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朕は猫である  作者: 名前はまだない
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#46

大変遅くなり誠に申し訳御座いませぬ。

やっぱりコメディ入れるの難しいですね。

(落ちてるといいなぁ)

 (わたくし)、ヘーリヴィーネがその忌々しい気配を感じたのはある日の昼下がりで御座いました。


 先日、陛下が担ぎ込んできた名も知らぬ碩術師――最初はまた新しい娘を拾ってきたのかと戦々恐々と致しましたが――の身の回りの世話を終えた頃でありました。


 ライラの身に付ける物全てには見守り用の碩術陣(サーキット)を縫い込んでありますし、常に私の並列思考(マルチディヴィジョン)の一定数を割いて、ライラに何が起きても直ぐに対処できるようにしております。


 そのライラの衣服に縫い込んだ碩術陣が、唐突に激しい衝撃と急速な落下を感知致しました。

 落下は直ぐさま収まったようなので、一緒に居られるはずの陛下が何とかなされた事が判りましたが、同時に別の『周辺感知用碩術陣』が、在る存在を感知した事に私は身を固く致しました。


 私が名も知らぬ碩術師が伏せる寝室の扉を開けると、アリアドネがキッチンスペースになっている薪ストーブの前で食材の在庫を確認しておりました。そう言えば、今日はアリアドネがお昼の当番でしたわね。


 アリアドネはああ見えてお料理が上手なんです。保管庫の残り物、野菜とお肉の切れ端と干乾びたパンとキノコ類で美味しいパン粥を作ったり、湿気った乾麺と使い差しの野菜と干乾びたチーズでカチョエペペ(カルボナーラ)をこしらえてみたりと、中々侮りがたい味のご飯が毎度毎度出来て来るのが不思議でなりません。



 「え?何、どしたの?」



 「泥棒猫……いえ、卑しい馬鹿蜥蜴の気配を察知しました」



 キョトンとするアリアドネを尻目に、私は母屋を出てどうやってライラの元へと駆けつけるか思案いたしましたが、その時に母屋の裏でひっそりと輝く光を見つけました。


 覗いてみると、それは白く輝く薪ストーブの形をした変換放射装甲材の塊が足を上にしてひっくり返ったまま放置されていたのでした。


 なんでこんな珍奇な形をして放置されているのかわかりませんでしたが、今は渡りに船です。

 あの馬鹿蜥蜴の攻撃を防ぐのにこれほど最適の物は御座いません。


 ひっくり返ったストーブの様な何かの足を引っ掴んで、ライラの飛んでいる方角へと思いっきり投げると、ベイパーコーンと共に乾いた破裂音だけを残してストーブの様な何かが空の彼方へと消えていくのに、第八世界法則による(オーバーライド)絶対位置情報書き換え(モディファイ)を行って、自身の体を飛翔するストーブの様な何かに追従させて飛ばしました。


 私は体が頑丈なので大丈夫ですが、タダビトの方が私と同じように第八世界法則による(オーバーライド)絶対位置情報書き換え(モディファイ)るのは、非常に高度な制御が必要なので皆様は真似しないでくださいまし。半身だけ指定した座標に移動するとかザラです。


 空中で幾らか姿勢を整え、ストーブの様な何かの上に着地すると、私よりも――現時点では――質量の大きいストーブの様な何かは私を乗せたまま弾道飛行を開始致します。


 ライラの衣服に施した碩術陣が捉え続けている(くだん)存在(・・)に向かって、逐一遠隔操作(テレキネシス)でストーブの様な何かの軌道を修正し続けます。


 あの下品な気配は間違えようがありません。

 嘗て、種の保護の観点から見逃してやったと言うのに、あの馬鹿蜥蜴(リーベラクレア)は事あるごとに陛下の元を訪れては、何かにつけて私たちにちょっかいをかけてくるのです。


 終いには、週に一度のあの陛下との貴重な一刻の時間にも割り込んできて、アレやコレやと陛下に言い寄ったかと思えば、終いには私の大事なあの一刻が来ると何処からともなく現れては陛下のお側に居座るようになってしまいました。


 陛下も面白がって彼女に碩術の手解(てほど)きなんてし始めたりして、しかもあの馬鹿蜥蜴、スポンジに水を垂らすようにメキメキと碩術の腕を上げていき、流石に我慢できなくなった私が彼女を追い払おうと碩術勝負(決闘)を挑んでも、最初の頃は私の圧勝でしたがその内碩術勝負(決闘)では決着がつかなくなってしまいました。


 最高速勝負(追いかけっこ)で負かしてオスにしてやろうかとも画策致しましたが、流石に私では陛下の様に高速飛翔可能な飛行箒は作れませんから、最高速度勝負(追いかけっこ)では連戦連敗。

 全く、忌々しい馬鹿蜥蜴です。自分の名前はいつまでたっても覚えられないくせに!


 しかも。しかもしかも。


 陛下がお隠れになってから暫くして。

 あの馬鹿蜥蜴、陛下の子を「孕んだ」とか言い出しやがったんです!


 曰く、



 「吾は彼奴と手を繋いだ事もあるし、抱擁(ハグ)した事もあるからな!ワハハ吾の卵は貴様の腐った卵とは違うのだ!」



 だ、そうです。



 な ん て 、 破 廉 恥 な ! ! !



 あの馬鹿蜥蜴と来たら、事あるごとに猫なで声で陛下に迫るし、毎度毎度隙き有らば指先を陛下の御指に絡めたりして!


 破廉恥極まりません!何度割って入った事か!

 しかもそれで孕んだなどと!!!


 コウノトリさんは真に愛しあう二人(・・・・・・・・)にしか、愛の結晶(・・・・)を運んではこないのです!

 馬鹿蜥蜴に、愛の結晶をコウノトリさんが運んでくるはずはありません。ましてや、陛下との(・・・・)なんて!


 皆様、勘違いしないでくださいまし。

 あの馬鹿蜥蜴はいざとなれば単性生殖が可能と言う、特殊な生態を持っているのです!


 その辺の木の根の股に触れても産卵できるのです!


 あまり詳しい仕組みは判っておりませんが、種の存亡の危機など非常に厳しい条件をクリアする必要がある様なので、誰でも彼でも雌だけで生殖出来るわけではないようですが、あろう事かあの馬鹿蜥蜴はその非常に難しい単性生殖に成功してしまったに過ぎないのです!


