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ミジージ・クアンジーア  作者: 犬井作
第一章:出会い
2/10

目覚め

 

「――痛ってェ!」


 青年は激痛で覚醒した。青年はわけもわからないまま反射的に腕を振ろうとする。


「うおっ、おい、暴れるな」


 治療中だった男は慌てて青年の肩を押さえつける。


「くそっ、邪魔するな、俺は――」

「いいから、動くなっ」


 さらに力を込められてもなお青年は暴れた。自分にのしかかるその男を青年は睨みつける。


「キイス、俺をみろ。俺が判るか?」


 頬に走った刀傷、その上部の欠けた左耳、くろがねのような強い瞳。

 視界がはっきりしてくるにつれて、青年――キイスは次第に落ち着きを取り戻していった。


「――ダクターリ……?」

「そうだ。あの怪我でよく生きてたな」


 額に浮いた汗を拭い、ダクターリは一息ついた。


「…………ここは?」


 よろよろとキイスはあたりを見回した。部屋の中心に松明が火を灯されている。壁の黒い四つ足の獣が照らされていた。生臭い血の匂いに混じって食欲をそそるにおいがした。


「村長の棲家だよ。隣の部屋にスープが残ってる。あとで食べるんだ」


 ミジージの村に戻ってきていた。巨鳥はどうなったと尋ねようとして、キイスは、ダクターリのそばに外套と共に置かれた短刀を見つけた。中ほどで折れていた。

 怒りと煩悶が吹き上がり、キイスは過呼吸に陥る。ダクターリは彼の顔を両手で包むと、彼と目を合わせさせた。


「言うとおりにしろ。息を吸って、…………吐いて。もう一度。……」


 キイスは全身から力を抜いていく。興奮が収まり、じくじくと体の内側から痛みが沸き起こり始めた。キイスは顔をしかめた。


「痛いか? それでももう治りはじめだ。腹の裂傷もたぶん明日にでも治るだろう。……まったく、驚異的だよ」


 なんともとれぬ笑い顔にキイスは言い返そうとしたが、起き上がろうとした途端悶絶した。


「肋骨もやられたのか、珍しい……体を無理に動かすなよ。怪我がひどくなる」

「ダクターリ……」

「なんだ」

「包帯、緩めてくれ。これじゃ、動き、にくい」


 やっとのことで言うことができたが、どっと疲れがたまり、キイスはまた横になった。


「いまは立とうとするな。痛みが引いたら緩めてやる」


 キイスは目線を動かして自分の体を見た。全身はまるで木のように動かなかった。体の各所に包帯が巻かれており、赤い滲みができていた。

 キイスが見ている間にも血は流れた。包帯の余白に赤い蕾が生まれると、蔦を伸ばし、緩慢な動きでその花を広げていく。這い上がる冷気のように残酷に、白が消えていく。

 キイスはふいに泣きたくなった。喉のあたりにまで込み上がったものを押さえ込もうとしたが、その堰はもろくも崩れ落ちた。


「俺は、負けたんだな」


 自らの声が体に滲みた。頭のなかで反響し、増幅し、あの砂嵐のような争いが脳裏に瞬いた。

 ダクターリはキイスから目を背けた。部屋の奥にある祭壇に松明の光がかかっていた。祀られていた四つ足の獣の像がじっとキイスたちを見つめている。ダクターリはそれに視線を定めたままなにも言うことなく、ただ嗚咽を聞いていた。


 キイスが呼吸を整えている間もダクターリは祭壇を見ていたが、外から戻ってくる足音を聞くと、そちらに体を向けて居住まいを正した。


「目が覚めたか」


 キイスはそれが自分にかけられた言葉だと気づくと、鼻をすすった。面倒そうに目だけ向けると、しわだらけのつま先。ひび割れたり、ねじ曲がっていたりする爪。二つの足の間に、雲のように白い毛先があった。

