#37
毎度更新が遅くて申し訳ありません。
(と言いつつ、サイドストーリー展開)
テルミナトル帝国 カデン高原東麓
カーリスバーグ駐屯地 臨時訓練場
「フォーヴェアーッ、マーーッシ!」
僕の号令一下、銃兵横列隊形を組んだ50人の男達が一斉に軍靴の鋲を大地に打ち付ける。
僕は腰の指揮官用軍剣を抜き放ち、サーベルの峰を右の肩に担ぎながら、我に続けと大地を掘り返すほど強く踵を叩きつけてその横列の一番左端を征く。
僕の後ろでは恐ろしい顔の中隊最先任曹長は、列が乱れとらんか、と夜道で出会ったなら大の男も悲鳴を上げそうな凶相を向けて中隊に目を光らせていた。もし少しでも列が乱れていたら、きっとそいつは生まれてきたことを後悔することになる。
10歩、20歩、30歩……。僕の小隊は先任曹長にドヤされることもなく、靴音高らかに前進する。赤い飾り羽根が着いたピケ帽を被り、濃紺地に赤い差し色の入った軍服を身に付けた男達の行進は、傍から見れば両手に抱えた小銃も相まってなかなかの壮観ではあった。
そろそろか、と言うところで僕は肩に担いだサーベルで誰も居ない野っ原を指して叫んだ。
「撃ち方ぁー……構え!」
僕の号令と供に最先任曹長が軍笛を鳴らす。甲高いホイッスルの音で横列が一斉に歩を止め、一番前の一列が素早……くも見えなくもない速さで膝射姿勢を取り、抱えていた小銃を構えた。二列目は立射、三列目は二列目の間に少しずれて同じく立射姿勢をとった。
「目標ォー、前方300ショーォーク……敵横列!……撃てぇっ!」
叫びながらサーベルを前方に向かって振り下ろすと、真隣の兵士からカチン、と言う撃鉄が落ちる音が響く。
が、それだけ。
遊底を一斉に引く音が響き、今度はバラバラに撃鉄が落ちる音が暫く続いた。
「躍進距離300!ぜんたぁい、突撃にぃ……移れぇ!」
僕の振り下ろしたサーベルと共に、全隊が怒声とも蛮声とも似つかない、聞きようによってはウォークライの様にも聞こえる叫び声と共に着剣した小銃を構えて全力疾走を開始した。
「全隊停止!全隊停止!隊列戻せぇ!」
全隊が数十メートルを着剣した小銃を構えならが走った所で、最先任曹長の生物の本能を震え上がらせる猛獣の様な大音声が響いて兵達は足を止めた。兵達は息を切らせながら突撃でグチャグチャになった隊列をバタバタとまた組み直す。
まるで雷親父に怒鳴られた小僧の様であるが、大の大人を小僧の様に震え上がらせられなければ軍隊の下士官は務まらない。その点、我が隊の最先任曹長は別格だ。上官である僕すら、隣で兵達を怒鳴り散らすのを見ていると股間が竦む。
「オットー曹長、どうかな?」
秋が深まっているとは言え、燦々と降り注ぐ陽光の下で延々行進訓練をした僕は額に浮いた汗を拭いつつ、一縷の期待を込めて最先任曹長に問うた。
まるで襲いかかる直前の肉食獣のような目で隊列を凝視していた最先任曹長は、鼻を鳴らして僕の方に向き直る。
「はい。及第点、と言いたい所ですが、行進から射撃への移行がいけやせんな。一列目が膝射姿勢に移行するのが遅すぎやす。二列目三列目の奴らも構えるのが遅すぎやす。これじゃぁ同時に射撃号令がかかっても完全に先制されやす。さらに再装填も遅い。しかも銃身がブレ過ぎて次の射撃まで時間がかかりすぎでさぁ。ついでに射撃後もいけやせん。突撃隊形への移行が遅すぎやす。もっとシゴイてやる必要がありやすな小隊長殿」
成程。射撃姿勢への移行が遅くて、再装填が遅くて、再照準が遅い。ついでに突撃隊形への移行も遅い。つまり、兵隊の基本である行進射撃に関して、ウチの小隊は全部ダメってことだな。
僕は思わず頬が引き攣るのを我慢できなかった。
すると、まるで極道の様な顔の造りの最先任曹長が僕の様子を見てニッカリと笑顔を見せた。
街で偶に出会う破落戸なんぞは可愛い子猫ちゃんに見える、それは恐ろしい笑顔だった。
「何、第4銃兵中隊は戦時増強で新規編成されたばっかりなんで、仕方ねぇですよ。こいつら第4小隊もまだまだ寄せ集めの新兵同然です。鍛ぇ甲斐が有るってもんでさぁ」
