# -1956
はっちゃけすぎました申し訳ありません。
(あまり本筋には関わらない話になります)
私、へーリヴィーネは、初めて陛下に私以外の生徒が居ることを知った時の事を未だ鮮明に覚えております。
時は未だ陛下がご存命の時分。まだ齢も五十路を数えた辺りで、お体も矍鑠としていらっしゃいました。
その頃の私は、陛下のお陰でようやっと世界の理の一端を認識し、自身以外にも世界には様々な存在が在る事を知り、ヒトと言う隣人たちが織りなす社会という複雑で飽くる事のないショウを夢中で観覧している気分でした。
陛下は政務で多忙を極めておられましたが、どんなに忙しい時でも必ず週に一度、一刻ほどお時間を作って下さいました。その一刻の間、その週に見聞きしたあれやこれやを述べつ幕無しにまくし立てる私の話を聞いて、時に相槌ち、時に解説や意見を交えた講話を行ってくださったり、私に世界というものの理を少しずつ説いてくださっておいででした。
その一刻の間、私の周囲には何物にも代え難い、至福の時間が流れておりました。
そんな素敵な時間を陛下と共に過ごす内、私は私の中にいつの間にか渦巻き始めた如何様にも表現の出来ない不思議な感覚が、ヒトの言う『感情』というものであり、なお且つそれが己が特別なヒトにのみ向けられる、特別で崇高な『感情』である事に、私は次第に気がついてゆきました。
陛下と共に時を過ごすごとに少しずつ、少しずつ募ってゆく、如何ともし難い、まるで熱病のように胸を熱くするくせに、まるで汚物の絡みあった血痰のように、喉の奥ににこびり付いてどうしようもなく息を詰まらせる、その制御不能の感情を、当時の私はどうして良いのか解りませんでした。
幾ら嘔吐いても喉の奥の奥、胸の深い何処かにこびり付いたまま一向に剥がれないその感情は、ふとした瞬間に現れたくせに、まるで癌の様にどんどんと大きくなって私をどうしようもなく動揺させました。
その頃の私は、優しく流れる温かい刻の中でゆっくりと溺死していく様でした。
段々と詰まる胸を何とか上下させながら、私は必死で呼吸の仕方を模索しておりました。
陛下の手助けとなるよう、陛下への御恩を砂の一粒でも返せるようにと、皇帝府の官吏へと志願したのはその頃のことでした。
溺死する寸前の私は、仄暗い水底で藻掻くように、手に触れた何かを必死で手繰り寄せているようで、その実、少しでも陛下と共に居られる時間を手にしたいがために端なく足掻いたのでした。その行為は、更なる水底へとその身を沈めゆくだけなのだとは露知らず。
陛下に無理を申して官吏の末端で使い走りの様な仕事を任される様になり、確かに陛下と過ごす時間は増えました。と言っても、これまで通り週に一度の一刻程のひととき以外は、ただ同じ空間に居ると言うに過ぎない程度のことでしたが、それでも私は幸福を感じておりました。
藻掻くように、足掻くように、我武者羅に公務をこなして時は流れ、一年が過ぎ、十年が過ぎ、私が担う責務は日増しに増え、二十年が過ぎる頃には私は常に陛下の一歩後ろに控えるまでに成っておりました。
その頃には、週に一度の一刻の至福のひとときも、最初の頃のように私が述べつ幕無しに捲し立てるのではなく、ただ無言の二人の間に静かで穏やかで、幸福な時間が流れるようになっておりました。
私は幸せでした。
それでも。
私の胸の奥に溜まリ続けてゆくその澱は、変わらず私を窒息させようと、日々重く、大きくなり続けていたのです。
その頃の私には、そのこびり着く“澱”の原因が段々と見当がつくようになりました。数十年の月日と、経験が、その心当たりを見いだせるようになっておりました。
一歩。
そう、一歩。
私は踏み出さなければなりませんでした。暗黒の水底で息絶える前に。
その一歩を、絶壁から身を投げる想いで踏み出そうと決意したある日。
私は皇帝府の宮殿の廊下で、在る一人の少女に出会いました。
「は……はじめまして!へーリヴィーネ様!わわわタクし……あああアリシア、と……申します!」
それは十にも満たない幼い少女でした。まるで、家庭教師から逃げて来たら怖い家政婦長に見つかってしまったヤンチャな貴族の子供の様に、四辻で出会い頭にバッタリと出会ってしまった私を、その少女は怖々と首を竦めて伏し目がちに仰ぎ見ておりました。
皇帝府の、それも宮殿内にそんな幼い少女が居るはずがありませんでした。
何故なら、仮にも『帝国』皇帝陛下のお住い。警備は頗る厳重ですから、迷いこむなんて在り得ません。陛下は未だ正妻を娶られてはおられませんでしたから、宮殿に幼子が居る理由がありませんでした。
妾の子?そんな筈はありません。何故なら、この皇帝府内は一日十二刻、常に私の全周探査範囲内に在ったからです。陛下は常に私の監……私は陛下を陰ながらお守りしていたのです。陛下に近づこうとする悪い虫も、事前にそっと避けて(物理)参りました。ついでに、私の記憶では数十年ほど、陛下は当時の皇帝府を出た事は御座いませんでした。
――いつどこで囮を掴まされたっ!?
