりも遠くから彼らを見つけ、攻撃することが可能であれば、狩猟の難易度は極端に下がるのだ。

 まぁ、その手段(・・・・)を会得するのが難しいのだがな。



 「仕留めておるよ。まぁ、騙されたと思ってついて来い」



 エッボの頭の上からライラの方へとひとっ飛びで飛び移った朕が尻尾で「追いて来い」と促すと、エッボと老人たちは顔を見合わせながら何人かの若い男たちを指名して、エッボと共に朕とライラの後に続いた。

 村の外れから針葉樹の林に入って少し歩いたところに、身から湯気を立ち昇らせたライラよりかはよっぽど大きい猪が静かに横たわっていた。

 冬に入って少し肉は落ちているが、丸々とした巨軀の立派な雄であった。

 逆に秋頃よりも余計な脂が落ちてさっぱりとして美味いかもしれぬ。


 ライラの放った弾丸は綺麗に致命部位(バイタル)である耳の後ろの頚椎を撃ち抜いていた。胴体に当てると可食部位が減るし、何より獲物が苦しむ。獲物の為にも頚椎や心臓(バイタル)を撃ち抜いて一瞬で事切れさせてやる事が一番である。

 『印付』でズラした弾体を発射後にも上手くコントロール出来た様で、立ち並ぶ針葉樹林の間隙を縫って正確に標的に命中させた証拠である。滑腔銃に取り付けた簡易的な照準器を使用しているとはいえ、なかなかライラも腕を上げた様である。



 「……本当に仕留めてやがる……」



 エッボたちが息を呑むのを他所に、ライラは一度横たわる猪に黙祷を捧げてから、キャスリング(空間転移)で喚び出した合成繊維の頑丈なロープを猪の前足に結えていく。



 「おい!運ぶぞ。こんだけデカけりゃ村中が腹一杯食える!」



 それを見ていたエッボが気を取り直して村の男たちを焚き付けながらライラからロープを受け取ると、エイホエイホと猪を引き始めた。



 「嬢ちゃんスゲェな!俺ぁ、何年もこの村で猟師やってるが、あんな見事な射撃は見た事ねぇ!」



 村へと戻る途中、数百リヴルはある猪を引いて玉の汗を浮かべながらも、笑顔でエッボがそんな事を言い、同じく猪を引く村の男たちも口々にライラに賞賛の言葉を投げた。



 「カリスティンの悪魔も、お嬢ちゃんが祓ってくれたって、本当かい!?」



 「ウチの嫁も最近体調が悪くて……後で診てもらえないでしょうか?」



 「スゲェよ……悪魔を祓ってくれる上に、食料まで……天使様だ……ライラ様は天使様だよ!」



 次々に投げかけられる掛け値なしの賞賛に、ライラが恥ずかしそうに頬を染める。

 うむ。うむ。計画通り。



 「其方ら、まずは予防接種……悪魔を寄せ付けぬ為の注射を受けてもらうぞえ」



 朕の言葉に、先頭に立って猪を引くエッボが顔を顰めた。



 「注射……注射受けないと……猪は食わしてもらえないんですかい?」



 こ奴、注射の経験がある様である。

 エッボの『虫歯のある歯でアルミ製の匙を噛んでしまった様な』顔を見て、他の男たちが色めき立つ。

 まぁ、朕の見たところ地上世界の金属加工技術では注射針もまだまだ太そうだから、地上世界の医者が行う注射は相当痛そうではあった。エッボも相当痛い思いをしたに違いない。



 「大の男が情けないことを言うな。其方ら、これから村を背負って立つ者たちであろう。それが悪魔にやられて倒れでもしたら、この先誰が村の面倒を見るのだ。其方らこそ、率先して注射を受けて皆の模範とならずして何とする!」



 朕の説教にエッボが「ご尤もなんですが、痛いんだよなぁ注射」などとため息をつくのを見て、周りの男どもが更に不安そうな顔をしだす始末。



 全く全く手間のかかる。

 これは何か手を考えねばなるまいて、などと考えているうちに村へと戻ってくると、エッボたちの引く大きな猪を目にした村人たちから大きな歓声が上がった。

 余程飢えていたと見える。


 定期的に支援物資を投下していたとはいえ、一度に投下できる物資などほんの4〜50リヴル(20〜25kg)程度。

 それ以上積んでは地上世界の飛行箒では飛べなくなる。

 その限られた積載の中に乾パンや保存食の類を思いっきり詰め込んだとしても、この村の全員の腹を満たすなど到底不可能である。

 戦争さえ何とか終われば、家畜が居なくとも彼らも街に出て出稼ぎをするなりして自活もできようが、今はそれすら出来ぬのだ。


 何とかせねば、などと久々のタンパク源に沸く村人たちに囲まれながらも思案を巡らせていると、朕たちを囲う人垣の隙間から、先程エッボに詰め寄っていた村長たちがコチラを遠巻きに眺める姿が見えた。

 バツが悪いのであろう。

 食料が手に入ったこと自体は喜ばしいだろうが、病の幼子を放り出せ、幼子を救ったせいで自分たちの口に入る食べ物が無くなった、と主張していた手前、両手を挙げて喜ぶこともできない様であった。