 あの馬鹿蜥蜴はその後も事あるごとに、方方(ほうぼう)で「陛下の子だ」などと吹聴して廻り腐りやがったのです!


 流石の私も怒り心頭で何度か終末的解決(アルマゲドン)しかけましたが、如何せん元々のスペックが高い種であることと、産まれてきた子供に罪はございませんから、私も修羅には成れませんでした。


 馬鹿蜥蜴の言葉を信じてしまった純真無垢な方々には後で丁寧にご説明(笑顔で脅迫)して回らなければならず、とても苦労した覚えがあります。


 そんな輩が、今になって陛下とライラの前に現れたのです。


 ライラの身に危険が及ばぬ筈がありません。

 もしかしたら私に娘が出来たことに、嫉妬に狂ってライラを亡きものにしに来たのかもしれません。


 そんな過去の煮えたぎる想いと焦燥を胸に、私はストーブの様な何か(装甲板の様な何か)遠隔操作(テレキネシス)で加速させました。


 極超音速まで加速し続け、風除けの理論術式結界の表面が空力加熱で赤熱し始めて歪んだ視界の先に、下品で扇情的な格好の馬鹿蜥蜴の姿を捉えました。


 右の腕を『く』の字に曲げて、脇を引き締めるように、(マト)に向かって引き絞ります。

 昔、陛下に教わりました。



 ラリアート(ラリアット)はカチ上げるように!



 インパクト(衝突)の瞬間、ふと、そういえばこの速度で当たったら、衝撃波で周りが大変なことになりそうですわね、なんて考えが脳裏をよぎります。


 ちらりと視線を動かせば、陛下が理論絶対(シュバルツシルト)防御結界(サーフェイス)でライラを包み込んだのが見えました。

 流石陛下ですわね。


 馬鹿蜥蜴の子供の方は体が丈夫でしょうから大丈夫でしょうけど、何かあると寝覚めが悪いので一応私が理論絶対(シュバルツシルト)防御結界(サーフェイス)で守ってあげましょう。


 さて、後はこの引き絞った上腕で、馬鹿蜥蜴の顎の下から喉笛に捩じ込むようにカチ上げるだけ。

 と、獲物を見据えた(わたくし)の視線に飛び込んできたのは、赫灼と燃え上がる赤瞳(しゃくどう)をこちらに向けて、()たり、と嗤う馬鹿蜥蜴の姿でした。


 何でしょう。なにかあまり良くない予感がします。


 インパクトの瞬間、馬鹿蜥蜴は首元を防御するように掲げた両腕で私のラリアートをあっさりと防いでしまいました。

 やはり、この馬鹿蜥蜴、私の到来を予期していたのでしょうか。

 不意をついたつもりだったのに、面白くありません。


 私たちの衝突音は背後へと置き去りにされ、私と馬鹿蜥蜴の体が軋む音だけが聞こえ、私は加速した速度そのままに馬鹿蜥蜴と共に空中を滑り、そのままの勢いを殺すこと無く右腕を振り抜きました。


 次の瞬間、私のラリアートの勢いに逆らわずに吹き飛んだ馬鹿蜥蜴の口腔が光を帯びるのが見えました。

 確固たる意思を持って制御されたより強い力(・・・・・)によって粒子達が自らの軌道に偏重をきたし、遂には角運動量を変化させられたそれらは大空の彼方で明確な殺意となって収束致しました。


 電荷を帯びたそれらは、与えられた運動量を予測不可能な無秩序の放散によって開放し、大気を迸る紫電となって具現致します。



 「久しいな根暗女(へーリヴィーネ)!拗らせ過ぎて空間底面貫徹(メルトダウン)したものとばかり思っておったが、存外元気ではないか!」



 私を狙って馬鹿蜥蜴(リーベラクレア)が放った、既に荷電粒子砲と言えるほどまでに収束されたその紫電の本流を、空中で理論術式(第八世界法則)による慣性制御を行いつつ、乗ってきた変換放射装甲材(星征艦隊の外殻装甲材)製の薪ストーブを盾にしてやり過ごします。


 流石、星征艦隊製。馬鹿蜥蜴の撃ち出した荷電粒子砲(ブレス)が内包する膨大なエネルギーの本流を、悉く光と音波と電磁波に変換して見事防ぎきる事に成功いたしました。


 こんな馬鹿みたいな物(装甲材製ストーブ)、誰が造ったのかしらと訝しんでおりましたが、今となっては助かりました。

 馬鹿蜥蜴の荷電粒子砲(ブレス)程度ではびくともしません。



 「言ったな!この馬鹿蜥蜴がぁぁぁッ!!!」



 盾にした薪ストーブを放り投げて大気を張り裂く轟音を後方に、私は慣性制御(ベクトルドライヴ)によってその身を前方へと押し出し、荷電粒子の一撃を放った姿勢から未だ立ち直れていない馬鹿蜥蜴に向かって加速します。


 一気に超音速まで加速し、そのままの勢いで弓のように引き絞った右の正拳を眼前まで迫った露出の激しい破廉恥な格好の褐色の大女に叩き込みました。



 「――やはり拗らせ大年増の一撃は重みが違うなぁ!なれば、吾も本気でゆくぞ!」



 低いうめき声を漏らしながらもクロスアームブロックで私の一撃を防ぎきったリーベラクレアが、(わたくし)から受けた衝撃と慣性を殺し切れずに大きく後退しながら一々勘に触る言葉を宣います。


 誰が大年増かッ!!!

 今日こそはけちょんけちょんにしてやります!!!


 空中でくるり、と背を向けた彼女の構成要素(エレメント)が爆発的に増加するのを感じました。虚空に格納した自身の本体の一部を質量のみに変換して顕現化させているに違いありません。


 咄嗟に両腕を眼前に掲げて肘を突き出し、亀の子の姿勢(タートルブロッキング)を取り、私も虚数構(イマジナリー)成要素(エレメント)有理化(ラショナライズ)して足りない質量を補いつつ(きた)る衝撃に備えるのに、大女が背を向けた勢いそのままにまるで大砲のように突き出したラウンドハウスキック(後ろ回し蹴り)が私の両腕に突き刺さりました。



 「()(つがい)との子が余程妬ましいと見える!僻むな僻むなこのルーザードッグ!!!やーい、お前の卵腐ってるぅ!」



 上半身が無くなるかと思う程の衝撃に、意識が一瞬飛んでしまいます。

 気がつけば、衝撃でブロックごと吹き飛ばされた両腕で万歳するように仰け反った姿勢で空を見上げておりました。


 チカチカと明滅する視界に、大質量同士の激突によって生じた衝撃波と電磁波が放射状の雲となって広がりながらズタズタに切り裂かれていくのが見えます。

 この馬鹿蜥蜴、阿呆で爬虫類の分際で言いたい放題言おってからに!



