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朕は猫である  作者: 名前はまだない
33/70

#33

 その日はとても寒い朝だった。


 抜き足差し足、足音を殺して忍び寄っていた冬将軍が突然走り出したように、前日までは麗日な秋晴れだったのに、夜明け前辺りに這い寄る冷気で目が覚めてしまった。

 私、メリッサ・ミュラーは齢を重ねたとは言え、まだまだ21年。過去を振り返ってアンニュイな気分に浸るには早すぎると思っていたが、仕事にかまけて考えないようにしていたお陰で、朝起きるベッドは未だ一人分の温もりしかない。


 山間の寒村から街の商家に口減らしも兼ねた丁稚に出されてから早十年。最初は雑魚寝の大部屋住みだったが、あの頃は大勢で寝ているだけあって人肌で朝も暖かかった。臭かったけど。

 店員に昇格してからは一人暮らしを始めて、最初の頃はプライベートな空間を独り占めできる幸せに心躍らせたものだが、冬の寝起きはその頃からいつまで経ってもこうだ。


 正直、寒い。寒いの。身も心も。鼻水凍りそう。


 悴む手足を擦って白い息を吐きながら、苦労してベッドを抜け出す。本当に苦労して。何故ベッドはこうも人類を拘束するのか……。

 堕落の悪魔の誘惑を振り切り、冷え切った部屋靴を突っ掛けて水瓶に貯めた冷え切った冷水を汲んで顔を洗う。うぅ……薄く氷張ってる……。顔が痛いぃ。


 まだ真っ暗な部屋を手探りで探してランプに明かりを灯し、凍える体を震わせながら朝食の準備をする。

 と言っても、買っておいた硬い黒パンを何も付けずに齧るだけだ。


 これから直ぐに出かけるのに、朝から竈に火を入れるのは薪が勿体ない。だから、朝食はいつも前日に買っておいた保存食を齧るだけ。


 寒い。冷たい。あと固く焼き締まったパンの皮が口の中に刺さって痛い。あれ?暗いからかな?視界がぼやけるよ……。ぐす。


 妙に塩っぱい黒パンを頬張っていると、木製の雨戸の隙間から、薄っすらと微かな明かりが漏れてきて、暗黒の部屋の中を群青色の光の粒がカーテンのようにユラリと揺れている。

 もう夜が明ける。私の務めるメリル・フィンチ・ブレンナー合同会社トシュケル支店は日の出とともに始まる。朝のひとときの幻想的な景色を楽しむ余裕は私にはない。


 急いで寝間着を脱ぎ捨て、凍える体にムチを打って着替える。


 ズロースの上からベルトを下げて、ガーターベルトに厚手の生地のタイツを吊り下げる。布製のブラを付けて、上から膝上のシュミーズを着る。仕事着のフリルが要所にあしらわれた木綿のブラウス――シルクのブラウスなんて買える訳がない――を着て、ブラウンのペティコートを履き、上からチェック柄で踝丈のフランネレットのスカートを履いて、部屋靴を鞣し革のブーツに履き替えれば完成である。


 差し込む光が強くなった雨戸を押し開けると、まだオレンジに染まる朝日が部屋を明るく照らし出す。

 陽光を浴びながら急いで部屋の隅の小さな鏡台――といっても、サイドテーブルに手鏡を立て掛けただけ――の前に、部屋に一つしかない丸椅子を引き寄せた。


 鏡台に乱雑に置かれた化粧道具の中から、豚毛のヘアブラシをとって寝癖を直す。


 お次はマユミの横櫛で髪を梳く。

 私はくせっ毛なので、結構入念にやらないと後で大変なことになる。この作業が毎朝、多大な時間を浪費してしまうのだが、身形はきちんとしたいし、悩ましい。

 暗い茶色の自分の髪を梳く鏡の中の自分を見ながら、ブロンドかいっそのこと黒く染めてみようかな、なんてふと思う。そう言えば、写本の手仕事を請け負ってくれていたあの娘は、まるでオニキスみたいな綺麗な癖のない黒髪で羨ましい。あ、枝毛……。


