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朕は猫である  作者: 名前はまだない
13/70

#13

 「大丈夫?」



 それは、開店から間もないメリル・フィンチ・ブレンナー合同会社トシュケル支店を訪れたライラを見たメリッサ嬢の第一声だった。



 「……ちょっと寝不足なだけです……」



 ライラは隈がスゴイことに成っている両目をシパシパと眩しそうに瞬きながら、魂の抜けたような声でそう答えた。


 ライラと書字師の仕事を始めてから一週間。客入りはまだそれ程多くはなく、一日中座っていても来る客は数人。しかもその内の半分以上は朕が声をかけた客だ。当然営業目的であるため、実入りもそれほど多くはなかったが、それまで稼ぐ手段が写本しかなかったライラにとっては大きな収入源となっていた。


 お蔭で足りなかったインクは買い足すことが出来、書字師の仕事で削られた作業時間を取り戻すべく、夜なべはしたものの、何とか写本を期限内に完成させて今日こうして買い取りに出すことが出来ている。まぁ、到底間に合いそうになかったので朕も少しというか、かなりの分量を手伝ったのではあるが。本来なら写本することで内容を暗記もしくは理解することが写本の目的なのだが、如何せんライラが借りた原本、『ヤニ・クルウェス 碩術体系要覧』はデタラメも良いところだった。


 出典は書いていないし、理論も体系もシッチャカメッチャカ。これなら読まないほうがマシの内容である。こんなものが御大層な装丁で出回っているあたり、今世の碩学レベルが心配になってくる。まぁ、上層世界ではそんな事はないのだろうが、地上世界の碩学は既に『学』ではなくて神話か何かのお伽噺といったほうが良いかもしれない。まぁ、朕の生前も地上世界はそんなものであったといえばそうであるのだが。思わず正しい手順でオドを流した時のみ可視化される注釈を方々に入れてしまった。まぁ、普段は見えないから良いであろ。査定には響かん。多分。


 この数日、ライラは客待ちの間に古ファーティマ語を幾分覚え、トゥグラの展開も少しずつ上達している。どちらもまだまだ完璧などという領域には到底達してはいないが、着実に上達を見せている事から、朕はそろそろ次の課題を追加しても良いと思っている。

 何より、覚えるのが早い。


 印の形を覚えても、その通りにオドを運動させる事は非常に難しい。それがライラと来たら。数度の試行でほぼ、描いた通りに運動させることが出来ていた。元の印が若干歪んでいたりはするものの、描いた通りにオドを運動させることが出来るというのは制御技術に長けている証拠である。やはり朕の目に狂いはなかった。俄然やる気が出る。ぐふふ。次は何をさせてやろう。


 書字師とはお守り作りが主な仕事ではあるがそれ以外にも幾らか扱うものがある。例えば簡単な霊薬等がそれだが、これには野山に分け入って材料を取らねばならぬし、それなりの設備も必要だ。朕の知る書字師、つまりは駆け出し碩術師は師匠の持つ設備を拝借したり、学校の実験室のでこっそりと調合したりしたものだが、学校に通っていないライラには拝借する設備がない。朕も生前であればありとあらゆる設備を備えた工房を構えたものだが、今はどうなっておることやら。


 無いのであれば揃えたいところであるが、まぁ器具を揃えるにも作るにも金がかかる。先ずは蒸留設備を簡単なものでも揃えたいところであるが、今のペースではマダマダ先になりそうである。それであれば先に野草の知識をライラに仕込んだほうが良い気もする。鍋さえあれば傷薬程度すぐ作れるしな。調理用の鍋とは別に調合用の小鍋を仕入れるのもアリか。


 などと、メリッサがライラの書いた写本を受け取って、奥へと消えるのを見ながら考えを巡らしていたのだが、騒々しい商会のエントランスで聞こえてくる幾つかの話題が朕の興味を引く。



