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ミジージ・クアンジーア  作者: 犬井作
第一章:出会い
3/10

大人の階段

 

 太陽が昇り、目覚めた大地が低く嘶いている。巨人のうめき声にも思えるそれは、大移動するネネコーナの足音だ。

 ネネコーナは側頭部と額に合わせて三つの湾曲した太い角を持つ草食動物だ。大地に乾きが訪れると、雨を求めて大移動を行う習性がある。

 移動のさなかいくつもの群れが合流していく。瞬く間にその数は増していき、数十万頭による大河が形成される。

 大地を横切る黒い流れ。陽炎のゆらめきもそれを隠すことはできない。まして高所からであればなおさらだった。


「今日は近いな……」


 櫓の上で、一人の少年が目を凝らしていた。

 彼が背にしているのはミジージの村。中央に大きな建物があり、それを囲むように藁葺き屋根の土壁の円形の建物が並んでいる。そのどれもが人の住まいだ。

 ミジージの村はその四方を石壁で覆われており、四つ角に物見やぐらを建てている。少年は北東にあるやぐらの、今日の番人だ。


 少年はかご上になっている櫓にもたれかかって、退屈しのぎに動物の様子を眺めていたのだった。

 退屈。少年は自分の中に湧き上がった感覚がなんだか信じられなかった。いつもなら、ささやかであってもなにか出来事が――それも派手な動きを伴う事件が必ず起きたものだった。しかし珍しいことに鳥も飛んでいなければ、昨日から肉食獣(トゥースク)の狩りも行われていない。じりじりと太陽が照りつける大地で蠢くものはミジージの民と群れだけだ。


 それだけでも楽しかったはずなのに、どうして世界は変わってしまったのだろう? 少年は首を傾げる。

 準成年となってついに回ってきた三日交代の見張り番に、はじめは興奮が止まらなかった。そのときのことを少年はよく覚えている。

 自分の父親の頭を見下ろしたときの驚き。遠くにまで広がる赤い大地と青い空への感動。ところどころに蠢く影が、あの勇壮な猛獣だとは思えなかった。

 南方遠く盛り上がった影を父は指差した。


「あれは不毛(ターサ)だ。砂をここに運んでくる。その先は、行けども行けどもなにもないらしい。けれど、我々の先祖はあそこからきたという」


 どうして先祖は住処を棄てたのだろう? そのことを考えるだけで時間は瞬く間にすぎていった。その翌日も、翌々日も、興奮は収まらなかった。はじめて高いところに登ったときの昂揚と未知への好奇心。それらがないまぜになっていた。


 しかしそれらは火のついた枝木に過ぎなかった。すぐに燃え尽き、炎も絶える。


 往時と異なりミジージは常に危険にさらされているわけではない。そのため見張りの役目は時たまやってくる敵対部族――スポーレの斥候を警戒したり、雨雲が出たらいち早く知らせたりする程度しか残されていなかった。