 櫛を置いて、お次は化粧。

 ファンデーションは薄く、白粉を少しだけ。紅はくすんだ朱色。


 本当は口元が際立つ辰砂の緋色の紅を付けたいけれど、接客する立場から言えばあまり高いものを付けるのは憚られるのであえて避けている。貴族の方々を相手にするのなら別として、私のような青二才にはまだ早い、と番頭さんに怒られてしまう。


 本当はいざと言う時の為のまだ使ったことのないトッテオキ――指の先に乗るような小さな薄いブリキ缶一つで12クラウンもする!――も有るのだけれど、今の所使う機会に恵まれていないそれを横目に、今日も安売りの平たい大判の缶から紅花のくすんだ朱色の紅を少し筆で掬って唇に薄く差した。


 出来上がりを、立て掛けた手鏡を眇めつ眺めて全身を確認する。


 よし、と気合を入れてから、コートとショルダーバッグを手に家を出た。


 外に出た瞬間、身を斬る様な寒気が頬を撫でて、思わずくしゃみが出た。鼻がズルズル。つらひ。

 玄関の施錠をしてアパルトメントの階段を降りる。私の部屋は職場である商館街の程近くにある5階建ての3階を借りている。そのせいで家賃もそれなり。もう少し郊外に行けばもっと家賃も安いのだけれど、その分通勤時間が増える。そうするともっと朝早くに起きなきゃいけなくて……悩ましい所。


 ぎゅうぎゅう詰めに建てられたアパルトメントの谷間に通った細道を抜けて街路へと出ると、そこかしこで朝餉の準備をする煙が屋根の上の煙突から上がっている。

 それと共に漂う何とも食欲をそそる芳香が、暁に照らされ光の粒のように煌めく煙霞に霞む通りに漂っていた。


 

 『子供が生まれたの。目元が私に似ていて、鼻はダーリンそっくり。私、今とても幸せよ!』



 それは、かつて私と同時期に丁稚に出された同郷の幼馴染がついこの間寄越した手紙に書かれた言葉。


 この芳しい匂いの下では、妻が働きにゆく夫のために、朝の冷気に震える子供のために、温かい朝食を作っているのだろうか。


 朝早く起きて、悴む手に白い息を吐きかけながら水を汲んで湯を沸かし、夫のためにコーヒーを淹れる。遅れて起きてきた夫がそのコーヒーを飲んでいる間にスープとパンを用意して、スープを一口飲んだ夫が「今日も美味しいね。ありがとう」なんて言ってくれたりして――止めましょう。


 上を向いて歩くのよ私。


 涙をこらえているわけじゃないのよ。

 鼻水が垂れてきちゃいそうだから!寒い!


 コートの前をきつく閉めて、商館街への大路を歩く。

 やがて、喧騒とはまた違った騒がしさが前方に現れた。

 馬の嘶き、馬車の車輪が地を駆る音、木材の軋む音に大きいものから小さいものまでごちゃ混ぜになった野太い嗄れた男達の声。商館街の朝特有の騒がしさだった。



 「おはようメリッサ」



 「おー、メリッサ嬢ちゃんか。お早う。今日も別嬪だなぁハハハ」



 「おはよーさんメリッサ」



 すれ違う人、通りの向こうに見かけた人、顔見知りが口々に挨拶してくれる。それに挨拶し返しながら商館街へと歩を進める。


 皆さんお解り頂けただろうか。


 私、見た目は悪く無いと思うんだけどなぁ。寧ろ結構イケてると思うんだけどなぁ。良い男居らんかなぁ。


 少しニヤけた表情を引き締めて、メリル・フィンチ・ブレンナー合同会社トシュケル支店の裏口を潜る。

 狭い通路を体を壁に押し付けるようにして行き交う同僚達とすれ違いながら、バックヤードにある丁稚や店員の休憩所兼ロッカールームを目指す。


 ロッカールームと言ったって、壁際にフックが大量に据え付けてあって、真ん中に小さくて煤だらけの古ぼけた薪ストーブが置かれているだけの小部屋である。ちなみに燃料代は従業員達のカンパだ。

 コートとバッグを適当なフックに引っ掛けて、髪を後で纏めてポニーテールにしたら名札をつけて店頭へと立つ。



 「いらっしゃいませ!メリル・フィンチ・ブレンナー合同会社トシュケル支店へようこそ!」



 さぁ、今日も一日頑張るぞぃ!







