酔宴
大柄な男二人が額を突き合わせ睨みあっている。一人は諧の者、もう一人はミジージの者だ。
今にも飛びかからんとするミジージの男をキイスが羽交い締めにしていた。
「いったいどうしたんだ、これは」
「ガキはすっこんでてくれ!」
「おい、ウゴンビ。失礼だぞ」
キイスがたしなめるもウゴンビと呼ばれた男に悪びれた様子はなかった。
「いつまで俺に触ってんだ、このやろう!」
ウゴンビがもがくもキイスはびくともしない。
「はん、その様子じゃミジージの男たちも大した事なさそうだな」
「ンだと! くそ、キイス、離せ!」
「揉め事は外でやれ」
「いったいどうしたというんだ。馬青、お前もなぜ挑発なんてする」
ウゴンビと相対していた男はそれでようやく李由に気づいたらしい。酒に酔っていたのか、赤らんでいた頬はたちまち青ざめた。
「団長! こ、これは、とんだところを……」
「わけを話せ」
「は、はい」
有無を言わさぬ口調の李由に男はぺこぺこと頭を下げた。李由の気迫に、ウゴンビまでもが背筋を正している。
一座が見守る気まずい空気のなか、馬青がぽつぽつと事情を話した。
「その……この者と酒を飲み交わしておりましたところ……キイスなんかに負けるなど、諧の男は弱いのだろう、あの団長なんて、女だか男だかわかりゃしない、などと申すもので……」
ついカッとなり、と母親に自分の失敗を報告する子供のように馬青は縮こまった。李由は呆れて、思わずため息をついた。
しかしおとなしくしていた馬青は突然顔を上げて、断固とした表情で李由に訴えかけた。
「団長、この男の言ったことは諧に対する侮辱ですよ。悔しくないんですか」
「僕は出発のとき我らが出会う人々には寛容な態度で、と言ったはずだ」
「ですが我慢にも限度というのがあります! 団長の温情がなければ、いまごろこの男などボロ雑巾のように打ち倒されているはずです!」
「ちょっと、キイスは弱くないよ!」
机からひょっこり頭を出して横槍を入れたのはマージだ。
「やかましい! 団長のほうが強いに決まってる!」
「でも、リユウさん細いし、キイスのほうが……」
「なにいっ」
「げっ、聞こえてた!」
サマーキは顔を青ざめさせまた机の下に隠れた。
ウゴンビたちを取り囲んでいた人々は口々にキイスが強い、いや李由のほうが強い、などと喚きあった。
「おい、いい加減にしないか!」
李由の声も阿鼻叫喚にむなしく消えていく。
椅子から立ってああだこうだと話し合う大人たちにもみくちゃにされた李由は、その人波の間にキイスを見つけた。彼も李由を見つけたらしい。二人は目を合わせると、お互いに苦笑した。
「それじゃあ、白黒つけてもらおうじゃねえか!」
ドン、と大きな音をたてて机の上にた立ったウガンビが大声で叫んだ。一座の注目が彼に集まる。その頬は赤く、右手には酒が並々注がれた陶器の盃があった。景徳鎮だ。諧本国でも上質と名高い一品だ。物々交換に回しておけと言ったのに。李由は頭を抱えた。
ウガンビは酒を一気に飲み干した。
「あんたらん中で一番強いのはその団長さんなんだろう?」
「そうだぁ!」
同意する馬青たち。
「この村で一番強いのは、まあ認めたくねえが、キイスだ! キイスにあんたらの団長と戦ってもらおうじゃねえか!」
「お、おい! そんな話僕は――」
抗議の声は盛り上がった野次馬たちの声にかき消された。
「いいぞいいぞー!」
「やれー! キイスをぶっとばせー!」
「あんたどっちの味方なんだい?」
「ゲッ、かかあ!」
「キイス、あんなチビに負けんなぁ!」
「俺は引き受けるぞ!」
その声に負けないくらいの声にどよめきが走る。いつの間にかウゴンビが立つ机の側にキイスがいた。
「昼間の決着をつけようじゃないか」
彼の言葉に場が沸き立つ。キイスは李由に、にやりと笑いかけた。
くろがねのような瞳に闘志が漲っている。虎が獲物を前にしたときのような獰猛な笑みに、思わず李由は武者震いした。
彼もまた、諧の武人だった。
いつの間にか野次馬が道を開けている。李由は堂々と歩き、キイスのもとへゆくと、その手をとった。
「よし、わかった。戦おうじゃないか」
場が興奮に沸き立った。
太陽はすっかり沈み宵闇が辺りにおりていた。
キイスと李由の周りを四角く縄が取り囲み、その四隅に松明が置かれている。風にあおられ、ぱちぱちと火の粉が舞った。
李由の衣服は黒く、暗闇に儚と浮かび上がるようだった。それはひどく落ち着いた様子で、まるでこれから座禅でも組むような立ち姿にも見える。しかしそれは、蛇が獣を狩る前に息を潜めている様子にも見えた。
それに対し、キイスは衣服を脱いでまわしだけの姿になっていた。
ミジージの者も彼の全身を見るのは珍しいらしい。火に照らされた裂傷の数々に、野次馬の間にはどよめきがおこっていた。
馬青が男と連れ立って、その波間をかきわけてきた。男は調査団の他の者と違い、鎖かたびらを着て帯刀している。藍色の外套は、李由が着用していたものと同じものだ。
「呼ばれてきてみれば、これはどういうことだ。審判だなんだと……」
「まあまあ、孫起先生。そうおっしゃらず」
馬青に審判を頼まれたのは調査団副団長の孫起だ。彼は諧が成立することとなった統一戦争で武勲をあげ、その名を轟かせた武人である。
「そちらも大変ですね」
「おや、ダクターリ大夫! 先ほどは部下たちの治療をしていただき、ありがとうございました」
「いえ、そんな……私は自分にできることをしたまでです」
ダクターリは孫起よりも早くウゴンビに連れられてこられていたのだった。
二人は言葉を少し交わすと戦いの準備に入る二人に視線を向けた。
それを見てウゴンビと馬青は顔を合わせてニンマリ笑った。
「あんたんとこも律儀なんだな」
「そっちのとこの上司もな」
「おい、はじめていいか」
ヒソヒソ話していた二人に問うたのはキイスだ。李由も急かすようにしてウゴンビたちを見ている。
馬青は咳払いすると仰々しい身振りを交えて提案した。
「先にルールを決めようじゃないか」
「そう。決闘にはルールが必要だ」
「やめ時が肝心」
「肝心肝心。団長さんが怪我して後に響いても困るだろうからな」
「そっちこそ、男手が足りなくなったら困るんじゃないか」
「なに?」
「なんだとぉ?」
にらみ合いをはじめた二人に代わってダクターリが言葉を継いだ。
「武器はなし、徒手空拳だ。危なそうになったら私たちで止めに入る。始まりの合図が出たら開始。……それでいいですね、ソンキさん」
「いいですとも。団長、無理はなさいませんように」
「大丈夫。全力で行くから」
孫起に李由は笑い返した。孫起は彼のあどけない顔立ちに漲った闘志に、武人としての自分が胸の中で沸き立ったのを感じた。
李由は体をキイスに向けると、キイスと視線をぶつけ合う。
李由は顎の下あたりで左の掌を右の拳に合わせ、一礼し、構える。
それを受けキイスは、ぐっと腰を低くした。
その状態で、二人はじっと睨み合う。
静まり返った決闘の場に、松明が弾ける音が響いた。
「――――はじめ!」