日が昇った頃からぶっ続けで二刻。延々と行進させられた兵達が息を呑む音が聞こえる。僕は思わず苦笑いを浮かべてしまうが、正しいのは最先任曹長だった。
周りを見れば、僕等と同じ様な銃兵小隊が幾つも、訓練場を右へ左へしながら時々曹長達の罵声を浴びて震え上がっている。
最先任曹長と僕では親と子の関係でもおかしくはないのだが、この二刻程、ぶっ通しで行進して、走って、行進してを兵達と一緒にやったとは思えないほどウチの最先任曹長は溌剌として兵達をどやしつけていた。
そんな曹長の姿に、僕、テルミナトル帝国陸軍第11師団、第2歩兵大隊第4銃兵中隊の第4小隊長を仰せつかったブルクハルト・ドライツェは、思わず三度目の苦笑いを浮かべてしまうのだった。
何というか、曹長は真面目なのだな、と。いや、彼こそが軍隊というもの、という事なのか、と。
何故なら僕は曹長程この軍隊って奴が好きなわけじゃないし、だからこそ彼の様に勤勉に軍務に励むことがどうにも出来ていない、という自覚があるのだった。
この運庭に居る奴らはみんな徴兵されたばかりの新兵達で、戦時増強でどの師団も各大隊につき1個中隊を増強していた。予備役だったり新規徴兵だったりで集められた奴らが、纏めて汽車で最前線に送られて来て、駐屯地の脇で新兵訓練を受けているのだ。
斯く言う僕も、先々月士官学校を出たばかり。配属辞令を受けたのは先月で、カーリスバーグに着いたのは先々週だ。指揮官も部隊も全部揃ってペーペーのフェダムター・ノイア・テュープという訳だ。
あぁ、最先任曹長は僕等とは違う。歴戦の猛者だ。何でも祖国回復戦争にだって新兵で参加していたってんだから、筋金入りだ。
入ってみて分かった事だが、兵隊なんて商売は碌なもんじゃない。
僕だって、元々兵隊に成りたくてこんな所に居る訳じゃない。だけれど、新興貴族の、しかも高々騎士爵家の次男以降なんて今の御時世兵隊くらいしか就く職がないのが現実だった。
祖国回復戦争が終わって約十年。終戦直後はどこもかしこも人手不足で、爵位にだってチーズ並みに穴が空いていたが、今じゃみんな埋まっちまってる。
終戦直後は帝室に信頼厚い貴族や新興貴族の優秀な次子三子に男爵や騎士爵辺りの低位の爵位をやって帝宮仕えってのも良くある話だった。僕の家も新興貴族だから、もしその時だったなら僕にもチャンスが有ったかも知れないが僕はその時まだ鼻水垂らした餓鬼んちょだ。兄貴もまだ幼年学校を出てなかったし。
ある意味で現在は貴族家の次子以下にとっては就職難なのだ。
何か商売を始められればそれに越したことはないのだが、そんな才覚が有るわけもないし、有ったとしても今テルミナトル帝国の経済界も飽和しちまってる。
祖国回復戦争が始まる前の豪商達はさらなる高みへ登って既にその辺の下手な貴族よりも影響力が有る。
祖国回復戦争後の混乱期にヤバい橋をバンバン渡って、身一つでのし上がった奴らは今じゃ押しも押されぬ豪商としてこの国の経済を支えてる。つまり、美味しい所は全部既得権益としてガッチリ抑えられてるのさ。
戦後の混乱期だからあり得た危なくとも美味しい橋は既にもう誰かが渡りきって叩き落とした後だ。危なくなくて美味しい話なんて、ある訳もない。
残ってるのは上前を限界まで撥ねられて、その日を生きていくのにやっとの分け前しか得られない様な仕事ばかりさ。そんなの、請けるだけ馬鹿みたいじゃないかな?と、僕はそう思ってしまうわけだ。
まぁ、そんな訳で、僕が理性的に取り得る選択肢としては、『お国のために尽くす』と言うお役目に服する事だけだった。
戦後の混乱から復帰したこの国は、ラサントスとの関係が年々悪化して、一兵でも多くの兵士を必要としている。同じ様に兵士を指揮する指揮官も。
自分に特別な商才が無いのはわかっていたし、頭だって人並だった僕にとってはこの道しか取り得なかった、というわけさ。まぁ、最近は本当にこの道しかなかったのか疑ってはいるんだけどね。