 「貴女(アンタ)は何も無くとも卵生めるでしょうが!鶏みたいに!」



 後方に流れた上半身を無理に戻すことなく、腰のひねりを加えて質量充填(ラショナライズ)を行いつつ握り込んだ左の拳を、目の前で姿勢を戻しつつあった大女の右脇腹目掛けて水平に打ち据え(スマッシュす)るのを、忌々しい馬鹿蜥蜴が上体を落としてショルダーガードしやがります。


 忌々しい。忌々しい。

 忌々しいですが、先程のラリアートの瞬間の彼女の表情が気になります。


 明らかに、私の到来を予期していたかのような表情。

 この馬鹿蜥蜴、何を企んでいるのでしょう。


 私の逡巡を感じ取ったのか、振り抜いた左拳の先で空中を滑るように距離を取った馬鹿蜥蜴(リーベラクレア)が不敵に笑いました。



 「貴様、新しい娘が出来たそうではないか!」



 馬鹿蜥蜴め!やはり狙いはライラですか!?



 「『帝国』の上層部ではな!その話題で持ち切りだぞ!?」



 そんなこと、知った事ではありません。

 と言うか、なぜそのことを?


 これは後で周囲を徹底的に洗濯(・・)せねばなりません。


 一気に踏み込んできた馬鹿蜥蜴の左ジャブからのコンビネーション(ワン)右ストレート(ツー)左のフック(クロスカウンター)を合わせたのを、軌道の途中で馬鹿蜥蜴の理論絶対(シュヴァルツシルト)防御結界(サーフェイス)に防がれてしまいます。



 「遂に貴様が『帝国』を見捨てて、新たな『帝国』を建国すべく、自分の娘を擁立する気だ、とな!」



 「遂に」って、御自覚がお有りでしたら、『帝国』首脳陣の御歴々には今少し民の安寧というものを慮る姿勢を見せて欲しいものですわ!



 「誰がそんな馬鹿なことを仰ったのかは大体想像がつきますけれども、その方々にお伝えくださいまし!」



 そんな馬鹿なことを仰るのは今生皇帝や天上大陸の御歴々位のものでございましょう。全く、保身の事しか考えていないのですから!


 またもや湧いた怒りに任せて突き上げた私の右のアッパーカットを、馬鹿蜥蜴が間一髪、上体を反らして(ダッキングで)避けやがります。

 ええい!のらりくらりと!



 「もし!ライラに何かあれば!この星ごと(・・・)最後の審判(ディエス・イーレ)してやります!」



 アッパーカットを戻す動作で突き出した左の正(ハートブレイ)拳突き(クショット)を馬鹿蜥蜴がまたもや上体反らしと後退(スウェーバック)で避けながら距離を取ろうとします。

 すかさずに追おうとした私の前で、馬鹿蜥蜴が上げていた両腕のガードを下ろしてしまいました。



 「彼奴らは心配なのだ。貴様に見捨てられて、新しい『帝国』なんぞを興された日には、壮絶な殲滅戦争の始まりだ。その時は声を掛けるのだぞ。――(われ)は貴様の側につくからな」



 大きく下がりながら、戯けたように肩をすくめる馬鹿蜥蜴。

 なんですか、それ。

 追撃しようにも毒気を抜かれてしまいました。



 「ライラが望むのであれば、それが何であれ、私はライラの歩む道を阻むことはないでしょう」



 私の言葉に馬鹿蜥蜴が片眉を跳ね上げます。

 何を企んでいるのかと思えば、全く、やはり馬鹿蜥蜴は馬鹿蜥蜴です。

 警戒して損しました。



 「つまり、あのライラと言う娘が望めば、『帝国』を獲りに征く、と?」



 馬鹿蜥蜴が面白くなさそうに、そう吐き捨てました。

 馬鹿蜥蜴の癖に、ヒトを試そうなどと、面白い事をしてくれます。


 どうせ、今生皇帝にでも騙されたか泣きつかれたかして、私の動向を探りに来たのでしょうが。

 ですが、陛下のお考えはそんな低俗な物ではありません。



 「『帝国』を獲る、などと心配為される様な方々は、さぞお育ちが宜しい(・・・・・・・)のでしょうね。――親の顔が見てみたいものですわ」



 私の言葉に、馬鹿蜥蜴が鼻白んだように顔を顰めました。

 この命題を最初に持ち出したのはアリアドネでした。

 大志(・・)の有りや無しや、と。

 陛下のお答えは明快でした。



 『ライラが望めばそれも吝かではないが、朕にはその選択肢に魅力を感じる様な女性はパーフェクトレディと呼ばれるには些か荷が勝ち過ぎはしないか、と思うがの』



 帝位に居られた頃から何かに付けて「為政者なんぞサイコパス以外には務まらん」と愚痴っておいででしたから、当然のお答えでした。


 社会的な地位の向上とは、穿った見方をすれば利害が一致しない者と一致する者を取捨選択する事により、自身の利益を最大化させる行為に他なりません。

 言ってみれば、支持者を集めたマウントの取り合いです。

 その行為を続けた先に有るのが、為政者という絶え間なく生産され続ける敵と戦い続ける悲しき道化師なのです。


 誰しもに慕われる為政者、などと言う物は幻想です。

 何故なら為政者とは極論、単なる利益調整機構でしかないからです。

 どう上手くやろうと、何処かに損をしたり、不利になる、謂わば負組が常に生み出されるのは必然。


 それは絶え間なく敵対勢力を生産し続ける永久機関です。

 しかし、その生産行為を一度でも辞めてしまえば、途端に今まで利害が一致してきた者達から不満が噴出することでしょう。

 そして、彼らは新たな敵対勢力に豹変するわけです。


 為政者とは、常にその矛盾と闘いながら味方をすり減らして行く悲劇の道化師のような存在でしかありません。

 私も、陛下がお隠れになってからと言うもの、この矛盾と常に戦い続けて参りました。


 一方に手を差し伸べれば、他方から不平が上がる。

 このどうしようもないループが押し寄せる荒波の中を、私はこの数百年間息も絶え絶えに、藻掻く(グーパン)ように何とか乗り越えて来たに過ぎません。


 ですから、陛下のお考えは私にも良く解ります。

 私もライラをそんな嵐の中に放り込む気はさらさら御座いません。

 ライラには、もっと尊い目的の為に生きて欲しいと、そう願ってしまうのは親馬鹿でしょうか?



