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朕は猫である  作者: 名前はまだない
40/70

#40

現実の某国が同じようなことしようとしてて若干焦っております。

この作品はフィクションであり、実際の国・団体・人物とは関係がありません。

よろしくお願い致します。


今回グロテスクな表現を多数含みますのでご注意ください。

 何でこんな事やってるのか。

 そんな気分になる事が最近多い。

 誰でも一度や二度はあるだろう。いや、みんな日に二度三度は思う事だとアタシは信じたい。


 『イラーナ。首尾は?』


 高高度の山岳特有の風が鳴る音に混じって脳裏に響くチャントを無視して、アタシは粘着質な体液が無様に付着した刃を一心不乱に拭い続けた。

 アタシは一生懸命にバヨネット(銃剣)を拭っているのに、夜の帳に沈みゆく夕闇がアタシの手元を包み隠して嘲笑っているかのようでイライラする。

 ライトの一つも灯けたいのに、そんな事をしたら周りからアタシがココに居ますよ、と喧伝する様なものだという理論的思考が、より一層アタシの神経を逆撫でする。

 太陽が沈んだ山特有の冷涼な空気が指先の動きを思うようにさせてくれないのが、その苛立ちを助長する。


 『イラーナ、聞こえているか?』


 薄暗い視界でやっとこさ拭い終えたと、その成果を確認するために眼前に掲げたそのバヨネットに目を凝らしてみれば、鈍く曇ったその表面に幾筋もの粘着質の筋が入っているのを見て取って、私は顔を背けて舌打ちをした。

 拭ったバヨネットが発する酷く生臭くて酸えた何とも言えない悪臭が、不意にアタシの鼻腔を突いた事に思わず嘔吐しそうになる。

 何でこの血液という物はこう、拭き取りにくいのだろうか。

 面倒臭がって放っておくと、生ゴミの様なとんでも無い悪臭を放ち始めるのだから心底うんざりする。拭っても、拭っても、細い筋の様に刃にこびり付くこの赤黒い液体に毎度毎度ウンザリする。


 『イラーナ!何があった!?今助けに行くぞ!』


 このクソオヤジも面倒臭い。

 こちとらえっちらおっちら山登りした挙げ句に、地上世界人とは言え一個小隊と戦闘までしてるってのに、その最中でさえチャントへの返信が少しでも滞るとギャーギャーと騒ぎ立てる。

 まるで想い人に出した手紙にいつまで経っても返信が無いのを騒ぎ立てる勘違い野郎だ。

 普段からまるでアタシの恋人みたいな面して接してくるのもキモい。

 そもそも、歳考えなさいよ。あんたとアタシ、どれだけ歳が離れてると思ってんの。


 『ヒューゲル、大丈夫よ。キチンと殺ったわ。騒がないで。あんたのチャントは頭に響くのよ』


 『……何かあったんじゃ無いかと心配するだろ。チャントには直ぐに返答しろよ』


 うるさい。死ね。

 キモオヤジの上ずった声を聞きながら、拭っても拭ってもどこかにまだ血がついている気がするバヨネットを腰の鞘に戻そうとして、嫌悪感から拭取布(ウエス)と共にその辺の岩の窪みに捨てた。

 岩肌に打ち付けられたバヨネットが奏でた硬質の金属音が山肌に反響した様に感じてドキリとすると同時に、そうさせたバヨネットが堪らなく憎らしくなった。


 『相手の所属は判るか?』


 『ラサントスの軍服着て、ラサントス軍の装備持ってたけど、認識票(ドッグタグ)はテルミナトルの物ね。トリガー(・・・・)コイツ等(・・・・)で間違いないわ』


 最後にアタシが刺した男が首から掛けていた麻の紐に結えられた皮革製の丸い二枚になった認識票には『オスカー・ズワイル』と言う名前が打刻してあった。興味もないのでその辺に投げ捨てる。

 ついでに、コイツ等のバヨネットを一つ貰っとこう。

 アタシが殺した男たちが取り落としたライフルの中から、汚れていないものを選んで装着されていたバヨネットを一つ外して腰の鞘に入れた。

 ……少し長いみたいだけど、留金をしとけば落ちないでしょ。


 『よし。じゃあこっちも始めるぞ。手はず通り、ラサントスの将軍様が前線まで出張って兵を鼓舞してるのを視認した。ちゃんと新聞記者を伴ってるのも確認してる。これから射撃体制に入る。集合場所はわかるな?』