士官学校に入るって決まった時には、親父もお袋も凄い喜んでくれたから、なかなか良い選択をしたもんだと思ったんだったが。
実際に士官学校に入校してみたらブッたまげたよ。
座学は難しかったし、覚えることも多かった。体力なんか幾ら有っても足りない。だけど、確かに苦しかったけど、それ等は僕が絶望するほどではなかった。運動は元から得意だったし、体だってクラスの中じゃ一番デカかった。バカでも実技がそれなりなら士官学校じゃそれなりに優等生さ。
じゃぁ、何が問題だったのかってのは、アレだ。
寝てようが飯を食ってようが糞していようが、軍隊って奴の中に居る限り、常に『死』と言う奴が背後に無言で立ってるって事実だ。
しかも、『軍隊』ってヤツは、その陰険で性悪のクソッタレと、ハグしてキスしてダンスを踊った挙げ句にベッドに押し倒してレイプしろ、って命じるのだ。
今、僕等がやってるこの訓練が良い例だよ。
この訓練は横列隊形で進軍して、敵が射程内に入ったら射撃して吶喊するっていう至極シンプルな訓練だ。銃兵としては基本中の基本だ。
だがよく考えてくれ。この訓練が実践で活きる状況ってヤツを。
敵がいる真正面まで歩いていって、敵が銃やら大砲やらをバカスカ撃ってくる中で隊列を乱さず怯まず撃ち返して、さらにはその弾雨の中、走っていって銃剣で敵を串刺しにする訓練なんだぜ?
隣の味方が撃ち殺されようが、どんなに沢山の弾や砲弾が飛んでこようが関係ない。先に隊列を崩して逃げ出した方が負け、っていう狂ったルールのゲームだ。
まぁ、この一見馬鹿みたいな戦術にもちゃんとした理由もある。指揮官が隷下の部隊を掌握して様々な戦術を取ろうにも、命令を伝達する方法が号令や合図による音声伝達に限られてしまうから、声や音の届く範囲に固まって、あらかじめ決められた合図で突撃したりするしか無いのだ。あらかじめ決められている、と言っても合図で伝達できる情報なんかたかが知れてる。進め、止まれ、撃て、止め、位のもんだ。だから敵前に身を晒して吶喊、どんなに撃たれても列を乱さず撃ち返す、と言う戦術は一見して愚策にも見えるが、逆にいえばこれ以外の戦術が取り得ない、と言う技術的な限界なのだ、と言うことはわかっているのだけれども。
持ってる弾が尽きるまで撃ち続けて、撃ち尽くしたら吶喊して一人でも多くの敵兵を刺し殺せ、って命じられるのは何というか、気が滅入ると思わないか?
逃げることは絶対に許されない。少しでも逃げた奴はその場で撃ち殺される。撃ち殺すのは指揮官の僕の役目なんだぜ?当然、僕も逃げる訳には行かない。どれだけ弾が飛んでこようが先頭に立って、後退命令が出るか撃ち殺されるまで、部下のケツを蹴り上げて進まなきゃならないのさ。
な?クソみたいだろ?
でも、そんな軍隊にウチの最先任曹長のオットー曹長はずっと居る。
祖国回復戦争を生き残ったなら勲章だってもらえたはずだ。年金だって出てるはず。軍隊辞めて、田舎に帰って畑でも耕しゃ、村じゃ英雄扱いで、年金と畑の収入でそれなりに豊かな生活が出来たはずさ。もしかしたら、村一番の美人を嫁にもできたかもしれない。
だのに、オットー曹長はずっと軍隊に居る。故郷に帰ることもなく、今だに独り身だ。
多分、オットー曹長は戦場が大好きなのだと思う。一番安いチップよりも自分の命が安いポーカー卓に座って、常に自分の命を賭けて全額賭けするような戦場って場所が。
まったく、目眩がしてくる。
でもそんなオットー曹長は、こと軍隊の中では誰よりも頼りになる。
だから、僕は今の心境を少しだけ、本当に少しだけ、傍にいる誰かが聞いてもなんの事だか判らないよう、細心の注意を払って彼に打ち明けるのだった。
「曹長は、どう思う?」
僕の発した言葉は唐突で至極抽象的だった。
「はい。小隊長殿のお考えは、まぁ理解出来やす」
にもかかわらず、オットー曹長の答えは明確だった。曹長も僕と同じ考えを抱いている証拠だった。その事実が少しだけ僕を安心させる。
新兵訓練とは言え、なんで今さら行進射撃なのか。
