#41
すみません。
とてもミリミリします。
しかももう少し続きます。
余、アウグスト・ヴィルヘルムはここ数日、眠れぬ夜を過ごしていた。
カーリスバーグに設営された駐屯地の近衛用区画に建てられた天幕の中で、フォールディングチェアに深く腰を下ろし、うつらうつらと短く浅い眠りを繰り返す。
何度か深く長く、意識が落ち込んでいくのを感じていたが、その度に眠らない駐屯地が其処彼処でたてる何某かの物音で飛び起きていた。
何が原因かと言えば、それは唯一つ。
来るべき知らせが来ないことだった。
此度の戦争、我が国の最大の敵は時間だった。
メイザールの軍艦が来襲する前に、ラサントスを蹴散らす必要があるのだ。
でなければ、我が国は絶望的な二正面作戦を戦う必要に迫られてしまう。
そんな状況では、勝ち目など無い。
そのためには、ラサントスが戦争準備を十分に整える前に、有利な開戦事由を手に入れる必要があった。
開戦に際してラサントスとメイザール以外の国が、特に天上大陸が我が国の敵として参戦しない事由を手に入れる必要があった。
これは最低条件ではない。絶対条件だ。
それを達成するために参謀本部がひねり出した策は、自作自演であった。
条件を満たす開戦事由として最も相応しいのは、自衛のためのやむを得ない開戦である。
つまり正当防衛。
相手から先に攻撃を受け、やむなく反撃を行い、安全保障上の問題を解決するため、敵部隊の策源地を徹底的に叩く。
そう言うシナリオが理想である。
だが、我が国とは反対にラサントスには時間が味方する。
ラサントスにとっては、メイザールが到着するまで只々待っているだけで、対峙している我が国が勝手に倒れて、自動的に勝利を手に出来る。
いや、ラサントスとメイザールにも相応の開戦事由は必要であると思われたが、奴らの背後には天上大陸セレスメアが居る。天上大陸同士の折衝はセレスメアが担うだろうから、他の天上大陸の制裁を気にする必要はない。多少無理な理由でもこじつけてしまえば、準備万端な状態で一斉に畳み掛ける事ができる。
つまり、ラサントスからは先に手を出すことは絶対に無いと考えられた。
その為には自作自演をしてでも先に仕掛ける必要があった。
現在、カデン高原には少数のラサントス軍の軍装を身に付けた我が軍の特殊任務部隊が展開していた。
彼等は我が軍が展開している哨戒部隊に対して攻撃を行い、すぐに撤退する。
攻撃を受けた部隊の報告を受けて、我が国は安全保障上の驚異を取り除くためにやむなく、カデン高原の敵部隊を一掃するべく、攻撃を開始する。
そう言う計画だ。
だが、ラサントスから攻撃を受けたという報告が一向に上がって来ない。
展開している我が軍の行軍が遅れており、会敵予定地への到着が遅れているのかもしれない。
そう思いたかった。特殊任務部隊が反撃を受けても仕方がない為、先日、哨戒任務にあたる部隊を新兵のみで構成される新編成の部隊に入れ替えた。彼らはもし攻撃を受ければ抵抗すること無く撤退するであろうと思われた。
彼等には多少の損害が出るだろうが、主だった指揮官達には話が通っている。すぐに撤退し、待機している完全編成の主力部隊と交代する手筈になっている。
あとは待つだけだった。だが、待つだけしか出来ない今この時が、余の神経を如実に削っていた。
ジリジリとした焦がれるような時間を過ごし、ふと、意識が浅い窪みに急速に落ちていくのを感じ、すぐに覚醒し、また落ち込んでいき……そんな事を何度繰り返しただろうか。
気づけば夜が明けていた。
何かに押さえつけられたような圧迫感を感じる寝不足の頭と、止まりかけの独楽の様にフラリフラリと左右に残像を伴って揺れる視界を勤めて奮い立たせて、余は天幕を出る。
黒茶でも貰ってこよう。
覚束ない足取りを勤めて制し、皇太子としての威厳を意識しつつ司令部の天幕近くまで歩いて来た時、一人の小姓が余を見つけてすっ飛んできた。
「皇太子でん……いえ、失礼致しました。近衛第2師団長殿、今お呼びに上がるところでございました」
余はその言葉に、小姓を置き去りにして走り出していた。
遂に、来た!