 「なんだ、詰まらん。折角、終末大戦争が見られると思ったのに」



 私の答えは馬鹿蜥蜴のお気に召すものではなかったようで、至極つまらなそうに天を仰ぐ彼女でしたが、詰まらん、とは何事でしょうか。

 どこまでも腹の立つ馬鹿蜥蜴です。



 「しかし、彼奴()が復活しているとは思わなんだ。終末大戦争が起こらないのは詰まらんが、彼奴が復活しておるのであれば、幾らか彼奴の元に居るのも一興だ。フィンブリー(息子)も一人では寂しかろうから、妹を産んでやっても良いしな。どれ、貴様の今の住処に案内(あない)せい」



 常識皆無の不躾な馬鹿蜥蜴とはここで雌雄を決すべきの様です。

 両の拳を握り込む私を見て、馬鹿蜥蜴が不思議そうな視線を向けてきます。



 「何だ。至極不満そうではないか」



 この図々しい馬鹿蜥蜴を私たちの聖域に入れるわけには行きません。絶対に阻止せねば。

 異相次元に格納された構成要素(エレメント)召喚(よび)出す準備を始めた私に、馬鹿蜥蜴がその不思議顔を深めながら更に言葉を重ねました。



 「前から思っていたのだがな。貴様も産めばよいではないか?娘なり息子なり。貴様も接吻(キス)したり抱擁(ハグ)したりすれば出来る(孕む)のであろう?」



 ……な、何を急に言い出すんですかこの馬鹿蜥蜴は。

 そ、そんなはははははは破廉恥な……そんなことしたら本当にコウノトリさんが赤ちゃんを……そんな淫らな行為をしたら陛下に幻滅されてしまいます!


 それに、私には今、既に娘が居ます。

 ライラと言う可愛い娘が、既に居るのです。

 ライラは、陛下の娘であり、私の娘です。陛下もそう仰っていたではないですか!



 「あー、真逆貴様、まだ彼奴の手を握る事も出来ておらんのか?あんなモン、目が合ったら力づくで押し倒して終わりだろうに」



 ……。

 ……これだから、馬鹿蜥蜴は。

 そんな事をする様な下劣な輩を、陛下は心底軽蔑なさるでしょう。


 やはり馬鹿蜥蜴、自身の行動が陛下を如何に幻滅させているかも解っていないようです。

 私だって、何度あの二人きりの一刻の間、偶然にも陛下の御手に触れてしまったら、とか、今ここでよろめいたら、陛下にしなだれかかってしまうかも……とか。


 想像しないわけではありませんけれども。

 いえ、一時期は毎夜毎夜と夢見に逢瀬を共にし、起きては悶絶したものですが。



 「……真逆貴様、まだ(・・)彼奴の手にすら触れられておらんのか?あの、いつだったか、彼奴がまだ人の形をしていた頃に、貴様突然「彼奴とどうやって手を繋げばいいか」などと吾に聞いてきたことがあっただろう?折角吾が真摯に相談に乗ってやったというのに、結局ダメだったのか。そうか」



 ……はー、馬鹿蜥蜴の癖に余計な事だけ覚えてやがりますこと。やっぱりこの糞蜥蜴殺します。絶殺(ぜっころ)です。



 「歩く猥褻物の様な貴女と、私は違うのですから、一緒にしないでくださいまし!」



 必死で反論する私に胡乱げな三白眼を向けながら、馬鹿蜥蜴が続けました。



 「と言うか、彼奴は今『猫』なのだから、別になにか躊躇うことが有るのか?猫は抱く(・・)ものだろう?」



 ……は???

 何言ってんですのこの馬鹿蜥蜴?



 「猫なのだから、好きに抱っこして、接吻して頬ずりして、例えば彼奴の腹に顔を埋めて鼻腔いっぱいに彼奴の体臭を吸い込んだとしても、誰も咎めぬであろう。相手は猫だからな。この行為、ヒトは『猫吸い』と言うらしいな?……ヒトの考える事は良く解らん」



 ……天才か???



 「……貴様、時々とんでもなくポンコツよな?」



 私が真逆の発想に思わずゲシュタルト崩壊しそうな程の衝撃を受けているのを尻目に、馬鹿蜥蜴の体がまるで折り畳まった折り紙がその手順を逆にして開いてゆく様に、その体を本来の巨山の様な黒光する本来の姿へと変えてゆきました。



 『まぁ、貴様に案内されなくとも彼奴を追いかければ自ずと彼奴の住処へと辿り着くであろう。それではな!』



 巨大な黒曜石のような翼を翻して、馬鹿蜥蜴が飛び去る為にその身に紫電を滾らせます。



 「待ちなさい!行かせるものですか!」



 慌てて私も慣性制御(ベクトルドライヴ)で空中を飛翔して岩肌のような馬鹿蜥蜴の背中に飛び乗ります。

 私ではこの馬鹿の飛行速度には追いつけませんから、この馬鹿だけを陛下のもとへ行かせるわけにはまいりません!



 『あっ!コラ!背中に勝手に乗るな!』



 爆発的な加速を開始した馬鹿蜥蜴が、身を攀じって私を振り落とそうとするその背中に私はガッチリと碩術でこの身を固定します。

 ふふふ。陛下を抱っこするのは私です!











