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朕は猫である  作者: 名前はまだない
35/70

#35

 その日、目を覚ますと、いつの間にか私には新しいお母さんが出来ていた。



 「よろしいですか?これから(わたくし)の事は御義母様、と呼ぶように」



 私が気を失う前に(さっき)般若の形相で森の中から飛び出てきたその人に、私は目を覚ますなりそう命じられた。


 その表情は先程とは打って変わって、厳しそうでは在りつつもその後ろに隠れた慈愛に満ちた表情は私の中の遠い記憶の中に居るお母さんを思い出させたのだった。


 初対面の筈なのに、実は本当のお母さんじゃないのか、と勘違いしそうになる何かがその人には有るようだった。



 そして、地獄が幕を開けた。











 「はい、もう一度!泣くんじゃありません!シャキッとなさい!背を伸ばして!オドの軌道が乱れていますよ!」



 屋根が完成した秘密基地の床張り作業を進める朕の背後で、幼子の声なき悲鳴が聞こえた気がした。


 声の主はヘーリヴィーネである。


 ヘーリヴィーネは朕が最初に接触した精霊であった。遥か昔、朕が帝位に就くよりも遥かに昔、まだ朕が溌剌とした若人であった時分に出会った精霊や神霊に類する、ヒトが超えられない向こう側に在る存在である。


 彼女は今の朕の様な、なんちゃって神霊等では無い。その存在自体が朕達よりも高次な存在である。未だに朕にも詳しい事は判らないのだが、少なくとも八階層以上は高位――ここで言う高位とは、次元の高低ではなく、言ってしまえば存在に必要な要素の違いである――の世界の住人であるはずだが、彼女自身もどの階層に属しているのかよく解っていないらしい。まぁ、高階層の世界に属する存在にはありがちなことである。


 その身を構成する要素が多すぎて、『世界』に占める自身の比率が極端に高いのだ。将に我思う故に世界有り、なのである。全体(世界)に対する自身の比率が多過ぎて、何処からが自分ではないのかが判らないのである。

 最初は興味本位で接触を試みていたのだが、その内ボディーランゲージと言うにも痴がましい程の至極拙いコミュニケーションにより、彼女は朕達が見ている世界の存在を知った様であった。


 以来、彼女は朕が大いなる円環へ旅立つ迄、朕を慕ってくれていた。いや、実のところ朕がくたばった後も何かと面倒を見てくれていたらしい。全く嬉しい限りである。


 先日訪れた再開の機会では、一言過てばクレーター1個で済めば安い的な、第三者から見れば危うくアルマゲドン的クライマックスを迎えかけたが、全くもってコミュニケーションの偉大さを改めて思い知ったものである。やはり舌先三寸は世界を救う。


 へーリヴィーネは朕の願いを聞いて、ライラの育s――教育を手伝ってくれると言う。手伝ってくれると言うか、寧ろ嬉々としてライラを一流の碩術師にすべく、スパルタ教育を敢行し始めた。教育ママも真っ青のその内容には朕もちょっと引く。



 「脳の別々の所を使うのです!まずは右脳と左脳から!そして段々にそれを細分化させていくのです!前頭葉、側頭葉、脳幹、脳下垂体、ヒトの脳は沢山有るのですよ!さぁ、もう一度!」



 ライラの情けない悲鳴が聞こえる。今ライラがしている訓練は、オドを異なる軌道で同時に運動させる訓練であり、思考分割(マルチディヴィジョン)の基本の『キ』であるのだが。


 へーリヴィーネよ。ヒトの脳はそんな事が出来るようには出来ておらん。

 ……どれ、ちと助言をするか、と朕が床張り作業を止めて小屋の外へと出ると、不出来な教え子に業を煮やしたへーリヴィーネが今将に脳天唐竹割りのチョップをライラに見舞おうかと言う所であった。

 待て待て!折檻はイカン!と、朕が注意しようとしたのだが。


 ゴチン。



 「あ。出来た」



 マヂか。



 「もう一発行きますよ!」



 ゴチン、と再度振り下ろされるへーリヴィーネのチョップ。今度は先程の角度に対して90度直角に、あたかも頭を4分割する様に振るわれた。かなり離れた朕の所でも聞こえる程凄い音がしたぞ……。



 「いひゃいっ(痛い)!!!……やった4つ同事に出来た!」



 マヂかッ!?


