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朕は猫である  作者: 名前はまだない
29/70

#29

大変遅くなりました(毎度

糞長い癖に話がぜんぜん進まない……。

本当は「御両名、地上世界到着!」ってするだけの筈だったんですが……変な欲が出てしまいました……。

 余、アウグスト・ヴィルヘルムはその光景を前にして、どうすれば良いのか、不甲斐ない話だが途方に暮れた。


 なにせ、客が客を張り倒したのた。しかも磁器の水差しで。


 勿論水差しは派手な音を上げて砕け散り、張り倒された男――私の認識が確かであれば、エールスリーべ教団の信奉する四富神が一人、アリアドネ主上であるはずだ――の頭は見事にマホガニーのティーテーブルに叩きつけられて二度ほどバウンドした。


 ピクリとも動かないアリアドネ主上から視線が離せない。


 死んではいない、と思うが、なんと言うか、思考が停止して、なかなか動いてくれない。


 考えてもみてくれ。国教であるエールスリーべ教団の副神とは言え、信仰対象の男の頭が目の前でバウンドしたのだ。ゴインゴインと妙に湿り気の有る奇妙な音で。


 余の心中を察してほしい。

 隣りに座っていたシュテーア主教は、既に泡を吹きながら白目を剥いて椅子の上で痙攣を繰り返している。


 それはそうだろうとも。何故ならアリアドネ主上を水差しで張り倒したのは、事もあろうかエールスリーべ教団が信奉する至高神ヘーリヴィーネ主上であった。


 いや、そう伝え聞くだけで、今も深蒼のヴェールを被って、シマッタ、見たいな仕草で取っ手しか残されていない水差しを見つめる彼女が本当にヘーリヴィーネ主上其の人であるかは余には解らない。会ったことがあるわけでも無いので当たり前であるが、目の前の深い蒼で揃えられたトレーンの付かないマント・ド・クール風に豪華に設えられたハイネックのローブ・モンタントに身を包んだその姿からは薄っすらと後光のようなものが射しており、確証は無けれども、確信はあった。


 許されるのであれば余もか弱い婦女子のように額に手を当て意識を手放したい。が、二柱を招いたのは余であるからして、ホストである余にはそんな甘えは許されないのだ。シュテーア主教が実に羨ましい。いや、彼は彼で内心ゲシュタルト崩壊であろうが。


 そんな我らを他所に、ヘーリヴィーネ主上はアホ面を晒して自身を見つめる余と、口角から蟹のように泡を吹くシュテーア主教を順繰りに不思議そうに眺めた。


 まるで、余の視線の意味が解らないとでも言うように。

 少し考えた末、彼女はエウレーカ!とばかりに、ティーテーブルに突っ伏すアリアドネ主上のジャケットを徐ろに弄ると、革製の小さな小袋を取り出した。



 「御免あそばせ。壊してしまったわ。これで弁済が出来るとよいのだけれど」



 そう言って彼女がティーテーブルの上に置いたのは袋状の財布だった。


 違う、そうじゃない。


 置かれた拍子にジャラリ、と音を立てて口が開いたその財布の口からは、虹色の光が幾つも漏れ出ている。


 『帝国』白虹貨。見るのは余も初めてである。その名の通り『帝国』通貨である。地上世界でも使われる金貨や銀貨と同じく、希少物質『テーブルナイン』を成形した貨幣自体に価値がある本位貨幣だ。


 今目の前に置かれた小袋の中身だけでこの教会がもうひとつ建ちそうである。

 いや、そうでは無い。そんな磁器の水差しなどどうでもいいのだ。


 問題なのは、余の向かいでピクリともせずにティーテーブルに突っ伏す御仁を何故に張り倒したのか、だ。


 何か失礼があったのだろうか。そうであれば余等も伏して許しを請わねばならぬ。

 余の視線を追って、ヘーリヴィーネ主上の目がアリアドネ主上へと向けられる。



 「……あ、これ、ですの?」



 恥ずかしそうに口元を手で隠して主上は視線を外す。



 「ごめんなさい。私の預かり知らないところで、勝手に私を祀る宗教を作っていた不埒者に天誅を」



 シュテーア主教が気を失っていて助かったァァァァ!!!