 「こちらがお手形になります。ご確認ください」



 「え?こんなに?先月の五分増しじゃないか。もしかして、相場が上がっているのかい?」



 「いえ、ここの所相場に大きな変動は無いのですが、先日から関税が下がっておりますので、そのせいですね」



 「そりゃ有り難い。テルミナトル帝国様様だ!」



 とは、隣のカウンターのやり取りである。

 ふーむ。妙なことよの。



 「お待たせしました。預り証と担保金3テール。確認してね」



 と、そこへメリッサ嬢が戻ってきた。丁度いい。



 「時に、其方」



 「うわネコガシャベッタ!」



 と、声を掛けたら素っ頓狂な声を上げてメリッサ嬢は持っていた担保金をぶち撒けてひっくり返ってしまった。

 慌ててライラが「すみません先日からうちのナヴィ、喋るようになっちゃったんです」と執り成すが、ライラよ、それでは朕が質の悪い悪癖か病気でも貰ったようではないか。



 「取り乱してごめんなさい。そうよね、使い魔なんだから、喋ったりもする……のかな?」



 メリッサ嬢はぶち撒けた担保金と預り証を集めてカウンター越しにライラに差し出すと、ライラの肩に鎮座した朕を不思議そうに覗きこんできた。まぁ、通常の使い魔は喋らんかもしれんのう。



 「驚かせてスマンの。朕は特別なのでな。これからも良しなに頼むぞえ」



 「はぁ、こちらこそよろしくお願いいたしま……す?」



 「喋る上になんかエラソーですいません」



 と、不思議そうに頭を下げるメリッサ嬢と、それに合わせて頭を下げるライラ。エラソーとは失礼であるが、まぁ良い。



 「時に、メリッサ嬢。最近関税が引き下げられた品目は判るかの?」



 「え?関税ですか?全般的に下がってますよ」



 「理由はわかるかの?」



 「あまり詳しいことは知らないのだけど、先日国際会議があって、そこで決まったそうですよ。新聞には『屈辱的会議!』とか大見出しで出てます。メイザールとラサントスが結託して、かなり不利な条約を押し付けたみたいです」



 ふーむ。知らん国の名前が出てきたが、どうやらテルミナトル帝国が外交的敗北を喫した結果、らしいが、それだけなら良いのだがなぁ。相場変わらず、と言うのがちと気になるの。



 「因みに、メイザールとラサントスと言うのはどこの国かの?」



 「ラサントスはこの国の西側で国境を接する王国。昔から何かと口を挟んでくる厄介な国なの。メイザールはテルミナトル帝国の北東にある大きな島国の王国よ。海軍が強くて、やっぱり何かと口を出してくる小姑みたいな国ね」



 そう言って、メリッサ嬢は壁にかけてある地図、と言っても所々装飾的なイラストが散りばめられた概略図とも呼べないような、どちらかと言えばインテリアとしての価値の方が高そうなテルミナトル帝国周辺地図を順に指差してゆく。


 東側を海に面したテルミナトル帝国を中心に、南西面で国境を接するのがラサントス。地図の表記によれば、正式には「諸王会議により承認されし諸藩と神聖なるラサントス王冠による諸邦」と言うらしい。

 長ったらしい名前だが、どうやら連邦国家のようである。


 対して、メイザールと言うのはテルミナトル帝国の遥か北東、地図上では右上の端っこにその国土の一部が描かれているのみだが、見たところこのグレンコーワ大陸ではなく、カプスライリャに属する国ではなかろうか。正式名称は「大メイザール列島及び諸連合王国」である様だ。


 どちらの国も朕の記憶にはないが、メイザールの方は朕の記憶の中で同地点に居を構えた国家も特に海軍力に優れた王国であり、世界中に租借地を多く持ち、確か順位はあまり高くないが幾つかの天上大陸の王位継承権を持つ者が彼の国の王家に居たと記憶している。


 朕の治世では、朕が治める浮遊島を頂点とし、その下に低高度を浮遊する天上大陸群を治める天上国家、そしてその下に地上諸国群が存在した。

 ウネルマの話を聞く限り現在もその構成は大きく変わっていないように見えるが、それであるならばメイザールの国力は相当な物であると予想できる。


 何故ならば、朕が世界を三層に別れたままにした理由の一つがその隔絶した技術力、文化的水準の違いだったからだ。


 すなわち、地上諸国と天上国家群とでは国力に雲泥の差があるのだ。

 その天上国家の血筋に連なるメイザールの国力が低い訳がない。むしろ、頭ひとつ抜きん出ていると見ていいだろう。まぁ、同じような国家は幾つもあるとは思うが、仮にラサントスも同じような国家だったとしたら、テルミナトル帝国が同じ様に何処かの天上国家の庇護を受けていたとしても、その歴史的大敗北を喫したと言う国際会議では分が悪すぎるというもの。