この訓練は中隊長であるヒュッター大尉からの命令だった。まぁ、命令というか、通知された訓練メニューがこうなっていただけなのだが、広義的には命令に違いなかった。
「無駄な訓練はありやせん。地道にやるしか無いですなぁ」
そう言ってオットー曹長は僕を励ます。オットー曹長の言う通りだった。無駄な訓練は無い。
それが、銃兵に支給される小銃が滑腔銃から施条銃に換装されてから、あまり重視されなくなっている訓練だとしても。
「小隊長殿に講釈を垂れるわけじゃぁありやせんが、行進訓練は行軍の遅れを防げやす。行軍の遅れが防げれば、作戦通りに物事が運べやす。作戦通りに物事が運べば、実戦でも勝ちやすい。行進射撃訓練はそれに突発的な遭遇戦への訓練が加わっただけです。そう考えやしょう」
まるで駄々をこねる子供をあやすように、オットー曹長がそう付け加えた。
そうだ。オットー曹長は正しい。
兵隊って奴は、命令されれば従うしか無いのだ。グネグネと碌でもない考えを捏ねくる必要はない。ヤレと言われればヤルだけ。
だが、士官学校を出たばかりのまだまだ娑婆の気分が抜けきらない僕にとっては、それが気になって仕方がなかった。
だって、まるで遭遇戦をやるつもりとしか思えないじゃないか。こんな新兵ばかりの中隊で。
普通は遭遇戦が予想される先鋒と言えば歴戦の部隊が充てがわれる筈じゃないか?
僕がまだ士官学校にいる間に軍の正式装備がライフルに換装されてからというもの、僕等が口を酸っぱくして教え込まれたのは『敵を見かけたら、素早く伏せて射撃しろ』だ。なのに、何故今更、マスケットの戦い方を訓練するのか。
まだまだ娑婆僧である僕には、どこかで警鐘が鳴っている気がしてならなかった。だからといって、僕の前に用意されている選択肢は一つしか無いのだが。つまり、唯々諾々と訓練を続けるだけ。
もし恐怖にかられてこの駐屯地を脱走でもしようものなら、僕は銃殺の上に家族は末代まで笑いものだ。そんな選択肢、選べるわけがなかった。
「第11師団第3歩兵大隊第4銃兵中隊第4小隊長、ドライツェ少尉殿は何処におわしますか!?」
僕がそんな碌でもない思考をグニグニと捏ね繰り回していた時、演習場の端からそんな声がかかった。
ここだ、とその二等兵に手を挙げると、僕と同じくらいの若い二等兵は一目散に僕の元へ駆けてきて敬礼する。
「第4銃兵中隊長ヒュッター大尉殿より、中隊本部への出頭命令が出ております」
了解した、と答礼すると、二等兵は踵を返して駐屯地へと戻って行くが、今度は別の場所で「第3小隊キンケル少尉殿は何処におわしますか!」と叫ぶ声がする。別の二等兵の声だった。
どうやら第4銃兵中隊の小隊長全員が呼び出しを受けているようだった。
「曹長、すまない。後を頼めるかい?」
内心、延々続けなければならない行進訓練を抜けられる、とホッとしつつも曹長に声をかけると、彼は満面の笑顔で「お任せください」と見事な敬礼で答えた。僕が居なければ、彼はウチの小隊のトップだ。僕の手前、何かと気を使わせているとは自覚していた。
兵達は愕然として半泣きで震えていた。これも役目なんだ僕を恨むなよ。
第4銃兵中隊の同僚小隊長の少尉達と連れ立って駐屯地へと戻る。
駐屯地はちょっとした街だ。いや、帝都ヴィルへリンブルク程ではないが、間違いなく僕の生まれた街よりもデカイ。
何せ、既にここにはテルミナトル帝国陸軍の半数近くが揃ってる。その数や、既に20万を軽く超える。まだ全部の師団が出撃準備が完了しているわけではないから、まだまだ増派が予定されている。
既に駐屯地は三箇所に増設されているが、この駐屯地もどんどん増える予定だ。現在、カーリスバーグの南に一つ、東に二つ駐屯地が有る。北側にも新たな駐屯地を建設中らしい。
フリーハンドで書いたみたいな歪な正方形の形をした駐屯地には何でもある。兵士達の食堂に士官食堂、嗜好品を売る酒保もあるし、床屋だって茶店だって有る。それも一つの駐屯地にそれぞれ二桁は設置されている。ついでに娼館だってある。まぁ、館と言いつつ兵舎と同じタダのテントだがな。僕は訓練が忙しくてまだ行けてないけど。