大本営司令部の天幕に入ると、中は既に喧騒の最中にあった。
我が軍でも数少ない念話を使える碩術兵が眼を閉じて仕切りに何がしかをブツブツと呟いている。
電信机に着いた通信兵は必死に耳に当てた受信機から流れる音声信号を手元の紙片に書き出している。
参謀がなにがしか怒鳴り、小姓が「了解」を叫んで走り出す。
中央の卓に広げられた地図を囲む高級士官達は、血走った眼で地図を見つめて、断続的な議論を繰り返していた。
「師団長殿!」
横合いから余に声をかけてきたのは、近衛第2師団参謀長のミハイル・アーレルスマイヤー大佐だった。
「状況はどうだ?!」
余は興奮から上ずる声を圧えきれずに叫んでいた。
その声に、地図を囲んでいた高級士官達が顔を上げる。
「ラサントスが、我が国に対し宣戦布告致しました」
ミハイルの言葉の意味を理解するのに、余は数秒を要した。
ラサントスが?何故?我が軍が宣戦を布告する手筈では?
「宣戦理由は、一昨日、ラサントス陸軍の司令官が我が軍の狙撃手により殺害されたことに対する報復、と発表されております。先程、帝都ヴィルへリンブルクのラサントス総領事より、正式に宣戦布告が通達されました」
「どういう……どういうことなのだ?その様な命令を誰が出した?ラサントスの自作自演ではないのか!?」
回らない頭でそう呟いて、はたと、余は事態を把握していた。
「その可能性が高いでしょう。やられました。ラサントスは時間稼ぎをするものとばかり……。
現在新編の第18師団がカデン高原街道の一番南側、バイガル峠ルートを侵攻した敵旅団規模の集団と交戦中。敵は増援を受けつつ有り、師団以上の予備戦力が予想されるとのこと。
現在急ぎ交代命令を出しておりますが、何分奇襲を受けており損耗が激しい様子です。
他2つのルートにも複数の軍団規模の敵が出現。現在第8師団と第9師団が交戦しておりますが、やはり奇襲を受けたとのことで被害が拡大しております。
待機中の全部隊に出撃が下令されましたが、未だ敵の規模が判らず混乱しており……」
「敵主力規模報告!第18師団正面には少なくとも2個師団、第8、9両師団攻撃正面に少なくともそれぞれ1個軍団規模の敵集団が展開している模様!なお敵集団は増援を受けて規模増大中!敵集団は野戦砲を伴うとの報有り!」
ミハイルの言葉を遮ったそれは、眉間にシワを寄せて念話に集中する碩術兵からの報告だった。
少なくとも、敵は計3個軍団規模。
それは事前にラサントス軍に潜り込ませていた間諜から報告を受けていた、現在ラサントス軍がカデン高原に集結している兵数よりも遥かに多かった。
「馬鹿な!報告に有ったラサントス軍の総数よりも多いではないか!」
誰かの叫んだ悲鳴の様な罵声に、余は偽の情報が流されていたことを確信する。
「セレスメアか……」
「可能性は……否定できません」
怜悧な細面の眉間に皺を寄せたミハイルは、毒杯と分かっている杯を今将に煽らんが如くであった。
何かをせねばならない。
ここで皆仲良く悲嘆に暮れているだけでは、聞こえて来るのは死神の足音だけである。
余は無言で大本営司令部の天幕を出た。
「殿下!何処へ!?」
余の後を慌ててついてくるミハイルに、余は命令する。
「全近衛師団に臨戦態勢を下令せよ。第1にもだ!」
「しかし!近衛は総予備であります。これは皇帝陛下の御裁決です!覆すことは出来ません!」
命令を口にした瞬間、不思議と絶望で塞ぎ込みそうだった気分が晴れやかになっていくのを感じた。
普段、冷静沈着な澄まし顔をしているミハイルが女子供の様に悲鳴を上げる貴重な姿を見られたからかも知れない。
「分かっている。出撃させるのは箒兵だけだ。近衛の全箒兵を一つの部隊に再編成しろ。制空権だけでも確保せねば、ラサントスはカーリスバーグまで駆け下りてくるぞ」
余の言葉を聞いたミハイルの表情が、先程までの慌てふためいたようなものから一瞬で元の怜悧なものへと戻っていく。
なにか思いついたな?