 流石に隣で知人が息絶えるのを見たくはない。


 彼等は主上に盲従する下僕であるが、彼女の教えを、秩序を、彼女と共に世界に広げる、仲間といえば痴がましいが、そんな共闘意識をエールスリーべ教団は持っているのに。

 当の主上がその存在すら知ら――辞めよう。その方が幸せな気がする。



 「それで、何だったかしら?」



 コトリ、と取手だけになったかつて水差しだったものを、ティーテーブルに突っ伏す男の前に墓標の様に置くと――どういうバランスをとっているのかは解らなかったが、明らかに横では無く縦に、もしまだその取手が水差しについていたのなら、位置こそ違えどそのような角度で水差しにくっついていたであろう、自然には絶対に立ち得ない角度でその取手はティーテーブルに屹然と立っていた――主上はゆるりとした優雅な動作で自身の席へと戻る。


 なんの事か一瞬解らなかったが、それが今の今迄、余とチャントをしていたアリアドネ主上との会話の事――我が国の置かれた環境と、天上世界の横暴だ――と気付くまでに一拍の時間を要した。



 「あぁ、そうそう。セレスメアが何かしているのだったかしら?」



 振舞われていた紅茶を舌を濡らすように一口飲んでから、主上は虚空を少し見つめると、視線を下げて余を睥睨するように話し始めた。その視線は厚いヴェールに覆われていても、まるで射抜かれるような何かを感じた。


 どうやら、アリアドネ主上とのチャントは盗み聞かれていたようである。どのような業にて行われた結果なのかは地上世界の皇子でしか無い余には到底判らないが、その視線は確かに余達の会話の内容を理解しているようであった。



 「取り敢えず」



 紡がれる言葉に余は息を呑んだ。


 それは救いか、それとも。

 いや、その次に紡がれる言葉は余にとって福音であると、願いたい。いや、心のどこかでそう望み、そしてそれ以外の言葉は聞きたくはないと耳を塞いでいた、その言葉が今、紡がれる。



 「貴方、取り敢えずその首塩漬けになさいな」



 余の奥歯が鳴った。それは、後悔か。いや、失望、怒り、そして抑えきれぬ反抗。

 許してはならない、絶対に許してはならない、真実。



 「何故(なにゆえ)



 思わず口をついて出た言葉に、愕然とした。不敬である。



 「何故、って、当然でしょう?」



 だが、主上は余の無礼を気にもとめた様子もなく、まるで不義を働いた輩を詰問するが如く、腹の底を震わせる低い声で余を侮蔑するように言った。



 「それが筋というものよ。さすれば、(わたくし)の全てを投じて、この国の民を救いましょう。貴方の一族郎党全員の首と引き換えに、セレスメアの横暴を諌めましょう」



 なぜこんな簡単なことがわからないのか、と。

 まるで、マナーを知らない蛮族を見るように。

 まるで、勧善懲悪の歌劇の意地汚い敵役を見る子供のように。



 「それが統治者としての、矜持ではなくて?」



 それは、深い深い、落胆と侮蔑に満ちた声だった。

 だが、余は混乱した。何故、帝室が。



 「て――帝室は、国体そのもの……」



 「なら尚更。今すぐ、自害なさい」



 「そんな横暴な!」



 国体とは、国を象徴し、曖昧な社会という器を具現化し、その器の中にあって初めて人は統一された意識の、社会という枠組みの中に帰属できる。

 その枠組の無い状態の人は、単なる野生動物と何ら変わりがない。人は、社会という枠組みで自らを定義し、形作ることによって野生動物とは一線を画する、上位構造を形作ることが出来るのだ。


 その根源である国体を形作っているのは帝室に他ならない。

 その帝室全員の首を差し出せ、等と。それはこの国の民衆に等しく獣へと還れと言っているに等しい。

 そんな妄言が、例え主上であっても宣って良いはずがない。



 「横暴?勘違いも甚だしいわね」



 にもかかわらず、まるで余が筋の通らない世迷い言を宣っているが如く、主上は続けた。



 「(わたくし)はね。この国の国体だろうがなんだろうが、そんな事はどうでも良いの。帝室は国体である?結構。実に結構。その通りでしょう。で、あるならば、貴方達は尚の事、現在直面している事態に対して、責任を取らねばならない。そうでしょう?」



