#34
更新遅くてごめんなさい。
姦し娘達への名付けのヒントを得たライラは、それ以前とは比べるべくもなく奮発した。悩みの種が採れたのであろう。そして、遂にというかやっとこさ我らの秘密基地は完成したのだった。
と言っても、土嚢を積んだ小屋の四方と、降り積もる可能性のある雪の重みを屋根から伸ばした桁状の足を、外側から土嚢の壁が押さえつけることで支えられる構造の板屋根を壁の天辺からぶっ刺しただけの物である。
床は未だ全面土間だし、何より板屋根に葺き物を被せてやらねばならぬ。どんなに精巧に組んだとしても板屋根に防水機能は無い。最も簡単に防水性を持たせてやるなら、板屋根を二重構造にして間に防水性のシート等の膜を仕込む手法だが、そんなシートは無いので今回はウッドチップ葺きと言う方法を取るつもりである。
簡単に言えば瓦の様に切ったウッドチップを屋根に瓦のように敷き詰め、接合部をモルタルで埋める、必要なら更にモルタルで薄膜を作ったりする手法である。
屋根が重くなる欠点があるが、その為に上方向からの荷重に耐えられるように土嚢の壁も厚く盛っている。
葺き屋根は早い所完成させねばならぬ。季節は既に秋口を通り越して冬至が近い。冷たい雨や降雪がある前に屋根を完成させなければならない。特に最初は絶対に雨漏りするので、そこを補修するためにも雪が降るまえに一雨来て欲しいが、そのためにも屋根はいち早く完成していなければならない。
その為、今日も今日とて朕は一人で小屋の細かい手直しをしておる。
ライラは一人で昼飯の確保に森に行かせた。
いつまでも朕が付いてやるわけにもいかんし、何より一々効率が悪くなってしまう。なのでライラとは最近は別行動も増えている。実地で学び、失敗し、考え、改善し、小さな何事かを成すその何でもない経験の一つ一つが彼女の世界を少しずつ大きくしてゆくというもの。なに、1号をつけておる。心配いらんであろう。
シュピちゃん達が屋根を作った際に発生した端材を更に細かくしてもらい、それらを屋根の上に行くに連れて上に重なるように並べていく。浮いたチップと屋根の間にはモルタルを詰めて隙間を埋めていく。
纏まった金がまた出来たら釘を買ってきて、杮葺の様な屋根を作ってやらんとな。モルタルはアルカリ性が高い故、木材との相性があまり良くないからな。多分、2年は保つまい。まぁ、取り敢えずこれから起こるであろう戦争の間保てば良いから、今はとにかく早く屋根を完成させる事に集中せねばならぬ。今の戦争のスタイルがどの様なものかは分からんが、何年も続く世界大戦の様な大きな戦争にはなるまい。続いたとして、1年かそこらであろう。
最悪、姦し娘達にまた作らせても良い。
あぁ、そう言えば屋根の棟上げをもって、彼奴らにも名前が付いた。目出度くな。
朕としてはもっと引っ張るつもりだったのだが、ライラが可哀想と渋ったので仕方なかった。一生扱き使える無給の無限労働力だったのにの。残念残念。
因みに、1号がスピカ、2号がデネボラ、3号がアークトゥルスに見事、決定した。どれもアストライヤー座周辺の主だった恒星の名前である。正直、どうでも良い情報であるが。
ライラも各々を呼ぶ時は「スーちゃん」だの「デネちゃん」だの、「アーちゃん」だの、短縮形で呼んでいるので姦し娘共の正式名など有って無いようなものであった。なら何でライラは姦し娘達の命名に拘ったのか、と言う話になってくるが、まぁ、人間しょうもない事に『拘る』事こそが努力であったり誠意であったりを実感する大事な要素なのだから、誰が責められよう。世の中そんなもんである。親が子の名付けに膨大な時間を費やしたり、飼い犬猫の名付けで家族崩壊しかけたりするのと同じである。
