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朕は猫である  作者: 名前はまだない
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#16

 「会長、これを、どこで?」


 ウーガン・レック合資商会・会長こと、私、ウーガン・バルヘッツはその声を聞いて、久方ぶりに来訪した客人をもてなす為に用意していたワインを注ぐ手を止めた。

 私に声を掛けたその男は一冊の豪奢な装丁が成された碩術書を手にしていた。

 それは私が執務机に偶々置きっ放しにしていた物だった。



 「いや、お恥ずかしい。それは今度幼年学校に入学する孫へのプレゼントなのですよ」



 私は今どうしようもなく破顔している。仕方がない。何せ、孫が入学するのは碩術幼年学校。そう、孫のリミアには碩術師の才能があったのだ。これを喜ばずにいられようか。何せ碩術師だ。


 私は友の手を借りながらも一代でこの商会を立ち上げた。商会の規模は、手前で言うのもなんだが、国内屈指と言っても良いだろう。テルミナトル帝国皇帝家の御用達でもある。商いの世界において、いや、平民の世界では大凡、頂点に立っていると言ってよかった。


 だが、私のキャリアは、いや、バルヘッツ家のキャリアはここで終わっていた。


 何故なら、私には碩術の才が無い。と言うよりも、碩術師になれる才を持った人間は、それだけで特別だ。万人に一人、か二人。逆に、碩術師の両親を持った子は碩術の才を持って生まれることが多く殆どが多かれ少なかれ、両親の才能を受け継いでいる。碩術師とは血統であり、貴族は須らく碩術師であるべしとされる。バルヘッツ家がこれ以上の社会的上昇を望むのであれば、碩術の才能は不可欠であった。しかし、貴族の娘を降嫁して貰おうにも、余程の借金でもない限り碩術師ではない家系に娘を嫁に出す家は無いだろう。それは娘を身売りさせるのと同義だからだ。


 だから、バルヘッツ家はキャリアの終端に位置する家。


 だったのだ。少し前までは。

 孫娘の、リミアに碩術の才能がある事が判るまでは。


 私が狂喜乱舞したのは言うまでもない。妻は、別段碩術の才を持って生まれた者では無かった。美しく心優しい娘であり、何をしても彼女と添い遂げたいと願う程には、私を魅了した人物だった。彼女と私の息子が、碩術の才能を持っていなかったとしても、彼を愛するに理由など必要なかった。

 息子の嫁も碩術の才能を備えていたわけではなかった。別にそれで良かった。私には何も不満はなかった。


 だか、孫娘のリミアは、碩術の才を持っていない私の息子と義娘の子にも関わらず、碩術の才能を持って生まれた。それは将に天からの贈り物に他ならなかった。


 私は出来うる限りの支援を孫娘に与え、その一つが、最近手に入れたばかりの『ヤニ・クルウェス 碩術要覧』であった。写本ではあるが、決して安いものではない。

 ヤニ・クルウェスは碩術を学ぶ者であれば決して避けては通れない大御所。彼の要覧を読めば、碩術の深淵の一端を孫娘に学ばせることが出来る。


 孫娘は今年、碩術幼年学校に入学することが決まっている。そのお祝いの為に、態々写本を買い求めたのだ。その写本が今日届いた。孫娘の喜ぶ顔を思い浮かべながら、私はその写本を眺めつ透かして、執務机の上に置きっぱなしにしてしまっていたのだった。



 「……会頭、この御本、僕に譲ってはくださいませんか」



 その写本を手にした男は遠慮がちに、しかし断固としてそう言った。


 まってくれ!それは!孫娘の糧となる本だ!馬鹿なことを言うな!

 私はその叫びを辛うじて飲み込んだ。何故なら、その男は『帝国』人なのだから。



 「マックスウェルさん、ヤニ・クルウェスの要覧をご所望でしたら、直ぐに用意させますよ。もちろん格安で」



 私はそう言って、久方ぶりに来訪した『帝国』人、マックスウェル・ラプラス氏にワインを注いだグラスを差し出した。


 いや、タダで新しいヤニ・クルウェスを譲ってもいい。だが、そのヤニ・クルウェスは私の孫娘の為の物。ヤニ・クルウェスの著書はとても貴重な稀少本だ。おいそれと手には入らない。私だって、それを所蔵する貴族に拝み倒して原本を借り、写本を作らせたのだ。かかった金額はその写本の作成費用の十倍以上だ。


 孫娘はそれを読んで、更なる碩術の奥義に近づいてから、華々しく碩術幼年学校デビューを飾るのだ。その為には早くこの写本を娘に読ませてやらねばならない。なにせ、孫娘が碩術幼年学校に入学するのはほんの1月先なのだ。今から新しい写本を用意していては間に合わない。