唯一無いのは酒場だけだ。酒を飲ますと兵隊なんてやつは絶対喧嘩するからな。武器が山程ある駐屯地でそんな物出せるわけがない。
駐屯地の入口をくぐると、しんと静まり返った兵舎の向こう側に賑やかな喧騒が聞こえる。食堂や酒保が有る区画だ。酒保と言っても酒は無いんだけどな。
二十人ほどが寝られる帆布製の兵舎の入り口から中をチラリと覗けば、折り畳みのベンチみたいな粗末な簡易ベッドを机に、細巻きや煙草を吹かしながら車座でカードに興じている兵達が見えた。
まぁ、食堂は飯を食ったら後は用が無いし、酒保は金か軍票が無いと何も売っちゃくれない。娼館なんかココぞとばかりに篦棒な値段を付けてるもんだから、そう通えるもんでもない。居る女はその辺のタチンボでも客が付くのかどうかって連中なのにな。まぁ、万単位の男しか居ない駐屯地じゃ、性別的雄以外は何でもアイドルさ。そう、何でも。
俺達みたいな新兵諸君以外は定期的な訓練以外は基本暇なのだ。やることなんか、飯食って、煙草吹かして、カードやって、週に一度の配給日に軍票が入ったら娼館でも行く位しかやることが無い。まぁ、俺たち新兵はそんな暇すら与えられ無いのだが。
そんな兵舎の間を腰に下げたサーベルをガッチャガッチャ鳴らしながら士官4人が連れ立って歩くと、すれ違う奴すれ違う奴、みんな慌てて僕等に敬礼して道を譲るもんだから――この辺の兵舎で屯してるのは全員兵卒だ――僕等は一度答礼のために上げた右腕をいつまで経っても下げられない。訓練で酷使した後でこれは結構キツイんだよな。
まぁ、彼らは彼らでダラケてた所に士官が歩いてきたらビックリするよな。1人ならまだしも、4人だからな。兵達にしてみりゃ1人なら雰囲気に飲まれて何とでも言い訳できても、4人も出てくりゃ何を言われるか分からない。
軍服の前を開けてだらしなく屯していた連中は大慌てで居住まいを正し、兵舎の中では大慌てで何か片付け始めた奴らもいる。邪魔して悪いな。とっちめられるような事はすんなよ。とっちめる側はとっちめる側で面倒くさいんだぞ。事後手続とか。下手したら指揮官の監督不行届きとか言われるし、指揮官同士で余計な軋轢も生む。新入りのくせにチクリがって、的な。
小隊長の内の1人、同期のキッシンジャー少尉はそんな兵達の姿にいたく不機嫌そうな顔を向けていたが、先を促して僕らは兵舎が並ぶ通りを抜ける。全く、彼は真面目すぎるよ。
僕らが右腕を休ませられたのは、食堂や酒保が集まる一角まで来てからだった。ここまで来れば人が多すぎて誰が誰だかなんて解りゃしないし、士官に敬礼する奴も少なくなる。
と、同時に立ち並ぶ酒保の呼び込みが耳に痛いほど煩くなる。
四十路も後半に差し掛かった様な酒保の女達が仕切りに今日入荷したばかりの品を売るために、連日の酷使で掠れたダミ声を張り上げているが、どいつもこいつも、横幅がある奴も鶏ガラみたいな奴も、胸の大きい奴も、小さい奴も、胸元が大きく開いた服を着て、所々で扇状的な仕草で客を引いていた。年嵩がいった奴程、スカートにスリットが入っていたりしてより扇状的な格好をしているのはどうかと思うけど。
僕的には全然食指が動かないんだけど、娼館に行く金も無くて女の肌って奴を長いこと見ていない兵達にとっては格好の娯楽の様で、この辺は兵達の行き来が絶えない。
僕的にはもっと清楚で慎み深いのが好みなのだがね。
でも駐屯地に設置されたエールスリーベ教団の司祭ときたら、みんな枯れた古木みたいなジジイばっかりなのが残念無念。可愛いシスターとか派遣しろよ多分信者増えるぞ、と無理な願望を脳内で独りごちながら、道を塞ぐように屯する兵達をかき分けて進むと、ようやっと高級士官用の区画へと辿り着いた。