 仔猫のようにカタカタと怯え続けるフィンブリーを舳先に止めたまま、どうにかこうにか近くの小さな浜辺へとたどり着いたのだった。


 まだ意識を取り戻さないライラを箒から降ろして介抱しつつ、朕は海の彼方で時折光る稲光を眺めていた。



 「……ううう……お義母様もう無理です……食べれません……スヤァ」



 ライラは寝てるだけか。まぁ、今朝早かったからな。

 フィンブリーにはライラの着替えの茶色い羊毛製(ギャバジン)のズボンにコットンフランネットのチェック柄のシャツを着せた。種としては全く問題ないのかもしれんが、倫理的に素っ裸は良くないのでな。


 スラリと長い四肢を持つフィンブリーは、ライラのサイズに合わせられた上下を着ると、どちらも七分丈の様になってしまい、その中性的な容姿も相まって闊達な少年に見える。……その界隈の輩が見れば思わずヨダレを垂らすような美少年である。


 此奴を調きょ……教育してどこぞの宮廷に放り込めば、あっという間に国を傾けられそうだな。イザとなったら物理的にも国を傾けられそうだしな。


 などと要らぬことを考えつつ、フィンブリーを見ていると、小首を傾げて不思議そうにこちらを見つめ返してくる。特定の界隈の輩が見たら思わず昇天しそうな姿である。



 「トーチャンどうしたの?」



 「朕は其方のトーチャンではない。そもそも、(おの)が父親がこんな黒猫では其方も嫌だろう」



 「……でも、本質は見た目じゃないんでしょう?カーチャンが言ってた」



 ……其方が言うととんでもなく説得力があるな。いや、朕が言えた身でもないか。

 しかし、あらぬ誤解を招く呼称は何とかせねばならん。

 時折、激しく瞬く稲光と、砲声の様な打撃音を努めて背にして、朕はフィンブリーに向き直る。



 「……良いか、フィンブリーや。朕と、リーベラクレアは嘗て幾らか共に過ごした時間はあれど、其方と朕には生物学的な血のつながりはない。解るか?」



 確かに共に過ごした時間はあれど、同衾する事も無かったし、そう言った行為も無かった。立場としては朕が教師としての立場に近かったが故に、そう言った行為は倫理と反する。


 そう言った感情を抱かなかったのかと問い詰められれば、あれ程の美貌。それを否定するのは難しかろうが、だがそれと同時に朕はその立場に応じた矜持を保った事だけは確たる自信と共に明言できる。


 それは、ヘーリヴィーネやその他の者達に対しても同じである。コレだけは確信を持って断言することができる。

 うそじゃないぞ。



 「解るよ。カーチャンとはセ〇〇スして無いんでしょ?」



 純真無垢な綺麗な顔して其方はなんて言葉を宣うのだ?

 リーベラクレアの教育にはいつか一言物申さねばならんようである。



 「でも、カーチャン言ってたよ。想いビトを想いながら孕めば実質そのヒトの子だって」



 ……『実質』とか言う言葉は使ってはならぬ。

 それはイコールでないものを無理矢理結ぶ事ができると錯覚させる記号である。


 と言うか、誰を想おうが遺伝的には致した相手との子に変わりはない。よって其方は朕の子ではない。証明完了(QED)である。

 ついでに、必然的に忘れ去られてしまっている生物学的父親が可哀想すぎる。やめたげなさい。


 その事実をフィンブリーに噛み砕いて説明してやるも、なにやら理解出来ていない顔で小首を傾げるのみである。そんなに難しい事を申しておるわけではないはずだがな。


 何かおかしい。何処かに齟齬がある様にしか思えぬ。

 身の潔白を証明するべく、記憶を総浚いして元凶となる行為の有無を確かめるが、やはり朕はそんな不埒は致しておらぬ。

 と、記憶を総浚いしている過程で朧気な記憶たちが段々と輪郭を伴って脳裏へと浮かんできた。



 「……そう言えば其方ら、単性生殖可能なのではなかったか?」



 朕の言葉に、フィンブリーはその綺麗な顔を傾げるばかりである。



 「良くわかんない。でも、カーチャン、愛する人と手を繋いだりハグすると孕む、って言ってた」



 ……想像妊娠も甚だしい!!!


 いや、実際に妊娠したのなら想像妊娠ではないのかの?

 いや、想像だけで妊娠したのならやっぱり想像妊娠なのかの?

 いやいや、そんなことよりやっぱり朕、無実!無罪!大勝訴!


 ライラが寝入っていて助かったわ。無実とはいえ、新雪のような無垢なライラの性知識に変な異物が交じるところであった。


 先日、厳粛なる討論(物理)の結果、ライラへの性教育はヘーリヴィーネが行う事に満場一致(賛成1、反対0、棄権2)で決まってしまったので、朕はライラにそういった知識を与えることが出来ないのだ。


 複数の船頭が居ては、ライラは混乱するだけであろうし、同性同士の方がライラにとっても良いだろう。

 何より、この件についてはヘーリヴィーネが何故かとてもやる気なので、そんな彼女の気持ちを挫きたくは無い。


 誰しもやる気になっているところに横槍を入れられることほど迷惑な物も無かろう。



 「ナヴィ、セ○○スって何?」



 背後より聞こえた声に朕が振り向けば、目をくしくしと擦りながらこちらを不思議そうに見つめるライラの姿があった。

 其方、いつの間に起きたのだ!!!



 「赤ちゃんはコウノトリさんが連れてくるんじゃないの?お義母様にはそう教わったよ?」



 ヘーーーーーーーーリヴィーーーーーーーーーネッ!!!!!


 其方、正気か?!

 真逆、本気……なのか?!?!


 そう言えば朕の生前まで過去に記憶を遡っても、彼女とはそう言った話をした覚えが一切無いのも事実……。


 真逆な。

 確かに朕からそういった事を教えたことは無かったが、勉強熱心な彼女の事であるから、真逆本当に性知識幼児並み、という事はあるまい。

 ……あるまい、な?


 などと、朕には心の中で性教育担当教諭の来歴から推察できる指導能力の限界に思い当たっている暇などなかった。


 何故なら、たった今。

 ライラの純真無垢で新雪のような性知識の大平原に、ヘーリヴィーネが意図していない知識(異物が)入って(コンタミして)しまった可能性がある。


 これはまずい。非常に拙い。拙くない訳がない。

 想像もしてみろ。

 大真面目な顔して、「赤ちゃんはコウノトリさんが~」とか宣う(のたまう)ヘーリヴィーネ()の目の前で、何かひょんなことからライラの口から教えた筈のない『セ○○ス』なんて単語が転がり出たとしたら!


 もしかしたら、彼女も知らないかも知れないそのワードによって、彼女はまず何を考え、どんな反応を示すのか。

 ……真逆、彼女の性知識がそんなはずはないと思いたいのだが、億に一つのその可能性を否定しきれない。



 「セ○○スって言うのは、雄の陰茎を雌の膣内に挿にあ゛あ゛ぁ゛ーーーー……」



 フィンブリーーーッ!シャーーーラァーーーーーーーップ!!!


 何故其方はそこまで詳しいのだ!!

 其方の母親は単性生殖したのだから処女であろうに!!!