 ……まさか本当に脳味噌4分割したのではなかろうな……。へーリヴィーネなら出来そうな所が地味に怖い。


 本来の思考分割(マルチディヴィジョン)は、正確には思考の分割ではなく脳の未使用領域に念話(チャント)を使って並列世界に存在する自分自身の未使用領域を並列化する技術なのだが……まぁ、結果が同じならやり方は人それぞれ、と言うことかの。……そういう事にしておこう。


 朕のやり方ではチャントが使用出来るようにまずは思考迷宮(マインドラビリンス)の構築をせねばならないから、マルチディヴィジョンを教えるのはまだ先の計画だったのだが……まさか物理的にマルチディヴィジョンが出来てしまったのならその方が良い……のか?


 ……朕もチョップしてもらおうかのぉ。











 夜



 昼間散々ライラをシゴいたへーリヴィーネはライラが寝てしまうと、まだ明かりすら用意されていない秘密基地の一室に一人籠もっていた。


 因みに、朕とライラが一生懸命作った小屋の隣にはその数倍の大きさの新しい立派な母屋が出来ている。朕達の秘密基地を見たへーリヴィーネが自分の小屋を作るべく、ものの数刻で作り上げたものだった。その有り余る碩術技術を駆使して、印付された道具達がとんでもない速度で土嚢を作り、積み上げ、屋根まで作ってしまった。まぁ、彼女が行使できるマルチディヴィジョン数からすれば朝飯前であっただろう。


 へーリヴィーネはわざわざ朕達の小屋の壁に穴を開けて彼女の小屋と繋げ、朕達の造った小屋をライラ専用、へーリヴィーネの造った小屋を母屋とすることになった。

 ライラはヘーリヴィーネの成すその作業を目を輝かせて眺めておった。ライラの目には将に魔法のように映った事であろう。


 へーリヴィーネは今、そのとりあえずで作った床すらまだ土のままの母屋の中にリーゼ君達に作らせた腰掛けとテーブル――単に丸太を同じ高さでカットしただけ――でチクチクと針仕事をしていた。

 床張りは明日朕がすることになっている。と言ってもモルタルと木片を敷くだけなのだが。


 その間へーリヴィーネはまたライラを鍛えるのだそうだ。


 へーリヴィーネは教育ママという役割(ロール)を存外気に入っているようであった。と言うかへーリヴィーネも実は先生する(こういう)の大好きなのを朕は知っておるぞ。



 「其方も好きだの」



 へーリヴィーネの居る母屋から漏れ出る光を覗いてみれば、碩術で宙に灯した明かり――因みに何も媒体がない空間で光を発生させるのは超が付く高等技術である――の下で、どこから手に入れてきたのか淡い赤と黒のチェック柄の暖かそうなフランネル生地を縫い合わせて彼女はシャツを縫っていた。


 サイズを見るに明らかにライラ用である。



 「あの子、着たきり雀じゃありませんか。淑女は常に清潔にしなければならないんですよ?これから寒くなるのですし、着る物は多めに用意してあげませんと。――こういうのは先に面倒を見ていた陛下が気づいてあげなければならない事ですよ?」



 怒られてしまった。


 ご尤もなので返す言葉もない。服など2着持っていれば替わりばんこで洗濯すれば良い、位にしか思っておらなんだ。もっと金を稼いだら服を揃えていく予定だったからの。


 服というのは大量生産・大量輸送手段の無い地上世界では存外高価なものだしな。縫仕事は朕も苦手であるし。

 朕に小言を垂れつつも、彼女のその表情はとても楽しそうである。


 神霊である彼女はヒトと子を成すことは出来ない。逆に彼女の場合、気分が乗れば処女懐胎も出来るのかもしれないが、それは単なる正真正銘自分の分身でしか無い。そんな彼女は、何を考えているのか、何をするのか解らない、『子供』と言う至極摩訶不思議な存在の親と成る事が嬉しくて、楽しくて、仕方がない様であった。



 「返す言葉もない。其方が居てくれてとても助かっておるよ」



 其方がその様に嬉しそうにしておれば、朕も命を賭して其方を誘った甲斐があるというものぞ。もう二度とゴメンだが。


 テーブルに飛び乗って、彼女の作業を眺める。彼女は既に完成しているシャツに飾り縫いを施しているところだった。

 ……パッと見ただけでそのシャツ、アイディスが二桁は縫い込まれておる様に見えるのだが?



