#26
サイドの様でメインです。
テルミナトル帝国 帝都ヴィルへリンブルグ
目抜通り・ウンターデンアイヒェ
僕、アリアドネは最初この通りを歩いた時、大層驚いたのを覚えている。
地上世界も沢山歩いたが、この道程整った道は珍しい。整った、と言うのは舗装の事では無い。
その景観が凄い、と言うか、良くここまで計算したな、と設計者を褒めたくなるのだ。勿論、天上世界の建造物に比べれば、どうしても『地上にしては』という形容詞がついてしまうのは仕方がないが、僕はこの路を設計した人間に賛美を送りたいと思った。
驚くほど形を揃えられた花崗岩の石畳は幅にして50ショーク――約45mだ――程もあり、このウンターデンアイヒェと呼ばれる目抜通りの入り口に聳える門――この国の統一記念らしく、凱旋門と呼ばれている――は無駄に威圧的で重厚なデザインにも関わらず、僅かに黄色みがかった大理石で建造されたそれは、陽光を浴びて光り輝いている。まるで光の門を潜ると、帝宮へと光の道が伸びているように見える。そう言う趣向が凝らされている。
その中央に二列になって並ぶオークの並木――オークはこの国の国樹だ――がまるで道標のように配され、それが約1オクス程も続く立派な大路だった。
その周囲にはこのテルミナトル帝国随一の商館や店舗が綺羅びやかな商品を、地上世界ではまだ珍しい透明度の高い板ガラスのショーウィンドウの向こうに踊らせ、見る者の物欲を煽っている。
周囲には国立歌劇場や国内最大のサロン、帝立博物館や図書館が並び、民間の店舗と共に統一された白いレンガ造りのその景観は統制された美しさがあった。まぁ、欲を言えば少し軍事色が強過ぎるきらいがあるのが玉に瑕だったりもするのだが。
そんな大路を、僕はヘーリヴィーネを連れてある商館を目指していた。この国一番の豪商であり、帝室御用達でもあり、あの本を手に入れた商館でもある。そこで、あの本の出処を訊き出そう――僕は最初からこのつもりだったから、敢えて出処は聞いていないのだ――という訳だった。
のだ、が。
僕らが一歩進む度に、無言のどよめきが往来から起こり、道行く人々が僕らを二度見する。
いや、正確には僕達では無く、僕の一歩前を行く女神が歩く度に、と言うのが正しいのだけども。
その様子を草臥れたカーキのつば広中折れ帽の下から眺めて、僕は一人冷や汗をかいていた。
まさか、単なるピクニックの延長線上だった地上世界行を、こんなに彼女がお気に召すとは思わなかったのだ。
僕等はあの天空の孤島をカイトで発った後、ヴァリーの協力もあってなんとか『皇帝』の目を掻い潜って地上へと降りていた。
飛行服からヘーリヴィーネを用意していた平民の平服に着替えさせ、駅伝馬車を乗り継いだり、交通機関が繋がっていない経路は徒歩で移動したり、とここ一週間ほど旅を続けているわけだが、日を追うごとにヘーリヴィーネの機嫌は良くなり、今日このヴィルへリンブルクに入ってからはまるで有頂天だった。
初めて――このヴィルへリンブルクに降りたことが無いだけで彼女は地上世界に降りたことはあるハズだ――見る地上の街をとても興味深そうに、とても楽しそうに――僕らが歩いているのは一応この国の首都の目抜通りではあるのだけれど、それでも何がそんなに楽しいの?と僕が尋ねたくなるほど――街並みを見回しながら、上機嫌、では足らず、特上機嫌とでも言うべき華やかで溢れんばかりの笑顔と共に、その精神状態に呼応した強力な神気を振り撒いて歩いていた。
うーん。喜んでもらえるのは良いんだけどさ、彼女の場合、あんまり喜ぶとその勢いで気の弱い人達が昇天しかねないので僕としては少し心配である。余程溜まっていたのだろうか。色々と。
ヘーリヴィーネ、君、神霊に近いというかほぼ神霊なんだからさ。あんまり感情を発露すると、ね?