 余計なことを喋るでない!!!


 朕が咄嗟に仕掛けたマインドクラックに目を白黒させて幾度かビクンビクンと身体を震わせて――何故かとてつもなく扇情的であった――痙攣したあと、コテン、と頭から地面に突っ伏すフィンブリーを横目に朕は嫌な汗が滝のように流れてゆくのを感じていた。



 「ナヴィ、いんけ――」



 「忘れなさい」



 普段の調子とは違う厳格な(必死な)雰囲気に、ライラが気圧された様に身をそらす。



 「ナヴィ、いつもと喋り方違ってちょっと怖いよ」



 「いいから忘れなさい」



 圧。



 「……はい」



 とんでもない爆弾を抱えてしまった。

 ライラが口を滑らせないことを祈ろう。


 朕の背後、大海原が広がる水平線の彼方からは、相変わらず雷鳴と重低の衝突音が続いていた。

 多分というかまず間違いなく、リーベラクレアとヘーリヴィーネがじゃれておるのであろう。


 彼女らは何かと反目することも多かったが、なんだかんだで仲が良かったからな。同性同士、色々と解り合う事も多かったようであるし。


 我等は元の目的へと戻る事にしよう。救済軍とやらの屯所を目指すのだ。

 決して、今ヘーリヴィーネと顔を合わせたら、ライラの口からポロッと爆弾発言が出てしまうかもしれない、と言うことではない。

 決して。



 「朕たちは用向きがある故、もう行こうかと思うが、其方も来るか?」



 朕は少し考えてから、猫のようにプルプルと頭を振ってマインドクラックから来る初体験であろう意識の混濁を振り払っているフィンブリーに声をかけた。

 なに、サンダードレイクが如何に強い種とは言え、まだ幼子をこのまま置いて行くのは少し気が引けただけだ。



 「ナヴィ、あの子、誰?」



 チョンチョン、と朕の背筋をつついてライラが見知らぬ顔のフィンブリーを指差す。



 「おお、そうだったな。紹介しよう。さっき超音速でぶつかってきおったのは、このサンダードレークのフィンブリーだ」



 「……どっからどう見てもヒトにしか見えないけど?」



 あぁ、そうか。そこからだな普通は。



 「サンダードレークは普通のドラゴンとは違ってヒトの姿を取ることができるのだ。本来の姿は全高数十ショークは下らない巨体だが、理屈は朕にも良くわからんが、この様にヒトの姿に変化できる。先程ぶつかってきたのは、サンダードレークは速く飛行するものにじゃれついてしまう習性が有るからでな。悪気があったわけではないから許してやってくれ」



 「あー、ナヴィがヒラヒラしたもの見るとつい爪立てちゃうみたいな?じゃあしょうが無いね」



 朕、そんな事した事あったかの?いや、確かにユラユラ揺れるものとか見ると思わず背筋が疼いたりするが。



 「私、ライラ・デアフリンガー・ネルソン。ライラでいいよ。……本当にヒトの姿に化けてるの?そうは見えないけど……」



 「あ、さっきはごめんね。速く飛ぶ物見るとつい……。僕はまだ子供だからまだ小さい方だけど、メタモルフォーゼ(変身)解いたら君達に比べたらとても大きいかもね。見せてあげてもいいけど、今メタモルフォーゼ(変身)解くとせっかく借りたこの服が破けちゃうから……あ、この服もうちょっと借りてても良い?服着るのって初めてだから。カーチャンはメタモルフォーゼ(変身)しても服が破けないんだけど、僕はまだそこまでメタモルフォーゼ(変身)が上手くないから、服をまだ着せてもらえないんだ」



 「気に入ったのなら、良いのではないか?なぁ、ライラ」



 「良いよ。その服は君にあげる」



 本当?有り難う!と無邪気に破顔したフィンブリーは将に特定の業界の方々を軒並解脱昇天させそうな笑顔であった。



 「さて、それでは自己紹介も済んだところで、救済軍とやらの屯所を目指そう。日が暮れてしまうからな」



 ライラを急かして飛行箒に跨がらせて、飛行準備を整えさせる。

 決して、今ライラがヘーリヴィーネと顔を合わせたら、と言うことではない。

 決して。

 良いな?



 「この鉄の塊、さっき僕よりも早く飛んだ奴でしょ?これなら僕もカーチャンに勝てるかなぁ?」



 そう簡単に負けることはないであろうが、其方のカーチャンは負けそうになると平気で荷電粒子砲(ブレス)で殺しに来るから危ないぞ。


 遠くで鳴り響く雷鳴のような轟音に水平線の彼方を不思議そうに見つめるライラを急かして飛行箒の離陸準備をさせる。

 先日、デチューンの際に追加した飛行箒の碩術式を起動すると、ライラが跨った状態で丁度足がつく高さに飛行箒が水平に浮かび上がった。


 この飛行箒は垂直上昇が基本の離陸姿勢であるが、それでは使い勝手が悪すぎたので追加した水平離陸モードである。

 一定の高度以下になれば重力方向と逆ベクトルの斥力を、逆に一定以上の高度に上がると自動的に斥力が切れるようにした。この一定以上の、と言う所に上手く調整するのにとても苦労した。