 キイスは慌てて向き直ると、片手をついて頭を下げた。


「楽にしておれ」


 キイスとダクターリはそういわれて頭を上げた。


 長く伸びた白い髭の根本に顔の上半分を仮面で覆われた顔がある。その肌は瑞々しいが、木肌のような皺はそうとうな年月がその身に刻んでいったものだ。

 黒曜石と翡翠が散りばめられた仮面は肌との境が見えない。肉に食い込み、彼の肉体の一部となっている。それは村長の証。その被り手が死ぬまで剥がれ落ちることはない、星とつながるための仮面。


 村長は黙したまま、ただじっとキイスを見つめる。緑色の瞳がキイスの全身の傷の様子を眺め回した。それからキイスのわきに畳んで置かれた外套と、並べられた武具をみやったのち大きく息を吐いた。

 肩が上がり、胸が膨らむ。それから、顎の筋肉が緊張し、唇が外側に膨らんだ。薄くなった首の皮の下で、大きな喉仏が上下する。


「もう一度挑んで、勝てるとおもうか?」


 キイスは顔を上げ、口を開けた。しかし言葉はその喉で圧し潰され、キイスは苦しそうに顔を伏せた。実力差は彼自身が理解していた。一回目は手を抜かれていたという屈辱がなによりもキイスを苦しめた。


「おぬしの払穢の儀式は、我らの先祖がおこなった儀式。天地を司る星獣に挑み、その闘いを通じて穢れから放たれるというもの必要なのは強い肉体と強靭なこころ。そのことは、承知しておるだろうな、キイス」

「もちろんです、(オサ)

「では己に何が欠けていると思う?」


 キイスは答えられず、緑色の瞳を見返した。あの巨鳥のものによく似た、深くふかく、底の見えない深い瞳。異なるものといえば、その色ばかりだろうか。ざわついていた心が静まっていく。


「おぬしは己の力が欠けていると思っておらぬか」

「そうでは、ないのですか」

「そう考える心が、おぬしを弱くしておるのだ。なにかと闘うということは、相手の意志に己の意志をぶつけるということ。たとえ力で勝っていても、驕っていたり、負ける気でいればどんな相手にも勝てないじゃろう」

「けど、俺は…………」


 キイスは躊躇いながらつぶやいた。


「巨鳥に一度は勝てたと思った。けれど、あれは手加減されていた。……傷をつけることしかできなかった。俺では敵わないということではないのですか。穢れた俺は、ミジージに成ることはできないと、そういうことではないのですか」

「星は乗り越えられない試練は与えない。もし乗り越えられないとすれば、我らの意志が弱いということだ。

 おぬしの母は確かに、スポーレの男に通じ、おぬしを腹に宿した。……おぬしの穢れはとても重たい。

 だが、それも星の導き――ハートゥマの定めなのじゃ。すべてに意味がある、おぬしの苦しみにも、な。……」


 キイスはしばらく黙り込んだ。外から吹いてきた風が、松明の火を揺らした。


「他の男たちは、俺のような強い意志を求められないということですか」

「そうとも言えるかもしれぬ」

「どうしてですか。どうして、自分だけ?」

「星の導きだから、じゃ」


 キイスはすがるように村長を見つめた。しかし村長は岩のように固く、冷たい視線を返しただけだった。キイスは瞳を伏せた。


「己の意志を強くもて。その思いが純粋で、強くあればあるほど、おまえは強くなれる」


 キイスはなにも答えなかった。風がこんどは、ひどく重苦しい静寂を運んできた。宵闇は足を伸ばし、炎をも覆わんとしていた。


 キイスは呻きながらのろのろと立ち上がった。ダクターリが支えようとしたが、彼はその手を振り払った。ダクターリはもう一度手を伸ばそうとしたが、引っ込める。キイスはダクターリを見まいとした。


「……もう行っていいですか?」

「動けるのならばな」


 傍らの外套を引っ掴み、羽織ろうとして腕を上げる。キイスは眉をしかめた。包帯を巻いていなかった腕の傷口が開き、そこから赤い血が肩に伝わり、外套の羽根に吸い込まれた。


