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朕は猫である  作者: 名前はまだない
44/70

#44

 名も知らぬ碩術師(アレイ)を助けてから、実に10日が過ぎていた。


 彼女は昏々と床に就いたままである。

 朕がもしもの時の為にアリアドネに依頼してライラ用に用意してもらっていた『帝国』製の医療ナノマシンの予備――ライラには既に投与済みである――を投与してあるので、名も知らぬ碩術師(アレイ)の外傷は直に治るであろうと思われた。


 問題は内臓である。

 彼女が引き起こした失血性のショック症状というのは、人体にとっては致命的なダメージを与え得る、とてつもなく致死率の高い症状である。


 血液は体内の細胞に酸素を運ぶ媒体であり、これが不足した状況では如何に高度な医療用のナノマシンを投与しようと意味がないのだ。


 一時はどうなるかと思ったが、どうやら輸液は救急救命キットに入っていた分――あのアリアドネが用意した救急救命キット(オレンジ色の鞄)には転送機能があって、内部の物を使用すると同じ物が自動的に補充される仕組みらしい。


 多分キャスリング(空間転移)を使ったギミックであろう――で最終的には足りたようであったが、何分彼女が失血し始めてから秘密基地に運びこむまでに時間がかかってしまったせいで、如何にヘーリヴィーネが不可視の何かを捕まえて見せたとしても、彼女の体が負ってしまったダメージは相当な物と予想出来た。


 今はヘーリヴィーネが付いて面倒を見ていたが、いつ目覚めるかは――ヘーリヴィーネもいつ目覚めるかは判らないらしいので――神の味噌汁ですらなかった。


 特に不自由があるわけではないので、朕たちとしてはそのまま名も知らぬ碩術師(アレイ)が目覚めるのを気長に待っても良かったのだが、どうやらアリアドネによれば、アレイが身に着けていた腕章のマークに心当たりがあるとかないとか。



 「彼女は多分、『凡大陸救済軍(PCSA)』の所属だと思います。彼女の付けていた紋章は凡大陸救済軍の物ですから」



 アリアドネの語った所によると、アレイが身に着けていた腕章に描かれていた赤い盾に白抜きの正十字の紋章は、地上世界を活動圏とする人道支援団体が使っている紋章らしい。


 元はエールスリーべ教団の分派から立ち上がった団体で、戦場になった地域の住民に食料や医薬品を運搬したり、戦後の生活支援を主な活動目的としており、弾丸飛び交う戦場の真っ只中でも救急救命活動をする中々硬派な団体らしい。


 その為、内部組織を軍隊式に管理している為、救済『軍』を名乗っているのだとか。

 モットーは『Mori(不屈) Invictus!(なれ!)』と、モットーだけ聞けばどこぞの特殊部隊かと思う程元気の良さそうな組織である。聞いたところ所帯はそれ程大きくは無い様であったが。


 彼女の出自が何となく判った所で、新たな問題が浮かび上がった。それは、アレイが負傷して臥せっているせいで、もしかしたら彼女が向かうはずだった地で、彼女が届けるはずであった食料や医療品が届かずに命の危機に瀕している者達が居るやもしれぬという事だ。


 まぁ、赤の他人の事なので朕としては知らぬ存ぜぬを決め込んでも良いと思ったのだが、こうして偶然とは言え出来てしまった縁を無碍に突き放すのも何やら面白くない気もしておった。