 『解ってるわよ』


 幅広な岩棚状の小道(バンド)の上に所狭しと散乱した一個小隊分の肉片を踏まないようにしながらその場を後にする。

 ふと、振り返ると、私の立つ岩棚(バンド)から見下ろせる広いキレット下の、地上世界では識別呼称274号地点と呼ばれる支尾根と支尾根の間に広がる緩やかな斜面のそこかしこから、夕闇に解けるように微かな焚火の煙が幾つも立ち上っているのが見えた。

 全く呑気なものよね。仮にも伏撃体制を取ってるのに、火なんか熾したら「ここに居ますよ」と知らせているようなモノ。

 常識的指揮官なら灯火管制を敷くものだ。余程あの軍隊の指揮官はボンクラなのか。

 ふと、辺りに倒れ伏すラサントスの軍服を着たテルミナトル帝国軍の物言わぬ屍達を見回した。

 ……あぁ、そうか。狙いやすい(・・・・・)様に、って事なのね。

 可愛そうな奴ら。戦端を開くゴングにされてた事も知らずに。


 「……命拾いしたね。アタシに感謝しなさいよ」


 ゴングを鳴らすハンマーは、アタシが既に折ってしまったのだから。

 誰にともなく、そうアタシが呟いたその時、山肌に反響した遠くの銃声が小さく聞こえた。







 「小隊長殿、晩飯でさぁ」


 僕、ブルクハルト・ドライツェはオットー最先任曹長の声で我に返った。


 「お加減でも悪いんですかい?」


 僕の様子を見たオットー曹長にかぶりを振って応える。何、強行軍で二日程寝てないだけだ。何でもない。

 それにしたって、四六時中兵を叱咤しながら同じように行軍してきた曹長は普段とあまり変わりない様に見える。全く、へこむよ。


 「何、ここまで来ちまえば、後は二週間ほどここで野営するだけでさ。今夜はゆっくり休めやす」


 僕の第4小隊は丸四日をかけて進出目標であるシエライサベリア山脈南西側の第3峰南壁下のキレットに位置する識別呼称274号地点までの進出を完了していた。みんな新兵の師団だけあって、行軍速度が予想以上に遅かったらしく、最後の二日間は夜を徹して山歩きをせねばならなかった。

 ここ識別呼称274地点は左右を低い支尾根に挟まれた浅い谷状の地形になった場所で、一方の支尾根からはバルシュタット平野と呼ばれる緩やかな扇状地構造を一望できる。

 バルシュタット平野はラサントス側から伸びる街道から、カデン高原を越えるにあたって3つに分岐する主要な峠越えルートの内の一つだ。

 僕らの中隊が配置されたこのバルシュタット平野はその3つのルートの内、一番南側に位置する一番険しいルートで、更に言えばバルシュタット平野の北側に位置する別のルートの方が地形的に更に緩やかで大軍の侵攻にも向く地形であり、バルシュタット平野は強いて言えば3つの主要ルートの更に枝道とも言えるルートになる。

 僕ら第4小隊が所属する1804(ヒトハチマルヨン)大隊第4銃兵中隊が与えられた任務は、このルートの封鎖と防衛だ。

 一応、最前線とは言え、識別呼称274号地点はまだテルミナトル帝国領側。まだ戦争は始まっていないから単なる登山訓練とも言えた。


 「何も無ければ良いんだけどね」


 「そうですなぁ」


 なんてオットー曹長と言い合ってから、炊飯の匂いが漂ってくる糧食班が焚いた焚火の方へと移動する。

 寝不足もきつかったが、空腹はとっくに限界だった。

 自然と早くなる足を一生懸命宥めて――将校たるもの、いついかなる時も余裕を持って、泰然と行動せねばならない。部隊長が突撃でもないのに走ったりしたらみっともないのさ――僕は糧食班の元へとゆっくり急いだ。

 今晩のメニューは牛乳で炊いた、ゲル状になるまで煮詰められたハーファブロイ(麦粥)にヴルスト、焼いたパタタ()だった。丸い幅広の木の器に全部一見するとぞんざいに盛られて手渡された。

 スープはないのか、と少し残念になるが、今日は到着したばかりで準備が間に合わなかったのだろう。仕方がない。温かい飯が食えるだけで有り難いと思わなければ。水も貴重だからな。