当の姦し娘達は艦名を授かった時は滂沱の涙を流して感謝の言葉を口にし、ライラを『心の司令官』などと讃えていたが、ライラを諭して艦名を書いた板を三隻には同時に渡したので、次の瞬間から姦し娘達の間では「クラスリーダーは誰なのか」と言う命題で喧々諤々と激論が交わされることとなった。実際は喧々諤々どころかキンキンキャンキャンと言った具合であったが。
勿論、彼奴らには引き続き我等の秘密基地を充実させて行くに当たって必要な作業を請け負う事を条件に、クラスリーダーの指名を仄めかしている。当然である。安い労働力を逃す手はない。勿論、彼奴らにはクラスリーダーの指名を『仄めかしている』だけである。いつ、とも、どうすれば、とも話してはいない。こう言うのは相手に忖度させる事でコチラの利益を最大化するのが常套である。加減が難しいのだがな。最終的には賽子でも振れば良い。
それもこれも、屋根が出来てからの話である。
朕はシュピちゃん達と共に、薄く塗ったモルタルに細かく切ったウッドチップを隙間が出来ないように敷き詰めてゆく。全面敷き詰めたらもう一層分くらい重ねても良かろう。
と、先程から何やら首筋をチリチリと逆撫でするような妙な気配を感じる。
熊でも出たかの?
ライラにはシュピちゃん達とリーゼ君達から一体ずつと、1号が付いて行っているから大丈夫であろうが、どれ作業が一段落したら様子を見に行ってみるかの。
もしかしたら大物を獲っているかもしれん。
◆
木々がざわめき、風が悚然たるを叫んで颯々と吹き荒ぶ。
朝露に垂れた下草は彼女が歩を進める度、歓天喜地とその葉を揺らした。
彼女は今にもうっかり新たな何かを開闢しそうな気配を纏って、見渡す限り樫の高木が並び立つ薄暗い森を突き進んでいた。
ぶっちゃけよう。おこである。おこである。ご機嫌垂直である。
「ヴィーネ、少し休もう」
「馬鹿なことを言わないで頂戴。アリアドネ、貴方少しも疲れていないでしょう?」
僕の提案を一蹴して、振り向きもせずに彼女は征く。
ウン。まぁ、疲れたからこんな提案をしたわけじゃないんだけどね。
僕等は――主に僕が。宥めつ透かして――怯えたメリッサ嬢から苦労して例の要覧の作成者の居所――と言っても、この名も無き樫の森に居るという非常に大雑把なモノだったが、心配召されるな。ヘーリヴィーネは読んで字の如く鼻が利く――を聞き出し、逸るヘーリヴィーネを宥めながら今将に『例の要覧』の作成者の少女のもとへ向かっている途中なのだ。が。
街を出るまではそれほどでもなかったのだが、街に被害が及ばない程度森を進んだ辺りから、遂にヘーリヴィーネの抑えが効かなくなってきた。
こう、今にも『どぉっばぁぁぁぁぁんっ!』って感じで開いちゃいけない向こう側が「コンニチワ!」しそうなこの雰囲気を誰か何とかしてくれ。おなかいたい。
彼女が怒れる理由は簡単だ。僕らが心底畏れる『帝国』が初代皇帝にして、H.S.S.を最初に名乗った御方の、彼女が最初の生徒だったから。初代皇帝、とっかえひっかえそういう事するの大好きだったからね。他人にモノを教える事が生き甲斐だったと言っても過言ではないだろう。モノ知り過ぎて教えたがり過ぎてウザがられてたりもしたけど。
ヘーリヴィーネはそんな彼の格好の獲物だった。
何せ、彼女は精霊とほぼ同義とはいえ、精霊なんてものは普通ヒトと言葉を交わしたりなんてしない。それは意思ある者であると同時に、ヒトから見ればまるで台風や地震の類の天変地異と同じく、その思考を理解する事は出来ないのだ。住む世界が違いすぎて、互いの『常識』と言う前提条件が違いすぎて、存在を理解することすら困難だ。