 マックスウェル氏はただの行商人だった。いつもふらりと現れては、ウーガン・レック合資商会としては木っ端にもならない少額の取引をしているだけの零細行商人であった。本来なら、私が直接会うことすらない人物。だが、私の商会が持つネットワークを駆使して調べ上げたところ、どうやら彼は『帝国』の『耳』らしかった。


 うらびれた旅装、日に焼けた顔、精彩の欠片もないその外見とは打って変わって、時折その眼から溢れる高い知性に、それを知る以前から私は只者ではない何かを感じていた。

 今日も、幾分薄汚れた(なり)で愛想笑いとともに現れた彼を、私は自身の執務室に通して、秘蔵のワインで持って歓待していたのだ。


 もし、彼が他の物を欲するのであれば、それなりの身内価格で取引することも吝かではない。しかし、その本は駄目だ。孫娘にいち早く早く読ませなければならない。いち早く理解させなければ。



 「いや、この御本でなければ。是非とも」



 しかし、氏は頑なにそのヤニ・クルウェスに拘った。私は困ってしまった。これが氏でなければ、罵倒して打擲して、無礼を叫んだかもしれないが。



 「何卒ご勘弁を。孫娘が今年、あと一月もすれば碩術幼年学校に入学するのです。ですから、そのヤニ・クルウェス碩術要覧を早く読ませて入学に備えさせたいのです……」



 「ヤニ・クルウェスはよした方がいいでしょう。僕も読んだことはありますが、書いてあることは大概役に立たない」



 私の言葉を遮って、氏はそう言い切った。その瞳には、彼が時折見せる高い知性の光が宿っていた。そして、彼の言葉とともに発せられる得も言われぬ迫力。


 その迫力に私が思わず尻込みしそうになった束の間、氏は恥ずかしそうにはにかむと――まるで児戯に本気になってしまった大人のように――パチンと右手を鳴らした。

 すると、彼の右手にはまるで魔法のように何冊かの豪奢な装丁の本が現れた。



 「ヤニ・クルウェスよりはカニンガム・シュベーリンの要覧が宜しいのではないでしょうか」



 そう言って、氏は恥ずかしそうに私に右手の本を一冊差し出した。



 「それに、ジョー・ジャックの『初級碩術解説』などもオススメです。彼らは元『帝国』碩術院の研究者です。『帝国』では彼らの著書は碩術師の必読書とされています。あとは……あぁ、セイラム・ヘンドリック女史の『碩術史』も良い。彼女は第四十八代『帝国』碩術院長を務められた方です。この『碩術史』は彼女が初心者向けに解りやすく碩術の発展の歴史と、理論の変遷を説いた書です。地上世界ではあまり出回っているのを見たことはありませんが、天上大陸の碩術幼年学校では教科書にも指定されている。あとは……」



 次々と取り出される豪奢な装丁の本の数々。いや、それよりも私の目はその本を取り出す氏の御業に釘付けになっていた。


 虚空から次々と取り出される御本。それは碩術の為せる業に他ならない。

 碩術の行使には『ブランシュ』という触媒が必要である、という事は、孫娘の才を見出してから私が齧った浅学が導き出す一つの真実であった。


 しかし、氏は『ブランシュ』など手にしては居なかった。無造作に指を鳴らし、手のひらを返せばそこには立派な装丁の本が握られている。


 私は震える手で氏の取り出した本の中身を検める。内容など、欠片も理解できない。しかし、その全ての本の奥付には“『帝国』図書館製本部謹製”の刻印があった。



 「なんでしたら、碩術の講師に何人か心当たりがあります。ご紹介いたしましょう。ですから、不躾なお願いとは重々承知の上でこの御本、何卒譲っては頂けませんでしょうか?」



 そう言いながら、執務机にあった便箋と鉄筆でサラリと何かの書状をしたためる。

 差し出されたそのメモとも呼べぬ書状にあった宛名を見て私は思わず叫びそうになった。



 『親愛なるシュターケフリューゲル・バルゲンシュテッヒ・グラーゼ・ターミナトル様へ』



 勘弁してくれ!


 そこに書かれた宛名。いや、御名は紛れも無く双頭の鷲を戴く主!


 私は震える手で持ってその書状を受け取る。そして、その差出人のサインを見て、私は首を傾げた。



 「偽名を名乗っていた事、お詫び致します。僕の真の名はアリアドネ。家名はありません。ただのアリアドネです」



 私の腰は、その時完全にその職務を放棄した。

※誤字、誤用表現を修正しました。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] >僕も読んだことはありますが、書いてあることは須らく役に立たない 「須く」は「全て」という意味ではなく、「当然のこととして」と言う意味です。このため須く~しなければならないという使い方…
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