「で、あれば。攻撃目標に敵砲兵部隊も加えてはいかがでしょう。いえ、第一目標に据えるべきでしょう。近衛の箒兵を全て合わせれば、一個大隊規模の部隊にできます。その一部に胸甲や武器などの重い重量物を全て置いて行かせ、代わりに擲弾か、焼夷弾を有りったけ装備させましょう。火炎壺でもいい。その擲弾装備部隊を他の全箒兵で護衛すれば、数的有利を盾に敵前線を突破して敵砲兵部隊を無力化できるかもしれません」
なるほど、と余は感心した。
箒兵は元々数の少ない碩術師からなる兵科である。
我が軍は疎か、ラサントスやメイザールでも同じくその数は少ない。僅少と言ってよかった。
その為大凡の国において、箒兵部隊は師団規模の軍集団ごとに支援部隊として一個中隊程度を配備するのが通例となっており、偵察や着弾観測、そして師団の直掩としての役目を担っている。
なぜ飛行出来る便利な部隊が直掩任務や偵察等の任務しか担わないのかと言うと、それは積載重量という技術的な限界故だった。
爆発物を搭載したくとも、地上世界で製造できる飛行箒では300リヴルも積めない。これは箒兵自身を含めた重さだ。
箒兵が武器を担いで胸甲やら篭手やら付けたら、あっという間に何も積めなくなってしまう。
体重が軽い女子供で部隊を編成しようとした事も有ったらしいが、司令部の担当者が各方面から総スカンを食らって中止されたと聞く。
つまり、戦術的に地上攻撃を行う手段が箒兵には少ないのが弱点だった。
だからと言って、擲弾や爆弾の搭載量を増やす為、箒兵に鎧や武器を脱がせて裸で戦場に送り出すわけにも行かない。敵箒兵集団に出会ってしまえば一方的に追い立てられることになる。
そして、一度撃破されてしまえば、数が少ない故に予備戦力からの補充もままならず、今度は直掩を喪失した師団が遠距離の目を失った状態で敵地上戦力と対峙しなければならなくなる。
そんなジレンマから、巷では『空の騎士』などと持て囃されながらも、箒兵という兵科は扱いが至極難しい兵科であった。
地上世界における技術的な限界点である。
だが、こと現状に限って言えば、現在近衛師団は総予備であり、言ってしまえば一種の遊兵状態であった。最後方で待機している事もあり、直掩は要らない。
しかも、元々近衛と言う集団はその性質上、如何なる敵と対峙しても打ち勝つ事が要求される存在だ。そうでなければ最後の番兵たる近衛の意味がないからだった。
その為、同規模の敵であれば常に戦力優勢を確保出来るよう、基本編成が一般的な部隊よりも大規模になる様設定されている。
我が国の近衛師団は通常師団の1.5倍を定員としており、元々全ての構成部隊の数が多い上、2個師団分の箒兵部隊を併合して集中運用すれば、一個師団分の箒兵を丸々爆撃装備に換装したとしても、十分敵箒兵部隊を撃破できるだけの数的優勢を保持出来るものと思われた。
敵戦線を単独で突破し、後方の砲兵部隊に損害を与えることも可能かもしれない。
「箒兵であれば、敵がカデン高原を越える前に敵砲兵部隊を叩ける可能性があります。
現状、我が軍の地上部隊は敵主力のカデン高原突破迄に展開が間に合わない可能性が高く、敵砲兵部隊のカデン高原突破を許せば味方が高所から撃ち下ろされることになり、我が軍は大損害を被ることになるでしょう。
そんな事になれば防衛線すらロクに築けなくなります。何としても味方がカデン高原まで登る間に砲兵部隊だけでも叩かなければ」
「良し。全近衛箒兵に出撃命令だ。部隊長はエメリッヒにやらせろ。編成と装備の構成は任せる。直ぐに飛ばせ!」
進言したのだからミハイルの中では既に編成、装備構成諸々が出来上がっているのであろう。
余の命令に彼は素早く敬礼を返すと、近衞の駐屯所へと全速力で駆けて行った。
◆
カデン高原中央付近
ラサントス軍主力前線 後方約1オクス
猛り切った男達が叫び、放たれた熱い鉛弾がウォークライで熱を帯びた彼等の躰を貫いてゆく。