しかし、何を勘違いしたのか、と言うか多分殊更特殊な性癖を持ってた件の初代『皇帝』――当時はまだ『皇帝』ではなかったが――は彼女にヒトの理を説いてみせた。喜々として。飽くこと無く、まるで幼子を導くように、まるで灰被りの幼娘を舞踏会に出られる淑女へと育て上げるように。
『シンデレラケイカク』とか言ってたっけ。意味解らんけど。
その御蔭でへーリヴィーネはヒトと言う存在を認識することが出来るようになった。唯一無二の存在であると同時に、唯一無二であるが故に永遠の孤独の中に在った彼女は、ヒトという隣人に出会うことで悠久の牢獄のような孤独から抜け出すことが出来たのだ。
まぁ、ソレが彼女を苦しめることになるのだが――現在進行形で――彼女はヒトと言う隣人の存在を知った瞬間から、自身を悠久の牢獄から解放した彼にゾッコンだった。
雛鳥が最初に見た存在を親と認識する『刷り込み現象』と大体同じだと思うけどね。
彼が大いなる円環へと還った頃は、彼女はそれはそれは大いに悲嘆に暮れた。将に彼女にとってはこの世の終わりだったに違いない。涙に濡れながら、彼に諱を贈り、来る日も来る日も墓標にすがっていたその姿は見るに耐えなかったものだ。
その後も、彼の残した『帝国』と言う忘れ形見を何とか維持しようと身を粉にして世界の安定に尽力してきたのだが。彼への想いを胸に、彼との懐い出を心の支えにして。
そしたら、ある日その彼が書いたかの様な『例の要覧』を持った僕が現れた。
彼女の抱いた感情たるや、今だからだが僕にも想像できる。
今にしてみれば、僕も失敗したな、軽率だったな、とは思ってる。まさかこんな事になろうとは。
へーリヴィーネは『例の要覧』の作者が彼だと確信している。そして、この旅路の中で浮上した『例の要覧』を写本したという謎の少女。
僕らが現在捜索中の『ライラ』と言う少女が一体何人目の生徒なのかは判らないが、大抵番号が若い娘が自分よりも後の番号の娘の存在を知った時の反応と言うのは、万国共通である。
僕は未だに何かの間違いかトリックだと思ってるけど、へーリヴィーネはそうじゃない。
ライラちゃん見つけた瞬間、いきなり戦略級碩術式叩き込んだりしないだろうか。マジやめてよね。彼女は何も知らない幼気な少女だよ。
内心生きた心地がしない僕の心中などそっちのけでへーリヴィーネは歩を進める。
いや、よく考えよう。この旅行の目的は『例の要覧』の書き手が誰かということだ。99.99%、嘗て僕らを従え、この世界を作った彼の御方ではない。だって彼は死んだはずだ。だが、残りの0.01%が今の所否定できないのが困りものなのだ。
さっきから彼女の内包してるエネルギーの準位がスンゴイことになってる。漏れ出てる余波だけで局所的に新しい特異点が発生しそうだよよく生きてるな僕。ガンマ線バースト程度は防げる様に準備しとこ。
僕は微かに存在するかもしれない絶望的未来に慄きながら一心不乱に論理防御術式をコッソリと編み始める。
いやいや落ち着くんだアリアドネ。99.99%は大丈夫だ。大丈夫なはずだ。そうであってくれ。
であるならば、早いところ事実を確かめて、彼女の溜めに溜めた鬱憤を晴らしてしまったほうが良い。
そうだ。そうしよう。
そうと決めた僕はそれでも何重にも論理防御術式を編みつつ、彼女の後を追う。
だがその時、ヘーリヴィーネが唐突に歩みを止め、その美しい双眸をスイ、と窄めた。
と、同時。僕もその存在に気づく。
それは明らかな意思を持って発せられた波。