 いや、違うな。もしかしたら丸二日の強行軍だったのを慮って、糧食班が気を使ってくれたのかもしれない。いや、間違いないだろう。彼等には特別にロバが与えられているし、自分の装備をロバに載せることが許されているから、もしかしたらその辺の釣り合いを取ろうとしてくれているのかもしれなかった。大抵の兵は行軍中彼らが羨ましくて厄っかむから。

 牛乳だって戦場じゃ貴重だ。液体は持ち運び辛く、前線までわざわざ持ってくるのは不可能で、水は現地調達するのが基本だ。

 多分最初で最後の、もしかしたら誰かの持ち込み品かもしれないそれを精一杯使って調理してくれたのかもしれない。

 そう考えると、目の前のハーファブロイを無心で食ってしまうのが無性にもったいない気がしてしまった。

 この識別呼称274号地点は一番近い水源まで半刻は歩かなければならないから、水汲みだって一苦労。

 そう考えれば、今晩はビスケットと缶詰だけでも文句は言えない状況だった。糧食班の気遣いに感謝しなければ。

 だが、兵達とは少し離れて小さな岩の上に座り込み、まだ湯気が立つハーファブロイを掬った先割れスプーン(スポーク)を口に運んだ瞬間、僕はタダのハーファブロイを掻っ込むだけの機械になってしまった。

 空腹には勝てない。僕も修行が足りない。

 ハーファブロイは塩と胡椒とノブラウフ(ニンニク)が良く効いていた。これが妙に腹に沁みた。いや、直撃だった。

 まるで欠食児童のごとくハーファブロイを掻っ込み、表面をパリパリに炙られてスパイスが効いた肉汁が滴る太いヴルストに大口を開けて齧りつき、中身がホクホクの焼きパタタを必死で頬袋に押し込みつつ、はたと自身の行いに気づいてハーファブロイを掻き込む手を止めた。

 指揮官は常に泰然と、優雅に。今の僕には何と程遠い単語だっただろう。兵たちに見られたら、幻滅されるかもしれない。舐められる。

 自身に向けられているかもしれない侮蔑の視線に、恐る恐る顔を上げ僕だったが、その心配はなかった。そこら中に居たのは頬袋をパンパンにした図体だけデカイ欠食児童達だった。

 まぁ、早飯早グソは兵隊の嗜みというしな。

 僕もまた頬袋をパンパンにするだけの作業に戻る事にした。が、そんな幸せな時間はすぐに過ぎてしまう。

 兵隊の嗜みをこんなに呪ったことはなかったな。

 空になってしまった木皿を名残惜しく眺めつつ、糧食班に食器を返しに行く。

 その道中と来たら。そこかしこで木皿を舐め回す欠食児童しか居なかった。

 まぁ、その気持もわからなくもない。僕だって、兵たちの目がなければ隅々まで木皿を舐め回したことだろう。

 糧食班に礼を言って、飯の美味さを褒め称えると、糧食班の一人、年重の豊かな髭を蓄えた男がニッカリと破顔した。階級は軍曹だった。

 あいつか。今日の晩飯を作ったのは。いや、本当に美味かったよ。ありがとう。お前が軍を除隊して店を出したら、僕は最初の客になろう。本当さ。絶対店を出したら、知らせてくれよ。

 そんな事を話しつつ、糧食班の下を離れると、オットー曹長を見つける。そこ居たオットー曹長は、やはりただ頬袋を膨らませるだけの機械だった。


 「や……こいつは見っともねぇところを……」


 「気にしないでくれ。僕も一寸前までは曹長と同じだったさ」


 そう言って曹長と笑いあって僕はその場を後にする。曹長はまた例の機械に戻っていった。

 今夜は休めると言っても、僕らの任務はこの場所の封鎖と防衛だ。部隊全員高鼾をあげる訳には行かない。

 部隊の半分は夜警をしなければならない。指揮官である僕はこれから夜半まで夜警の指揮で眠るわけには行かない。

 それでも、今食ったハーファブロイは夜半までの活力を与えてくれた気がした。

 持ち場に戻ろうとすると、僕らの所属する第4中隊の指揮官であるヒュッター大尉が居た。

 すれ違いざまに敬礼をしてみるが、地面から飛び出た岩の影に腰を下ろしたヒュッター大尉はまるで弾丸飛び交う前線にでも居るかのように周囲に目を配りながら無言でハーファブロイを咀嚼しており、僕の敬礼には気づかない。