兵卒が自身の身に何が起きたのかも判らず斃れ、危機的状況を挽回すべく軍曹が叱咤し、勝利を盲信する大尉が突撃を叫んで司令部ごと爆散する。
まるで竜か何かのように咆哮する一列に並べられた夥しい数の大砲から、同じ数の霰弾が放たれて空中で炸裂する度、そこかしこに破壊と殺戮の限りを齎す死神が舞い降りていた。
小官、ガルシア・アンスロス・フェルナンデスは覗いていた遠眼鏡の中に広がる殺戮の平野から、現実の世界へと戻ってきて一息ついた。
「フェルナンデス元帥閣下、お下がり下さいませ。危のうございます」
馬を引きながら小走りにやってきたのは、小姓役のアンドレス・ジョンベルト"男爵"中尉だった。
女と見紛う程の輝く美貌を焦燥に染めた、まだ少年と言っても良いほど若いその中尉は、戦場に漂う独特の空気にあてられてかなり緊張している様にも見えた。
「ありがとう中尉。だが心配には及ばんよ。こんな所まで弾は飛んでこない」
ここは最前線とは言え、実際に戦闘が起きているのは2オクス以上先だ。前線を張る銃兵隊の後方、味方砲兵隊の陣取る丘陵よりもさらに後方の小高い小山の上であった。
テルミナトル帝国軍の編成は事前情報通り、威力偵察目的の編成らしく、砲兵部隊を伴っておらず、無理矢理持ってきた味方砲兵隊は一方的な殺戮の花火を上げ続けていた。
奇襲の成功により、我が軍はテルミナトル帝国軍を数的優位の状態で会敵する事に成功した。
このまま行けば数的有利のまま、テルミナトル軍を奴等の根拠地であるカーリスバーグに押し込める事も可能であろう。そうなれば、後はカーリスバーグを全周包囲して間断のない砲撃を浴びせ続けることでテルミナトル軍の主力の大部分を一会戦で撃滅できる可能性すら有った。
小官としては、正直この戦争自体は最初あまり気乗りするものではなかった。
何せ、当初の基本戦略は先制してくるであろうテルミナトル軍の進軍を押しとどめ、メイザールが後背を突くのを待つ、と言う至極消極的なものであったからだ。
武勇を求めるのは武人の性、という事だけではない。
兵法において古来より積極的な行動が制限された防衛戦ほど辛く厳しい戦いは存在しない。
特に昨今は火砲の発達から防衛戦自体がとてもやり難い。
城や街に立て籠もっても火砲の集中砲火を受ければたちまち全滅してしまう。
戦略的に見て、防衛戦程無意味なものは存在しなかった。
やるのであれば、せめて機動防御戦を展開できなくては、味方の被害だけが増大するだけだ、と言うのが小官の考えであった。
攻撃は最大の防御である、とはよく言ったもの。防衛戦というのは、本来軍が有する最大の攻撃力と防御力を同時に手放すに等しいのだ。
だか数週間前、状況に変化があった。
小官が気の進まない戦支度を部下にせっせと整えさせている頃、痺れを切らしたのは天上大陸セレスメアであった。
此度の戦は複数の性格を持っている事も影響していた。
我が国、諸王会議により承認されし諸藩と神聖なるラサントス王冠による諸邦からすれば、安全保障上の問題解決が第一目標であった。即ち、隣国テルミナトル帝国を名乗る侵略国家から国を守る事だ。
此度の戦争も、早期終結が叶えばそれにこしたことはないが、テルミナトル帝国と我が国の戦力差を鑑みれば難しいと言わざるを得なかった。
そこで我が国はメイザールに支援を求めたわけであるが、メイザールの主家に当たるセレスメアはテルミナトル帝国領土の支配権奪取を目論んでいた。
セレスメアにとって一番気を使わねばならない同じ他の天上大陸からの政治的干渉を避けるべく、セレスメアは一刻も早いテルミナトル帝国の制圧をメイザールを通して再三に渡って我が国にもせっついていた。
つまり、セレスメアは饗されたエンパナーダを他の誰にも切り分けたくない、と言う訳だった。
焦ったのは我が主君であるラサントス王家と宰相大臣共だ。
安全保障を主とする諸問題の解決を望んだはずなのに、いつの間にかセレスメアの使い走りにされていたのだ。