僕は瞬時に自身に触れてきた索敵波を受け流す。正確には反射させず、屈折させず、僕の体を透過する際の抵抗値を意図的に操作して限りなく低くする。これは索敵波を感知した時の基本的なメジャーセオリーだ。相手に存在を悟られないよう、周囲のストラクチャーのフリをする事もある。
ヘーリヴィーネも当然その索敵波の存在には気付いており、当然の様に、息をする様に無効化している。
「近いわね」
索敵波を感知した時に最初に考えなければならないのは、相手側の意図である。
波が飛んできた時点で近くに碩術師が居るのは確定だ。問題は、その波がこちらへの攻撃行動の為の測距が目的なのか、それとも他の目的があるのか。それによって対応が変わる。
「猟……かな?」
断続的に浴びせられる索敵波。その間隔はかなり長い。その悉くを無効化しながら、僕は感じたままを口にした。普通、測距の場合はもっと間隔が狭まり、照射する範囲を絞るもの。それこそ、ほとんど間隔が無いぐらいに。この全周を探る様な波は何かを探していると考えるべきだろう。
「普通の碩術師は猟なんかしないわよね?」
碩術師はどこの世でも高給取だ。駆け出しの碩術師でも無い限り、勤め人になることができれば同世界の同年代の三倍は給金を貰うだろう。そして、猟の為であれ索敵波を使いこなせる駆け出しの碩術師なんて居ない。体外に出たオドのコントロールは体内で練るのとは難易度がダンチだ。そんな碩術師が猟をしているなんて、それこそ森で自給自足でもしている仙人なのだ、が。
「と言うことは?」
「そう言うことでしょうね」
まぁ、何の因果か、僕等にはその心当たりが有るわけで。
僕は無言で足音を殺して歩を進める。へーリヴィーネはその存在を高らかに誇示する様に足音高く。
しかして、しばらく進むとそれは居た。
沢を背にしたガレ場に身を潜める様にして、鮮やかな青い侍女服にプラチナブロンドが特徴的なチンチクリンと一緒に、その娘が座っているのが見えた。
うわぁぁぁ待って!まだ防御術式編み終わってない!!
◆
最初、それは気のせいだと思った。
だが、まるで風邪を引く直前のような違和感というか、理由が分からずも悪寒がするような、なんとも言えない居心地の悪さ。
朕が異変に気づいた時には、それは既に勘違いと片付けるには自己主張が強くなりすぎていた。
「ッ?!ライラ!!」
言うが早いか、朕はテレキネシスで操作していた砂入り手袋ごとウッドチップを放り出して、秘密基地の板屋根から宙へと飛んだ。
と同時に碩術式を展開。
宙に踊るその身を物理法則に逆らって術式で無理くり制御し件の気配のする方へと文字通りぶっ飛んだ。
音速の壁を突き破る小気味の良い破裂音を背後に置き去りにし、朕は後悔を禁じ得なかった。
正直、抜かった。1号にリーゼ君までついていれば熊か何かが出ても心配は無い。
だがしかし、その今や悪阻の様になって襲い来るその強い気配は、勿論熊や虎の類ではない。
大凡、ヒトの発せられる気配ではない。
ヒトの発せられる気配ではない???
唐突に湧いた一つの考えを、朕は我ながら驚きをもって反芻する。
そう。まるで、その気配は家族を残して盛り場で遊び倒した後、極楽気分のヘベレケで自宅の玄関を開けるその瞬間に、ドアを突き抜けてくる禍々しい気配に急速に素面に引き戻される様な?
……何であろうか。遠い記憶に似たような気配を感じた事が有る気がする。どこであったかの?今生では無いことは確かであるが。
どこか懐かしいこの寒気。体中の体毛がスタンディングオベーションして全身の汗腺が粘つく冷汗を滂沱の如く垂れ流し、体内の血管が絞められる直前の鶏が如く音を立てて引き絞られるこの感覚。遠い昔の懐かしい感覚。
あれ?これ朕知ってる?
