異文化交流
赤くなりゆく空の下で歓声が響いていた。
蒼龍の眼下においては害獣・外敵寄りつかず、見張りの者も暇を出されている。久しく張り詰めていた村人の緊張も、弛みにゆるんでいる。降って湧いた休みに彼らが向かう先は小さな祭だ。
それは村長の棲家を取り囲むようにして行われている、調査団との物々交換。諧の町内で開かれる市場にも似た賑わいに、諧の人々も故郷にいる時の己の素が出てしまっていた。
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい、世界各地の宝石が、ここに集めてありますよ!」
と調子よく口上を述べる男は学慶。諧では商人をしていた男だ。彼の膝下に丈の低い箱がある。その上に、大小様々な宝石が並べられていた。
あるものは原石のまま、あるものは綺麗に磨き上げられて。
「こいつは綺麗だね、なんていうんだい?」
「翡翠というのさ。どうだい、この緑色。これだけのものは諧本国でもなかなか手にはいらないんだ」
声をかけてきた女性に、学慶は商品の一つを手に取った。
透き通った緑色が夕陽にきらめく。
嘆息する女性の声を聞きつけて、ミジージの女性たちが興味津々に取り囲む。その中にはマージの姿もあった。
「欲しいのは山々だけどさ、あたしが持ってるのはこんな石くらいだよ。これでつりあうかしら?」
苦笑しながら女性が差し出したのは、朝焼けを閉じ込めたような玉石である。学慶は目の色を変えた。
「これは――蓮花蕾! 素晴らしい…………
麗しきお嬢さん、私、学慶めの持つ品とこの美しい玉とを交換してくださいますか?」
仰々しい身振りで女の手を包むと、学慶は翡翠を握らせた。
「あら! もちろん、こんなものでよろしければ」
男の手を包み返すようににしながら、女性は玉石を手渡した。
それ、この間おじさんが見つけて持ってきてくれたって言ってたやつじゃん。マージは呆れてしまった。
マージは視線を並べられた品々に向ける。
マージは宝石が細長い形になっているのが新鮮で、つい見惚れてしまった。
「なにか気になっているのかな?」
「うひゃあ!」
背後から突然声をかけられて、マージは飛び上がった。振り向くと、李由の柔和な笑みがあった。
「さっき出迎えてくれた子だね。僕は李由。よろしく」
「ま、マージです。よろしくお願いします」
マージは頭を下げた。李由も同じようにした。
「ここでも挨拶は頭を下げるんだね」
「えっと……?」
「僕らの国でも挨拶すると頭を下げるんだ。それがなんだか不思議でね。
旅をして、色んな地を訪れた。手を握り合うことが挨拶となる地域もあれば、抱きしめ合うことが挨拶となる地域もあったんだよ」
「だ、抱きしめ合う?」
「そう。びっくりだよね」
「はい……けど、そんな違いがあるなんて面白いですね」
二人は笑いあった。
「ところで、どうして宝石を見てたんだい? ここでは珍しいの?」
見られていた。マージは恥ずかしくなってうつむいた。それからぼそぼそと理由を答えた。
「湖の近くで見るものとは、ずいぶん、色も形も違ってるな、と思って」
「湖?」
「えっと、西の方の。わたしたちはバラーカ、祝福って意味なんですけど、そう呼んでて……そこには似たような石がけっこうあって」
「……へえ……」
李由は興味深そうに頷いた。それからしばらく考えながら、ブツブツと何事かを呟きはじめた。
もっとお話した方がいいのかな、それとも、考えが終わるまで待っていたほうがいいのかな? マージもうんうん悩み始めた。
二人して向かい合っているのに、明後日のほうを見てなにごとか呟く。
異様な光景が出来上がり、二人の周りからは徐々に人が離れていった。彼らはそれにすら気づかなかった。
くぅ、という小さな音が二人の思考を中断させた。
マージは思わずお腹をおさえ、顔を真っ赤にした。
サマーキならともかく、見知らぬ人にお腹の音を聞かれるなんて!