 そんな折、寝所に入ったライラが眠りに就くまでの僅かな一時、茫洋と梁が剥き出しの秘密基地の天井を見つめながらふと、ライラは朕に問い掛けた。



 「ねぇ、ナヴィ。あの人(アレイ)が運んでた物、届かなかったら、どうなるのかな?」



 それは純粋な人々が生まれた時から持つであろう『仁』と『義』と言う感情から出た言葉であったのであろう。

 朕はライラがその様な感情を持ち得て、それを言葉に出来たことが嬉しかった。



 「気になるかの?」



 「困ってないかな?」



 「困っておるやもしれんな」



 「……私が代わりに届けたり……出来ないかな?」



 それは、自身の感情と行動が正しいのかどうかを判断しかねている、と言ってしまえばそれまでではあったが、それは幼子故に当然のことであった。


 寧ろ、朕たち大人がその判断が正しいのかどうかを身を持って示し、導いてやらねばならなかったのだ。

 自身の不甲斐なさを痛感するばかりである。

 であるならば、俄然行動すべきであった。



 「明日、その凡大陸救済軍とやらの屯所を訪ねてみるか」



 朕の言葉を聞いて、ライラは満面の笑顔と共に頷いたのだった。











 あくる朝。

 名も知らぬ碩術師(アレイ)は相変わらず、昏々と静かな寝息をたてるのみであったが、朕たちは早起きして飛行箒に跨っていた。

 紫紺に染まる払暁の空を南東に向かって飛ぶ。


 気温が上がっていないのでなるべく低空を行く様に、飛行高度は300ft程度を維持する。

 この高度だと地形に沿って上昇したり、下降したりを繰り返さねばならず、飛行距離が伸びるので効率は良くない。その分パイロットにも負担がかかるのだが、致し方ない。


 何せ、先日の様に哨戒部隊が飛んでいる可能性があると判れば、迂闊に高度を上げるとまたあの国境警備隊の様な奴らに絡まれる恐れもある。

 絡まれたとて、返り討ちにする事は簡単なのだが、出会わないに越したことはない。


 聞けば、朕たちの秘密基地から一番近い救済軍の屯所は国境を超えて、隣国のビルニェス大公国を通り、その南に位置するカドリオルグ王国と言う国に在るらしい。

 直線距離でも1,200オクス以上(1,000km以上)あるからして、元々一日でたどり着くのは不可能な道程である。野営でもしながらのんびり行こうと思っておる。その為の道具もきちんと飛行箒の荷台に括り付けてきた。


 だいぶ枯れ木が目立つ様になった森の上を飛び、嘗て朕が召喚された日の夜に遠目に眺めた山脈――先日立ち寄ったカデン高原の街・カーシスバーグ辺りからこの国の南側をぐるりと囲うように伸びるシエライサベリア山脈の東端にあたる様である――の麓で一泊することにする。


 植生が変わる際の沢を見つけて降り立つと、早速石を積み上げて小さなカマドを拵え、アリアドネに揃えさせた金属のポットに水を汲んで沸かす為、ライラに碩術で火を熾させる。


 本日のメインディッシュはここに来る途中に狩ったライチョウのグリルである。途中で血抜きはしたのでパパッと捌いて腿はそのまま、他はぶつ切りにしてスキレットに放り込んだ。


 味付けは、最近ヘーリヴィーネが拘り出してから秘密基地の調理場に日に日に増えていく調味料を少しずつ小分けにして持ってきたので、今日は豪華にニンニクを利かせた醤を刷り込み、胡椒と岩塩で締める。巷では山賊焼とか呼ばれるモノである。


 レディには倦厭されがちだが、野趣溢れる味が朕は気に入っている。猫はニンニクがダメなので朕の分はニンニク抜きなのが残念ではあるがの。ライラには後でレモングラスでも噛ませておこう。


 ヘーリヴィーネが焼いてくれたクラッカー状のビスケット(携帯食)に、やはりヘーリヴィーネが野営すると聞いて心配してこさえてくれた、形がなくなるまで煮詰めたビタミンたっぷりの野菜スープを水筒からシェラカップに移して温め直して夕食の完成である。


 ニンニク抜きの山賊焼は少々パンチに欠けたが、ライラはうまいうまいとがっついていた。レモングラスを多めに噛ませんとな。

 へーリヴィーネの作った野菜スープも絶品であった。まぁ、あのアホみたいに増えた調味料が遺憾なく投入されていると考えても、美味かった。これ、野菜だけじゃなくて鳥や豚のガラや肉も仕込んであるのぉ。旨し。