 「♪~」



 鼻歌交じりに物凄いスピードで飾り縫いとして刺繍のように花々や動物などを模した幾何学のアイディスを縫い込んでいくへーリヴィーネ。


 まだアイディスを追加で縫い込むのか。

 やり過ぎではないかの?


 よく見たら戦艦砲が直撃しても着ている者にはそよ風すら感じさせずに完全防御できる程の斥力場発生陣が縫い込まれている。しかも発動コストは自動補充する完全自立型だ。ナンテ物を造っておるのだ……。

 今、更に縫い込んでおるのは……断熱?いや、冷却か?許容限界温度高すぎないかの?10万ケルビン超?核爆心地(グラウンド・ゼロ)でもライラに傷一つ付けさせないつもりだの……。



 「髪が乱れたり焦げたりしたら困るではありませんか。女の子の髪は命と同義です」



 朕の視線に気づいたのか、へーリヴィーネは作業の手を微塵も止めずに呟いた。


 そういう問題かのう。そのアイディス、発動させるだけで周囲に瞬間的絶対零度と核爆発並みの衝撃波を発生させんかのぉ……。


 そんな朕の冷たい目をよそに、へーリヴィーネはリズミカルに肩を揺らして、実に楽しそうに大量殺戮兵器を編んでいた。


 ……まぁ、其方が楽しいのであれば、良かろうて。











テルミナトル帝国 首都ヴィルへリンブルク

宮城 御前会議



 「それでは、御前会議を始めさせて頂きます。一同、起立。皇帝陛下に敬礼」



 馬鹿みたいに横に長いテーブルの、長辺の真ん中に座ったこれまた馬鹿みたいに横に広い男が、誰もいない正面の席に向かって、深々と最敬礼をする。


 良くその馬鹿みたいに出っ張った腹で最敬礼(斜め45°)が出来るものだ、と思いながらも、余、皇太子アウグスト=ヴィルヘルムは無言で視線の先のその男、宰相バルトロメウス・シュパールヴァッサーに倣って頭を下げた。

 そのテーブルに座る者達――奇妙なことに、そのテーブルの片方の長辺には誰も座っていなかった――も、彼に倣って深々と頭を下げる。


 余等が頭を下げたその先、馬鹿みたいに横に長いテーブルの誰も座っていない長辺の先、余等から10ショーク程離れた三段ほど高くなった壇の上には一等豪奢な椅子が据えられ、そこには一人の年老いた髭面で小太りの小男がふんぞり返っていた。


 小男は軽く左手を上げると、皆が最敬礼を解く。

 余が頭を上げた際に、ふとその小男と目が合った。


 何を隠そう、彼こそがテルミナトル帝国皇帝、シュターケフリューゲル・バルゲンシュテッヒ・グラーゼ=ターミナトルその人であった。余の父でもある。

 その時の父の視線には、何故か明らかな不安の色が浮かんでいた。



 「本日の議題はラサントス、メイザール両国との戦争についてです。では外務卿、概況説明を」



 その場の全員が席に着くのを確認して、宰相のバルトロメウスが御前会議の議長として進行する。

 バルトロメウスに促された外務卿が起立し、手元のメモを見ながら始めた概況説明は次の通りだった。


 現在ラサントスと我が国は未確定の国境線についての確定交渉を行っている。

 ラサントスの提案してきた案は先の祖国回復戦争によって我が国が併合し、現在実効支配下にある旧クロクット首長国とキャール王国の国土のほぼ半分に画一的に線を引いただけの物であり、我が国には到底受け入れられない内容になっている。


 我が国からはラサントスと旧クロクット・キャール両国境線と同等の位置を新国境線として提案しているが、ラサントスはメイザール王国の後ろ盾を得て譲歩する様子はないらしい。