「もし君がよかったら、お友達と一緒にご飯にしないか?」
「ぜひ!」
李由の提案に、マージは迷わず飛びついた。
ラクダを手懐け戯れていたサマーキと合流し三人は村長の棲家を訪れた。
入ってすぐの広い部屋は、諧の人々とミジージの人々でごった返している。李由が先ほど訪れたときは整然と並べられていた机も好き勝手に移動され、外部から持ち込まれた机椅子もあれば、床に座り込んで飯を食う者もいる。
その中にキイスの姿もあった。戦いの場ではないからか、ミジージの他のものと同様に、肩から下までひとつなぎになった布を着ていた。
彼はミジージの民とではなく、李由の部下たちと食事をともにしていた。肩を並べるものの中にはキイスが怪我させた者の姿もある。
「いいくいっぷりだなあ、美味いかぁ!」
「んまい」
酒で顔を赤くした男が尋ねれば、口いっぱいに炒飯を頬張ってキイスが答えた。
キイスの皿が空くとすかさず飯が足され、それをキイスがまた食べる。その周囲には、負けじとおかわりをする男たちがちらほら見えた。
諧の武人は素直な性格の者が多い。先の戦いで彼らはキイスの実力を認めたのだろう。そう判断し、李由はミジージの人々の集まるなか、空いた席に腰を下ろした。
「おすすめはなにかな?」
向かいに座ったサマーキとマージに尋ねると、二人は口を揃えて答えた。
「ネネコーナの肉焼き!」
頼んでから数分を待たずして料理は運ばれてきた。
平たい土器の皿に、厚切りにされた肉がどしんと載せられている。それは、この大地よりも濃い、その熱気に食欲とは別の本能を刺激するほどに、紅かった。
大きさは李由の拳四つぶん。粗いが四角く切られており、骨がついていない。
その存在感に気圧される李由を尻目に、いただきますと言うやいなや、二人の子どもは肉を手に取って、かぶりついた。
子供たちの歯の先から肉汁が溢れ、焦げ目のついた表面を艶やかに滴る。
食べ物をしっかり掴んだ小さな手についた汁を舐めとると、子供たちは飛び切りの笑顔で快哉を叫んだ。
「美味しい!」
「昨日とれたばかりのは違うね!」
「最近は毎日これだけど、いつまで食べても飽きないよ!」
口々に感想を言いあう二人。そのてらてらした唇が、また肉塊にむしゃぶりつく。
李由は、ごくりと唾を呑んだ。
李由は二人のように肉を掴もうとして、手を止めた。習慣が行為に抵抗していた。
「……食べないの?」
不思議そうなサマーキの目線を受けて、李由は覚悟を決めて、震える手で肉を掴んだ。
食事、開始である。
硬い、けれど弾力のある感触。見た目は故郷で提供される牛肉と変わらなかった。李由はかぶりついた。
前歯で欠片を食いちぎり咀嚼する。その度に、じわじわと口内に火花が弾けるような味わい。奥歯で噛むと、溢れる肉汁が舌に絡む。
一口目を飲みこした李由は、今度は大きく口を開けてかぶりついた。
稲妻を浴びたような衝撃が彼の全身を貫き、顔から、背中から、足から、汗がどっと吹き出した。
だが、李由の手は止まらない。咀嚼して、飲み込み、また食べる。
そのうち、口の中の火種は炎となって、李由の食道を蹂躙した。
それでも手が止まらない。噛めば噛むほど美味しい。腕にぐっと力がこもった。李由のは前のめりになっていた。もう食事のことしか、彼の頭のなかにはなかった。
李由はあっという間に平らげてしまった。
ふう、と息を吐く。上気した顔を仰ぎながら、李由は戦闘の余韻を味わった。
「美味い――――」
至福の表情を見せる李由。
だがその顔は、みるみるうちに苦悶に満ちたものに変化する。
「あ、あつつつあああ!?」
たまらず叫んだ李由の声に、辺りが笑いに包まれた。
「みっ、水!」
サマーキが見透かしていたかのように李由に水筒を渡した。李由はごくごく飲んで、また「あっつぅ!」だのと悶えた。
