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朝と霞

作者: 雪野 咲子
掲載日:2019/07/21

 2107年7月7日。海原歌彦(うなばらうたひこ)は9歳で、姉の歌姫(うたひめ)は12歳だった。その日、火星の日本町では星祭りが行われることになっていた。

「・・・ねえ姉さん、本当に行かないの? 星祭り」

 歌彦は不満げに姉に尋ねた。姉はその両手で歌彦の頬を包むと、歌彦としっかり目を合わせて、告げた。

「言ったでしょ。今日は教会で歌う日だから・・・ごめんね」

 歌彦はそんな姉を見ると、何も言えなくなってしまって、微笑むことしかできなかった。

「いいよ、星祭りは明日もあるし。じゃ、いってきます、姉さん」

「いってらっしゃい、歌彦」


 その晩、星祭りから帰ると、家が暗かった。

「ただいま。姉さん? 姉さん? いないの?」

 不安に駆られてテレビをつけると、そこには緑の教会が映っていた。その教会から、赤い防護服を着た人たちが、担架で遺体らしきものを運び出しているところだった。歌彦はその遺体らしきものを見た。それは金髪碧眼だった。それは聖歌隊用の緑のフォーマルなワンピースを着ていた。それは眠るように死んでいた。それは歌彦の姉だった。歌姫だった。

「姉さん・・・姉さん!!」

 歌彦は浴衣姿のまま裸足で玄関を飛び出した。




 2114年3月14日午前10時。「黒紙」が来た。「黒紙」は文字通り黒い紙に白い字で記されている紙で、総統からの命令書のことだった。歌彦は「黒紙」の命令通り、軍人として総統の部屋に向かった。火星の総統の名は「月詠(つくよみ)」といった。月詠は黒髪金眼の若い男だった。

「海原少佐。単刀直入に言おう。『天野安和(あまのあんな)』という人物の護衛を頼みたい」

「天野安和・・・。恐れ入りますが、彼女は何者ですか? 何者から彼女を守ればよいのですか? 地球軍からですか?」

「彼女が何者かは、君が逢って確かめるといい。彼女の敵は多い。すぐに分かるだろう。以上だ」

「はっ」

 そうして歌彦は、安和と逢うことになった。


2114年3月14日午後3時。古い教会を改築したと思われる民家で、歌彦は安和に逢った。

「はじめまして、天野安和です」

安和は桜のように儚く微笑むと、歌彦に握手を求めた。安和の手は小さくて柔らかくて温かかった。こわれそうでこわいな、と歌彦は想った。その後、安和は隣に控えていた、黒髪翠眼の、人形めいた青年を紹介した。

「彼はネフィル。ネフィルはヒューマノイドなの。ネフィル、ご挨拶して」

「ハジメマシテ、ワタシハ、ネフィル、デス」

 ネフィルが手を出したので、歌彦はネフィルとも握手をした。ネフィルの手は機械のように硬く冷たかった。

 緑のワンピースに白いエプロンのドレスを着た安和は、ティースタンドにケーキを並べたり、ハーブティーを淹れたりして、くるくると踊るように働いた。そして、支度が終わると、両手を組んで目を瞑った。

「天にまします我らの木々よ。我らに命の糧を与えてくださりありがとうございます。サラバイ」

 歌彦の脳裏に、姉が死んだ日の教会がよぎった。

「・・・安和は聖葉教会の関係者なのか」

「安和サマハ6歳マデ聖葉教会デ育テラレマシタ」

「はずなんだけど、私は月詠さまのところに来る前のこと、よく覚えていないの」

「安和、今、年は?」

「13歳よ」

 ということは、安和が月詠のところに来たのは7年前、2107年ということになる。それは歌姫が死んだのと同じ年だった。もしかすると、安和は歌姫の行った教会の子どもだったのかもしれない。

 海原歌姫が死んだのは、チャリティーコンサートで平和を祈ったせいであるとされていた。それは地球軍によるテロによるものとされていた。そのため、歌彦は地球軍に復讐するために火星軍に入ったのである。