私は混乱しました。混乱しながら、脳裏に格納したここ数十年の記憶を必死で精査しました。
でも、何処をどう精査しても、不審な点が唯の一度も見当たりません。
これは、明らかに、してやられている。
その答えに行き着いた瞬間、私は全てを悟りました。
「はじめまして、アリシア」
このアリシアと言う少女は、二号です。
全てを悟った私は、私の顔を見て真っ青になりながら涙を浮かべてカタカタと震え出したその少女を、そっと、優しく抱き上げると、私の全周探査範囲の中で今現在陛下が居られる書斎へと赴きました。
私の腕の中でカタカタと小刻みに震え続けるアリシアを優しく撫でながら、私は心の中のくだんの澱が、ユックリと鎌首を擡げていくのを感じました。
途中、何処からともなく、週に一度のあの一刻の間、私の名だけを呼んでいた優しいあの声が、『アリシア』と呼ぶ声が聞こえてきました。
私は己の顔面に刻まれた溝が、深くなっていくのを感じていました。
私の全集探査範囲では、その声のする方向には、誰の存在も感知することが出来ておりませんでした。
ゆっくりと、ゆっくりと、私は歩を進め、廊下の曲がり角の向うまでその優しい声が辿り着いた所で、私は歩みを止めました。
いつの間にか居なくなってしまったアリシアを探していたのでしょう、曲がり角からひょっこりと顔を出した陛下は私を認めて一瞬だけ呆けた後、とても前衛的なお顔をされておりました。
嫌ですわ。
私、怒っておりませんのよ。
陛下は私みたいに、身寄りの無い幼子に『世界』を説いて、孤独から救いだそうとしていらしたのでしょう?
そんなこと、見れば解りますわ。
何年、お側に侍っているとお思いですか?
だから。何も。欠片ほども。
例え。私への秘密が。有ったとしても。
その事は。少し悲しいと。
悲しいと。思っておりましても。
ただの少しも。怒っては。おりませんことよ。
流れるようにドゥゲー座の構えを取った陛下の後頭部を見下ろしながら、私は微笑みました。
腕の中の幼い少女を改めて見れば、つぶらな瞳で見つめ返してくるその幼面はなんとも可愛いらしいではありませんか。
額を床に擦り付けて何か早口で捲し立てる陛下の脇を無言で通り過ぎて、私は歩を進めました。
後ろから私の名を呼びながら何かを頻りに宣う陛下の声が追いかけてきます。
ですから。私。少しも。怒って。おりませんことよ。
腕の中のアリシアが、震えるのを止め、じっとこちらを観察するように私の顔を覗き込んでくるのに、ニコリと微笑み返すと、アリシアはまるで向日葵が咲いたような満面の笑みを見せるではありませんか。
なんと尊い笑顔でしょう。私、少し気負いが過ぎていたのかもしれません。
今この状況だって、端から見れば、それこそ我が子を抱いた母親と、夫…………嫌ですわ。
私が。そんな。
陛下の。
正妻だなんて……………………………。
…………………………………………。
………………………………………。
……………………………………。
…………………………………。
………………………………。
……………………………。
…………………………。
………………………。
……………………。
…………………。
………………。
……………。
…………。
………。
……。
…。
宜しくてよ。
私が、この娘を育てましょう。えぇ、貴女は今から陛下の正妻である私の娘です。
……何か腰に縋り付いてピーピーと喚く豚が居りますが、何でしょう?
私は腰に縋り付く重りを引きずりながら、私の全周探査で、先程からずっと変わらず、陛下の反応が在る、陛下の執務室の扉を押し開けました。
そこにあったのは、こちらに向けられた八対の瞳たちでした。
円形に並べられた勉強机でお行儀よく教科書のような小冊子を開いていた粒楽な瞳たちが、びっくりしたようにまん丸に見開かれてこちらを見上げております。
私は彼女たちに優しく微笑んだあと、ユックリと息を吸い込んで――――
その日から10日間、皇帝府はその全機能を喪失致しました。
◆
陛下には困ったものです。
本当に、本当に困ったものです。
まったく、まったく。困ったものです。
いつ何処で5人も幼子を拾ってきたのでしょう。
どうせ、どうせ、地上の彼方此方にお忍びでお出掛けになっては、面白半分に厄介事に首を突っ込んでおられたに違いありません。
私なんて、一度もお誘い頂いておりませんのに。
おりませんのに!