 常在戦場と言うことか。空きっ腹に美味い飯を掻っ込んでいる間も、周囲を警戒するその姿は将に指揮官のお手本のようだった。 

 ――いや、それにしてはしきりに周囲を警戒するような大尉の様子は、まるで盗んできたパンを人目を避けて頬張る物乞いの様だった。

 何をそんなに警戒しているのか。いや、指揮官たるもの、常に周囲を警戒すべきなのは間違いなかったが、大尉のそれは見れば見るほどどこからか飛んでくる銃弾を警戒する新兵のようでもあった。

 まるで飯の味など感じてはいまい。

 やめよう。新米少尉の僕には指揮官とは何たるか、など語る資格はないのかもしれない。

 支尾根からバルシュタット平野側を警戒している奴らの様子を見に行こうと僕がその場を立ち去ろうとしたその時、遠くで銃声が聞こえたような気がした。

 周囲を見回すと、誰も銃声を聞いたような様子は無く、欠食児童の集団が無言で手を動かしているだけだった。

 唯一人、ヒュッター大尉だけが木皿を派手に取り落して地面に伏せていた。


 「大尉殿、大丈夫ですか?」


 「今、銃声が聞こえなかったか?……いや、なんでも無い。気にするな」


 ヒュッター大尉は声を幾ばくか震わせながら僕を見あげると、慌てて立ち上がり地面にぶち撒けた食器を一顧だにする事無く、中隊本部へと駆けていった。 

 あの、僕たちの部隊を欠食児童の集団に変えたハーファブロイとブルストとパタタが、泥にまみれて地に転がっていた。

 何だったのだろうか。

 周りに居た兵たちに聞いてみても、誰も銃声など聞いていないと答えるのに、やはり気の所為だったようだ。

 それにしたって、あのヒュッター大尉の様子。

 僕は内心首を傾げつつも、持ち場に戻った。

 その後は、特に何もなかった。

 高い標高から来る気温の低さに身を震わせながら、支尾根の上からバルシュタット平野が有るはずの暗闇をじっと見つめて時間がすぎるのを待った。

 夜半を過ぎ、曹長が交代要員の兵達を叩き起こすのを横目に、僕は4小隊に割り当てられた天幕で寝袋に潜り込む。

 眠りに落ちるのは直ぐだった。

 夜が明けて、刺すような冷気と戦いながら起き上がり、糧食班から熱いコーヒーと黒パンとチーズの塊とブルストが乗った木皿を受け取り、黙々と食べた。

 今朝の朝食は例の髭面の軍曹の手によるものではないらしい。姿が見当たらなかった。

 少し残念に思いつつ、チーズが出るだけマシだと思いつつ、焼かれてもいないそのままの冷たいブルストと歯が砕けそうなほど固い黒パンをコーヒーで流し込み、最後にチーズを齧る。