 寧ろ、いつでも開戦してやるぞ、とかなり直接的な恫喝を交えている。


 外務卿は婉曲的な表現で開戦を回避するには相当な譲歩が必要である、と締め括った。



 「開戦は不可避ということでよろしいか?」



 外務卿はハンカチで額の汗を拭いながら「屈辱的な新国境線を受け入れるのであればその限りでは有りません」と消え入りそうな声で宣った。

 将に質の悪いジョークである。



 「では、次に開戦に至る場合の戦略と勝算を軍務卿よりお願いします」



 鼻を鳴らしてそう言ったバルトロメウスの言葉に、席に着いた外務卿に代わり軍務卿が起立すると、従卒達が移動式のボードに地図を貼った物を出して来る。 それはラサントスと我が国を中心に描かれた地図であった。軍務卿は指し棒で地図の各所を指しながら概況の説明を開始した。



 「現在ラサントスが擁している兵力は常備十五個師団、動員令を発動して最大で二十五個から三十個師団程度までは増強可能と予想されます。

 我が国は現在常備十二個師団、動員をかけて最大二十六個師団の動員が可能と見積もっております。

 次に、開戦した場合の主戦場となるのは2箇所が想定されており、1箇所目はキャール・ラサントス国境のカデン高原。

 現在、カデン高原西麓にラサントス軍約二個師団が演習と称して展開中です。間諜の報告ではラサントスは現在も順次兵員を移動中とのこと。現在我軍も三個師団をカデン高原東側に展開して警戒にあたっております。

 開戦の時期としては、ラサントス側はカデン高原における展開兵力が我が国を上回ってからと考えられますが、カデン高原の地形的な展開可能兵力は多く見積もっても双方十個師団程度と考えられますので、現在のラサントスの展開速度を鑑みれば最短二月程で十個師団を展開完了するものと思われます。

 しかし、カデン高原西麓までのラサントスの有する輸送手段は主に街道による駅伝馬車によるものと見られ、対して我が国はカデン高原東麓のカーリスバーグまで鉄道を有しておりますれば、ラサントスの展開速度よりも早く我が国は兵力展開が可能であります。

 現在ラサントスはカデン高原西麓まで軽便鉄道を延伸中との情報がありますが、完成は少なくとも一月後。それから輸送力を増強したとしても、開戦までは少なくともやはり二ヶ月を要するものとは考えられますが、予備兵力の輸送を考えればもう少し遅くなるものと参謀部は見ております」



 軍務卿が一旦間を置くのと同じくして従卒が二枚目のボードを出す。今度は先程よりもかなり広範囲を描写した地図で、ラサントスと我が国に加えて海を挟んだメイザールまでが描画されていた。



 「主戦場となる2箇所目ですが、ネッカー川河口の港湾都市ゼールヴッフェであります。ラサントスと開戦した場合、メイザールはラサントスとの条約に基づき我が国に宣戦を布告することが確実であると言えます。その場合、メイザールは艦隊を派遣しゼールヴッフェを艦砲にて砲撃後上陸部隊を投入。ゼールヴッフェ制圧後、地上部隊と共にネッカー川を派遣艦隊から抽出した艦隊によって遡上、首都ヴィルへリンブルグの攻略を狙うものと思われます。

 大河ネッカー川は水深も深く、巡洋艦程度であればヴィルへリンブルグを射程に収められる位置まで遡上が可能であると参謀部は考えております。

 その為、入り口であるゼールヴッフェは死守せねばなりません。しかし、我が国の海軍規模ではメイザールの派遣艦隊を正面から撃破することは難しいと考えられ、洋上での艦隊戦による敵艦隊撃破は断念せざるを得ません」