 何故解らないの?と。

 余には主上の真意が理解できなかった。



 「やれやれ、ヘーリヴィーネ。君は昔から説明下手だよね――ぅわっチィッッ!」



 まるで、タイミングを見計らっていたようにムクリと起きだしたアリアドネ主上に、ヘーリヴィーネ主上が無言でまだ湯気が立つ飲みかけの紅茶をぶっかけた。心臓に悪いので本当にやめてほしい。



 「ちょっと!マジあっついから!ホントに熱っついから!火傷するから!ごめんなさい!ごめんなさい!ほんとゴメンナサイでもこれ僕だけの仕業じゃないんですホントです信じてください!」



 「人の事勝手に面白可笑しく祀ってた輩に、更に『下手』呼ばわりされると、少し不愉快よね。ね?」



 唐突にこちらに顔を向けるヘーリヴィーネ主上。


 余を見ないで頂きたい。

 余になんと答えろと言うのだ。



 「まぁ、私のこと祀っていた件は後で弁明を聞くとして、いいわよ。そこまで言うのならば、私の言わんとした事を代弁させてあげてよ?」



 そう言って、ヘーリヴィーネ主上はカップを置いた。



 「いやあのホントにエールスリーべ教団の事は僕どっちかというと脇役も脇役の木っ端なので許して頂けると助かるんですけどぉ。主犯、既に勝ち逃げしてるし犯人死亡で不起訴ってことで一つ」



 「心配しなくて良いわ。執行するのは楽しい楽しい私刑(リンチ)だから検察弁護裁判全てすっ飛ばして『総括』して差し上げてよ」



 うへぇ、とアリアドネ主上は首を竦めた後、こちらに向き直って居住まいを正す。そして、両肘をティーテーブルの上に乗せて胸元で両手を組むと、まるで親しい友人と雑談でもするかの如く主上は口を開いた。



 「君達の状況を僕たちの視点で見た時の状況を説明しようか。君達は、いやこの国は、か。昔は緩ーい繋がりの一纏まりだった。でも、仲違いして、分裂して、君達がまた一つに纏めた。でも今度は緩ーい纏まりじゃなくて、帝政を敷いた強権的で強制的な纏まりになった。でも、お隣さん(ラサントス)は君達が一つになったことで気が気じゃなくなった。昔みたいに緩ーい纏まりだったのなら、時には内部分裂し、時には一致団結することもあった君達ならお隣さん(ラサントス)も安心できていた。君達は元々商人の集まりで、金銭やその他諸々の授受、時には武力的な威圧で持って利益分配の余地があった。だが今はどうだい?帝政を敷いて軍隊を拡充し、隣国2つを武力で制圧してしまった」



 「しかし!キャールとクロクットは元々は我らテルミナトル帝国の一部だったのです!それを!ラサントスが裏で糸を引いて我らを分裂させたのです!」



 敢えて大仰に立ち上がりかけた余を、アリアドネ主上は子供をあやすように振って制した。



 「まぁまぁ。勿論、君の言う通りだ。キャール王国とクロクット首長国の出奔はラサントスの手引が有ったのだろう。でも、彼らは昔から君達に商売で勝てず、辛酸を嘗める事が多かったのも事実だ」



 「それは我等の、嘗てのエルメリア連邦が優れていただけの事です」



 「そうだね。君達の前身、エルメリア連邦国はとても商売上手だった。商売上手過ぎて守銭奴とか追剥とか呼ばれる程に。だが、視点を変えよう。君達がラサントスだったら、どうだい?商売敵に負け、借金地獄に落とされ、このままでは近い将来家族で首を括るしかない、となれば?」