 昼か夜はあの軍曹が当番であることを祈った。

 楽しみにしていたその日の昼は、山の急変する天候で雨が降ったせいで火が熾せず、缶詰とビスケットで済ますことになった。全く、忌々しい雨だ。

 夜は例の髭面の軍曹が担当だった。メニューは黒パンと、ブルストとパタタやパースニップ等の野菜が一杯入った、小金瓜ベースのポトフだった。

 また欠食児童共が量産された。当然、僕もその一人だった。

 いい気分で夜警をこなし、寝袋に潜り込んだ。

 その日、ヒュッター大尉を見かけることは無かった。

 あくる朝。

 僕はオットー曹長の押し殺した声で叩き起こされた。


 「小隊長殿!起きてくだせぇ!敵です!」


 「数は!?」


 僕も声を押し殺して聞き返す。


 「スゲェ数です!一個大隊は居やす!」


 僕は慌てて跳ね起き天幕を飛び出すと、バルシュタット平野が見える支尾根まで走った。


 「……何で……まだ戦争は始まってないはずだろ!?」


 匍匐姿勢で支尾根から顔を出すと、その先には同じ黒と朱の軍服を着た大軍がこちらに向かって横列体形を取ろうとしていた。

 ここはテルミナトル帝国領側だ。国境線が確定していないとは言え、我が国はそう主張している。

 その領域に軍隊が入り込んでくるなんて、明確な国境侵犯だ。

 嘘だろ。

 僕たちの任務はココで2週間野営する登山訓練だった筈じゃないのか。

 そんな考えが頭の中を支配する。くそったれ。聞いてない。


 「総員装填!戦闘用意!曹長、小隊を伏射姿勢で尾根に並べろ!絶対に頭を上げさせるな!」


 僕は反射的に叫んでいた。

 僕の命令にオットー曹長が瞬時に反応し、大軍を前にして呆けている4小隊の連中を引っ叩いて回る。

 隣の3小隊も横列で伏射姿勢を取り始めていた。

 そんな最中。割って入る声が有った。


 「撃つな!撃つんじゃない!総員射撃体勢解除!」


 そう叫びながら走ってきたのは、昨日から姿を見なかったヒュッター大尉だった。

 大尉が僕たち小隊長に集合するよう手で合図する。


 「まだ戦争は始まっていない。こちらからは絶対に撃ってはいかん!」


 即座に集合した僕らに向かって、隈が出来て窶れたような頬を震わせ、血走った目をギョロリと見開いたヒュッター大尉はそう言った。

 何を馬鹿な。相手は既に膝射姿勢で此方を狙っている。

 此方は尾根に身を隠しているとは言え、相手は大隊規模。此方の倍以上の数だ。先制しなければ大損害を被る事になる。

 僕らが口々にそう訴えると、大尉は苛立たしげに周囲を見回した後、僕らに耳を貸すようジェスチャーをした。


 「お前らには伝えていなかったが、我々の部隊にはこの地点の防衛任務以外にもう一つ、重要な極秘の任務がある」


 声を顰めたヒュッター大尉の次の言葉を待つ。


 「それは、『帝国』法上の交戦規定に則り、合法的に戦争を開始することだ。わかるか?」


 意味がわからなかった。

 僕らのキョトンとした顔を見てヒュッター大尉が舌打ちを打つ。


 「『帝国』法上、戦争を開始できる条件は三つ有る。

 一つは開始する日時を明記した宣戦を布告する時。

 もう一つは当事国間で協議の上、場所と日時を指定して開戦に合意する場合。

 そして最後が、直接的に身体に損害を与えるような攻撃を受けた場合、防衛の為の反撃行為を行う事が許され、それは戦争行為も含まれる。

 士官学校の座学で習わなかったのか?」


 習った。いや、士官学校では叩き込まれたと言っても良かった。何せ、指揮官としてこれが解っていなければ、仕事(戦争)が始められないのだから。

 そして同時に、僕らは悟ってしまった。自分らが与えられていた真の任務の内容を。

 戦争の始め方は『帝国』法に3通り記載されている。だが、現在の所、実用的に運用出来る可能性が有るのは2通り。一つは、相手に戦宣を布告して始める事。もう一つは受けた攻撃に対して反撃する事。この2通りしかない。

 数百年以上前には当事国で開戦場所を取り決めて大会戦を行って揉め事に決着をつける事もあったらしいが、今では国際情勢が複雑になり過ぎて、揉め事自体の当事者が多すぎて単純な会戦一回で決着がつくような状況では無いのだ。

 また、宣戦を布告する場合、法的には戦争状態へ突入することができるが、突入することができるからといって、その事が賞賛される行為で有るとは限らない。

 昔は勝者こそが正義だったが、近年はそんな事はない。

 特に我が国の祖国回復戦争の時はその傾向が顕著だった。

 正義は我にあり、と宣戦布告した我が国だったが、実際は3カ国の大規模な戦争になってしまった。

 しかもその影響は今も尾を引き、ラサントスにメイザールと対立している現在の状況の遠因となっている。

 これ以上の他国参戦を許さないためにも、正当な戦争の根拠が無ければならなかった。

 正当な戦争の根拠。

 我が国の現在の主張は「ラサントスの要求する新国境線は承認できない」と言う物しか無い。

 まぁ、先日発効した通商条約の内容も公正とは言い難い内容だが、その内容が気に入らないから宣戦する、とは言えない。そんなの周りの国々から総スカン食った挙げ句、世界中を相手に戦争をしなければならなくなる。

 下手をしたら天上大陸が直接制裁を行ってくる可能性すら有る。

 天上大陸が直接軍隊を出してきたら我が国に勝ち目など無い。

 だから、開戦理由は誰が見ても「正義はテルミナトルにあり」と納得する理由でなければならない。


 「つまり、我々は、開戦理由となる為の(マト)である、と?」


 思わずそう発した僕を、ヒュッター大尉は血走った目で睨みつけた。


 「そうだ。だから此方から撃ってはいかん。寧ろ撃たせろ。撃たせてから、撃つんだ」


 その言葉に僕ら小隊長たちは絶句する。

 嘘だろ?僕たちに、兵に死ねと命令しろと?