などと、プンスコしている暇は私にはございませんでした。
世に普遍的に生きている母親と言う生き物はなんと偉大な存在なのでしょう。
私、母になろうと決意は致しましたが、五人も一度に子供が出来るとこんなにも大変なのかと身を持って実感いたしました。
これ程予測不可能なカオスの塊でありながら、これ程脆弱な存在があるでしょうか?
少し目を離しただけで、転んで大泣きしたり、池に落ちて溺死しかけたり、真冬に雪まみれで外で遊び倒した翌日に熱病で生死の境を彷徨ったり、隠れて異形の怪物に餌付けしたら特異点に喰われて消滅しかけたり、妖精に拐かされて存在確率変動で変成しかけたり、毎日が天手古舞です。
ほんとに、こんなに手がかかるとは思いもしませんでした。
当時、まだ発足したばかりの星征艦隊には何度もお世話になりました。彼女たちは捜索に移動に飽和艦砲射撃にと、とても心強い存在でございました。
陛下は娘たちに対してはどんな時でも「良い。其方の思うようにしてみろ」なんて何でも許してしまうものですから、娘たちの面倒を見ているコッチは毎度毎度大変です。
何度もお控え下さいませ、と御注進致しましたのに、しばらく経つとコロッと忘れて「誰々が居ない!」、などとてんやわんやです。
しかし月日は経ち、そんな手の掛かる娘たちもいつの間にか成長し、一人、また一人と、一人前の淑女として私たちの元を旅立ってゆきました。
……旅立っていった、筈なのですが。
何故か、娘たちが、一向に減りません。
陛下!犬や猫じゃないんですから!
ポンポンポンポン次から次へと身寄りのない子を拾ってこないで下さいまし!
などと、何度御注進申し上げても私の全周探査を誤魔化しては地上世界に降りて、新しい子を拾ってきてしまうのです。
……本当に拾ってきているんですよね陛下?
まぁ、地上世界は天上世界とは違ってまだまだ文明レベルが低いですから、口減らしやら戦争やら、疫病などで子供は簡単に帰る家を失ってしまうか弱い存在でしたし、仕方が無かったのかもしれません。
むしろ、陛下は地上の身寄りのない子供を教育して地上世界に還す事で地上世界の文明レベルを底上げしようとしているのかもしれませんでした。
そんな、目まぐるしい毎日を過ごしている頃でした。
在る昼下がり。私が官吏達と帝国の幾つかの取るに足りない諸問題を解決するために討議を行っている最中でありました。
皇帝府は高度が高いために、窓の外は地上よりも一段と濃い一面の青空でした。
喧々諤々の議論を続ける官吏たちをよそに、私はふと、その青い空を眺めて一心地ついていたのですが、その視界の隅を一筋の雲を引きながら何かが飛んでいきます。
目を凝らせば、陛下が飛行箒に乗って皇帝府へと帰ってきたご様子でした。
……ちょっとお待ちになって下さいまし?
陛下は随分前から執務室で決裁を行っているはずですが?
いくら全周探査範囲内を精査しても、陛下の反応は数刻前からずっと執務室で政務をこなされておられます。
「一旦休憩!」
私は官吏たちにそう宣言すると、一目散に会議室を出て陛下の元へ馳せ参じます。
毎度毎度、どうやって皇帝府を抜け出しているのか。何度その方法を尋ねても「まだまだ其方も修行が足りぬな」等と仰ってはぐらかされます。
今日こそは、しっぽを掴んでとっちめてやらねば成ません。
と、勇んで陛下の執務室の扉を蹴り開けたのに、そこには静まり返った室内にぺったんぺったんと間の抜けた音を響かせていた陛下が、私の入室に手元に落としていた視線を上げてこちらを見やるのでした。
将に、そんなに慌ててどうかしたか?とでも言いたげに。
騙されませんわよ!すっとぼけた顔して、お顔は霞で薄く汚れておられますし、御髪は手櫛のみでは隠し切れない乱れが見えます!お召し物だって妙なシワができていますし、努めて冷静に振る舞っておいでですが、ここまで走っていらしたのか、隠し切れずに肩が少し上下しております!
さぁさぁ私に隠れて何処に遊びにいらしていたのか、ご説明して頂こうじゃぁありませんか!
と、私が一歩を踏み出す毎にそのお顔が少しずつ引きつって行く様に満面の笑みを返していると、とても大きな振動を感じました。
執務室の書棚から幾つか書籍が落ちるほどの揺れでした。
皇帝府は空中に浮いているので地震の可能性はありません。
であれば、この振動は何でしょう?