 で、頑張りました。まだ半分だけど。


 午前中は馴染みの商会のベテラン店員さんのセクハラ世間話を笑顔でいなしたり、モンスタークレーマーみたいなお爺ちゃんの相手をしたり、後輩の丁稚の子がやらかしちゃったミスの尻拭いをしたり……。


 良いのよ。後輩のミスをカバーするのもお姉さん――えぇ、最古参ですけどなにか?――の勤めなの。泣かない泣かない。

 涙を流して頭を下げる後輩の娘を宥めながらも少し不吉な考えが脳裏を過る。……今日、私ツイてないかも。


 なんて溜息をつきながらのお昼ごはん。

 休憩室でお手製のお弁当を広げる子――女子力高っ!――も居れば、仲の良い同僚同士で近所の定食屋さんや、ぼちぼちお開きになり始めた市場の屋台へと出かける子達も居る。


 私は前者、近所の定食屋さんへ。一人で。

 店に同じくらいの歳の女の子が居れば一緒に繰り出すんだけれどなぁ。


 え?年下の男の子でも良いじゃないかって?

 そういう子は年の近い女の子と仲良くなりたがるのよねぇ。年増で悪うございました。


 行きつけの定食屋さんでカチョエペペを頼んで待っていると、ちょっと浮かない顔をした私のために、立派な白髭の大将がデザートにカヌレをオマケしてくれた。

 大将ありがとう。嬉しいよ。午前中のツキがチャラになったよ!


 大将のお陰で気分も晴れやかに店に戻ると、番頭さんに呼ばれた。

 何かと思えば、番頭さんは私を二階の応接間へと連れて行く。


 ……私なにかやらかしたかな?


 まるで走馬灯のように午前中の行動を思い出し、逐一ミスや粗相が無かったかをチェック。


 ……どうしましょう。心当たりがありません。


 えー!なに!なんなの!!私、気付かないうちになんかした!?記憶に無い!!!不安!!!


 と、内心ドキドキで番頭さんについていくと、通されたのは、私も丁稚の時分に掃除に入ったことしかない一番奥の応接室だった。や、あそこは応接室というよりかは貴賓室だ。明らかに貴顕をもてなす為の調度だもの。

 ノックの後、番頭さんがドアノブを引いた瞬間、隙間から光が溢れた気がした。


 ドアを開けると同時にサッと半直角の最敬礼をした番頭さんの額には、一目見ただけでわかる程の汗が光っていた。それが、どんな汗なのかは、番頭さんのいつもよりも見開かれた瞳、窄められた眉根が如実に物語っていた。


 貴顕の接待にも慣れているはずの番頭さんが、メチャクチャ緊張してる……。


 そんな番頭さんの様子にビビリつつも、番頭さんに続いて貴賓室に入って半直角の最敬礼。

 頭を上げると、思わずため息が漏れた。


 まるで錦糸の様な鮮やかなブロンド、均整の取れた輪郭線、絵画のように美しく通った鼻梁。少し釣り目がちに見開かれたアクアマリンのような碧い瞳を、驚く程長く肌理やかに生え揃った睫毛がまるで花が咲くように縁取っている。


 白を基調として黄色が指し色として入れられた、複雑なレースを何層にも重ねて重ねた豪奢なドレスを纏う、同性の身でも思わず身震いする程美しい女性が、貴顕をもてなす為に白く鞣された天然革の豪華なソファーに瀟洒に腰掛けていた。

 と、暫く呆然とその女性を見つめて、息をするのも忘れてしまっていた私に代わって、番頭さんが額の汗を拭いつ私の紹介をした。



 「お待たせ致しました。当店の店員、メリッサでございます」



 慌てて私ももう一度頭を下げる。



 「メリッサ・ミュラーと申します。お見知りおきをお願いいたします」



 必死に昔習った礼儀作法を思い出して、右足を後ろに交差させて、スカートを控えめに持ち上げてカーテシーを行う。

 ……後ろに交差させるの右足で合ってたわよね?