 司令部は、僕らに開戦理由になるために、死ねと?

 そんな僕らの青ざめた顔を見回し、ヒュッター大尉は言った。


 「案ずるな。敵が此方に撃ってくれば、それで良いんだ。

 あそこに居るラサントス軍は、我軍の特殊部隊がラサントスの軍服を着ているだけだ。本気でこちらを狙っては来ない。

 あそこに居るラサントス軍が撃ってきたら、適当に打ち返して撤退して、この事態を司令部に報告する。

 それが俺たちに与えられた真の任務だ」


 すると、遠くで銃声が連続し、尾根に何か硬いものが叩く音が連続する。

 伏せろ!

 と、叫ぼうとする僕を、ヒュッター大尉は羽交い締めにして押し止める。


 「待て!もっと撃たせろ!何人か怪我人を出せ!死人が出たらもっと良い!」


 ふざけるな!

 僕は渾身の力でヒュッター大尉を振りほどく。


 「全員伏せろ!頭を出すな!」


 僕は叫びながら走っていた。


 「ブルクハルト!貴様!」


 ヒュッター大尉の怒声を無視して、僕はオットー曹長を探す。

 兵を隠れさせなければ。相手はもう撃ってきたんだ。開戦事由には十分だ。頭を上げさせて怪我や、まして死人を出すわけには行かなかった。

 その時、僕は此方に走ってくるオットー曹長を見つけた。

 曹長、絶対に兵達に頭を挙げさせるな、尾根から顔を出すな!

 そう、叫ぼうとした僕に、オットー曹長が飛びかかるようにして覆いかぶさってきた。


 「小隊長殿!伏せて下せぇ!」


 次の瞬間、尾根の向こうから轟音が響いた。

 大砲!

 オットー曹長に押し倒された姿勢から、顔だけを上げた瞬間。

 不吉な風切り音と共にそれは飛来した。

 兵達の悲鳴が劈く爆音で掻き消され、まるで火山のように地面から火柱が上がり、大の大人が冗談のように空を舞う。

 続いて鳴り響く敵の銃声。


 「伏せろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 僕は必死でそう叫ぶが、続く敵の砲声が僕の声を掻き消していく。

 爆音がして、ドサリ、と僕の目の前に伏せた男が居た。

 ヒュッター大尉だった。

 いや、彼は伏せては居なかった。ただ、力なく倒れ伏していた。

 彼の下半身は、無かった。

 血走ったその眼は、どこを見るともなく茫洋と虚空を見つめていた。

 起き上がって、先程まで僕と他の小隊長たちがヒュッター大尉と居た場所を振り返ると、そこには8本の足だけが何事もなかったように地面に屹立しているだけだった。


 「小隊長殿!撤退しやしょう!敵は我々の倍以上居る上に臼砲まで持ってきてやす!このままじゃ全滅しやす!下がって、大隊本部に合流しやしょう!」


 次々に飛来する砲弾と銃弾に呆然とした僕の肩をオットー曹長が揺さぶった。

 くそったれ。ヒュッター大尉め。何がラサントスの軍服を着た味方だ。アレは絶対に味方じゃない。

 例え本当は味方だったとしても、僕たちを殺しに来た味方は味方じゃない。

 くそったれ。何だこれ。


 「オットー曹長、小隊を掌握しろ!僕は他の小隊を掌握する!逃げるんだ!」


 声を張り上げながら、頭を抱えて蹲る他小隊の兵達に集合と撤退を指示する。

 その最中にも次々と降り注ぐ砲弾と銃弾の雨。

 倒れ伏す男達。

 何なんだこれは。祖国は、我が国は僕たちを裏切ったのか!?


 「荷物は捨てろ!逃げるんだ!走れ!」


 撃ち返そうと小銃を構えていた連中に走りながら叫ぶ。

 次の瞬間、連中は吹き上がった土砂に隠れて見えなくなった。

 土煙がやんだ後には、血溜まりしか残っていなかった。


 「逃げろ!逃げろ!走れ!走れぇ!」


 叫びながら走る僕を見て、他の小隊の奴らが次々に背嚢や小銃を捨てて走り出す。

 そこに、谷間を震わせる男達の蛮声(ウォークライ)が響いた。

 見れば、先程まで横列射撃をしていたラサントスの銃兵達が、小銃を突き出して黒い津波のように尾根を登りながら銃剣突撃を敢行していた。


 くそったれ。


 くそったれ!


 くそったれぇっ!!!



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