等と冷や汗を額に浮かせつつ考えている内に、朕の体は重力に逆らってぶっ飛び、同時に飛ばしていた走査波がライラとその他諸々と、そしてどこか懐かしい怖気の元凶を捉えて……。
泡を吹きながら天を仰いで気絶するライラの頭頂に、慣性を制御して衝撃を殺しつつ着地を決めた朕の目には、懐かしい姿が映っていた。
「……久しいの。へーリヴィーネ」
思わず口を突いた――朕は口蓋で喋っているわけではないのだが――目の前に佇む姿に、朕は強い郷愁を禁じ得なかった。
そうか。まだ、生きておったか。
いや、精霊であるなれば、生きていてもおかしくはないか。
いや、それ以上に、まだこの世界を見限らずに留まっていてくれたか。
その事が妙に朕には嬉しく思えた。
が、それを押し流す体の底から湧き上がる本能的危機感。
……メッチャ怒ってらっしゃるように見えるのはなんでかのぉ~?
◆
「……久しいの。へーリヴィーネ」
うーん。ネコガシャベッタ。シャベッタ。
マジかー。
僕、アリアドネは目の前で起こった事象に、思わず大地礼賛しそうになった。
高度な、非常に高度な碩術式による慣性制御をもって彼方から飛来したその一匹の黒猫は、確かに人語を喋った。正確には首元につけた漆黒のオブシディアンに細工をしている様だが、その黒猫の纏うオドの波動は間違い無く、嘗て悠久の彼方に僕等が従臣したその者だった。
眼前のライラと思しき少女と、その頭上に鎮座する彼の黒猫の間には明らかな魂の縁が通っているのが見てとれた。
成る程。召喚か。
その2人の姿を見て取った瞬間、僕の中で『要覧の注釈人≠あの御方』と言う方程式を構築していた1番の疑問が氷解した。
確かに、地上世界の碩術師は『使い魔』を持つことが多い。グランドストームとか、レイライン等と呼ばれる原初の円環から、神霊に類する強い存在の残滓を汲み上げる事で成されるそれは、決して僕らの様な強力な存在を使い魔とすることはできないが、もしかしたら億に一つ位であれば死者の残滓を呼び出すこともあるのかもしれない。地上世界の碩術師は初等教育が完了した証に使い魔を召喚する事が多いが、その際にこのライラという少女を見初めたのであろう。
黒いG並みにしぶとくて存在感の強い人だったから、その辺も影響しているのかもしれない。
とにかく、その黒猫を僕等が見紛うはずが無かった。
目の前の幼気な娘――彼女は可哀想に、突然現れた般若の如きヘーリヴィーネを見て、天を仰いで泡を吹き白目を剥いて既に意識を手放している。一緒に居たチンチクリンな侍女と自動兵器達はこれ多分『星征艦隊』の子だと思うけど、怒れるへーリヴィーネに一瞬でマインドハックを掛けられて地に伏していた。あんまり性能の良い子じゃないみたいだね――頭上に鎮座するその黒猫は、僕等の畏れた『あの御方』に間違い無かった。
「本当にお久しぶりですわ。陛下」
そう言ってニッコリ微笑んだヘーリーヴィーネの背後の空間が音を立ててひび割れた。(物理)
あああああやめてよしてその何とかワン的な何かが溢れそうな亀裂!