 まちがえた?!



 「メリッサ、御機嫌よう。申し訳ないのだけれど、私達は名乗ることができないの。ご理解あそばせ。さぁ、お掛けになって」



 内心の混乱を必死で抑えこむ私を他所に、鈴の鳴るような声に顔を上げれば、思わず正面の彼女と眼があった。


 

 ……きれー。でもどっかで見た気がする……。


 私と眼があった彼女はニッコリと微笑んでくれる。


 ……まーぢきれー。


 失礼ながら思わず見惚れてしまう。すげー。こんな綺麗な人いるんだぁー。「私、見た目は悪くない」とか勘違いし過ぎてたわー。こう言う人が綺麗って言うんだなー。綺麗過ぎていっそ神々しいわー。

 阿呆みたいに口を半開きにして貴人を見入ってしまった私の耳朶を、低くしかし艶のあるバリトンの美声が震わせる。



 「今日、君を呼び出したのは、この本について幾つか聞きたいことがあるんだ」



 はた、と声の方に視線を向ければ、今の今まで存在に気づけなかった(・・・・・・・)男が一人、神々しいまでの美貌を晒す眼前の貴人の隣で、まるでその煌めきに霞むように座っていた。

 歳は私よりも十歳程は上だろうか。無精髭を生やして濃いカーキ色の鞣したジャケットに、同じ色の中折れ帽。下は黒に近い灰色のニッカーズに革の半長靴だ。服装は一見するとアウトローにも見えるが、着ているものの仕立てが良いせいか、とてもスマートな着こなしに見えた。


 隣りに神々しく鎮座まします貴人と比べると、従者にも見えない程その格好には差があったが、男の方は男の方で話す者の警戒を自然とほぐすような不思議な親しみやすさのような雰囲気があった。


 なによりもイケメンである。


 雰囲気イケメンとかじゃない!


 彫りの深い目鼻筋に吸い込まれそうな優しい翠の瞳。無精髭を生やしているのに不思議と不潔な感じはしない。むしろその格好と相まって、野性味溢れる魅力がにじみ出ている。


 彼に壁ドンされて顎クイされたら即堕ちする自信がある。ってか、してっ!お金なら頑張って稼ぐから!!幾ら有れば壁ドンしてくれるの!?ねぇ!


 はっ!

 気がつけばワイルドイケメンが私を見て怪訝そうな顔をして動きを止めていた。


 あっ!ヨダレ出てた!








僕、アリアドネは懐から例の要覧を取り出そうとして思わず動きを止めた。


 僕たちが番頭殿に頼んで呼び出した、未だ地上世界では珍しいうら若い女性店員。こちらを見つめて惚けたように開いた彼女の口の端から今にも零れそうな一滴のヨダレが光っていた。


 ……あれ、僕なんかしたかな???


 可愛らしいお顔が台無しである。

 怪訝な顔をした僕に気づいたメリッサと名乗った彼女は慌ててヨダレを拭うと、居住まいを正して営業スマイルに戻った。


 とても魅力的な笑顔だと思う。きっと人気もありそうだ。だからこそ、その若さで店員の地位にいるのだろう。ちょっと悪い男に引っかかりそうな感じはするけど。


 僕は彼女への思考を打ち切って懐から例の要覧を取り出してテーブルの上に置いた。

 さっさと話を始めよう。今も隣の女神様は、見た目は笑顔でいるけれど焦れに焦れている。


 僕らはこの要覧の出処を商流を遡ってこのトシュケルへと辿り着いていた。


 商流は割と複雑で、このメリル・フィンチ・ブレンナー合同会社は四次店だった。つまり曾孫請けである。どうやらウーガン・レック合資商会から写本を請け負った下請けは商流を下るにつれて段々と要覧を完成させたようで、下請けが装丁、孫請が製本、そして本文はこのメリル・フィンチ・ブレンナー合同商会が請け負っていた。