この戦争に勝利した後、果たして我々は美味いエンパナーダにありつくことが出来るのだろうか。それとも、セレスメアが貪り食った後の、嘗てはエンパナーダだった筈の残りカスにしかありつけないのか。
王家や首脳部が悩んだ末に出した結論は、戦功を上げる事によりエンパナーダを此方で先に切り分けてしまう事だった。
勿論、占領地の割譲、とまでは決して言わない。次にセレスメアが平らげるエンパナーダの具に、我が国も混ぜ込まれる事になる。
だがセレスメアも彼らの望む早期決着に貢献した者を無碍には出来ないだろうと考えられた。多くを望み過ぎず、しかし貰うものは貰う。天上大陸との付き合い方の基本と言うものだ。
この案には、小官も賛成だった。
なにせ、先制攻撃を行うのであれば戦闘の主導権を取れる。さすれば、それだけ部下の損害が減る。さすれば、勝利もそれだけ近づく事になる。
小官としては、これ以上の栄達に興味はない。
この身は既に元帥だ。軍という組織の中では頂点の一つに居る。
更には、あと数年もすれば小官は退官年齢に達する。
望むらくは、退官後も皆に慕われる存在でありたいとは思っている。
その為には、此度の戦はうってつけだった。この戦争に華々しく勝利し、祖国に少なくない富を齎し、英雄として凱旋する。退官後は悠々自適に妻と過ごし、偶の夜会に招かれては英雄として遇され、気分が乗ればかつての武勇伝の一つも披露してやる。一昨年、嫁いだ娘も鼻が高いことだろう。孫はまだだが、もし男児が生まれれば英雄の孫として、武人としての手ほどきをしてやるのも楽しみである。
良い未来予想図だ。
その為にはテルミナトル帝国よりも先に開戦し、先制攻撃を加える必要があった。
テルミナトル帝国の部隊展開速は我が軍よりも早いことが予め予想されており、セレスメアからの情報提供でもそれが確認されていた。
先制出来たとしても数的不利の状態で戦闘を行う必要があった。
この状況でも勝利を得るためには、数的不利を覆す状況が必要であり、そのために小官と参謀達が捻り出した策は、未だ展開を完了する前のテルミナトル帝国軍に対して奇襲攻撃を行い、その勢いのままカデン高原を突破、テルミナトル帝国軍をカデン高原東麓に押し込め、地形的高低差を利用して砲兵隊による一方的な飽和砲撃で敵を殲滅する作戦であった。
大砲だけではなく火器全般に言えることだが、基本的には高い所から下方に向けて撃ち下ろした方が射程が伸び、威力が増す。
射程が数百ショークもある大砲であれば、勾配によっては上と下で射程に数割も差が出ることもある。
カデン高原は勾配が比較的緩やかとはいえ、東麓までテルミナトル帝国を追いやる事が出来れば、野戦にもかかわらず砲兵隊だけで一方的なアウトレンジ攻撃を敢行することすら期待が出来た。
先制攻撃をかけるための開戦理由を用意する工作は、セレスメアが買って出てくれた。彼等は小官達が攻勢計画を打診するなり、即座に必要な工作を実行するべく、特殊な碩術師の部隊を派遣してくれた。
彼らはテルミナトル帝国の開戦理由を用意するための工作部隊を殲滅しつつ、テルミナトル帝国のフリをして、我が軍の将官の一人を殺害した。
殺害された者は、小官の派閥に属する子飼いの者達と出世争いをしていた者であった事に他意はない。
彼はその命を賭して我が国の礎となったのであった。
そして、戦端は開かれた。
一人の忠国の勇士が瞬く星となり、我々は軍靴を鳴らして前進した。
事前情報では、テルミナトル帝国はカデン高原に三個師団を警戒部隊として展開していた。
セレスメアの報告では銃兵を主力にした歩兵師団であり、山岳活動に備えて砲兵は配備されていないとのことであった。
威力偵察部隊と考えれば、砲兵を省くのは頷ける編成であった。山の中で運用する大砲ほど手間のかかるものはない。
それに、一当てして敵の規模を推し量る為の威力偵察部隊に高価な火砲を持たせてしまっては、鹵獲や破壊される危険性が高い上に、部隊の機動力が死んでしまう。