 荷物台になっているエンジン上のキャリアに荷物を積んで、その上にフィンブリーを乗せる。

 一応荷台にヒトが乗ることも考えて、先日フットペダルも増設した。


 荷物がある分ペダルの位置が遠い筈だったが、手足の長いフィンブリーには調度良い位置のようであった。

 飛行中はエンジンに触れないようフィンブリーに言い聞かせて、朕はライラの肩口に飛び乗り碩術で体を固定する。



 「いくよ?」



 ライラが後ろのフィンブリーに振り返るのに、彼女――彼か?――は実に楽しそうに答えた。



 「バッチコーイ!」



 ……何処で覚えたのだそんな言葉。ライラ、覚えるでないぞ。


 ライラがスロットルを1クリック分開ける。

 すると、飛行箒がゆっくりと前に進みだす。

 先程まで聞こえていた遠雷が、いつの間にか鳴り止んでいた。


 ……何か、不気味だな。


 飛行箒が前進したのを確認して、ライラが地につけていた足をフットペダルに引っ掛けて、いつもの前傾姿勢になる。


 スロットル開度2クリック目。

 するすると大人の速歩程度だった速度がぐんと上がり、エンジンが上げる轟音と共に見る見るうちに早馬よりも速く飛行箒が駆け始めた。


 ライラの眼前に設置された速度計の針はぐんぐん上昇し、時速約100km/h(約54kt)を超える。離陸初期速度(V1)到達である。

 速度計が時速約150km/h(約80kt)を超えた辺りでライラが一度朕を確認するように肩口に目線を走らせた。

 機種上げ速度(VR)到達である。


 朕が頷いてやると、ライラはゆっくりとハンドルを操作してピッチアップを始める。

 フワリとした一瞬の浮遊感を確認してから、ライラがハンドルを大きく引き付けると共に、スロットルを3クリックまで開ける。


 エンジンが劈く様な唸りを上げ、急激に地面が遠のいていく。強烈な加速感が朕たちの身を大地へと引き剥がそうとするのに耐えつつ、そう言えば後ろのフィンブリーは振り落とされておらんだろうかと後方を確認すれば、彼は両手を叩いて楽しそうにキャッキャとはしゃいでいた。まぁ、彼にとって見ればこの程度の速度はちょっとジョギング、位の速度であろうからな。

 飛行風が五月蝿すぎてなにか叫んでいるようだが全く聞こえないが。



 『これ!面白いねぇ!』



 と、思ったらフィンブリーからチャントが飛んできた。

 こ奴、チャントが出来るのか、と言う驚きよりも、先程マインドクラックを掛けた時点で分かっていたが、こ奴碌な思考迷宮も組まずにチャントを使っておる。


 リーベラクレアもそうだったが、サンダードレークは種族として意思疎通にチャントを使う。

 同族同士ではそれで良いとしても、ヒトと会話する時にチャントを使うならキチンと思考迷宮を組まないのは無防備過ぎた。

 嘗てリーベラクレアの時もキチンと思考迷宮を組む週間を教え込むのに苦労したものだ。


 サンダードレークとヒトでは思考が違いすぎて生半可な業ではマインドクラックは成功せぬが、朕の様にサンダードレークと接したことがある者は容易に仕掛けられよう。


 後でこ奴にも教育する必要があるな、などと朕が考えている時であった。

 ライラは順調に離陸シーケンスを終了して高度約300ft程度で水平飛行に移行しておった。


 ズーム上昇しながら徐々に高度を上げつつ速度は上がり続け、さてそろそろ超音速(ブレイキング)到達か(サウンドバリア)、と言う所だった。


のだが。











 『おい根暗女!いい加減、ヒトの背中から降りろ!』



 右に左に激しくジグザグに飛行しながら、時折バレルロールを入れたり背面飛行してみたりと、背中に乗った(わたくし)、ヘーリヴィーネを振り落とそうと、リーベラクレアがこれでもかと激しい空中機動(マニューバ)を繰り返しますが、この程度の加速度では私はビクともしませんわよ。



 「あっ!ほらほら、アレアレ!陛下の飛行箒ですよ!横に付けて下さいな」



 超音速で加速し続けるリーベラクレアの背中から屹立する身の丈ほどもある巨大で黒光りする鱗の間から前方を飛ぶライラたちが乗っているであろう、陽光を反射して透き通るような真紅に輝く飛行箒を視認いたしました。



 『ヒトの事をタクシー(キャブ)扱いするなッ!!!』



 「早く加速なさいなこの馬鹿蜥蜴。こののろま」



 なかなか陛下とライラの乗った箒との距離が縮まらない事に若干の苛立ちを覚え、私は掌で馬鹿蜥蜴の黔々した鱗を力任せにペチペチと叩きます。

 あらやだ。欠けちゃったわ。



 『ぐえっ?!貴様ぁぁぁぁ!質量充填して(威力マシマシで)叩くんじゃない!!!』



 悔しそうに精一杯首をひねってこちらを恨めしげに睨む馬鹿蜥蜴の渋面を見ながら私、気づいてしまいました。

 今私が居る場所は、多分馬鹿蜥蜴ではどうやっても手が届かない場所の様です。


 丁度、対になった黒い巨翼の付け根と付け根の間ぐらい。ヒトであれば肩甲骨の間辺りでしょうか?

 相当体が柔らかくないと満足に触れられない場所です。

 良い場所を見つけてしまいました。


 今度からこの馬鹿蜥蜴がメタモルフォーゼ(変身)したら、ここに陣取ることにいたしましょう。

 などと馬鹿蜥蜴の弱点を見つけて思わず口角が上がるのを感じていると、なにやら馬鹿蜥蜴の背中を覆う分厚く巨大な漆黒の鱗がなにやら金属が擦れるような不気味な音を立てながら疼き始めました。



 『あ……これ、駄目』



 などと、消え入りそうな声でしおらしくそう呟いた馬鹿蜥蜴。急に発情したおぼこみたいな声を出してどうしたのかしら。



 『ぁぁぁぁぁぁああああ゛あ゛あ゛あ゛!この位置は!……抜かないと!あの箒抜かないと!』



 あ、もしかして、私たちとライラたちの飛行箒の位置取り。



 『このままだと……(われ)、男の子になっちゃうッ!!!』



 確かに今の私たちとライラたちの飛行箒の位置関係は、私たちがライラたちを追いかけているように見えますわね。


 あら?


 もしかして、サンダードレーク的にはこの位置取りは既にスタートが切られてる感じなのでしょうか?

 という事は?


 このままライラたちをこの馬鹿蜥蜴が追い抜けなければ、馬鹿蜥蜴はオスになって、万事解決なのではないですか?