 そのせいでこのトシュケルに辿り着くまで馬鹿みたいな時間がかかってしまった。あっちへ行ってはこっちへ行って、と大分時間がかかったが、ネッカー川を河口まで下らなくて済んで何よりであった。


 ヴィーネはヴィルへリンブルクを発った頃は頗る不機嫌だったが、それも旅路を征くに連れ段々と気分が晴れていった様だった。のだが。


 このトシュケルの港に着くかどうかという、大河ネッカー川を下る船上で、彼女は眼の色を変えたのだった。


 曰く、「『陛下』の匂いがします」だそうです。

 犬かな君は?


 や、彼女の言う『匂い』と言うのは臭気のことではなく、オドの残滓の様だった。


 確かに、オドの残滓は固有のパターンが現れることが多いが、碩術が行使された直後や余程マナの流れに干渉する碩術を使用した場合でなければ、検出器を使っても感知することは不可能である。

 や、ヴィーネは正真正銘の精霊だし、そういう事もできるのかもしれないけれども。いや、それ以前に。


 え?ちょっと待って?マ?


 ホントに復活してたりするの?どうやって?


 もしかしなくても僕には検討も付かない摩訶不思議な方法を使って?


 ……確たる自信を持って否定できない……。


 その事実に僕は少しげんなりしたが、それ以上に切実な問題だったのはヴィーネのテンションだった。


 極度の"躁"状態。将に"ナントカ"ボルケイノ状態である。

 溢れるどころか吹き出す神気。中てられた人々が歓喜に噎び泣き崩折れてゆく。

 控えめに言って阿鼻叫喚だった。乗ってた定期船座礁しかけたわ。


 トシュケルに着いてからもヴィーネの妙な"躁"状態には拍車が掛かるばかりで、遂には僕の手に負えなくなったので天上世界のアンジェリカに頼んで専用の装具を持ってきてもらうまでになってしまった。

 今、彼女が身に着けているレースの塊――勿論、全部碩術陣である――みたいな服が正にそれである。


 この服は彼女が自身で用意した彼女専用の装具で、前にも何度かやらかし(・・・・)た為に用意したのだとか。

 なんでも彼女の神気を光を経由してマナに変換する機能があり、変換したマナは彼女が腰のところにつけている貯蔵器に貯められているので、なんと別途碩術具――マナやオドを流してあげると特定の機能を発揮する絡繰道具である――に接続すればマナソースとして使用できるらしい。


 人間発電機かよ。あ、人間じゃなかったね君。


 今もヴィーネは人前だからと穏やかにメリッサ嬢に微笑みを向けてはいるが、割と隠しようがない程ペッカリ発光している。

 ステイ、ステイ。ドウ、ドウ。

 視界の隅が眩しい。


 このまま放っておいたらヴィーネの装具が破裂とかしても嫌なので――主に爆発に巻き込まれるのが――さっさと話を進めてしまおう。



 「いきなり本題に入ってすまないが、この要覧の写本依頼は君が担当だったと番頭殿から聞いているんだが、我々はこの本文の文字に見覚えがあってね」



 机に出した要覧を開いてメリッサ嬢に訳を話す。

 オドを通して見せれば本文の余白に光る奇っ怪に歪んだ崩し文字が現れた。



 「昔生き別れた知人の字によく似ているんだ。我々は彼の御方に大変な恩があってね。もし今、写本の手仕事をしなければならない程、その御方が困窮しておられるのであれば、何としてもご恩返しがしたいのだ」