 腹を満たして、床につく。天幕は持ってこれなかったが、空の様子を見るに雨は降りそうもないので、そのままライラの寝袋の上で朕は丸くなった。


 ライラの寝袋はあの熊の毛皮から、今回野営すると聞いてアリアドネが慌てて用意した1,000フィルパワー(FP)を超える水鳥の下毛(ダウン)と化繊の混合中綿――本当に混合しているわけではなく、袋体を二層構造にして内側に少量のダウン、外側に大量の化繊を詰める事で保温性を損なわずに畳んだ時にコンパクトに出来る構造のようであった――を使用した帝国超有名ブランド製最高級マミー型シュラフにアップグレードされていた。


 ちなみに冬山でテントを使用する場合に必要なのが800FP程度である。アリアドネが用意したものはこの世界の最高峰のテッペンでもシュラフ一つで寝られる性能を持った超高級品であったが、心配のし過ぎである。


 ちなみに防水除湿機能も付いているらしいので、低地で使用しても暑すぎて寝苦しくなることもない様である。加えてコンプレッション機能も持ち合わせていて、広げると一抱えもあるくせに、畳んで圧縮バックで圧縮すると10分の1位の大きさになってしまう。嵩張らないのは飛行箒で移動する朕たちにとっては良いことなのだが、この寝袋、買ったら一体幾らするのやら。


 しかも珍しいことに緑と茶色を主体としたカモ柄なのもこだわり過ぎである。森の中で獣に見つからないように、と言う配慮なのだろうが、通常こう言う物は雪の中でも目立つように赤や黄色の物が多いのだが、もしかしたらコイツは軍用の特注品なのかもしれないの。尚更値が張りそうである。


 お陰でライラのお腹の上に寝そべるだけで猫の体の朕にはとても寝やすい暖かさである。


 おやすみ。











 明けて翌日。

 今日は国境越えが2つ控えておる。


 ひとつ目は目の前のシエライサベリア山脈を境にするテルミナトル帝国とビルニェス大公国の国境。もう1つはカドリオルグ王国の国境である。


 注意すべきは最初の国境越えで、テルミナトル・ビルニェス大公国両方の哨戒部隊が飛んでいる可能性があり、地上にも同様の警備隊がいる可能性があった。


 テルミナトル帝国は先の戦争時になし崩し的に隣国三国と次々に開戦した経緯があるとかで、周辺国は今時の戦争においても同様の事態を警戒しているらしい、とはアリアドネの言である。

 まぁ、街道はもっと西側を通っているので重点警戒下に置かれているのはそちらの方であると考えられるが、警戒するに越したことはない。


 素直に国境関門を通れば面倒はないのだが、戦時下である現在、一人で少なくとも一個小隊程度は殲滅できる火力を持った碩術師と言う人種がおいそれと関門を通れるとは思えぬ。まぁ、朕の感覚なので地上世界がどうかは解らぬし、ライラは絶賛伸び盛り中とは言え、まだ本格的な攻撃術式についてはヘーリヴィーネから教わっておらんので危険度は低いのだが、飛行箒なんて物を持った輩を素直に通してくれるとは思えなんだ。空を飛べるということはそれだけで脅威であるからな。


 キャンプ地を片付け、荷物を荷台に積んだら出発である。

 今日は昨日と違って一気に急上昇、高度を取って全速でビルニェス大公国を駆け抜ける。


 ビルニェス大公国は名前通り、一領主の領土と言った程度の広さしかないので一気に駆け抜けてカドリオルグ王国の国境を突破してしまおうという算段である。ビルニェス大公国もテルミナトル帝国側の国境は警戒しているであろうが、反対側のカドリオルグ王国側には兵を割いてはいないと思われたし、なにより小国であるビルニェス大公国は運用できる兵数が元々少ない。その為、テルミナトル帝国側国境の警戒を強める為には反対側を薄くする必要があるらしい。アリアドネの情報なのでその辺は信用ができる情報である。……違ったら後で締める。


 その為、チンタラ隠れ進んで密入国の露見する危険を増やすよりも、見つかっても良いから正体不明のままに駆け抜けてしまえ、と言う作戦であった。ビルニェス大公国の部隊も国境を超えてカドリオルグ王国まで追って来はしまい。