 従卒が新たに持ってきたボードには彼我の艦隊戦力差が書かれていた。


 メイザールの擁する艦隊は確認が取れているだけでも新鋭戦艦8、旧型戦艦12、巡洋艦50超、フリーゲートに至っては200を超えている。

 対して我が国は戦艦4に巡洋艦10、フリーゲートが30程。話にならない。


 オマケに主力の戦艦4隻は全てメイザール製――祖国回復戦争に際してメイザールから買ったのだ――であり、一昔前の型だった。装甲防御力も搭載艦砲数もメイザールの新鋭戦艦には劣る――我が国の戦艦はメイザール製とは言え、輸出用と考えるとメイザールの正規艦隊仕様の旧式艦にすら劣る可能性があった――と来ている。奴らの複数ある艦隊の一つとですら正面切っての戦闘は無理なのだ。



 「幸い、メイザールから我が国までの距離は6000オクス以上有り、大量の兵員を輸送できる外洋航行可能な船舶は限られるため、上陸部隊は多く見積もっても二個から三個師団程度と考えられます。

 また我が国とメイザールの間に広がるレーヴェ海には、侵攻の拠点と出来る諸島群が存在しません。メイザールは6000オクス超の大航海の末にゼールヴッフェ攻略に挑まねばならず、また将兵の食料や艦船の燃料など、膨大な戦争資材を必要とする事から、メイザール上陸部隊の上陸を阻止、もしくはネッカー川遡上途中での陸上戦力による数的劣勢を回避することが出来れば、如何に強力なメイザール艦隊といえどもヴィルへリンブルグまでネッカー川を遡上することは不可能と考えられます」



 軍務卿の説明した戦略のポイントになるのはゼールヴッフェの防衛と、万一抜かれたとしてもその後に常に地上戦力で優位を保つことによってメイザール遡上艦隊の侵攻を食い止める事である。

 幅が最大で2オクスも無い河川上では、常に陸上からの砲撃に晒される危険性がある。如何に強力なメイザールの遡上艦隊とて、砲火に晒される中を座礁に気を付けながら川を遡上するなど無理な話であった。



 「軍務卿、対抗しうる戦闘計画を」



 一旦間を取った軍務卿に、バルトロメウスが頬肉を揺らして先を促した。



 「では、続けさせて頂きます。以上の事実より、もし開戦に至った場合に我が国が取れる戦略は2つ。

 一つは山と海両方に我が国の国力が許す限り必要なだけの兵力を展開し、両方向からの侵攻に備えて防備を固める事ですが、これは積極性に欠け、また兵力の展開が受動的であることから、持久戦の様相を呈する可能性が高く、その場合我が国の国力が彼の二国相手にどれだけ持久出来るかどうかは一種の賭けになりましょう」



 そう言って軍務卿は一旦言葉を切る。


 賭けだなんてとんでもない。二正面戦闘など行おうものなら、我が国はすり鉢の中のセサミになるだけである。一瞬にしてすり潰されて終わる。


 先日、ヘーリヴィーネ主上に直訴した折に頂戴した諫言が将にコレだった。

 ただでさえ、ラサントス一国を相手にしても単純な頭数だけでは負けているのだ。そこにメイザールが加わった上に持久戦などしようものなら、それは自らの首を真綿で締めているのと同じだ。


 そこはココに居る皇帝陛下を除く、全員の一致した見解であった。

 しかしここはテルミナトル帝国皇帝陛下の御前である。我が国が二国を相手にすれば負ける、等と言おうものならそれこそ、現在の状況に備えていなかった責任を、遠回しであっても皇帝陛下に問う事になる。そのための軍務卿の婉曲的な表現だった。


 この場は御前会議であり、重要な事柄に対して官吏が知恵を絞った策を皇帝陛下に説明して裁可を得る場なのだ。



 「2つ目の戦略は一方を迅速に撃破し、速やかに戦争から退場させる戦略です。参謀部、ひいては軍務省は本戦略を主軸とした戦争計画を推奨するものであります」



 新たなボードが用意され、そこにはこれまでの経緯と、これから取りうる戦略における国軍の行動が矢印によって示されていた。



 「本戦略の最優先目標はラサントスであります。

 まず、我が国最西端のカデン高原において我軍は可能な限り速く兵力移動を完了させ、ラサントスの兵力が我軍の兵力を上回る前に開戦、迅速にカデン高原に展開したラサントス軍を撃破、そのまま集結中の敵各師団を集結前に各個撃破しながら進軍し、ラサントス首都エル・サンタ・ムエルシラを制圧、ラサントス軍を無力化した後、最低限の兵力を残して全軍を転進。