その上、彼等はテルミナトル帝国が自作自演をする為の部隊であった。作戦開始前より容易に撃破もしくは撃退する事ができると予想された。
彼らが後退するのを追いかけて行けば、自ずとテルミナトル帝国軍をカデン高原東麓に押し込められると参謀達は考え、小官の見立てもその戦略を支持した。
宣戦布告はわざと遅れてテルミナトル帝国帝都ヴィルヘリンブルクの総領事に届けられ、総領事はその布告文の中身を改めると、優雅に茶を一服嗜んでから帝宮へと赴いた。
その間、我々は大量の砲兵を編成した軍団を率いてテルミナトル帝国の哨戒部隊に襲いかかったのであった。
問題は如何にしてテルミナトル帝国軍主力の増援が到着する前にカデン高原を突破するかだ。砲兵は鈍重な野戦砲を移動させるため、その移動速度は極めて鈍重なのだ。
歩兵部隊の移動速度に追従させるため、山岳地帯では運用が難しい騎兵隊を解体して軍馬を引き馬に転用し、輜重隊の荷駄を総動員することになった。
プライドだけは高い騎兵隊の指揮官を説得するのには苦労したが、結果として我が軍主力はカデン高原中央部まで進出することに成功していた。
カデン高原中央部は広大な扇状地構造が西と東からぶつかり、殆ど平坦な平原が広がる地形だ。
砲兵を運用するにはもってこいの地形とも言える。何より、カデン高原へ上がるための道は勾配がかなり厳しい上に狭路が多い為、騎兵部隊をカデン高原に展開するのは一苦労であり、案の定、会敵したテルミナトル帝国部隊は砲兵に加えて騎兵をも省いた編成であった。砲兵の天敵である敵騎兵隊が存在しないのは好都合でしかない。
小官の視線の先、1オクス程先では展開した我が軍の砲兵隊2個大隊が包囲されつつあるテルミナトル帝国軍銃兵部隊に猛烈な砲撃を浴びせていた。
1個大隊あたり200門の9リブル野戦砲を装備した彼らは、移送途中に1割程度を事故や破損などで喪失したとはいえ、莫大な鉄量を吐き出しながらカデン高原にテルミナトル帝国軍の屍山血河を築いている。
味方砲兵が撃ち出す霰玉は索導の長さによって爆発するまでの時間を予め調節することが出来、丁度テルミナトル帝国軍の頭上で炸裂する様、味方菷兵の着弾観測を随時受けながら調節され続けている。
正面のテルミナトル帝国軍部隊、情報によれば師団規模の銃兵部隊は既にその半数以上の損害を出して、事実上壊滅状態にあった。
味方箒兵部隊の報告によれば、後方より更に師団規模の増援部隊が接近中との事であったが、目前の師団規模の敵を救援することは叶わない。そればかりか、彼らがカデン高原に到着する頃には我が軍の先鋒はカデン高原東端へと辿り着いている事だろう。後は砲兵隊で一方的に撃ち下ろしてやるだけだ。
可哀想な敵兵達は悉く蹂躙し尽くされて土へと還る事になる。
砲兵隊が砲撃を辞めたかと思うと、遠くから男達のウォー・クライが平野を震わせた。
もう十分と見た味方部隊の指揮官が銃兵に突撃を命じたに違いなかった。3個師団分の歩兵達のウォー・クライはそれだけで大地を鳴動させる。
一斉に鳴り響いた夥しい数の銃声が雷鳴の如く空気を震わせ、敵の断末魔を小官は聞いた気がした。
「……勝ったな」
思わず小官の口をついて出た言葉に、アンドレス中尉が安堵からか顔を綻ばせる。
「おめでとうございます!」
端正で中性的な彼の顔立ちも相まって、まるで花が咲くようだった。不意の劣情を催したとしても誰も責められまい。
今夜は戦勝を祝して可愛がってやるのも悪くはない。
小官がそんな粘着質な妄想を抱いた時であった。
アンドレス中尉の表情に影が差す。
「あれは……?」
アンドレス中尉の視線の先へと振り返った小官はが捉えたのは、まるでイナゴの群れのように迫り来る黒い雲だった。
慌てて遠眼鏡を覗けば、銀糸の装飾が施された漆黒の戎衣に身を包み、ピッケルハウベと胸甲を装備した箒に跨る男達が見えた。
あれは、テルミナトルの近衞か?