 それは、詭弁だ。



 「事業で失敗するのはその者の才覚が無かっただけのこと。邪魔をされようが失敗を人のせいにされては、世はまかり通りません」



 「その通りだね。決して、君達が悪いと言っているわけではないよ。利益を最大化することは悪いことじゃない。スポーツをやっている訳ではないのだから。その果てに、ライバルが首を括ることになっても君達は悪くない。むしろ、正当な競争の結果だ。失敗するやつが悪い。裏をかかれる奴が悪い。負ける奴が悪い」



 余は、無言でアリアドネ主上の言葉に頷く。



 「ならば、ラサントスが正攻法ではない選択をしても、手段を選ばない行動をとっても、それを悪と断じる訳には行かないだろう?」



 「しかしッ!彼奴らは――」



 思わず、と言うふうに激昂してみせた余に、アリアドネ主上は音も無く左手だけを翳した。途端、激昂してティーテーブルを叩き割らんばかりに振り上げられた余の右腕は、そのたった一挙手のみで空中にその身を縫い付けられていた。



 「落ち着き給えよ。そうだ。落ち着き給え。君達は、この国は悪くない。悪くないんだよ。だが、それはラサントスも同じだというだけの話だ。僕達から見れば、誰も悪くないのさ。君達にとっては不幸なことに」



 それは、認めてはならない事実。

 それは、敢えて演技で覆い隠した真実。

 縫い止められた右腕から嫌な汗が吹き出す。



 「判っているよ。君も御飯事(オママゴト)をするために僕らの前に現れたわけではないだろう?少しでも可能性のある選択肢を模索し、少しでも勝率を上げるために、少しでもリソースの有効活用を狙ったに過ぎない。いや君は素晴らしい。僕はそう思うよ。これぞ為政者の鏡だね。それが、誰の為の政治かどうかは置いておいて」



 そう言って、主上は翳した左手を引っ込めて肩をすくめてみせた。

 途端、昆虫標本も斯くやと言う風に空中に縫い付けられていた余の右腕が、音も無くティーテーブルに向かって力無く振り下ろされた。



 「まぁ、詰まるところ、僕達には君たちに味方するメリットもなければ理由も無い、という訳さ。勿論、メリットと言うのは地上世界の安定性と言う観点においての話だよ。そんな僕達にどうしても味方をして欲しいのであれば、君は自身の過去の行いを全て自ら否定して、その身を持って贖罪する必要があるだろう?君だけじゃない。この国の統治機構全てが、そうするのならば僕たちは『帝国』に連なる者として、『帝国』が担う責務を代行しよう。国民に非は無いからね。この国の国体は損なわれるだろうが、元々君たち元首が匙を投げたシロモノだ。仕方ないだろう?」



 側頭部から何やら冷たいモノを感じていた。


 それは両の側頭部を起点に広がり、前頭部の感覚を麻痺させ、続く後頭部の痛みと共に、余は自身の血の気が引いているのを自覚した。


 判っていた。この二柱に取り入ろうとも、受け入れられないであろうことは。だがしかし、それでも試して見る価値はあった。いや、有ると余は踏んでいたのだ。

 何か、否定しなければならない。何か、論理的に見える何らかの理由を見つけ出さねばならない。


 此度、二柱を招いたのは、それが限りなくノーリスクに近く、確率は低くともハイリターンが望める機会であったからに他ならない。

 たが蓋を開けてみればどうだ。


 我が国は今、危機に瀕している。ラサントスのみならば対等にやれるだろう。だが、背後に控えるメイザール、セレスメアを加味すれば、どんなに控えめに見積もっても、どれだけの期間持ち堪えられるのか、と言う問題にすり替わってしまう。それも、持久戦に持ち込んだところで、何がしかの光明が見えていなければ、それは目減りし続ける蝋燭を見つめているのと変わりがない。


 余は、その『光明』の種を求めて今日、二柱に面会した筈であった。

 慈悲という神々がお与えくださる無償の恩恵に的を絞って縋れば、この場で支援の確約を引き出せなくとも、少なくとも我が国の現状を我が国、ひいては余達帝室の都合の良い情報を二柱の記憶の片隅に留め置く事が出来ないかと期待していたのだ。