しばらくした後、李由はようやくごちそうさまを発音した。
「美味しかったよ……その、ネネコーナ? 全身、汗だくだよ」
「あはは、すぐ乾きますよ。味、びっくりしたでしょ」
「もう、驚いたっていうか――先に言ってくれればよかったじゃないか!」
サマーキとマージはくすくす笑った。李由もつられて笑った。
「ところで、この熱いものの正体はなんなの?」
「確か、ペパっていう赤い粉です。もとはちいさな果実なんですけど、それがすっごく辛いんですよ。それをすりつぶして粉にします」
李由は懐から筆と木の板を取り出してマージの言葉をさらさらと書き取った。
「ペパはこのあたりに生えてるの?」
「湖のほうに。村長は、あそこに眠る星獣の血が種になったんだ、って」
「へえ、星獣……? 星獣が、湖に?」
マージの答えをサマーキが引き継いだ。
「スポーレとはじめてでっかい戦いをした時だから、俺たちは誰もホントかは知らないんだけどさ。湖の中央に木がたくさん生えた山みたいなのがあって。それがミジージが祀る眠れる獅子なんだって」
「眠れる、獅子……」
李由は一言ももらさず書き留めていく。
「そうだ。キイスはペパの実をよく齧ってるよ」
「へぇ、キイスが……星獣を?」
「いや、その、……ペパを、だけど」
「あぁ、そうか……ペパがキイスを……」
李由はひときわ強い筆跡で書き留める。集中した様子の李由を、大丈夫かこの人、とサマーキは不安そうに眺めた。
「キイスは子供の頃からペパを好んだの?」
「さあ……」
「キイスはふだんどういうものを食べてるんだい?」
「そんなこと聞かれても……」
キイスのことを次々聞いてくる李由にサマーキはたじたじになった。
「キイスは村の外れものなの。だから、わたしたち、あまりキイスのこと知らないんです」
マージの助け舟にサマーキはホッとした。
「外れ者って、どういうことだい」
驚いた様子の李由に、マージとサマーキは顔を見合わせた。どう説明すればいいか判らなかった。二人は言葉を交わした後、マージが答えた。
「キイスはふつうより穢れ? が、多いから、子供の頃からちょっと別な扱われ方をされてたんです。だから、その……」
李由は驚き、手を止めた。
「あの気配を持った男が、穢れが多いだって……? そんなバカな、あの力はむしろ――」
「ねえ、リユウさん。どうしてそんなにキイスの話ばかり聞くの?」
李由の独り言をマージが遮った。
「どうしてって……」
「だって、ちょうさだん? っていうのはミジージの村のことを調べたりするんでしょ。けど、リユウさん、さっきからずっとキイスのことばっかり」
李由は困ったように笑った。李由は頬を掻くと、照れくさそうに言った。
「……なんだか、気になるんだ。彼のこと。もっと知りたい、って、そう思うんだ……」
はにかむ李由に、二人は呆気にとられた。
なんとも言えない沈黙が三人の間に漂う。
サマーキは場を誤魔化すように、肉とともに運ばれてきていた肉汁を一息で飲み干した。マージは複雑そうな表情で李由をじっと見たままだった。
変なことを言ってしまったと反省しつつ、李由もスープを飲もうとした。
「テメエ、いまの言葉もっぺん言ってみろ!」
その時である。突如、大声と同時に皿が飛んできた。李由はすんでのところで避けて机の下に隠れた。
外からは、ガチャガチャ食器がぶつかる音や罵声が聞こえてきた。
「サマーキ、怖いよ」
「隠れてたら大丈夫だよ」
呟きを聞いて隣を見ると、サマーキとマージが肩を寄せあい怯えていた。
こうしてはいられない。
「止めてくる」
「あ、ちょ、危ないですよ!」
「僕はこれでも調査団の団長なんだ、心配いらないよ」
李由は机の下から飛び出し、野次馬たちをかき分けて騒ぎの中心に向かった。