 鉄道を使用し迅速に我が国最東端であるゼールヴッフェより上陸してくるメイザール地上戦力を殲滅、メイザール遡上艦隊の侵攻を阻止します。メイザール地上戦力の壊滅を実現できれば、講和交渉を開始することが可能となると軍務省では見込んでおります」



 軍務卿がボードに示された矢印を指し棒でなぞり、ゼールヴッフェの位置をパチンと一つ叩いた。



 「その場合、こちらから宣戦を布告することになるが、周辺諸国、特に天上世界の世論的には制裁もあり得るのではないか?」



 幾分芝居がかったようにバルトロメウスがその出っ張った腹を撫でながら軍務卿に問いかける。

 当然の疑問であり、バルトロメウスの言葉は最初から台本通りであった。



 「現在ラサントス軍に浸透中の工作員により、ラサントス側より偶発的な戦闘開始を演出する計画であります」



 全く動じることなく返答する軍務卿。将に歌劇を見ているようだった。いや、目の前の爺達が歌って踊るような姿は想像したくないが。



 「メイザールの艦隊の動きは掴めているのですか?」



 余の質問に待ってましたと軍務卿が答える。



 「現在我軍の有する全ての艦艇でもってレーヴェ海に警戒線を構築しており、また各国の商会に働きかけて各種物資の動向、相場状況を探っております。

 また各国の海運運賃相場にも探りを入れており、メイザール艦隊の出撃が近づけばその前には必ず各種価格が高騰する事が予想されます故、艦隊出撃時期を察知できると思われます。

 現在のところ各種価格は上昇傾向に有り、メイザールが出撃準備を進めているのは明白でありますが、メイザールが確保していると思われる輸送船・客船数から推定した輸送能力は現在のところ一個師団分も充足できておりませんので、メイザール艦隊が出撃するまでまだ猶予があると考えられます。

 可能であれば、メイザール艦隊出撃前にラサントスに対して痛撃を加えられれば最高ですな」



ニッコリと爽やかな笑顔で答える軍務卿。爺の笑顔など見ても嬉しくもない。



 「それで、開戦時期は?」



 バルトロメウスの言葉に軍務卿は彼に向き直る。



 「メイザールから我が国までは約6000オクス。輸送船の足を最大で20ノット程度と考えると、出港からゼールヴッフェ到着まで約2週間弱。メイザールの現在の輸送船徴用ペースを鑑みますと、最速でもあと2週間以上は掛かるでしょう。

 そう考えれば、ラサントスの兵力移動速度を鑑みれば、我軍がカデン高原における戦力優位の状況で開戦出来るのは遅くとも1ヶ月後迄でありましょう。

 我軍の展開速度、戦争準備状況・兵力展開状況を照らし合わせれば、3週間後が最適と考えております。ラサントスから開戦させる為の工作も、その時期を見据えて進行中であります」



 3週間後。


 その言葉に武者震いとも、怖じ気とも判然としない震えが余を襲った。

 この戦略は我が国の最高の頭脳達が昼夜を問わずむさ苦しい渋面を突き合わせて絞り出した結果だ。そのむさ苦しい渋面の一人は余であった。


 その軍議の間、何度へーリヴィーネ主上の言葉が脳裏を過ったことか。しかし、この戦略以外に状況を打破する方法が無いのだった。

 余にとってはこの戦争は初陣でもあった。改めて開戦時期を皇帝陛下の前で宣するのを見ると、感奮興起を抑えられなかった。

 しかし同時に、何処からともなく湧き上がる何か得体の知れない悪寒を感じていた。



 「如何でしょう陛下。ご指導の程、よろしくお願い致します」



 宰相のバルトロメウスが皇帝陛下に開戦の裁可を求める。

 同時に、余はその得体の知れない悪寒の正体を悟った様な気がした。


 カデン高原でラサントス軍を迅速に突破できなければ、その後のエル・サンタ・ムエルシラまでの進撃途中で戦線が膠着してしまえば、メイザールの艦隊出撃タイミングが我が国の予想よりも早かったら、我が国の海上警戒線がメイザールの艦隊を捉えられなければ。