 長期間気を抜けないが、しかし緊張を保ちつづけることが極めて困難な役職。それがいまのミジージにおける見張りだった。


「はやく狩りに混ざりたいなあ……」


 キイスは北西の狩場で獲物を待つ父の姿と、それに並ぶ自分を想像した。罠にかかった獣がいないか探したり、肉食獣の狩りに乗じてネネコーナを追い詰めたり……

 少年の意識が空想に埋没しようとしたそのとき、櫓が大きく揺れた。


「パーニャ、また人を邪魔しやがって……あれ?」


 少年は隣家の子供がいたずらしたのだと思ったが、下を見るとそこには誰もいなかった。不思議に思っていると、背後から不意を突かれた。


「よっ」

「うわっ」


 振り返ると幼馴染の顔がそこにあった。膨らみかけの胸が視界に飛び込んできて、慌てて目を背けた。


「おどかすなよ、マージ」

「ごめんごめん。サマーキがそんなにびっくりするとは思わなくてさ」


 見張りだと言うのにぼうっとしていたのがそもそもの原因であるがゆえに、サマーキはなにも言い返せなかった。


「それで、……なんの用事?」

「ん? うん。ほら、これ」


 少女は背中の籠を揺らした。その拍子に蓋が少し開く。漂ってきた香りに、抑え込んでいた食欲が目覚めた。

 サマーキは思わずよだれを呑んだ。


「今日は?」

「ネネコーナの干し肉とキャッサバ。まだ熱いかも。水もほしかったら言ってね、汲んでくるからさ。下でお昼にしようよ」

「うん。今日もなにもなさそうだし」

 二人は櫓を降り、柱に背中を預けて座り込む。サマーキは肩から下げていた太鼓を脇において、籠をあさるマージに声をかけた。

「お疲れさま」

「そっちこそね。なにかあった?」

「ネネコーナの河が近い。珍しいよ。けどそれだけ」

「ふうん……」


 受け取った芋はぬるくなっていた。続けて数切れの干し肉を受け取って、サマーキは露骨に眉をしかめた。彼が口を開くより早く、マージが不平を漏らした。


「あんな近くに群れがあるのに、ネネコーナ一頭も狩れないなんて」

「あの混血(トーベ)のせいだ。決闘のおかげで、昨日は仕掛けもなにもかもおじゃんになったってさ」

「キイス……大丈夫なのかな」


 マージが不安そうに肩を落とした。それをみて、サマーキは複雑そうに顔をそらした。二人の頭のなかには、昨晩の出来事が思い出されていた。

 二人はたまたま、西の湖への水くみから帰ってくるところだった。。村がもうすぐ見えてくるところで、二人の上空で大きく羽ばたく音がした。

 風圧で思わず目を閉じた二人が次に見たものは、闇夜に浮かび上がっている巨大な影。

 その輪郭は薄く月明かりをまとっている。その翼はキラキラと、まるで宝石のようだった。

 巨鳥(ケツァルコアトル)

 二人の正面に降り立ったそれが、ゆっくりと頭を下ろして嘴に咥えた何かを下ろした。

『子どもたちよ、村長に伝えておいてくれ。近く東より、我が同胞がやってくる。彼らに敵意はない』

 巨鳥が飛び去ったあと、二人は置かれたそれが、傷だらけのキイスだと気づいた。それで、二人がかりで抱えて帰ったのだった。


「さいしょはさ、死んでるのかと思った」

「ちょっと、サマーキ……」


 たしなめるマージだったが、彼女も否定しなかった。


「やっぱり、今日は寝込んでいるのかな……」

「かもな。今日は一度もあの顔を見てないし」


 その言葉にしゅんと肩を落とすマージ。その様子にサマーキの胸がざわついた。ひどく惨めな思いがして、気づけば声を荒げていた。


「一回目はどんなインチキを使ったのか知らないけど、やっぱりトーベなんかじゃ無理なのさ」

「けどインチキしたとしても、大人たちにもできなかったことだよ」

「なんだよ、おまえ、あいつの肩を持つのか」

「別に、そういうわけじゃないけど……」


 はっきりしない態度にサマーキは苛立ちをつのらせた。なにか言葉を続けようとして、がやがやと歓談する声が二人を遮った。


「おうい、サマーキ! ネネコーナが獲れたぞお」

「お父さん!」


 狩りから大人たちが帰ってきたのだ。サマーキの父タートゥが調理場にネネコーナを運んでいく大人たちから離れ、手を振りながら二人に歩み寄ってきた。人の良い笑顔を浮かべている。鼻の形がサマーキそっくりだった。


「おじさん、お疲れ様です」

「おお、マージじゃないか! 飯をうちのに持ってきてくれたんだろう。ご苦労さん」

「えへへ……」


 タートゥの額の汗は狩りで流したものだ。サマーキはそれが輝いてみえた。


「ところで、なにを話してたんだ?」

「えっと――」


 言いよどんだマージに先駆けてサマーキが答えた。


「キイスのことだよ」

「キイスだって?」


 問い返す声は、硬い響きがした。タートゥが表情を曇らせた。


「あんなやつ、どうだっていいじゃないか」


 冷たい声だった。夜の霜よりも薄く透明な、けれども底冷えしていく声。二人は返事ができなかった。

 しかしタートゥはすぐにいつもの笑顔に戻って言った。


「そうだ。これから獲物を調理するんだ。お前たちもおいで。ネネコーナの肉が食べられるぞ?」

「やったぁ!」


 無理に声を出して、サマーキは足早に去っていく父を追いかけた。少し遅れてマージがついていく。

 サマーキが振り返りマージと顔を合わせる。マージの顔は青ざめていた。サマーキは顔をそらした。

 サマーキは居心地の悪さを感じながら前を向く。

 調理場で解体されるネネコーナの、真っ赤な血が目に映った。


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