 こう言うのは(よろ)しくない。


 年の功というものは往々にして有害な権威や弊害を生みはするが、代わりに若い者では絶対に持ち合わせない知恵や経験を与えてくれる。それは有害な権威や弊害を鑑みても余りある恩恵である。

 そもそも、朕たちが天上世界の抗生剤を持ってやってこなければ、この村の者たちが生き残るために取り得る選択肢はこの村長たちの言う通り、早々にカリスティンを山に捨てて来る事であった事は疑い様がない。


 であれば、幼い命を救うためとはいえ、朕たちの介入で彼らのような得難い存在が村での発言力を損なう様な事があってはならぬ。

 タンパク源を齎してくれたと村人たちに囲まれ揉みくちゃにされて歓迎されるライラの肩から飛び降りて、朕は人垣の隙間を縫うように村人たちの囲い抜け出すと、長老たちが朕に気付いて雪の上に跪いた。



 「御猫様、なんとお礼を申し上げれば良いか……」



 「良い。それよりも其方ら、朕たちを手伝ってはくれんかの?其方らの言う通り、カリスティンの病は感染る。多分、この村の少なくない者たちが既に感染して居ろう。村人全員に薬を注射する必要があるが、どうも注射は痛いと嫌がる者がおるようだ。其方らの力で村人全員に注射を受けるよう、図らっては貰えまいか?」



 朕の突然の要望に村長たちは顔を見合わせる。



 「それは……お安いご用にございます。お任せくだされ」



 快く請け負ってくれた村長の前に、朕はスピカ(姦し娘一号)格納庫(腹の中)に保管していた物品を空間転移(キャスリング)で取り出した。

 ポス、ポス、ポス、と音を立てて雪面にめり込んだのは、ゆらりと揺れる美しい琥珀色の液体が入った硝子製の5分の4クオート(フィフス)ボトルが三本。

 目の前で行われた見たこともない碩術に目を丸くしながらも、村長たちの視線はその硝子の瓶の中身に釘付けであった。



 「お……御猫様……これは……」



 「其方らは少ない食料を遣り繰りして、避難民を受け入れ、疫病の蔓延を危惧し……今まで苦労してきた事であろう。これは少ないが、其方らの差配(・・・・・・)で村の皆を労うのに使うが良い」



 朕の言葉の意味を悟ったのか、村長たちは額を地に擦り付けんばかりに平伏していた。


 彼らも、好きでカリスティンを山に捨てて来いと叫んでいたわけではない。そうしなければ、村が全滅する危険性は確かに存在していたのだ。

 彼らの危惧は真実であり、朕たちがやって来ねば、全滅とは行かなくとも村人の少なくない数が墓の下に入ったことは間違いがない。

 それを阻止せんと、憎まれ役も厭わず村を救おうとしていた彼らの立場が悪くなるようなことが有ってはならない。

 少なくとも、朕はそう思う。


 彼らが朕の言葉通り、村の皆に朕の渡した嗜好品()を分け与えてやれば、此度の仕儀によって彼らの立場が悪くなる事も無かろう。むしろ、リーダーシップを維持したと見做されて、引き続きこの村の統治を牽引することになるであろう。

 危機に瀕した時こそ、如何なる集団に於いてもリーダーシップが齎す恩恵は計り知れない。逆に権力が二分して瓦解する、なんて事もしばしば有る。

 その点、人生経験に優れる彼らがリーダーシップをとる事は、この村にとっては此度の危機を乗り越える上で必要不可欠であった。



 「其方らの助力に心からの感謝を」



 朕の言葉に村長たちが平伏したまま言う。



 「何を仰いますやら。我等こそ、愚かにも御猫様の慈悲深き御英断に異見する様な真似を致しましたこと、紅顔の至りに御座います。誠に申し訳ありませんでした。それにも関わらず、この様に均しく御高配を賜ります我等こそ、御猫様には感謝してもしきれませぬ!」



 さて、村長たち長老組の面子も保った所で、さっさと村人たちへの接種を済ませてしまおう。

 村人たちが猪を解体する横で、村長たちが村人を一列に並ばせて順番にライラの前に立たせる。

 オフェーリアはカリスティンの治療に忙しいから、注射はライラが行うことになった。

 元々、抗生剤には点滴用や注射器充填用のバイアル容器と、ガス圧で薬液を注入する筋肉注射用の無針注射器(インジェクター)を用意してあった。

 無針注射器(インジェクター)の方は正確に静脈に注射する必要は無く、腕などに押し付けるだけだからライラにも取り扱えるのだ。


 まず最初に接種を受けたのは村長たちだった。


 彼らは努めて平静に、表情ひとつ変えずに接種を受け、ライラに丁寧に礼を言い、村人たちに範を示してくれた。

 村長たちはその後も注射を嫌がる者や痛みを訴えた者を見て恐れおののく村人たちを諫め、朕の渡した酒や支援物資の中に入っていたチョコレートバーなどをチラつかせて村人たち全員に大人しく接種を受けさせてくれた。