高級士官用の区画は佐官以上の士官用区画であり、全てが兵卒用の区画とは完全に分けられている。食堂も酒保も娼館も全部専用の物が設置され、高級士官用区画だけで全てが完結するようになっている。まぁ、佐官以上の高級士官はみんな男爵以上の貴族だから当然だ。次男とはいえ、騎士爵の僕じゃぁ、用事がない限りは入ることすらはばかられる区画であった。
ここには各種大隊本部が置かれ、その近くに僕らの目的地である第4銃兵中隊の中隊本部も設置されていた。
中隊本部の天幕前に陣取る衛兵に命令に従い出頭した旨告げると、衛兵が中に入って直ぐに中隊主席幕僚の中尉殿が顔を出した。
「第4銃兵中隊、各小隊長、只今出頭いたしました」
一番年嵩の第1小隊長、クルツ少尉が中隊主席幕僚殿にそう告げたのを合図に小隊長全員で敬礼すると、主席幕僚殿は無言で手招きをして僕らを本部内に招き入れた。
「よく来た諸君」
開口一番、渋い深みのあるバリトンで僕らにそう声をかけたのは、第4銃兵中隊長であるヒュッター大尉だった。
ヒュッター大尉は僕らの敬礼に、その濡れたような艷やかな灰髪をかきあげる様に洒落た答礼をしてから、懐から取り出した銀の象嵌が施されたシガーボックスを取り出すと一本咥え、残りを僕らの方に投げてよこした。
慌てたようにクルツ少尉がそれを空中で受け取ると、大尉は眼で僕らに合図する。
クルツ少尉は「頂きます」と断ってシガーボックスから三本細巻きを抜き出すと、残りを丁寧に大尉に返した。クルツ少尉のシガーボックスを返す手はどことなく震えていた。
クルツ少尉から三本のうちの一本を受け取る。吸口を切ったところで細巻に巻かれている帯の文字に気がついた。
うへぇ、こりゃあジュリエッタの6番じゃないか。
大尉は男爵家の嫡子だ。流石、吸ってる物まで騎士爵家の僕たちとは違うなぁ。
僕らが燐棒で細巻に火をつけるのを待って、ヒュッター大尉は口を開いた。
「通達事項は2つ。1つ目は、我々第4銃兵中隊は転属になった。新規編成される第18師団第3大隊所属となる。中隊番号はそのままの第4銃兵中隊のままだ。諸君らの小隊番号もそのままだ」
細巻の紫煙を吹かすと、香ばしくも仄かな甘味が口の中に広がった。安物の粘着質な甘ったるい味ではなく、スッキリと爽やかな味だ。香りも良い。うーん。高い細巻はやっぱ違うな。こんなもん吸ったら、いつもの紙巻には戻れねぇ。
「2つ目は、諸君喜べ。出撃命令だ」
僕はヒュッター大尉の言葉に思わず噎せそうになった。
出撃?本気か?新兵に毛が生えた程度の僕等が?
一瞬にして口に広がっていた心地よい紫煙の味が何も感じなくなった。
「安心しろ。単なる警戒任務だからまだ遺書は書かなくていいぞ。第18師団に与えられた任務は現在警戒任務に就いている第5師団の交代要員だ。我々第3大隊はカデン高原南側を担当する。我ら第4銃兵中隊はバイガル峠を超えてシエライサベリア山脈南西側の第3峰南壁下のキレット部、識別呼称274号地点まで哨戒しつつ進出する」
ヒュッター大尉が細巻を咥えながら、金細工の施された黒壇のステッキでテーブル上に広げられたカデン高原の地図なぞり、部隊の進行ルートを示した。
「出撃は明後日払暁。明日は一日兵に休暇を与えろ。明後日、明けの二刻までにはカーリスバーグに入り、各小隊全員で集合点呼を受けろ。遅れるなよ。以上。解散」
大尉に敬礼して回れ右して中隊本部天幕から出て、高級士官区画を出る迄、僕らは誰も喋らなかった。
まぁ、僕らはカーリスバーグに来るまで面識があったわけじゃない。この駐屯地に来てからだって二三日にいっぺん顔を合わす程度だ。みんな自分の隊の訓練で忙しい。
だのに、何故か、その時の僕らは互いに同じ事を考えている気がした。
でも誰もその事に言及することはなく、運庭まで戻ると、簡単な挨拶とともに各々の部隊へと戻った。
オットー曹長に事の次第を話すと、彼は一瞬の逡巡すら見せずに「なら午後は総仕上げですな」と言い放って兵達の元に駆け戻ると、まるで竜の咆哮の如き怒声でもって兵達を叱咤した。もしかしたら僕の声は震えていたのかもしれなかった。努めて平静を装ったつもりだったのだが、曹長は僕の心の内を悟っていたのかもしれなかった。