「本当に久しいの。いや、まだ其方が現界しておるとは思わなんだ。嬉しいの」
ヘーリヴィーネの気魄に圧されてたじろぐ黒猫を前に彼女はその笑みを深くする。
「ご健勝そうで何よりですわ陛下。それにしても、水臭いとは思いませんか?御復活遊ばしたなら、私にお知らせ頂けても宜しいのに」
ひび割れた空間の隙間からニョロリと這い出る正体不明のウネウネ達を背後に、へーリヴィーネは浮かべた笑顔をより一層深くする。
「私、陛下が御隠れあそばしてからと言うもの、毎夜枕を濡らしながらも陛下の残した『帝国』を何とか残そうと、身を粉にして参りましたのに……陛下ったら、イヤですわ。こんな所で、新しいおぼこ娘を見つけて、キャッキャウフフしてるなんて、ねぇ?」
そう囁くように呟いた彼女は、糸のように細められ美しく弧弦を描く双眸はその奥で冷たく仄暗い光を発し、下弦の月の様に引き上げられた彼女の口角は今にも耳まで届きそうだった。
「ままま待て待て待て!違うぞ!と言うか其方、言い方!!誤解しか招かないその表現には断固抗議する!!!」
「何が違うものですか。アリシアの時もクリスティーナの時もエヴリンの時もエカテリーナの時もジュリエッタの時もヘンリエットの時もイザベラもエマもオリビアもソフィアもアメリアもシャーロットもミアも――」
止めどなく彼女の口から紡がれる名前の数々。もしかしなくとも全部彼の教え子達である。多分。
……僕の知らない娘結構居るんだけど……へーリヴィーネ、それ全部チェックしてたの?怖。
彼女の表情が過去の娘達の名前を告げるごとに能面の様になっていく。怖。
彼女の艶やかな唇から女性の名前が紡がれる度にビキビキとイヤな音を立ててへーリヴィーネの背後に走った罅から正体不明のウネウネが元気よくニョロニョロして、罅がゴリゴリと広がっていく。マジヤメテー。
「ヴィクトリアマディソンルナグレースレイラエヴリィエラゾーイリリーハンナエレノアステラナタリーオードリーベラクレアルーシーキャロラインエミリアサマンサ――」
「言い方!言い方!!なんかそれだと朕が節操なく次々摘み食いしては捨てたみたいではないか!全員キチンとパーフェクトなレディとなって巣立っていったであろうが!!!途中で放り出した者も不逞を成した者も居らなんだ!!!!」
そう言う問題かなぁ?
てゆーか、多くない?ヘーリヴィーネの申告が正しければ、僕が把握してる人数の三倍は居るっぽいんだけど、どういう事?『陛下』、アンタ二百年かそこらしか生きなかった癖に、その人数に教鞭をとったって事は計算上数年に一度、〇号さんが増えてた計算になるよ?十分節操無くね?
寧ろ、僕が『陛下』の命令で世界中飛び回ってた――エールスリーべ教団を創ってたのもまさにこの時だ――時に、自分は大勢の女の子侍らせて先生ごっこしてたわけ?爆死しろ!
「……ここに一人、捨て置かれ、忘れ去られ、まだ巣立てぬ者が居ります」
そう言って、ヘーリヴィーネは自身の豊満な胸に手を当てた。
今、あれ?何いってんのコイツ?面倒くさくね?って思った人。
正解だ。もう既に気づいている人も多いと思うけれど彼女はすごく面倒くさい。
普段は秩序や道理を酷く重んじるくせに、拗ねると纏めて全部そのへんのドブ川に躊躇無く投げ捨てるのだ。僕はフェミニスト団体に訴えられても構わないから敢えて言おう。ヘーリヴィーネはとてもクソ面倒くさい女である。
だがしかし、僕は今だけは君の味方だ。イイぞ、ヘーリヴィーネ。そんな人類の敵みたいな糞猫吹き飛ばしてしまえ。
「其方程出来の良い生徒は居らんであろう!!」
と言う黒猫のツッコミを尻目に、その身から迸り出した紫電とともにヘーリヴィーネは一歩、眼前の黒猫へと歩を進める。
まぁ?確かに?『陛下』の教え子はみんな立派になって巣立って――僕が把握している限りは――行ったし、ヘーリヴィーネがまだ未熟ってのは屁理屈だ。勿論。彼の趣味が趣味であるが故に完全に慈善の行為であったのも認めよう。
だがそれとは別に、僕は『陛下』は一回くらい痛い目を見たほうがいいと思うんだよね。主に今。ナウ。
アンタが可愛い娘っ子を侍らせて先生ごっこしてた間に僕がどんだけ苦労していたか思い知れ。
やっちゃえ☆ヘーリヴィーネ!