 垂直上昇(ロケットランチ)で高度4,000ftまで上昇。目の前に聳えるシエライサベリア山脈の南端は標高1,200ショーク(1,000m)程度しかない。4,000ftまで駆け上がれば、一面に常緑樹の緑と落葉樹の茶色の斑なキャンバスが広がり、それを二分するように北西に霞む霧の彼方へと続くシエライサベリア山脈の威容をインメルマンターンで逆さに眺めつつ、朕たちの乗った飛行箒は一気に加速を開始する。


 最近のライラは第八世界法則(理論術式)も少しずつ上達している。

 かつての様に風防を展開したら風圧でつんのめる、何てことは最近は無い。滅多には。


 やがて、吹き荒ぶ風音が急に小さくなり始める。超音速(ブレイキング)到達(サウンドバリア)である。

 飛行箒の機種(ノーズ)に付いたカナードが糸の様な雲を引き、眼下に広がる緩く弧を描く緑の地平線の彼方に茶色の斑のようなものが見えては、次々に高速で後方へと過ぎ去ってゆく。多分小さな集落か何かであろう。


 あまり人家の近くを飛んで大騒ぎさせても気の毒なので、なるだけ集落の直上は飛ばないようにライラに指示をする。超音速飛行中は飛行している方は静かでも、実際は空気を掻き分ける音と言うのは想像するよりも轟音なのである。


 ライラが朕の指示に従い、ゆっくりと右に左に揺れるように移動しながら――実際はとんでもない速度でジグザグに移動している――眼下の集落や街の直上を飛ばないように避けながら進んだ。


 方位を確認しつつ、大きな川を一つ越えればカドリオルグ王国領であるなと、直に前方に見えてくるであろう国境線を探して朕たちが視線を彷徨わせているその時であった。



 「はえ?」



 と言う間の抜けた声はライラのものであったが、初見であれば朕も同じ様な間抜けな反応をしたであろう。いや、昔全く同じ反応をした記憶がある。


 それはいつの間にやら、視界の真正面に現れていた小さな小さな、ゴマ粒よりも小さな点であった。


 ふとした瞬間にソレは現れ、はた、とした時にはとんでもない速度で、まるで迫り来る黒壁が如く視界いっぱいへと拡大していたのだった。


 これ、アカンやつ。


 息を呑んで身を硬直させるライラの肩越しに、前方より迫り来る黒い壁を視認してから朕が反応するまでにピコ秒程のタイムラグがあっただろうか。

 嘗ての記憶がその経験を引き出すまでにかかった時間と考えれば、我ながら及第点といえよう。



 「理論絶対防(シュヴァルツシルト)御結界展開サーフェス・デプロイ!!!」



 ゴン、とか、ガン、とか、そんな爆音にも似た轟音と共に、一瞬にして視界を覆い尽くしたその黒い壁が朕の展開した理論術式による防御結界にぶち当たるのと同時、朕たちは空中へと放り出されていた。



 「ええええい!彼奴め、まだくたばっておらんのか!」



 グルングルンと回転する視界の中で、砂入の革手袋(マジックハンド)を使って木の葉のように舞うライラをキャッチし、飛行箒を引き寄せてその上に乗せ、朕も荷台に着地する。


 荷紐が解けてバラバラと落下していく荷物達もできる限り回収して、衝突の衝撃で撒き散らされた強力な電磁波のせいで背筋の毛が逆立つのを不快に思いながら飛行箒をライラに代わって操作しつつ、朕は最大速力でその場を逃げ出した。


 衝突の衝撃で気を失っているライラが落ちないようにマジックハンドで抱えながら、大急ぎで先日施した飛行箒のリミッター術式を解除する。


 今ぶつかってきた奴が朕の思った通りの相手なら、彼奴から逃れるには、いくつかの条件を満たして朕たちには『追いつけない』と言う事を理解(わか)らせてやらねばならない。


 リミッターを解除して、飛行箒のスロットルを全開にした所で背後から雷の様な轟音が鳴り響いた。

 見れば、空の一点から放射状に紫電の花が咲いていた。将に怒り心頭と言ったところか。


 全く面倒くさい。彼奴め、全く成長しておらんな。


 先程までとは質の違う甲高い排気音を轟かせて朕たちの乗る飛行箒が加速する。


 前方に展開した風防の理論術式を隔てても伝わってくる空力圧縮の熱が前方から朕たちを炙るのに耐えつつ最大加速を続けながら、後方を振り返れば、そこには鳥類とは違う硬質の翼と、爬虫類のような鱗を備えた黒光りする何かが必死に朕たちを追いかけてきているのが見えた。