 この場で僅かでも二柱の同情を引き出せれば、土壇場で一筋の蜘蛛の糸を垂らしてもらえる可能性を作り出せるのではないかと考えたのだ。


 『帝国』建国の志士である二柱の言葉は、発したその時から明確な強制力を持つ。

 余の浅はかな『懇願』は、明確な二択となって余の元へ返ってきてしまった。

 それは『一切の援助を今後期待しない』か『帝室の解体』という、どちらを選んでも決してプラスには傾かない、二択。



 「という感じなんだけども、如何?」



 余が必死で思考を巡らせている間に、アリアドネ主上が問答の評価をヘーリヴィーネ主上に伺う。



 「星2つ、というところかしら?」



 「えぇ~?辛くない?何が不満なのさ?それとも星3つで満点?」



 「星5つで満点に決まってるでしょ」



 明らかにヴェールに隠されている筈なのに、明確な、強い視線を感じた。



 「単純なこと。(わたくし)は仮にも王者を名乗る者として、貴方の為さり様が気に食わないだけ」



 分厚いヴェールに隠されている筈のその視線に、余は思わず震えた。



 「貴方が戦争を為さりたいのなら、為されば宜しい。(わたくし)達が貴方を諌めても、結局は兵隊遊びを為さるのでしょう?貴方の大号令一下、可弱い民草は戦場へと走るのです。貴方の理想を、言葉を信じて。祖国を、家族を守る為に。半数は帰れぬと解っていても、走るのです。戦場へと。にも関わらず、民草を戦場へと卦しかけるその者として、貴方の今の為さり様は些か誠意に欠けるわ。そんな者を頂いて、戦場へと走らなければならない民草のなんと哀れな事。その事に、腹が立っただけよ」



 誠意、とはどういう事か。余は、人の上に立つ者として、その意味を十分に解っているつもりだ。だからこそ、あらゆる手段を使って、此度の戦に必ずや勝利するつもりでもある。余は、この国の者達を背負って立つ者として、必ずや我が国に勝利を齎さなければならない。だからこそ、今日この場を設けたのだ。



 「あー、そっちかぁ。僕はてっきり、秩序を重んじる君だからこそ、『帝国』の立場を重んじているのかと思ったよ」



 頬杖をついて不貞腐れたように隣に視線を投げたアリアドネ主上の言葉。そっち、とはどれの事なのだ!?



 「『帝国』などもう知ったことではないわ。勝手に内ゲバで瓦解すれば良いのよ」



 『帝国』建国の志士、グレートマザー、等と呼ばれる方から漏れた言葉に余の思考は更に混乱した。

 どういう事なのだ。二柱は既に帝国を見限っておられるのか?だからこそ、その二柱に陳情した余を突き放しておられるのか?



 「(わたくし)が腹立たしいのは貴方達の状況認識の甘さよ、皇太子殿下。コレ(・・)の説明で(わたくし)達、『帝国』の立場は解ったでしょう?」



 そう言って、無造作に隣に座るアリアドネ主上を指差す。



 「そんな事も知らないで、戦争を始めようとしている状況認識の甘さが、統治者として、国民に対する誠意が足りないと言うことよ。それに、失礼よ、貴方」



 「あ~、地上世界なんだしさぁ、『帝国』の趨勢なんてそれ程伝わってこないんだから、その辺は大目に見てやっても……」



 「いいえ。知らなかったでは済まされない。それが統治者というものでしょう?貴方が統治者としての矜持と、国民に対しての誠意を存分に持ち合わせているというのであれば、何を持ってしてもこの国に利益を齎さなければならない。それが、どう?今貴方達の置かれている状況は?自分達の要求を満たすためにセレスメアにグレンコア大陸進出の隙を与えて、大国2つに挟まれて、『帝国』に出来ない懇願をして、貴方それでも統治者なのかしら。いえ、底辺貴族だって、市井の民草だってもっと上手くやるわ」