爆発?攻撃?
反撃で国の一つくらい地殻ごと吹き飛ばされる(物理)覚悟でなければそんな事をする輩は居りません。
ということは、何が原因でしょうか?
……陛下。何故、そんなに盛大にご聖顔をお引きつり遊ばしておられるのです?理由を詳しくご説明頂いても?
と、陛下の胸倉を掴んで襟を締めながら揺すっていると、
「ゴラァ!クソジジイ出てこんかい!吾しゃまだ負けてねぇぞぉ!」
などと、外からお下品な声が聞こえてきます。
あぁ、もう嫌ですわ。
陛下ったら、引っ掛けてくるならもう少し民度の高い娘を引っ掛けて来てほしいものです。
仕方がないのでグッタリと動かなくなった陛下の襟首を掴んで引きずりながら外に出てみると、皇帝府の敷地の外、浮遊島エーデルワイズの地表に山一つ分くらい有ろうかと言う程の巨大な害獣、サンダードレイクが降り立っておりました。
そのサンダードレイクは、見るからに息も絶え絶え、限界速度を超えて加速し続けたのか、空力加熱で体のアチラコチラが赤熱化して、中には押し潰された様に変形してしまっている甲殻も有るようでした。
その姿を見て私はすべてを悟りました。
サンダードレイクは空を高速で飛行するものにじゃれつく悪癖があります。
特に高速で運動するものを見るとなりふり構わず競争を始めるのです。この悪癖のお陰で『帝国』の少なくない数の飛空艇がバードストライクならぬドラゴンストライクを受けて沈んでおります。
もしかして、その内の幾つかはこのサンダードレイクが原因ではありませんこと?いえ、サンダードレイクの個体数は以前行った調査では確認できない程に少ないようでしたから、もしかしたら全部この馬鹿蜥蜴のせいかもしれません。
そんな害獣が、お忍びで飛行箒でお出かけになった陛下と出会って、勝負を挑み、完膚無きまでに負かされたのに、往生際悪く皇帝府まで陛下を追いかけてやってきてしまったのでしょう。
サンダードレイクは生まれた時はすべての個体がメスです。
しかし、競争で負けてしまうと、彼らは雌雄が反転してしまいます。
一度も負けたことの無い最も速いメスが他のオスを囲って群れのハーレムを形成し、最も早いオスと交尾して次世代を生む、そんな変わった生態をしております。
生存競争で勝つ気がさらさら無いようにも見えますが、元が非常に強力な種なので関係ないのでしょうか?
眼の前のサンダードレイクが先程から仕切りに内股でプルプルしているのはオスになりかけているからでしょう。
でもまだ負けは認めていない様なので、未だ何とかメスの体を保っている、と言うところでしょうか。
面倒くさいですわね。
正直、これだけ弱っているのであれば、今後のことを考えればここで縊り殺してしまった方が良いのですが、そうするとこのサンダードレイクが属する群が唯一のメスを失って絶滅する可能性があります。
一度オスになるとメスには戻らないらしいので。
陛下も種の保存と言う概念を殊更大切になさっておりますし、仕方がありません。
大きなため息をひとつついて、私は右手に下げた陛下をペイッとそのサンダードレイクの方へ放ってやります。
べしゃり、と柔らかい音とともに潰れたヒキガエルの様に地べたに大の字になった陛下を見て、サンダードレイクが目の色を変えました。
「クソジジイィィィィィ!!!!」
まるで砲声のような声を上げて、サンダードレイクの体が紫電を纏い、将に砲弾の如くその躰を陛下に向かって打ち出します。
サンダードレイクは推進力を得るための内燃機関などは持っておらず、自身の周囲に強力な磁場を発生させて電磁誘導を行うことで推力を得ているので、サンダードレイクが飛ぶだけで周囲は静電気でバチバチになってしまいます。
嫌ですわ本当。髪の毛が逆立ってしまいます。
袖を振って消磁処理をしつつ、そっと陛下には理論絶対防御結界を展開しておきます。流石にそのままだとタダでは済まなそうでしたので。
砲弾の様に瞬間的に加速したそのサンダードレイクは、倒れ伏した陛下の真上を超音速でかっ飛ぶと、そのまま躰を反らして垂直上昇、
「吾の勝ちだぁぁぁぁぁぁ!!!」
と、ドップラー効果で言い残して飛び去ってゆきました。
全く、騒々しい娘でした。
ですが、幼気な(?)娘を陛下の魔手から守り抜き、なお且つ種の保存に貢献する事が出来ましたので良しといたしましょう。
陛下の襟首を掴んで引き摺りつつ、満足気に宮殿へと帰るその時の私は、この先、この時の選択を何度後悔するのか露ほども知らないのでした。
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