 懐かしい姿であった。


 彼奴の種族名(名前)はサンダードレイク。

 まぁ、彼奴らは自身の事を『ズメウ』と呼ぶがな。

 ドラゴンの上位種であり、ヘルカイトよりも更に高位に位置づけられる地上世界最強種の一つ。そして、地上世界において数少ない超音速飛行生物でもある。


 人語を解し高い知性を持ち、碩術すら使いこなし、ヒトの姿に化けることも出来る――どうやら上位世界に存在する『可能性の姿』を確率変動で具現化させているようであるが、詳しい仕組みは朕にもさっぱりであった――ヒトとは比較的友好的な存在であったが、自身が世界最速であることに誇りを持っているらしく、地上世界を超音速で長時間飛行すると何処からともなく嗅ぎ付けて、高確率でじゃれついては最高速勝負を挑む悪癖があるのが玉に瑕。


 ヒトが空を飛び回る様になってからは事あるごとにバードストライクならぬドラゴンストライクをかまして定期的に大惨事を引き起こしたりしていた。


 あの巨体で猫じゃらしに飛びつく猫のようにじゃれ付いてくるのだ。超音速で。堪ったものではない。

 成体になると空力加熱で体が燃え尽きても加速し続ける事をやめないという、狂気のトンデモ生物である。


 そのせいで個体数が多くなく、朕が昔出会った個体は『吾が最後の生き残り』などと話しておった筈だが、はてな。

 紫電の尾を引きながら滑るように飛ぶソレを見つつ朕は首を傾げた。


 見れば、朕の記憶よりも随分縮んでおる様な気もする。

 やはり、朕の知っている奴とは別個体かの?


 まぁ、少し引きずり回してバテた所で確認すればよいか。何より、地上付近で彼奴と追っかけっこするのはまずい。彼奴の様な巨体が極超音速で飛び回ったら衝撃波だけで地上の民の集落など木の葉のごとく吹き飛ばされてしまう。


 朕は進路を東に、海を目指すように機首を回す。


 ギシギシと飛行箒のメインフレームが軋む不気味な音を聞きながら急旋回による巨大な遠心力とGフォースを碩術で打ち消して彼奴の方を振り返ると、朕の急激な旋回についてこれずに飛びトカゲがスリップした様にひっくり返ってすっ飛んでいくところであった。しかし、彼奴は大回りになりながらも手足を藻掻くようにジタバタと動かして辛うじて朕たちを追いかける進路を維持する事に成功する。


 ふーむ。生前の経験で()はこのターンで振りきれたものだが、体が小さいだけ小回りが利くということかの。やはり別個体っぽいのぉ。


 良くわからんが今追っかけてきている彼奴は、大回りした分相対距離は離れてしまった事に腹を立てたのか、音は聞こえずとも明らかに咆哮する様に大口を開けたソレは、先程よりも余程激しく紫電を撒き散らして必死に朕たちを追いかけてきていた。