 それはどういう意味か。


 失礼、とは。


 確かに失礼に当たる行いだったかもしれない。

 貴族とは、貴種であるが故に、守らねばならない暗黙の了解が幾つもある。


 確かに、余の行いは失礼にあたったかもしれない。貴族とは、人の持つ希望を出来る限り叶えなければならない。

 しかし、貴族にも限界はある。全ての人の希望を叶えるなど、出来るわけがない。

 であるならば、望まれる希望は、望まれる者が叶えられる希望に限られねばならない。


 叶えられぬ希望を望む事は、確かに望まれる貴族に対して失礼に当たる。人に望まれたものを叶えられない貴族は貴族足り得ない。

 しかし、限界はある。だからこそ、願いを叶えられない貴族に叶えられない希望を望むことは、貴族たるその由縁を否定することになる。

 今のアリアドネ主上の話を聞けば、どうやっても余の望みを叶えることは出来ない。失礼に当たる事であった。


 だがしかし。

 だがしかし、余にも譲れぬものが有った。

 それは、万分の一かもしれない、可能性を掴む必要があったのだ。

 だから――



 「貴方の、考えていることは理解できてよ。万分の一、いえ、億分にも無いかもしれない可能性を生じようとした貴方の此度の行い、それはヒトとして評価しましょう」



 まるで余の思考を読んでいたかのごとく、ヘーリヴィーネ主上の言葉が被せられた。



 「でもね。やはり、統治者としては、失格よ。そのような状況に陥る前に、貴方達は手を打たねばならなかった。そうはならないように行動しなければならなかった。でしょう?」



 やはり、そうなのか。糞。いや、違う。まだ。


 掴みとらねばならない。可能性を。それこそが、統治者たる責務だ。


 余が背にした窓の遥か彼方。ここからでは目を凝らしても微かにしか見えない時計台の先頭の上に、単眼鏡でこの窓を監視している余の配下がいる。

 彼はこの教会の周囲に散らせた者達に向けられた余の合図を今か今かと目を皿のようにして待ち侘びているに違いなかった。既に親衛隊が今この部屋の扉一枚を隔てたそこに居る。


 統治者とは、国民のためにすべての可能性を生じうる者。

 ターミナトル家の家訓だ。

 ならば。


 余は、背後の窓からは辛うじて見える程度に、テーブルの下で左の掌を振った。



 「それも(・・・)、貴方の状況認識の甘さ、よ」



 音もなく、ヘーリヴィーネ主上は立ち上がると、ゆっくりとそのヴェールを剥ぎ取った。



 「お解りかしら?ねぇ、お解りよね?」



 それは、歓喜。


 そして、恐怖。


 主上がヴェールを取ったその瞬間から、同時に生じたそれらは、合わさって畏怖という感情を無理矢理にも人に喚起する。


 主上の背に、神々しい光輪が燦めいていた。


 その光は静寂の中で、静かに、漣のように部屋を満たし、そして、外へと溢れてゆく。


 扉の向こうで呻き声にも似た歓声が次々と上がる。



 「あー、やっちゃったよ。まぁ、みんな若そうだし、大丈夫かなぁ」



 アリアドネ主上の場違いなほど間の抜けた声が部屋に響く。


 ――今、解った。ヘーリヴィーネ主上が何を言わんとしていたのか。



 「貴方達が『ちょっと強い兵器と軍隊を持ってる雲上人』と思っている者たちはね、こんな(・・・)者達の集まりなのよ」



 手が、足が、心の臓が、震える。


 全身の汗腺が、一斉に歓喜に噎び泣く。


 それは、御聖影を拝する喜びとは違う。


 針を手に刺されれば、痛みと共に思わず手を引っ込めてしまうような、人が生まれ出た時から知っている、畏怖。



 「こんな奴らが、ゴマンと徒党を組んで、軍隊なんてものを作っているのが天上大陸よ。解るでしょう?正直、この国位今すぐにだって、私一人で叩き潰すことが出来てよ?この事実を認識していない事自体が、貴方達の状況認識の甘さよ」



 全身の筋肉が収縮する。呼吸がままならない。


 ヘーリヴィーネ主上から発せられる柔らかな陽光の様な、神気(・・)とも言うべきそれ(・・)だけで、この御方が我々と隔絶された、種として絶対に超えられない壁の彼方に御わす、絶対的な超常者である事を余はその身を持って痛感していた。