 まぁ、天上国家が関わっているのであれば、それらが真正面からまともにぶつかればそれこそ世界の半分は焦土と化すような戦争になる。なれば、自ずと利益分配をした形になるであろうから、テルミナトル帝国とラサントスは天上国家の庇護は受けていまい。


 ラサントスまで天上国家の庇護を受けているとすれば、それは単なる弱い者いじめで有ろう。それに、そんな国家が隣にテルミナトル帝国の様な三カ国を一気に糾合する覇権国家予備群の誕生を許すわけがない。


 これは邪推だが、覇権国家予備群の誕生を見たラサントスが、慌ててメイザールに泣きついた結果、メイザールの庇護を受けたラサントスがテルミナトル帝国にちょっかいを出した、という所だろう。


 まぁ、朕が死んでから幾星霜、国名も変わっておるようだし、メイザールが未だに天上国家と繋りがあるかどうかはわからんがの。


 しかし、気になるのは関税の引き下げに対して相場が冷え込んでいないことだ。

 関税が引き下がれば、海外品が流入しやすくなる。市場にも嗜好があるから一概に相場が下がる訳ではないし、国内生産者が打撃を受けるとも限らないが、競争相手が増えれば大廉売合戦に陥りがちであり、ともすれば総じて相場は下がる傾向にあるのは確かである。


 それが相場に変動がない、と言うのは、何処かに外国からの流入品によって余剰となった商品を買い支える需要があるという事だ。

 どうにもきな臭い。


 朕達はメリッサ嬢に礼を言って担保金を受け取り、写本の査定が終わるまで今週の買い出しに出かけた。

 買うのは殆ど先週の買い物と同じ。鍋の具材になる食材を求めて市場をウロウロ。

 すると、幾つかの露天で声をかけられる。



 「嬢ちゃん、聞いたぜ。なんでも、呪いができるんだって?」



 昼飯をどうするか、と物色していた時に立ち寄ったフーティウを出す飯屋の気さくなオヤジだ。



 「呪いではなくタリスマンの作成であるな」



 「うおっ!ネコガシャベッタ!!」



 ライラの肩に乗った朕を見て後ずさるオヤジ。うーん。面倒くさい。



 「あら、アタシは占いが出来るってきいたわよ!」



 横から顔を出したのはお隣の果物を売る露天の女商店主だ。



 「占いでもない。タリスマンの作成である」



 「ウワネコガシャベッタ!」



 もうそのリアクションは飽きたわ。

 しかし、まだまだ客は少ないとはいえ、それなりに認知されては居るようであるな。どれ、営業営業。



 「ライラ、こ奴らに一筆書いてやれ。一枚は光、もう一枚は水、輝石、昇華に輝石と水を四重結合で結んで……いや、こちらは朕が書こう」



 露天の親父には集客、と言うよりは注目を促すタリスマンを。露天商の女主人には商品の腐敗防止、というか鮮度を保つタリスマンを。注目を促すだけ、人の意識に作用する物は比較的簡単なのだが、識閾の低い物体に干渉するものはちとライラにはまだ難しすぎる。まぁ、やってることと言えばエチレンを分解してやるだけなのだが、コイツは効果を実感するのにちと時間がかかるからのう。効果時間も長くしてやらんと。



 「先日教えた通り、効果時間延長加工を忘れずにな」



 ライラは頷いて、鞄から羊皮紙片と朕特性の鉄筆を取り出すと、革鞄を下敷きに光の印を刻みだす。


 効果時間延長の加工とは、印を書く時にインクと軌道以外にも描画面にマナの運動を促す様な溝や毛羽立ちを加工する術だ。ライラは各種の印の描画に加えてこの技術を目下習得中である。上手くできなければタリスマンが効果を発揮しない、というものではないので、失敗を恐れずに数をこなすのが上達の秘訣であるため、タリスマンを作る時は必ず加工を施すようにさせている。早く自身の体を正確に制御し、いつでもその動きを再現する術を教えねばならんな。


 朕もライラが鞄から出した羊皮紙片を印付けして空中に固定すると、サラサラと目的の印を刻みつける。あまり上手くやり過ぎると不相応に高性能なものができてしまうので、そのあたりの微調整が難しいの。