 嘘はついてない。その知人が生きてない、と言うだけで。……死んだハズです。


 メリッサ嬢は驚いたように各頁の余白に浮かび上がったその文字達を覗き込んだ。

 エメラルドグリーンに煌めくのったくった文字は地上世界の地方都市ではまず見ることはないだろう。


 

 「秘守義務が有ることは承知しているが、そこを曲げて、写本をした御仁がどこに住んでいるのか教えてはもらえないだろうか」



 僕の言葉に顔を見合わせる番頭殿とメリッサ嬢。



 「私からも重ねてお願い申し上げますわ」



 ヴィーネも僕に合わせて軽く頭を下げる。貴人が平民に頭を下げすぎてはいけないから軽く頷いたようにしか見えないが、逆にその仕草が番頭殿達へ身分制度が織りなす無言の圧力となって乗し掛かる。


 僕らにとって、頭を下げるなんてのは別にどうということはない。それで相手に無言の圧力が掛かって、目的を達成しやすくなるなら万々歳である。それよりか、ヴィーネは喋る度にペカペカ明滅するのはどうかと思うけど……。それ生理現象なのもしかして?


 僕達の態度に「顔をお上げください!」と番頭殿が慌てふためいて、メリッサ嬢を肘でこつく。

 突付かれたメリッサ嬢は困ったように眉尻を下げた。


 うん?あれ?

 なんかおかしいぞ?


 番頭殿はその様子から察するに、メリッサ嬢が個人情報を話すことに同意しているように見える。

 メリッサ嬢個人も、受託者を明かす事に異議があるようには見えない。


 だったらサラッと教えてくれてもいいものだけれど、メリッサ嬢は困ったように眉を下げるだけ。

 あれ、僕ら何か勘違いしてる?









 私、メリッサ・ミュラーは困っていた。


 目の前のワイルドイケメンの話では、眼前の貴人達は昔お世話になった人の筆跡を見つけて遥々このトシュケルにやって来たらしい。

 しかもその筆跡は私の担当した要覧の写本に記されているようだった。


 ワイルドイケメンが机に置いた本には見覚えがない。これは当たり前。私が担当した写本関係の仕事は全て本文の筆写の仕事だ。筆写された本文は次の製本を担当した商会に送られ、その商会が製本し、もしかしたら装丁も施すかもしれないし、また他の商会に送って装丁がされるかもしれない。


 今目の前にあるのはそうやって完成した豪華な装丁の施された完成品だった。


 と言うか、メリル・フィンチ・ブレンナー合同会社は出版業はやっていない。メインは雑貨の卸で、方々で依頼される手仕事等を卸の取引で培った伝手を頼ってその技術を持った筋に斡旋しているだけだ。

 利益度外視の事業であると言っていい。得られるのは伝手との関係性の強化のみで、金銭的利益は無いに等しい。言ってしまえばお付き合いでやってる仕事である。


 ここ数年、写本の手仕事は私が担当していて、殆ど全てライラちゃんに依頼している。他にやり手が居ないからであった。

 ぶっちゃけ、ライラちゃんが手仕事の依頼を受けてくれなくなっちゃって凄い困ってます。


 ここ数年はライラちゃんにしか筆写の仕事は頼んでいないから、ワイルドイケメン――と言うワードが出るだけでヨダレが垂れそうになるわハァハァ――が取り出した本はライラちゃんの仕事ということになる。多分それは間違いがなかった。

 だけど、ライラちゃんが何処かの貴人であろう彼等の恩人と素直に納得できる訳もなかった。


 確かめるべく、机に置かれた本の表紙を見せてもらう。私の頼みにワイルドイケメンのバリトンヴォイスが「どうぞ」と答えて表紙を見せてくれた。脳が溶けそう。脳汁耳から垂れてこないかしら。

 表紙に書かれたタイトルを確認すると、それは先日ライラちゃんが仕上げたお仕事に間違いが無かった。


 という事は、やっぱりワイルドイケメン達の恩人はライラちゃんということになるが、そんな訳ないわよねぇ。

 というか、ワイルドイケメン様(ハァハァハァ)が指し示した筆跡はボンヤリと翠に輝いていて、私が原稿を受け取った時にはこんな文字があったとは到底思えない。こんな目立つ書き込みがなされていれば誰だって気付くはずだ。

 ウチから次の取次店に渡った後に書かれたのかな?