 彼奴の咆哮は直撃するとヒトが爆散するレベルだから、早いところ海まで引っ張って行かぬと大惨事だな。

 なるべく高度をとって、地上に被害が出ないように東へ東へと飛び続ける。途中、大河を見つけてその上を飛ぼうとしたら衝撃波で岸辺が洪水のようになってしまった。

 船など居たら大惨事である。


 仕方がないので高度を取ることにしたのだが、緩やかなズーム上昇ではなくインメルマンで高度をとったせいで、再加速した時にかなり距離を詰められてしまう。


 再加速で引き離そうとするも、今度は彼奴も死に物狂いで体表を赤熱化させながら追いかけて来おった。

 馬鹿なことはやめろ、と言いたいところだがあれが彼奴らの矜持らしいので仕方ないのかの。

 完膚なきまでに叩きのめしてやろう。


 やがて青い水平線が見え、ようやく海に出ることができた。ここからが本番である。


 彼奴らのローカルルールでは、大きく分けて2つの条件のどちらかを満たせば『負け』が確定する。


 一つは、どちらかが諦めるか力尽きて競争を辞めること。

 もう一つは『追い抜かれる』ことである。


 では今の様に追いかけられている朕たちが『勝つ』にはどうすれば良いか。簡単である。


 陸地から十分離れたことを確認しながら、朕は飛行箒を90度回転(クオーター・ロール)させピッチアップ。彼奴を巴戦へと誘い込む。


 彼奴が朕たちに勝つには朕たちを追い越さなければならないから、当然彼奴も朕たちを追いかけて急旋回に入った。


 またもや伸し掛かる超重のGフォースを碩術で打ち消しながらスロットルを最大に。互いの背後を取り合うように巴戦へと突入するが、ジリジリと離れてゆく飛びトカゲを頭上に見上げながら笑顔で手を振ってやると、狂ったように大口を開けて何とかして追いつこうとジタバタと手足をバタつかせる地上最強種。

 愛い奴め。悔しかったら追いついてごらん。


 ラダーを使ってさらに飛行箒の機首を旋回方向の内側に向けてやると、飛行箒は踠き続ける彼奴をせせら笑う様に、滑るように飛びトカゲの旋回半径の内側へと入っていく。


 なにしろ朕たちと彼奴ではそもそものパワーウェイトレシオが違う。

 例え推力が何十倍も有ろうとも、元々の総重量に差がありすぎるのだ。数十トンは有ろうかと言う彼奴の巨体と、総重量で百キロも無い朕たちの飛行箒では掛かる遠心力も、必要な推力も、何十倍も違う。

 元々、物理的にあんな巨体で朕たちの飛行箒と同じ機動など行える訳がないのだ。


 特に、この朕特製の飛行箒はエアレースを主眼に作った最軽量超高機動仕様であるからして、推力を可能な限り上げて可能な限り軽量化したこの箒では、飛びトカゲ程度の機動力に負けるはずがなかった。代わりにとてもピーキーな性能になってしまったがな。


 旋回を続けるにつれ、背骨が折れるのではないかと思うほど背を逸らして必死で追いつこうとする彼奴の黒い巨体の尻が見え、尻尾の付け根に逆鱗があるのが見え、朕が嘗て知り合ったサンダードレイクと同じなのだな、等と感傷に浸りつつまるで黒曜石のような透明度の有る黒光りする硬質の翼を眺め、そして追い越す間際に悔しそうに、本当に悔しそうに窄められたルビーの様な眼がこちらを凝視するのに、マジックハンドでダブルピースして応えてやる。

 ドヤ顔ダブルピース。ざーこざーこ。このノロマ。


 舌まで出して煽ってやったら泣きそうな目で一鳴きして、まるで自身の唯一の長所であり誇りをすげもなくへし折られて、今にも首でも攣りそうなほど絶望的な表情を浮かべた後、力なく項垂れて彼奴は加速をやめた。


 まぁ正直、嘗て朕が出会った個体の方が強敵ではあったな。追い抜こうとすると碩術で妨害してきたり、ヨーイドンで岩投げてきたりするし、無駄に強靭な肉体を活かして彼方の豆粒ほどに引き離しても延々とこちらが力尽きるまで追っかけて来たりと、『認めなければ負けではない』を地で行くとんでもないやつであった。


 その点、此度の個体は潔くなかなか好感の持てる奴であった。

 彼奴は加速をやめると、精魂尽き果てたのか死んだように目を瞑ったまま、海中へと墜ちていった。


 元々出していた速度が速度なだけに、墜ちると言うよりも盛大な水柱を上げて海面に突き刺さる様だったのはご愛嬌。死にはせんであろう。


 暫く眺めていたらプカリと腹を見せて仰向けの大の字で浮かんできたので、まぁ多分大丈夫であろ。


 さて、何かと邪魔が入ってしまったが、先を急ごう。彼奴との衝突の衝撃で気を失ったままのライラの様子を見ながら朕が引き返そうとしたその時であった。


 朕の視界に影が差した。


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