 余は、まだ若いのだな。

 心底そう思った。


 それが解った瞬間、体が軽くなった気がした。だが、何故かその悪寒は体の奥底に溜まった澱の様に消え失せることはなかった。

 その粘着質な澱を振り払うように、無言で佇む我が父、シュターケフリューゲル皇帝陛下へ余は向き直った。



 「陛下、御裁可を」



 余の見つめるその瞳にはやはり変わらず恐れが在った。



 「アウグスト、其方も出るのか」



 絞り出すように発せられたその言葉。まるで、それは絞首台に登る前の囚人のような絶望が滲み出ている様に思えた。



 「はい。陛下に代わって近衛軍第一、第二両師団と供に征って参ります」



 「成らん!お前は残れ!」



 突然、激昂したように叫んだ皇帝に、一同が目を見張った。外務卿など、椅子から転げ落ちていた。

 父はそれほど喋る御方ではない。寡黙な男だった。普段であれば、官吏の進言に「良きに計らえ」の一言を発するのみ。

 それがまるで噴火した火山の如しであった。



 「それこそ成りません陛下!」



 そして、父のその言葉を前に、余は反射的に叫んでいた。



 「皇族として、玉体を除くその筆頭として、近衛軍司令官として、小官は軍の、民の最先鋒に居らねばならんのです!」



 父の言葉は余の身を案じてのことであった筈だ。その事実は将に余にとって欣幸の至りであった。

 だが同時に、余の奥底よりそれを上回る憤怒が吹き出していた。



 「軍務卿、近衛は基本戦略上、常に予備とする事に成っておった筈だ。そうだな!?」



 そんなに()は頼り無いのか。国民を導く御旗にすら成れないのか。


 だが余が覚えた憤怒はそんな大義によるものであったのかが、その時余には判断ができなかった。

 迸る怒りと共に吹き出した深い悲しみと、何か唾棄すべき感情を覚えたのを余は認めたくなかった。



 「この戦には一兵でも多くの兵士を投入することが必定なのです!カデン高原に全軍を投じて、乾坤一擲、より迅速な戦線突破を成さねばならんのです!」



 「ならん!」



 「なりません!」



 この唾棄すべき感情は何だ。



 「皇太子殿下、落ち着かれませ」



 激昂した余と陛下の間に割って入る様に、バルトロメウスの丸い両手が余の両肩を抑えた瞬間、余はその唾棄すべき感情の正体に気づいた。

 気づいてしまった。



 「宰相閣下、お止め下さるな!」



 発した言葉とは裏腹に、余の体はまるで幼子が抱える縫い包みの如しであった。



 「殿下!殿下!御前にございます!!――陛下、殿下の仰る通り、本作戦の肝は最大戦力の一点投入にあります。しかし、戦闘教則に則れば近衛は陛下の仰る通り予備とする事に成っておりますれば、近衛には予備戦力として戦線後方にて待機と致しましょう。宜しいですな殿下?」



 諭すように余の両肩を掴むバルトロメイの手から伝わる肥満体特有の高い体温が、まるで余を罰する神罰の業火の様に感じられた。


 固く噛み締めた下唇から滴る鮮血がまるで申し訳程度に流した贖血の様で、自身が許せなかった。


 余が感じた唾棄すべきその感情とは、安堵だったのだ。



突然PVが爆増して恐れ慄いております。

更新が遅く、まだまだ序盤も序盤、最序盤の上、拙文駄文の本作ですが、何卒よろしくお願い致します。

また、誤字脱字、誤用のご指摘誠に有難うございます。

感想を頂いた皆様の御言葉に奮起致しております。誠に有難うございます。

引き続き応援いただければ幸甚でございます。

よろしくお願い致します。

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― 新着の感想 ―
[一言] 大変面白く一気読みさせて頂きました。 独特の世界観が非常に魅力的です。
[一言] ヘリさんのチョップになにが……。 猫は猫でチョップがなくてもそれ以上のことできるだろ! なにか国がキナ臭くなってきたけど、パパ(猫)とママ(神霊)がいれば安心やな!(苦労しないとは言って…
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