「アリアドネ、偶には地上を歩いてみるのも、良いものですね」
そう言いながら、僕がアンジェリカに頼んで用意してもらったなるべく地味な平服――信楽色の地味なスカートの裾を翻してくるりと体ごと振り返った彼女から、目に見えないとても、とても神聖なものが、まるで芳しい香水の香りが漂うが如くに辺りを満たしたような気がした。
並み居る男どものハートを軒並み鷲掴みにするどころか、高齢の心の臓が弱っているおじいちゃんなら思わず解脱しかねない笑顔を振り撒いて、彼女は鼻歌交じりに歩を進める。
特上機嫌な彼女が振り撒く神気に中てられて、恍惚と陶然と驚愕と畏怖が綯い交ぜになった表情で両膝から膝まずき、胸を抑えながら滂沱の涙と共に額を地面へと擦り付け始めた上品で身なりの良いおばあちゃんと従者らしきおじいちゃん――多分お金持ちの家の大奥様か何かだろう――に慌てて強心の術式をかけてから、僕は彼女の腕を取った。
「ヴィーネ、ちょっとお召変えをしようか?」
「ええ?何でですの!?」
僕の認識が甘かった。そもそもが女神の如く――実質神霊格の彼女は世間一般では女神なのだが――美しい彼女がちょっと地味な服を着た程度でその美貌が誤魔化せないのみならず、初めて来る地上の街の景色が楽しいのか、その感情に応じた神気を抑えられなくなっているせいで、このままだとその美貌に加えてその発散される神気に中てられてこの街の平均年齢が随分と下がってしまうことになりかねない。
僕は彼女の手を無理やり引いて手近にあった割と高級そうな呉服店のクリスタルガラスの扉を開いた。
「いらっしゃいませ。お客様、当店は……とととととと当店に……お立ち寄りくださり……ままままこまこ誠にここここ光栄に御座いますすすす……」
僕が扉をくぐった瞬間、すい、と音をたてずに帝宮の門番でも模したのであろう儀仗兵のような派手な制服に身を包んだ壮年のドアマンが、僕のうらびれた格好を見て賺さず僕の入店を遮ろうとして、その後ろに連れられたヴィーネの姿を目にするや、彼女から溢れる神気に中てられて、顔面のそこかしこから冷や汗を滴らせながら、意志に反して歓喜に震えるその身体を叱咤して半直角の最敬礼をもって僕らを歓迎してくれた。膝が笑っている。
今にも昇天しそうな顔をしながらも唇を噛み切らんばかりに噛み締めてなんとか踏み留まった彼のその姿勢には敬意を評したい。自身の仕事への矜持を感じさせた。
その店は多分貴族向けなのだろう。綺羅びやかながらもどこか品の良い設えの店内で、僕らが入店した瞬間からその空気が一変したのがわかった。
新しいドレスの採寸にでも来ていたのであろう何処かのお貴族のふくよかなご婦人が、僕の形を見て眉をひそめ、続けて入って来たヴィーネの神気に中てられてブルリと歓喜に打ち震えて力無く天を仰いだのを従者達が必死に支えていた。彼らも膝が笑っている。
早く用を済ませて店を出なければ。
「済まない。ヴェールは扱っていないかな?出来れば顔が全部隠れるものが良い」
壁際に立っていた案内係の店員に声を掛けると、彼は短い呼吸を繰り返しながら「こちらへ」と青息吐息で絞りだすと、覚束ない足取りで僕らを先導して奥の別室へと案内してくれた。
◆
「とても……とてもお似合いで……御座いまぐッふぅッッ!」
ほぅ、と熱い溜息とともに売り子の女の子がため息と共に自身の意識までもを吐き出してその場に崩折れた。や、吐血してたからゲフゥ、かな。
普段は多分VIP専用であろう別室に通されて――あのまま店のエントランスに居たら、来店する人が軒並み昇天しかねなかったので店としてはとても良い判断だったと思う――店主と名乗る老齢の紳士が冷や汗を拭いつつ、店に在庫しているヴェールの数々を売り子に持たせてやって来た――多分、いきなり別室に連れて来た詫びと、ヴィーネが姿恰好は平民のそれだが、纏う雰囲気の違いと言うか溢れ出るその神気を見てタダの平民どころか遥か高位の貴婦人がお忍びで来店したのでは無いかと判断したのだろう。
こんな神気を纏う人間は地上世界に居る筈がない、と看破しての対応なのだと思うが、地上世界の一呉服店にしては立派な対応だと僕は思った――のだが、さすが高級店。出されたヴェールは舞踏会でも十分に通用するレベルの金糸銀糸に複雑なレースが施された無駄に高級なものだった。