 文字の事をワイルドイケメン様(ハァハァハァハァ!)に確認したら、適切な手順でオド?とか言うものを流した時のみ浮き上がる、秘密のメッセージを隠す時に使われる昔ながらの手法らしい。碩術師にしか書けないし、碩術師にしか読めないテキストらしい。

 うーん。ライラちゃん、碩術師の学校通ってたから、もしかしたらもしかするわよねぇ。

 でもどうなのかしら?書かれている文体から、あんまりライラちゃんっぽい感じがしないのよね。妙に偉そうと言うか、なんか先生が教え子に教え聞かせるよう、と言うかかなり難しい表現がいくつもあって、正直私には意味がわからない内容も多い。まぁ、元々私にはこの本の本文の内容もチンプンカンプンなのだけれど。


 等と、ワイルドイケメン様(ハァハァハヒハヒ)の許しを貰ってパラパラとその注釈のような書き込みを読みながら、私ははたと心当たりに気がつく。

 あ、もしかして。



 「心当たりが?」



 あぁ、凄い。イケメン様のヴォイスが心に染みる。



 「心当たりというか、もしかしたらと言うか、この写本の本文を書いた娘と一緒に居た()かな、と」



 「ほう。詳しく教えていただけますかな?」



 ズイ、と少し身を乗り出すようにしたイケメン様からとても良い香り(ナイスイケメンスメル)がする。クラクラ来ちゃうわ。

 気を抜けば思わず白目を剥きそうになるのを必死でこらえて、チラリと視線を番頭さんに向け、視線でその先を促しているのを確認する。



 「ええと、サンク・マグダレナ碩術幼年学校に在籍している子がその写本の仕事を受けていたんですけど、最近彼女が……ええと、出会った(・・・・)()らしいんですけど、色々な事に詳しい様だったので、その()かな?と……」



 話しながら私はブルリと身震いをした。何だろう。急に、寒気がする。



 「その娘の事をもう少し詳しく聞かせていただけるかしら?」



 そう呟いたのは、ワイルドイケメン様の隣で後光を背負った様に神々しく微笑んでいた貴婦人の方だった。



 「ライラちゃんと言いまして、ご両親が戦争で犠牲になられて孤児院で育った子なんですけど、御両親と同じ碩術師に成りたいと苦学生して碩術幼年学校に通っていた子で……最近その()と出会って色々教えてもらってるみたいだったので……あれ?何で私震えて?」



 いつの間にか膝に置いていた私の両手が激しく震えていた。いや、膝が、肩が、ガタガタと音を立てて視界を揺さぶる。



 「なるほど。つまり、大好物(・・・)というわけね」



 え、ちょっと待ってね。それ、どういう意味ですか?


 彼女の雰囲気が先ほどの春先の太陽の様な暖かさから、スンッと効果音でも聞こえて来そうなほど、一転して身も心も凍結させる様な真冬の寒風に変わっていた。

 感情の抜け落ちたその両の瞳がまるで深淵の奈落の様に私を静かに覗き込み、私は自ずとなにかまずいことが起きていることを悟っていたが、何がまずかったのか解らなかった。


 まるで全世界が彼女の一挙手一投足を畏怖するが如く、いつの間にか齎された静寂が巨人の手の様な万力の圧力を以て私達を抑えつける中、貴人である彼女から発せられた言葉は首筋に突き付けられた切先のように冷たかった。