「いいえ。私など、まだまだです。この身の非才を嘆くばかりです。他の娘達は陛下の薫陶を受け、見事に巣立っていったというのに、私は捨て置かれて忘れ去られ、陛下は新しく見つけた娘に現を抜かして……あぁ、妬ましい妬ましい」
君が未熟だったら世の誰が一人前なのさ、と言うツッコミはさて置いて、紫電が大気を焼く独特のオゾン臭を纏って一歩、また一歩と歩を進める彼女の表情はまるで能面の如く美しかった。
大抵、極まった美しさは恐怖を覚えるのと同じ。僕はあの顔で睨まれたら速攻DOGEZAする。フレームでする。
「妬ましい妬ましい……妬ましくて妬ましくて……私、今にも……今にも……憎き泥棒猫共を縊り殺してしまいそうですわ」
彼女の輝くブロンドがまるで幽鬼のように乱れてワサワサと不気味な音を立て始めた。ついでになんか髪の色変わってきてね?まるでブラックホールの様に吸光する乱れ髪を振り乱して、彼女は黒猫に迫る。
よしよしイイぞイイぞ。イケイケゴーゴーヘーリヴィーネ!
「まままま待て!待て!なんか知らんがしばし待て!!其方がなんか知らんが激おこなのはわかったから!」
彼女の迫力に圧されて、泡を吹いて天を仰ぎながら白目を剥いて膝を付く可愛そうなライラちゃんの頭上で、バランスを崩してズリ落ちそうになった黒猫が必死に叫ぶが、彼女の歩みが止まる筈もなく。遂にはライラちゃんの目の前まで迫った彼女は、その真白な細腕を優美に振り上ると、その手にとても昏い光が集まり始めた。
「この子は……ライラは朕達の娘ぞ!」
追い詰められた黒猫が咄嗟に思いついたであろう一言に、ピタリと動きを止めるへーリヴィーネ。
おいおい、ちょっと落ち着こうヘーリヴィーネ。騙されるな。騙されちゃダメだ。
『達の』という事は、誰かを含んでいる。君の考えは正しい。だが、それは意図的に含むように言ったのだ。
だから落ち着けヘーリヴィーネ。奴は狡猾だから『君との』とは一言も言ってない!騙されちゃダメだ!
「ライラは幼くして両親を亡くした寄る辺の無い可愛そうな娘だ。誰かが、導いてやらねばなるまい。朕はライラに喚ばれ、この体を得た。これは運命であろう。朕はライラの父親になろうと思う。召喚されたその瞬間に、朕は決心したのだ。だが子供には母親も必要だ。其方、ライラの母親になってはくれまいか?」
黒猫の言葉を聞いた瞬間、へーリヴィーネの黎く染まって逆立った金髪が、まるでたった今流水に染料を流されたかのように元の輝く錦糸を取り戻し、振り上げられた右手に集まっていた昏い光は霧散して、逆に陽光を反射する数多の煌めきへと姿を変えた。
落ち、着くんだ。
落ち着けヘーリヴィーネ!
奴は!狡猾なあの黒猫は!君にライラちゃんの共同庇護者になる事を依頼しているだけで、例え彼がライラちゃんの父親になったとしても=君と夫婦になると言っているわけではない!
だから、そんな「意中の人にプロポーズされた」みたいなメス顔をしちゃいけない!
ニョロニョロ君も「おつかれっした~」みたいにさっさと虚空の彼方へ帰るんじゃない!
と言う、僕の虚しい願いを余所に、先程まで禍々しい気配を撒き散らしていた彼女の背後の亀裂はもとに戻り、すっかり元の美しい姿を取り戻したヘーリヴィーネはゆっくりと胸元で両手を組むと、コクリと小さく首肯いたのだった。
「……はい」
マジクソチョロインマジ卍!!!!!
コメディ書ける人は本当にすごいと思いました。