小官が何よりも驚いたのはその数だ。少なくとも大隊規模である。そんな大規模な箒兵の集団を小官は見た事がなかった。
「まずい!迎撃を!」
思わず叫んだ小官の視線の先で、地上から飛び立つ箒兵達の姿が疎に見えたが、敵規模に対して明らかに数が少ない。
当たり前だった。我が軍の編成では師団規模の部隊に対して、セオリー通り箒兵は1個中隊しか編成していない。
小官の正面の味方部隊もそれは同じであり、しかも着弾観測や正面の敵部隊の箒兵に対する対処で広範囲に散開していた。
隊列を組まずにまるで群がる蚊の様に、慌てて出撃した味方箒兵の大部分が単騎で敵箒兵集団の迎撃にあたるが、鎧袖一触、見る見るうちに叩き落とされていく。
敵箒兵部隊は突撃する我が軍の銃兵など一顧だにせず、一直線にこちらを目指していた。彼らの意図は明白であった。
「元帥閣下!お下がりください!敵が来ます!」
呆然と立ち尽くした小官をアンドレス中尉が力任せに引き寄せて、連れて来た軍馬の背へと押し上げた。
司令部へと鼻を向けられて尻に鞭を入れられた馬が走り出したその背中で、小官が振り返り様に見た光景は、味方砲兵部隊の頭上へと到達した夥しい数の敵箒兵達が、まるで魚の群れに群がる海鳥の様に容赦なく擲弾や火炎瓶を味方の砲に叩きつけている光景だった。
「畜生!」
駆ける馬上で、思わず小官は吐き捨てた。
馬の腹をこれでもかと蹴り付けて馬が泡を吹くのも構わず、高価な遠眼鏡すら取り落としながら小官は我が軍の総司令部の陣地へと駆け込み、参謀や各級司令官達に至急箒兵を集めて敵箒兵の大集団を迎撃するよう指示を飛ばすが、時既に遅し。
編成や集結に時間のかかる彼らを編成し終わる頃には前線に配備された味方砲兵隊は悉く焼き尽くされていた。
更に悪いことに、いきなり火力支援を喪った前線の各部隊は慌てふためき、更にはその数的優位を活かして制空権を確保した敵箒兵集団が置き土産とばかりに敢行した爆撃を受けて酷く混乱し、体制を立て直すのに大幅に時間を浪費したおかげで主力がカデン高原を突破する前にテルミナトル帝国増援部隊の到着を許してしまった。
怒号飛び交う司令部で必死に命令を下し、増援部隊を編成し、各部隊から箒兵を抽出して敵近衞と思しき箒兵の大部隊の第二波攻撃を迎撃させ、元々集結していた兵数に勝る津波の様に押し寄せるテルミナトル帝国の増援部隊を何とか押しとどめる事に成功したのは、夜の帳が落ちてなお数刻が経った頃であった。
カデン高原を抜ける三つのルートの内、南側の突破には成功したものの、北側と中央ではカデン高原中央部まで味方部隊は押し戻されてしまい、当初の電撃的進軍によるカデン高原の突破と優位な砲兵射撃位置の確保、という当初の戦略目標の達成は困難となった。
南側のルートも、有利な射撃位置こそ確保できているが、テルミナトル帝国軍はカデン高原南側では完全に防衛に徹する事にしたらしく、味方砲兵隊の射程に入らない様、遅滞防衛に努めていた。
翌日からも何とかカデン高原を突破するために破壊を免れた砲をかき集めて部隊を機動させたが、テルミナトル帝国軍部隊にも夜を徹して移動させたのであろう増援部隊に少数の砲兵隊までもが続々と到着し始め、開戦から数日が経過するとカデン高原中央部と北側では戦線が完全に膠着してしまっていた。
唯一突破が成功した南側でも、開戦翌日からは尋常ではない苛烈な火力支援を受けた味方に倍する敵部隊の猛攻を受けて、味方部隊の予備戦力が払底するという事態が発生。また前線が味方策源地より遠い上に道程が他のルートよりも険しい事もあり、また輜重隊用の荷駄を野戦砲運搬の為に徴発していた事もあり、輜重隊の輸送力が顕著に不足する様になり、特にカデン高原南側の補給は困難を極める事になる。
カデン高原南側は味方砲兵部隊が有利位置を確保できているからこそ何とか敵の猛攻を押し止められてはいたが、まるで死兵の如く損害を顧みないテルミナトル帝国軍の猛攻により、開戦から二日後には悲鳴のような食糧、弾薬の不足が報告される様になる。
増大する損害と悪戯に経過していく時間、更に逆転した正面戦力の天秤を見て、小官は開戦から四日後、塹壕戦への移行を全軍に指示をするに至っていた。
その命令を下した時、小官は嘗て垣間見た、理想の未来象が音を立てて崩れていくのを聞いた気がした。
とてもミリミリしていて分かりづらい(自分も分かりづらい)ので「こんな感じです」と言う程度の雰囲気を掴むための解説を以下に記しておきます。
へーふーんそう、位に見て下さい。(あと個人的なメモ)