その日の午後は僕もどこからそんな声が出てくるのかと思うような曹長の罵声を隣で聞きながら訓練を続ける事になった。
金玉が縮んだまま元に戻らなくなるかと思ったよ。
代わりにどうしようもなく膨らんでいた出撃への恐怖心は僕の金玉と同じく縮こまったまま元に戻ることはなかった。オットー曹長には迷惑をかけっぱなしだな。
その日の訓練が終了して、明日の休暇と明後日の出撃を小隊に告げると、誰しもが硬い息を呑んでいた。
「いいかぁ貴様らぁ!貴様らは明後日、神聖な戦場に行くことになるんだぁ!垢はキチンと落としとけよぉ!だが第8師団の近くの『月光蝶』にゃあ来るんじゃねぇぞぉ!アソコは南側駐屯地で唯一風呂が設えられてるからって、絶対に来るんじゃあねぇぞぅ!良いなぁ!?」
見計らったように放たれたオットー曹長の言葉に、小隊一同から小さな笑い声が漏れた。
風呂がある娼館なんかが兵卒用区画にあるのか。僕も初めて知ったよ。みんな訓練ばかりで配給された軍票も溜まっていることだろう。明日はその『月光蝶』とやらは超満員だな。
本当に曹長には頭が上がらない。
だが、僕は結局、『月光蝶』には赴かなかった。
当たり前だ。そんな、隊の部下達が絶対に居る娼館に上官の僕が行くわけがないだろう。
まぁ、風呂は魅力的だったけどね。だが、僕には翌日の休暇を楽しむ暇なんてなかったのだ。
何故って?僕は休暇じゃないからね。士官なんだから仕方ない。士官には隊の糧秣の手配やら、弾薬の手配などなど、やらなくちゃいけない仕事が有るんだ。
兵隊ってのは、黙ってりゃ装備と武器と食料が入った背嚢を渡されて、それを背負えば準備完了、ってわけじゃないのさ。全部、担当の将校に申請して用意してもらわなきゃならない。これは各隊がそれぞれやらないと、隊の全員分の装備が当日になって用意されてないなんてことも……いや、よそう。
そんな事務仕事は半日もかからない。申請さえすりゃ、当日までに担当士官が用意してくれる。士官だって、特に用事がないなら出撃の前日は休みさ。
じゃあ、暇なその時間は何をしていたのかって?
膝を抱えていた。
誰も居ない、士官用の兵舎で。丸半日。
怖くて怖くて仕方がなかった。
だが、訓練とは素晴らしいかな。飯のラッパが鳴れば体が自動的にスックリと立ち上がって食堂に行って飯を食って、見かけた隊員達に鷹揚に答礼して、兵舎に帰ってきて、また膝を抱えてた。それしか出来なかった。
体面上、理想的な指揮官殿、と言う奴を演じるので精一杯だった。
翌朝、まだ日も登らない内に、体は自動的に起きだしていた。いや、実は一睡もしていなかった。
顔を洗い、着替え、背嚢を背負い、小銃を担ぎ、集合地点へとノロノロと赴く。月明かりはとうに沈み、星明かりさえも留紺に染まる夜明け前の空に塗り潰された黎明の道を征く僕の足取りは酷く茫々として頗る重かった。
いつの間にか、右後ろから近づく軍靴の音が聞こえた。
「小隊長殿、一杯如何ですか?目が醒めやすぜ」
そう言って、横から水筒のキャップに注いだ熱い黒豆茶を差し出したのはオットー曹長だった。
礼を言って一気に煽ると、強烈な苦味と酸味が舌を焼き、香ばしい香りが鼻を抜けていくと同時に、肌を切る早朝の冷気には心地の良い熱い液体が腹を温めた。
オットー曹長の差し出したのは深煎でよく煮出された濃い黒豆茶だった。お陰で、幾ばくか視界の解像度が増した気がした。
「お休みにはなっていやせんので?」
僕の返したキャップに、湯気立つ水筒からもう一杯注ぐと、オットー曹長も一気に飲み干した。
「笑ってくれよ」
皮肉げにそう言った僕に、オットー曹長は二杯目を差し出した。
「誰でも初めてはそうでさぁ。自分は、初陣で漏らしやした。デカイのをね。下履きまでベショベショで、しかもそのまま二日間も行軍せにゃらなんかったんでさぁ。もう、自分の体が臭えのなんの。味方も誰も近づきゃしねぇ」
オットー曹長が笑顔で語るのに、僕は思わず吹き出してしまった。