 村人すべての接種が終われば、後は村にとっては久方振りの宴であった。


 村の広場に即席の竈が作られ、盛大に火が焚かれて切り分けた猪が焼かれ始める。

 どうやら村で保存していたなけ無しの燃料を全部引っ張ってきた様なので、ライラと朕は斧を借りて先程猪を仕留めた針葉樹林から高木を何本か伐採してやる。

 『印付』が出来る碩術師なら大木の伐採も運搬も朝飯前、ついでに薪にするのも並列思考(マルチディヴィジョン)を使用すれば並列作業が可能だから直ぐに済む。

 ともすれば木を一本薪に加工するのに数日かかるところが、大木数本分であってもほんの半刻程度で作業が済んでしまう。ライラも『印付』の精度が上がったおかげで斧を大空へ羽ばたかせることも無くなった。


 本来であれば薪は使用できるようになるまで数ヶ月ほどの乾燥を必要とする。生木のままでは燃焼効率が悪く煤やタールが多く出て暖炉が汚れてしまうだろうが、今は緊急事態である。

 煤が出ようが暖炉が汚れてしまおうが、暖が取れるのであれば取り敢えずは冬を越すことも出来よう。

 それに季節は冬である。一年の中で一番樹木の含水率が低い時期でもあるし、何とかなるであろう。

 凍え死なずに春を迎えることが出来れば、煙道の掃除も出来ようというもの。


 その作業の速さに目を丸くして碩術師の偉大さに平伏しつつも、枯渇しかかっていた燃料まで恵んでくれた朕たちに、またもや村長たちが丁重な礼を述べる。

 最早、ライラやオフェーリアを疑う者はなく、小さな天使様、救世主様と、下にも置かぬ扱いであった。

 空間転移(キャスリング)で調味料なども出してやり、酒も供されて猪パーティは大いに盛り上がっていた。


 カリスティンの容態はというと、オフェーリアの処置が完了してから夜半ぐらいまで下痢は止まっていないようであったが、抗生剤の効果で熱が段々と下がり始め、明け方頃には下痢も止まって顔色も幾分赤味が差して静かな寝息を立てるのみとなっていた。

 戸口の隙間から朝日が差し込むのに眩しそうに目を瞬かせながら、オフェーリアが「後は栄養のある物を食べて静養すれば問題ないだろう」と告げると、カーヤは涙ぐんでいだ。


 オフェーリアは泣きながら必死で感謝を伝えるカーヤを宥めながら、支援物資の中に入っている栄養剤入りの成形食品(バー)をお湯で溶かして粥にする方法をカーヤに教えた後、少しだけ仮眠をとった。

 太陽が完全に顔を出し、辺りの気温が少しずつ上がって来たのを見計らい、朕たちは次の目的地へと出発する事にした。

 ライラの淹れた黒茶(コーヒー)を飲んでもまだ眠そうに目を擦るオフェーリアを後ろに乗せて、村人たちの盛大な見送りを背に、朕たちは飛行箒を空へと駆け上らせたのだった。



 『ナヴィ、有難う』



 それは、身を切るような空気を掻き分けて進む飛行箒の上で、昨日の疲れからか居眠りを始めたオフェーリアに寄り掛かられながら、ライラが述べた言葉(チャント)であった。



 『なんだ、急に』



 『ナヴィが居なかったら、私、今みたいに充実した気分を知らなかったかも』



 それは、ヒトに感謝される行為が齎した特別な感情であった。

 それは何物にも代えがたい物であり、それを躊躇わず成し遂げた者のみが得られる特別な報酬でもある。



 『人の助けとなる事。それは掛け値なしに賞賛されるべき行為だ。其方はそれだけのことを成し遂げた。朕にも、アリアドネにも、ヘーリヴィーネにも此度の行為を成すことは叶わなかった。其方が居て、初めて成すことが出来たのだ。誇って良い』



 朕の言葉に、ライラが不思議そうに小首を傾げる。



 『アリアドネさんや、御義母様(ヘーリヴィーネ)ならもっとスマートに沢山の人を助けられそうだけど』



 『彼らには色々な事情やシガラミがある。地上世界に降りて、困っている者を誰でも彼でも直接助けることは出来ぬのだ。今、この戦争で困っている者を助けられるのは、其方だけである』



 ライラの傾いだ小首が戻ることはなかったが、それでも今この場で助けを求める者たちに手を差し伸べられるのは自身のみなのだという事は理解したようであった。



 『じゃあ、もっと頑張らなくちゃね!』



 まぁそう気負わずにホドホドに行こう、とライラの体力を案じての朕の言葉に、ライラが頬を膨らます。



 『もう!なんでそういう事言うの!』



 ……其方のヤル気を削ぐ気はなかったんだがな、などと言い訳をしつつ、朕たちは次の要救護者が待つ南側の教会へと飛行箒を奔らせるのであった。

56話まで大幅な改訂が入っております。(2024/8/25

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[一言] 老人たちを悪役にしないのは、為政者としての視点を知ってるからだろうね さすが御猫様や 針葉樹を伐採して薪にしたけど、乾燥の工程はどうしたんやろか? 薪にするところで猫が碩術で乾燥させた? …
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