軍編成について(テルミナトル帝国軍編成)
・軍 有事の際に設置される非常設戦略単位。規模は状況により大きく変動する。指揮官:元帥以上
・軍団 2万人以上。2個以上の師団で構成される。指揮官:大将~
・師団 最小戦略単位。定員1~3万人程度。2~4個旅団で構成。多数の補助部隊を擁す。指揮官:少将~中将
・旅団 定員5千~1万人程度。3~5個大隊で構成。ラサントス軍では編成されない。指揮官:准将~少将。
・連隊 ラサントス軍における旅団に相当。テルミナトル帝国軍では編成されない。
・大隊 定員1~5千人程度。最小戦術単位。3~6個中隊と各種補助部隊で構成される。指揮官:大佐~准将。
・戦闘団 独立大隊もしくは特務大隊。規模は増強中隊~増強1個大隊程度。指揮官:少佐~大佐
・中隊 定員2~5百人程度。4個程度の小隊で構成される。指揮官:大尉
・小隊 定員30~100人程度。最小単位。指揮官:少尉~中尉
用語説明
・輜重隊 食料・弾薬・馬の餌等の輸送部隊であり、大隊以上の部隊に設置される。補給部隊。
・9リヴル野戦砲 平射砲。20口径程度。車輪を備えた木製台座で支持され、若干の角度調節機構を持つ。駐退機を備えない。ファルコネット砲みたいな感じ。砲弾重量約5~20kg程度。霰玉の場合は射程が短くなる。
・階級(テルミナトル帝国陸軍)
元帥→上級大将→大将→中将→少将→准将→大佐→中佐→少佐→大尉→中尉→少尉→(以下下士官)曹長→軍曹→伍長→上等兵→二等兵
基本的には『中』と付く階級になると、部隊本部付きの参謀団に参加することになり、直接部隊を指揮する立場からは外れます。(尉官は例外)
また、アウグスト・ヴィルヘルム君は皇太子と言う立場なので、慣例的に指揮権が自身の階級の二階級上の立場になります。(中将なのに通常編成で3個師団規模相当の増強1個軍団の指揮官)
近衛と国軍の間に同階級における差(近衛と国軍で同階級の場合近衛の指揮権が優先、など)はありませんが、指揮系統が完全に別なので国軍は近衛を指揮下に置くことが出来ません。
しかし、近衛を構成する人員は基本的に指揮官が上流階級の出身なので、下級貴族出身者の多い国軍に対しては「おめぇ、解ってるよなぁ?」的な圧をかけられます。
・特務
広範な任務に当てるためではなく、特定の狭い任務にのみ任用する場合に付加される。
その為、権限は指定された特定任務においてのみ通常の階級・部隊に対して指揮権を発動することが出来、それ以外の範囲に対しては通常階級・部隊に対して介入が認められないが、通常階級・部隊からの指揮権・介入に対して特務は拒否権を持つ。
・階級格差
曹長(下士官最高位)から少尉に昇進することは出来ません。
また、テルミナトル帝国では一般社会の身分差(公侯伯子男など)により、上級階級に昇進することが出来ない場合があります。
(例:騎士爵家出身のブルクハルト少尉はどう頑張っても佐官にはなれません。武勲目覚ましく、政治的・軍事的に必要にかられて少佐以上に昇進する場合は、まず実家の当主に対して叙爵が行われますが、騎士爵から男爵に叙されるのではなく、別個で土地無しの爵位を賜る形になります(宮廷貴族))
・近衛
『御宸襟を安んじ奉る』為の軍事組織。
国軍部隊に対して通常編成で1.5倍の兵力を定員(増強部隊)とし、指揮系統の最上位は皇帝。(国軍の指揮権は元帥が持っており、元帥の任免権を皇帝が持っている(統帥権)その為、軍制上は皇帝が命令できるのは元帥に対してであり、その他の者には命令する権利はない。なお、軍制上の命令権はなくとも皇帝の命令を断った場合はお察し(国法である『大規約』上の命令権発動))
構成人員は基本的に最上流階級の方々が指揮官を務めるが、兵卒に至っては一般市民も多い。
現体制絶対死守倶楽部。
尚、師団は旅団を置かないこともあります。(例:ブルクハルト少尉の所属する第18師団)
また、師団は3兵編成(歩兵・砲兵・騎兵)を基本とし、各兵科ごとの専門師団は地上世界ではまだ編成される様にはなっておりません。(箒兵は補助部隊扱い)
また、テルミナトル帝国の近衛師団は第一師団長を第二師団長が兼任し、師団以上の戦術単位は近衛総軍になります。(正式な第一師団長は皇帝自身の為)
また、『班』と言う単位が出てくることがあると思いますが、地上世界では正式な単位ではありません。
軍隊関係、割とガバいので生暖かい目で見ていただけると幸いです。
多分、書き間違い勘違い等いっぱいあると思います。
(ガバガバなのは軍隊関係だけではないですが)