「歌彦はレモンケーキが好きなのね」

「え?」

「だって真っ先に選んだでしょう。私はピーチゼリーが好きなの」

 歌彦の内心を知らない安和は嬉しそうに微笑んだ。


 リーン、リーン、リーン。そこでチャイムが鳴った。

「あら、お客さまかしら。ちょっと出てくるから、二人は楽しんでて」

 いちおう歌彦は安和の護衛なので、後を追った。

 玄関には白髪紅眼の青年が立っていた。その青年は地球軍の制服・・・青服を着ていた。

夜舞(ヨブ)・・・!!」

と安和は青年の名を呼んだ。

「生きていたの・・・!!」

 夜舞と呼ばれた青年は、その目に焔を宿しながら、安和に告げた。

「安和。真理愛(マリア)のことを覚えているか・・・。オレはお前を殺しに来た」

 バン! 歌彦は夜舞に発砲した。ところが、

「やめて! 夜舞を殺さないで!」

と、安和が夜舞を庇うように腕を広げた。

 夜舞は安和の白い首に銀のナイフを突きつけると、そのまま安和を連れ去った。




 2106年9月9日。5歳の白髪紅眼の幼女が苦熱に喘いでいる。

「しにたい、しにたい・・・」

だから、安和はネクロリアと呼ばれる青い彼岸花に似た花を、彼女の鼻先に近づけた。彼女は深く息を吸うと、幸せそうに微笑んで、

「ありがとう」

と言った。そうして彼女は亡くなった。彼女の名は真理愛といった。


 彼らの会話を聴きながら、歌彦は走り続けた。


「オレはそれを隣のベッドで聞いていたよ。どうしてオレも殺してくれなかった」

「だって、あなたは『いきたい』と言ったから・・・。たしかにあの子は『ありがとう』と言ってくれたけれど、私にはまだ分からないの。私は正しいことをしたのかしら? だから、毎日真理愛に祈っているの。そうして神さまに裁かれるのを待っている」

「火星軍が地球軍につかった死に至る薬・・・あの原料となる花ネクロリアを育てられるのは、聖葉教会ではお前しかいなかった」

「・・・たしかに私はネクロリアを育てている。けれど、月詠さまが? まさか!」

「お前は月詠に騙されているんだ!」




「そこまでだ!」

 道を回りこんで通せんぼをした歌彦は、そう告げた。

「とりあえず、休戦にしないか? オレにはお前らに訊きたいことが山ほどある」




 歌彦と夜舞は安和の家の屋根裏部屋から裏庭を見下ろした。そこには一面に青い彼岸花に似た花、ネクロリアが咲き広がっていた。

「オレはネクロンが欲しい。安和、オレにネクロンを」

「殺して。歌彦。あなたの姉を殺した私を、あなたは殺していいの」

「莫迦! オレたちは生きなければならないんだ!」

「・・・どうして魂をあちらに還してはいけないの? こちらは地獄なのに」

「たしかに、こちらは地獄だ、安和。それでも、オレたちは苦しむことををまっとうするために生まれてきたんだ」

「苦しむことを・・・まっとうする・・・?」

「生きることは苦しいことなんだよ、安和。オレたちは苦しむために生まれて来たんだ」

 安和は泣きながら微笑むと、

「たとえ私がこちらで泣くことになっても、あなたにはあちらで笑っていてほしいの」

と告げて、歌彦に口づけた。そのとき、驚いた歌彦は錠剤を飲みこんでしまった。圧倒的な眠気が歌彦を襲った。

「安和・・・」


「ネフィル。二人をネクロリアの花畑へ」

「安和サマハドウナサルオツモリデスカ?」

「私は罪を償います」

そして、安和はネクロリアの花畑に火を放った。


「夜舞と歌彦を火葬にしたのは安和だね。ネクロリアの花畑ごと」

「私は二人を愛していました。二人を弔うのは私の義務です」

「死者に尽くしてどうなる? 私に従えば、お前には幸福を約束してあげたのに」

「生きることは苦しむことをまっとうすることだ、歌彦に言われました」

「分かった。ならばお前も苦しむことをまっとうするがいい」

「さようなら、月詠さま」

「さようなら、安和」


 安和は十字架にかけられ、ネクロンを奪われて怒り狂う人々から石を投げられた。ところが、雨が降り出して、雷が落ちた。人々が目を開けたときにはもう、安和の遺体はそこには無かったという。




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