 「いやぁ、彼女(ヘーリヴィーネ)は少し特別だから安心してよぉ。天上人(てんじょうびと)が皆んなこんな化け物じみてるわけじゃないからね」



 アリアドネ主上の言葉にヘーリヴィーネ主上が「誰が化け物ですか!」等と返しているが、今、この場に居て、平然と冗談を宣うことが出来る時点で貴方も化け物ですよ、と余は思う余裕すらなかった。



 「これが現実。おわかり?ラサントスと、メイザールと、さらにセレスメアと戦争になったら。貴方達は『どれだけの間堪えられるか』なんて勘違いをしている様だけど、実際に見たら解ったでしょう?貴方達がどれだけ大きな勘違いをしていたか、が」



 余は、必死に首を縦に振った。つもりだった。


 引き攣った筋肉は縮こまり、頭を振ることさえもままならない。



 「貴方のことだから、当然、レグランディス(この大陸の天井大陸)には既に接触しているのでしょう?でも、色好い返事は得られなかった。違って?」



 ヘーリヴィーネ主上の言葉に、余は必死に肯定の意を示そうとしたが、駄目だった。首の筋肉が縮こまっていた。


 レグランディスには既に救援と傘下に与する打診を行った。


 だが、返ってきたのはテルミナトル帝国をエルメリア時代の連邦体制に戻す事と、帝室(我々)の解体、という到底受け入れられない条件が提示されただけだった。



 「レグランディスは寡頭制とはいえ共和制だものね。君主制の貴方達を受け入れるには相応のメリットが無いと、受け入れられないわ。いざとなればセレスメアと同じように子飼いの地上国家に参戦させて、貴方達を潰してしまったほうが早いとすら考えるでしょうね。ほら、また認識不足」



 「ヴィーネ。もうそのくらいにしてあげなよ。――アウグスト・ヴィルヘルム殿下も、これで彼女(ヘーリヴィーネ)の言葉の意味がわかったでしょう?」



 ヘーリヴィーネ主上が剥ぎとったヴェールを被り直す。


 途端、この身を包んでいた柔らかで圧力の有る光がヴェールに遮られるように弱くなっていく。



 「死にたくなければ戦争なんてしないことね」



 そう言い残すと、ヘーリヴィーネ主上は余には一瞥もくれずにアリアドネ主上の首根っこを引っ掴んで部屋を後にした。



 「ぁあ!ヴィーネ!やめて!放してくれ!癖になる!」



 と言うアリアドネ主上の声が虚しく部屋に響き渡る。


 その後ろ姿を呆然と視線で追いかけてから、閉じられた扉を余は延々と見つめていた。

 後に報告された内容によれば、教会を中心にした半径1.3オクス圏内の臣民に、ヘーリヴィーネ主上の神気は影響を及ぼしていたらしい。


 唐突に倒れる者、突然涙と大量の発汗を伴い歓喜を上げる者、急に蹲りながら教会に向かって祈り続ける者、その差は千差万別で、死者こそ出なかったが、その威光は凄まじかった。

 そして、呆然と椅子に凭れかかる余の目の前で、絶妙な均衡を保ちながら屹立する磁器の取手は、その後、如何なる振動を与えても微動だにこそすれ、決して倒れることはなかった。


 後にこの教会のこの部屋と、ティーテーブルに屹立するその取手が、エールスリーべ教団の新たな巡礼地に加えられる事など、その時の余には想像もつかなかった。


今後の展開や世界設定に関する諸々の矛盾を埋めるのに四苦八苦しております。

地上世界の時代設定的には第一次大戦前夜程度を想定しておりますが、技術面での設定と思想面での設定などで結構悩んでおります。

まぁ、パラレルワールドなので史実通りではないということで一つ。

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― 新着の感想 ―
[一言] んーお馬鹿さんだなー 尻拭いをして貰えると本気で思ってたんだろうなー 逆に、責任(首塩漬け)したら何とかするよって、かなりの慈悲のような?
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