 馬鹿蜥蜴が悲鳴のように上げた咆哮を聞きながら、私はゆっくりと拳を握り込むのでした。











 背後から爆風のごとく轟く咆哮に、朕たちが思わず後ろを振り向くと、そこには槍の穂先の様な鋭い牙を剥いた巨大な黒いサンダードレイクが今にも朕たちを噛み砕かんと迫っていた。



 『あ、カーチャーン!』



 『ぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!ナヴィ何あれっ!?!?』



 『なんじゃ?!なんじゃ?!なんかよくわからんがライラ、フルスロットルだっ!!!』



 陽気に背後から迫り来る黒い巨山を手を振るフィンブリーを横目に、ライラがスロットルを6クリック目(フルスロットル)まで開ける。



 「え?……ぅあああああああああああ!!!!」



 あ、しまった。

 リミッター外しておったのを忘れておった。


 尻を蹴られたかのような爆発的な加速を開始した飛行箒に、完全に置いて行かれてぶら下がる様になってしまったライラをマジックハンドでキャッチして、飛行箒の制御を掌握する。



 『スゴイスゴイ!カーチャンより早く飛んでるよ!』



 後席ではしゃぐフィンブリーに煽られるように飛行箒は加速し続け、背後より迫り来る黒い巨体を引き離し始めた。



 『貴様ぁッ!加速するな!抜かせろ!吾に抜かせろ!でないと吾は……ぬぁ?!大年増何をする?!?!』



 背後の巨体が何かにぶん殴られたように垂直に高度を落としたかと思うと、怯まずに再加速を開始する。



 『貴様ぁ!止まれぇ!頼むぅ!!後生だからぁッ!!!』



 先程にも増して強烈な咆哮を上げながら猛然と追い縋る黒い竜が大口を開けてガチガチと牙を鳴らし、今にも朕たちを噛み砕かんと迫り来る。

 その様は将に小鳥を今にも飲み込まんとする食物連鎖の頂点の姿でしか無かった。



 『待て待て待て待て!何があったか知らんが落ち着け!』



 瞬間、背後で爆発的に増大する閃光を感じたのに、咄嗟にバレルロールを入れて回避機動をとる。



 GRRRRVAAAaaaaaaaalalalalalalaaaa!



 と、刹那の間をおいて朕たちの横をまばゆい閃光が轟音と共に駆け抜けた。

 こ奴、朕たちを撃ち落とす気である!



 『……カーチャン本気だ』



 手が届くところを駆け抜けた荷電粒子の本流を見て震え上がるフィンブリーとライラ。



 『避けるなぁッ!』



 『避けるわッ!』



 次発を口腔に蓄え始めたリーベラクレアを見ながら、朕は必死に次の回避行動を取るのであった。











 その日、凡大陸救済軍(PCSA)にて大尉を拝命する小官、オフェーリア・ミーシェコーヴァは自身の預かる中隊に属する隊員の安否について、戦死(KIA)の判定を下すかどうかの選択を迫られていた。


 行方不明になっている隊員はマリア・エレディア。

 凡大陸救済軍(PCSA)に所属する数少ない碩術師であった。

 彼女は二週間程前にカデン高原にて勃発したテルミナトル帝国とラサルトス邦国との戦争に際し、周辺に点在する集落などに救援物資を運搬する任に就いていた。


 カデン高原にはエールスリーべ教団の運営する修道院や僧院が点在しており、戦闘によって集落から逃げ延びてきた人々を多数収容していた。

 中には逃亡兵や負傷兵が駆け込むことも多く、またカデン高原の地形上後方の病院や療養所に負傷兵を搬送するのは困難で、最近ではカデン高原に点在する修道院や僧院には、前線で対処できない負傷兵や既に事切れた亡骸が夜な夜な捨て置かれる様な状況が起こっている。


 その事実に怒りを覚えたが、一人でも多くの人命を助けられるのは飛行可能な碩術師を擁する我ら凡大陸救済軍(PCSA)だけであった。


 小官たちは常備してあった医薬品を飛行可能な碩術師たちに持たせて、各地の修道院や僧院に経空輸送にて配って回る事にした。

 現地に到着した隊員からは想像を絶する悲惨な状況が次々と報告され、その寒気を催す内容に小官たちは戦慄した。


 更には、昼夜を徹して医薬品輸送や食料の輸送に奔走するも、一人の碩術師が運搬できる物資などたかが知れている為、輸送力が絶対的に不足していた。


 とは言え、この経空輸送を辞めるわけには行かない。

 特に医薬品、消毒用のアルコールは一瓶有るか無いかで多数の人命を救うのだ。


 戦場の負傷で最も致死率が高いのは感染症なのだから。

 そんな中、不眠不休で飛ぶ輸送要員の碩術師たちの中から、音信不通になる者たちが出始めた。


 疲労で墜落した可能性も有るし、戦場の上空を飛ぶのであれば、例え正十字章(衛生要員の証)を着用していても、地上から攻撃を受ける可能性はある。


 ジリジリと増える輸送要員の被害と、減り続ける輸送力に頭を抱えていたところに、テルミナトル帝国とラサルトス邦国が互いに空域封鎖を行ったとの報告が入り、途端に輸送要員の被害が激増した。


 マリアは生き残っていた数少ない飛行可能で、更には医療訓練を積んだ数少ない碩術師の一人だった。


 その貴重な戦力の一人が10日以上音信不通であった。

 今朝もチャントを試みたが、応答は無かった。


 その結果に肩を落とし、凡大陸救済軍(PCSA)カドリオルグ支部の執務室で彼女に関する記録にKIAの文字を刻まねばならない事に懊悩していた昼前の事だった。


 耳を劈く轟音が頭上を駆け抜けたかと思うと、暴風のような空気の圧が執務室のくすんだガラス窓を震わせた。

 何事かと、支部の人員を方方に走らせて状況把握に努めていると、外に走らせた一人の隊員が息を切らして帰ってくるなりこう言った。



 「マリアは生きているそうです!」



 その隊員から事情を聞くと、マリアを保護した碩術師の少女がそれを知らせる為にやって来た、と言うのだ。


 主よ、感謝します!

 と、毎朝礼拝する際に見上げる主の御聖影に胸の中で感謝しながら一階のホールへと降りると、そこには先程感謝を捧げた御聖影があった。



 「貴様、先程は良くもやってくれたな。絶対に復讐するからな!」



 「あのままオスになってしまえばよかったのに、陛下のお優しさに感謝しなさいな!」



 なんかやけに露出の多い褐色の大女と何やら怒鳴り合ってた。


 なにこれ?どんな状況?

 あ、あの褐色の大女の影に隠れてる子、メッチャ可愛い。イケメン。



 「……騒がせてスマンの。後ろのはほっといてくれ」



 そんな訳のわからない状況でそう話しかけてきたのは、身の丈よりも大きな金属の飛行箒にグッタリと凭れかかった飛行服姿の黒髪の少女の肩に乗った一匹の黒猫であった。


 しかも、なんか体毛が所々パーマをかけたみたいに縮れてる。

 ネコガシャベッテル?

 なにこれ?なんなの?


 情報過多過ぎて小官の混乱はしばらく続いたのだった。

24/6/17

タイプし難かったんでPCSAの大尉さんの名前を『アリツェ』→『オフェーリア』に変更しました。

あ、これネタバレになりますかね?

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