 息が出来ない。肺腑が見えない何かに押されて空気を吸い込んでくれない。


 あ、死んじゃうかもあたし。イケメンスメル(空気)もっと吸いたかった……。









 僕、アリアドネは隣で膨らんだ気配に押されて、その気配の元に視線を向けた。


 スンゲェ光ってる。


 しかもブラックライトみたいな明らかにマイナスイメージの暗色系の光を放って。



 「なるほど。つまり、大好物(・・・)というわけね」



 そのにじみ出る負の感情と共に感情の抜け落ちた美しい能面のような表情から絞りだされた呟きに、正面のメリッサ嬢が顔面蒼白で「ピィ」と小さく悲鳴を上げた。


 ドウドウ。落ち着き給え。番頭殿の両肩がすこぶる重そうである。何かに抑えつけられたように自然と前のめりになろうとする体を、彼の矜持か必死で起こしている。局所的な重力異常起きてるからマジで辞めて差し上げて。彼らに罪はない。

 僕は隣の暗く光ると言う器用な事をやってのける女神様の肩を掌で包むように叩いた。



 「番頭さんもメリッサ嬢も死にそうだから落ち着いて?」



 「あら、ごめん遊ばせ」



 ニッコリ嗤ったヘーリヴィーネが笑顔を向けた二人は、まるで雪山に取り残された哀れな遭難者のようであった。


 全く、極度の躁状態から急転直下で怒髪天衝とかホント忙しいよね君。

 僕は内心で溜息。



 『ちょっとちょっと。ステイ・クールだよステイ・クール』



 誰に向けられるでも無い怒りを、噴火直前の火山の様に膨れ上がらせる彼女に、念話(チャント)で冷静を促す。



 『ねぇ、この店員さんの話を聞いて、貴方どう思う?俄然『あの方』の仕業っぽくなくて?』



 そんな僕に、ヘーリヴィーネは薄っすらと口角だけを上げた薄ら寒い程に美しい微笑みを向けた。

 怖いこと言うのやめてよ。


 ヘーリヴィーネの返答に僕は内心で独りごちる。



 『戦争で両親を亡くした不幸な少女。碩術師を目指す幼子。写本の手仕事で苦学生してたのだって。どう?『あの方』の大好物じゃない?』



 うふフふふ、と喉の奥だけで響かせるような声で嗤うヘーリヴィーネ。


 確かにそう言う、一見すると不利というか不憫というか、他者に対して外的要因で劣後せざるを得ない者に手を差し伸べて(を弄り回して)、最終的には大どんでん返しするのが『あの方』は好きだった。

 ……確実に三度の飯よりは好きだった。断言する。


 ヘーリヴィーネは積み重ねられる状況証拠に『あの方』の復活を確信している様だった。


 や、よく考えてみれば今の御時世「HSS」などと言う――HSSとは「ハンス・スコット・シュミット」を意味しているのだろうし以下略――署名をする奴なんて他に居やしない。居るとすればそれは単なる自殺願望者だ。


 少なくとも、今まさに僕の隣で重白可怪(おもしろおか)しく嗤っている彼女が見つけ次第世界の果てまでブッ飛んでって縊り殺すだろう。元々、この話は彼女が最初に『あの方』の名を騙った奴の顔面に拳で点描画を描いた事から広まった不文律なのだから。


 だから多分、彼女には最初から確信のような何かが有ったのかもしれない。いや、多分あったんだろう。いや、もしかしたら単に縊り殺しに来ただけなのかもしれないが。

 ぁあ、嫌だ。ホントに『あの方』復活してたらどうしよう……また色々な後始末させられるんだろうなおなかいたい。


 僕はシクシク痛み出した鳩尾を無駄とは分かっていつつもこっそりと撫でた。

 


 え?何でヘーリヴィーネがプリプリしてるかって?


 そりゃ彼女が最初の生徒(一号さん)だから嫉妬してるだけだと思うよ?


繋ぎの話というのはどうにも書きにくくてすいません。

いや、ウマ娘がですね?

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[一言] この人(妖精)、猫が主人公が寝てる布団の上で丸くなってるのを見たら泡吹きそうだなw この人たちと主人公が会ったら、猫の正体がバレて関係が微妙になりそう。 今の、「言葉を話すスーパー猫」の認…
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