もしかしたら、オットー曹長は僕を待ってくれていたのかもしれない。全く、自分が情けなくなったが、仕方がない。彼の献身に答える働きを見せないとな。
「ありがとう曹長」
二杯目を一気に煽ると、兵舎の影から見知った人影を見つけた。
曹長が敬礼し、僕も敬礼すると、至極気怠げにクルツ少尉が答礼した。
「お早うブルクハルト少尉」
酷い顔だった。目の下には隈が出来、頬は少し痩けているように見えた。
多分、僕もおんなじような顔をしている事だろう。
オットー曹長がキャップに湯気が立つ黒豆茶を注いでクルツ少尉に渡した。
クルツ少尉も礼を言って一気に黒豆茶を煽った。
クルツ少尉と連れ立って集合場所へと歩く。
集合場所に居た他の小隊長たちも皆、同じ様な顔をしていた。自然と、皆が皆、お互いの顔を確認した瞬間、笑みがこぼれていた。
薄明かりの中で小隊の見知った連中を探す。オットー曹長が駆けていって、何か黒い塊にしか見えなかった一団に向かって叫ぶ。
「総員せいれぇっつ!点呼ぉ!」
黒い塊がバラバラと散らばり、二列に整列した後、左から順に番号を叫んだ。
「小隊長殿、4小隊50名、全員揃っとりやす!」
曹長の掛け声に胸をはち切れさせんばがりに背筋を伸ばして敬礼する僕の4小隊の面々は、どいつもこいつも目の下に隈が出来ていた。
「みんな、昨日は楽しんだな?」
小隊の面々が一様に苦笑した。僕も苦笑していた。
方々で同じ様な点呼の声が聞こえる。
段々と数ショーク前が見えるまでに成ってきた辺りを見回せば、こんなに人間が居たのか、と思うくらいの男達がそれぞれの小隊ごとに犇めき合っていた。
「小隊長殿、装備を受領しやしょう」
オットー曹長に促されて、兵站幕僚の元へと向かう。装備と言ったって、大したものじゃない。食料と、弾薬だけだ。
固く焼き締められた直方体状のビスケットが紐で束ねられた物を2つ貰う。一束1日分だ。今回の哨戒任務は2日で終わるわけではないが、各員がそれくらいは持っていないとイザというときに直ぐに餓えてしまう。他の食料は大隊付きの輜重隊が各中隊ごとに定期的に調理して配布してくれる。日々の飯はそれで賄うのだから、コイツはオヤツみたいなもんだ。
ついでに肉の煮込みとニシンの酢漬けの缶詰を2つずつ配られた。缶詰は高級品だ。少し気分が良くなる。今回の任務はツイてる。
次は弾薬。僕たちは銃兵だから、これがなくちゃ始まらない。銃本体は各員が管理しているが、弾薬は任務の直前に配られるのだ。危ないからな。
配布された弾薬は2基数。テルミナトル帝国陸軍の銃兵における基数は1基数当たり20発だ。だから合計で40発。
戦闘教範では一交戦当たり1基数を消費する計算とする決まりだから、配布された弾薬は交戦二回分だ。
真鍮の薬莢を紐で結わえただけで1基数づつ麻の袋に入れられていた弾の束を受け取る。すぐに取り出せるように一袋は腰のポーチに入れ、何発かを取り出してベルトの弾帯に差し込んだ。
装填はしない。僕等に配備されている小銃はH&K社製のM2289と言う後装式ライフルだったが、装填したまま行軍すると暴発する事故が過去にあったのだ。
配給品を各々背嚢に仕舞ったり使いやすい所に吊るしたりと、行軍の準備を整える。
辺りを見回せば、他の中隊の奴らも配給を受けていた。
「オットー曹長、こりゃどういうことだと思う?」
僕の発したまたもや抽象的な言葉に、オットー曹長も辺りを見回しながら答えた。
「解せやせんねぇ。どの部隊も、ついこの間新規編成された奴らですよ」
そうだった。払暁が近づいて辺り一面が薄紺の水の中に居るみたいに薄っすらと照らされたそこには、何人か見覚えのある奴の顔が見えた。
同じ汽車でカーリスバーグにやって来て、他の師団に配属された同期の少尉達が揃って自身の小隊を引き連れて兵站所の列に並んでいた。
「真逆、新兵だけで師団を再編したんじゃないよな?」
「……」
オットー曹長の渋面は何も答えなかった。
こんな長くなるはずじゃなかったのに……。(長くなりすぎて二分割)