 「これを其方等にやろう。効果は……そうだな、3、4日は保つであろう」



 ライラと共に差し出したタリスマンを受け取って露天の二人は首を傾げた。



 「なに、営業活動だよ。効果を実感したら皆に宣伝でもしておいてくれ」



 ではな、とその場をライラと共に立ち去る。良い匂いがしたので見てみたが、フーティウは猫の口では食べられん。ライラもそれを察して朕も食べられる軽食を探してまた市場に繰り出した。


 結局、あまり良い店が見つからずにライラは適当な店でシチューを、朕は魚屋でチノック――所謂海産のトラウトの一種――の中骨が捨てられそうだったのでタダ同然で譲ってもらった。自前で炙れば――励起の応用である――流石に骨せんべいとは行かぬが、刮ぎとった骨間の肉が魚の旨味が凝縮しており、実に美味い。うむうむ。酒精の強い酒が欲しくなる。


 廃棄物を美味そうに食う朕を見てライラがちょっと引いていたが、中落ちの炙りを一口食わせてやったら目を丸くしておった。この辺では割と大雑把にしか魚を食わん様であるな。実に勿体無い。


 あの魚屋はなかなか良い魚を扱っておるの。

 朕はライラを連れて取って返して、魚屋に賛辞と、食中り防止のタリスマンを下賜してやった。魚屋は怪しそうに小首をかしげておったが、賛辞にはまんざらでもなかったようで、最後にはタリスマンを店先に吊るしていたので良しとしよう。因みに、病原菌を殲滅するタリスマンは難易度が高すぎるので勿論朕特製である。手は抜いてあるが、生食でも大人ならイケる程度には効果があろう。まぁ、これも営業と言うやつだ。


 市場を歩き回り、安い食材を買い出し、ライラの肩掛けカバンが彼女の肩に深く食い込み始めた頃、丁度太陽は中天を過ぎて朕達はまたメリル・フィンチ・ブレンナー合同会社トシュケル支店に戻ってメリッサ嬢から査定の結果を聞く。勿論満額買い取りであり、報酬を受け立ったあとはメリッサ嬢が次の原本はどうするかを尋ねてきたが、朕はライラを諭して今回は写本を請け負わない旨を伝えた。


 まぁ、出てきた原本がどれもマトモなものではなかったのでな。金を稼ぐという意味以上の意味はない。金は書字師の仕事が軌道に乗れば彼女一人だけなら問題なく暮らせるだけ稼げるであろう。なにせ今の所独占市場だからな。それよりもこれからライラを一流の碩術師にするにあたって、色々と金が要る。その為の元手に担保金はもってこいだ。


 どうやら写本の仕事を受ける人間は珍しいらしく、メリッサ嬢には非常に残念がられたがこれも致し方なし。というか、どっかに活版印刷の技術を持ってる国があるはずだからその辺に依頼して欲しいものだが、どうやらこの写本依頼は活版印刷で大量生産の上、在庫を持つ事ができない程度に極々少数のロットに対応するための物だったらしい。まぁ、内容が内容であったし、何処ぞの好事家の趣味であろうか。


 数少ない担い手を奪ってメリッサ嬢には申し訳なかったが、ライラにはもっと将来の為になる事をさせねばな。


 善は急げだ。鍋を手に入れるのだ鍋を。買ってもいいが、どうせ雑多な薬の材料を煮詰めるのにしか使わないのなら今使っている鍋を調合用に、調理用に新しい鍋を買ってくれば良い。


 と思ったのだが、ライラは片手鍋を持っておらなんだ。製薬用に片手鍋を潰して新しいのを買おう、と言ったらライラは持っていないと言う。なぜかを問うたら、ライラはフルフルと首を振ってこう答えた。



 「だって、片手鍋じゃ鍋料理を一度にいっぱい作れないじゃない」



 そうであったの。其方は一度に鍋物を大量に作る事で節約をしておったのであったな。片手鍋など持っておるわけがないの。


 うーむ。困った。朕の記憶では天上世界ではそんなことは無かったのだが、市場を見る限り地上世界では鉄器は基本的に高価である様だ。一生モノ、とまでは言わないが、修繕屋がいる所を見ると、嫁入り道具とされていてもおかしくない程度には値が張りそうである。


 ううむ。これからドンドン更新していく設備にあまり高い金を払うのもなぁ、等とけち臭い事を考えつつ朕とライラは帰路へとついたのだった。


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