「おい、キイス。無茶を――」


 静止を無視してキイスは短刀を取ると、振り返ることもなく部屋を出ていった。

 遠ざかっていく小さな背中を見つめながら、ダクターリは悲しそうにつぶやいた。


「父さん、あの子を助けられないんですか」

「あの子の使命を知ることが許されておるのは儂らだけじゃ。耐えよ。……来るべき復活の(クアンジーア)まで……」



 村長の棲家はそのまま村の集会所のような役目を果たしている。キイスが隣室に出ると、水を飲んだり雑談したりしていた大人たちは、キイスを見るなりひそひそ話を始めた。

 キイスは聞こえてくる陰口の数々を無視しながら東の門に向かった。


「散歩に出てくる」

「あ、おい! 夜は危ないぞ! 門も開けちゃダメだって村長が――」


 見張りをしていたサマーキの声を無視して、彼は門を開かず飛び越えた。



 門を出ると真正面に丘があり、その向こうに大岩が見えた。そこがキイスの目的地だ。

 丘のピークに差し掛かるとその全貌が見える。台形のような歪な形だ。刃物で切り裂いたかのような滑らかな面で構成されている。その側面を正面から捉えたとき、その左手は崖のように垂直である一方、右手はなだらかな斜面になっている。

 キイスはほどなくして大岩の麓に至った。斜面をゆっくり上りはじめる。

 歩きながらキイスはとある言い伝えを思い出した。この大岩は、かつてこの地に住まう星獣が巨鳥と争ったとき山が切り裂かれてできたものだというものだ。

 まさかとは思うが、こうして上っているとただの岩とは思えない。もしそれが正しいとすれば、自分が喧嘩を売った相手は今日も手加減したに違いない。キイスは知らず、冷笑を浮かべていた。


「ふう……」


 頂上にまで来ると、人の営みも遠くなる。静寂がキイスに否応なしに孤独を味あわせた。キイスは空を見上げた。

 空は満天の星々で彩られていた。どこもかしこも光ばかり。キイスは視線を大地に戻す。


「空はあんなに眩いのに、ここはこんなにも暗くて、寂しい」


 ネネコーナの群れが寝ているはずの草原はしかし、生命をまったく感じさせなかった。

 キイスは大の字になった。岩はすこし湿っていたが、むしろ心地のよい冷たさだった。

 キイスはたびたびこうして空を見上げた。星の海に溺れるような感じがしたからだ。だが、今日の彼は自らの心の中にずぶずぶと沈みこんでいった。まぶたの裏側の赤青の閃光を見つめていることにも気づけていない。

 そのうちに、無様に敗北した記憶が蘇る。キイスはため息を吐いた。


 また挑まなくてはならない。


 いつまでこんなことを続ければいいのだろう。もしもいつまでも儀式を果たせなかったら、俺はどうなるのだろうか? そんな疑問がキイスの胸のうちに波打った。

 一石は繰り返し投じられた。心がざわついて、落ち着かない。キイスは小さく呻き、暑くなる目元を手のひらで拭った。


 滲んだ視界で捉えた空の星々は、まるで一纏めにされたかのよう。ひときわ大きな、けれど淡い輝きを放つ月のそばにある星が、今日はやけに明るかった。


 この空はどこまで続いているのだろう?


 キイスはそのことを考え出すと、しばし憂鬱を忘れ去った。

 村長によれば、東にずっと進むと地が途切れ、西の湖よりも広大な水の大地が広がっているという。飲むことも出来ず、人の足では渡ることも出来ない大地。そこにも空はあったという。

 水の大地の向こうには、また地が始まるところがあるのだろうか。

 そこでも星はきらめいてるだろう。キイスは根拠もなく、そう思った。


(この空の続くどこかには、俺の居場所があるのだろうか?)


 月も、星も、なにも答えるものはなかった。



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