どれを被せてみてもヴィーネが今着ている服は天上世界製とは言え平民の平服だ。とてもでは無いがミスマッチで、仕方なくなるべく地味で、なるべく良い所の御令嬢程度に見える服を一式揃えることになった。
本来は採寸して専用に設えるそれを、今回はディスプレイ用に幾か用意してあった在庫の中から選ばせてもらう様お願いする。
最初、店主は物凄く渋っていた。それはそうだ。ディスプレイ用の服なんて、モデルくらいしか着られない。そしてモデルとはモデルになる為に体型を整えている人たちだ。当然、モデル用に作られた服は、普通の人では着れないサイズになっている。まぁ、でもヴィーネに実際に着せてみると大体腰が余って胸がキツイって言うね。しょうがないね。女神だものね。
店主には『帝国』白虹貨――交換レートはこの国の通貨だと多分十万テール位だったと思う――を一枚握らせて何とか用意してもらった。店主は手の中に収まった虹光から目を逸らせずにガタガタと震えていた。ごめんね。両替大変だと思うけど、持ち合わせが無くてね。
出てきた服の中で街を歩いていてもおかしくない落ち着いたデザインの物を選んで着付けてもらう。
そして、更衣として一緒に試着用の衝立の中に入った売り子達がその途中で次々に色々な物を吹き出して衝立の向こうで倒れていき、それを丁稚の女の子が必死になって運び出し、その途中で幾人もが尊い犠牲となり、阿鼻叫喚の挙句に見かねたヴィーネが売り子達を衝立の向こうから追い出して一人で着替えて出てきた所、その姿を見た歯を食いしばって耐えていた最後の売り子がたった今力尽きたのだった。
「誠に、女神のご降臨を目にしているようでございます」と息も絶え絶えに漏らした店主はまだ辛うじて自身の脚で立っている。まぁ、実際降臨しているわけなのだが。
だが、そう。その程度まで抑えられている。あの服とヴェールにはヴィーネが着替える前に僕が彼女の神気を抑える碩術回路を裏地に縫い付けたものなのだ。先ほど力尽きた最後の売り子は最初にヴィーネの更衣として一度衝立の中に入っているからノーカンだ。ノーカン。
自身の成し得た成果に軽くガッツポーズしたくなったが、正面から向けられる刺すような視線に、上がりかけた右腕を鋼の意志で押し留める。
「何ですか!?人を祟り神みたいに!」
まぁ、ナニとナニは紙一重と言うか、なんと言うか。
ヴェール越しでもその視線に物理的効果があるかの如く、僕は全身の血の気が引くのを覚えた――あぁ!店主殿!お気を確かに!!
「それなら、少しは神気を抑えてくれよ」
「これでも抑えているのです。でも、仕方ないではないですか!溢れてしまうのです!あの方にまたお会いできるのかと思うと!!」
泡を吹き始めた店主に強心の術式を掛けながら漏らした僕の抗議に、彼女は身を引き裂かんばかりに荒れ狂う慕情を必死で抑えるように両腕で体をキツく抱きながら叫んだ。
……部屋の外で悲鳴とも嬌声とも似つかぬ声が聞こえた気がする。あ!店主殿、店主殿!!戻って来て!!!
「あまり、期待はしない方がいいよ。あの方が亡くなって、どれだけ経つと思うんだい?質の悪い偽物の可能性が一番高いんだ。どう転んだところで、あの方はもう戻って来ない。それだけは忘れないでくれよ」
彼女が慕った御仁は『帝国』初代建国の王にして、大が4つ位付く碩術師だったけど、僕達とは違って只人だった。碩術やら何やらを駆使して三百年は生きた人だったが、よもや千年以上経った今、大復活を遂げている、なんてことは無いだろう。多分ね。多分。
いや、そんなことはあり得ないはず。誰か無いと言ってくれ。あの人超破天荒だったから放っておくと何しだすかわからない。今のこのご時世に大復活なんてしようものなら今度は天上世界殲滅して新しい『帝国』とか作りかねない。流石にそれは僕でもヒく。やめて。ほんとそういうのやめて。ゆるして。
だから、今僕達が行っているのは本当にピクニックの延長なのだ。――そうに違いない。――ちょっと遠出して、ヘーリヴィーネの気が紛れれば良い。ただそれだけなのだ。
まぁ、ヘーリヴィーネは何か変な期待を持っているようだけど。
至福の微笑を浮かべて安らかに眠る店主の脈を確認してから詫びも兼ねて白虹貨をもう一枚握らせ、後は店の者達に任せてヘーリヴィーネを連れて街路へと舞い戻った。
毎度遅くなっております。
タルコフが悪いんですよね。
タルコフが。EFT。




