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謎の卵料理

 バランに案内され食堂へと向かう。魔界の領主。書斎での話の内容は衝撃的なものだった。今思い返せば、夢にしてもどこか違和感を覚える事ばかりだった気もする。だがいつの間にか魔界の領主になっていたなど、そんな発想が浮かぶ方がどうかしている。オレは頭の中でぼんやりとそんな事を思いながらバランの後を歩く。これほど立て続けに奇妙な出来事が起きているというのに、さして気にならないのはステータスの更新によりオレの精神面に大きな影響を及ぼしているからなのだそうだ。


 いまいちピンと来ないがそういうものらしい。たしかに魔界の領主になったと言われて『はい。そうですか』となる訳がないし、それが真実だと気付いた時には腰を抜かすほど驚くだろう。そういう意味ではもはやオレは普通ではない。バランが言う通りこの身に何らかの変化があったに違いない。


 「おはようございます、ダン様」


 食堂の入口で出迎えたルチルとクラルとブランが、揃って深々と頭を下げる。食堂という表現に違和感を覚えてはいたが、その部屋の造りを見ると納得がいく。部屋の天井にはステンドグラスを思わせる透明感のある配色で、歴史的な戦闘場面を彷彿とさせる装飾がなされている。一般住宅のそれとは一線を画す造りだ。


 中央に置かれた重厚な長テーブルには、左右に8脚ずつの椅子と、上座となる最奥のお誕生日席に一段と豪華な肘掛付きの椅子が置かれている。ルチルはその最も豪華な上座の席にオレを案内した。


 既にテーブルの上には大量の食事が準備されている。何重にも積まれたパンケーキや、色とりどりの葉物が使われたサラダ、切り分けられたフルーツの盛られた大皿、果物の皮が入れられた水差し、たっぷりのミルクが入ったポット、果実の絞り汁、その他にもバター、蜂蜜、何種類ものジャム。朝食には十分過ぎる量だが、先日の料理が強烈だったせいかどこかシンプルで物足りなく目に見える。


 「今朝のお食事は少しばかり控え目にさせていただきました。この他に卵料理が運ばれる予定だと聞いておりますが、もし足りないようでございましたらご遠慮なくお申し付けください」


 昨日の料理は明らかにオレ1人で食べる量ではなかった。

 恐らくバランが何らかの配慮をしたのだろう。


 「はい。ありがとうございます」

 「ダン様、卵の料理方法はいかがなさいますか?」

 

 オレの横に控えるルチルが問い掛ける。卵の料理方法を聞かれたのは人生で初めてだ。オレの知っている料理方法と言えば、目玉焼きと茹で卵とスクランブルエッグくらいだが、質問の内容に合った解答なのか自信がない。


 「ピエネさんのオススメのもので任せして良いですか?」

 「はい。きっとお喜びになられると思います」


 そう言うとブランが珍しく微かな笑みを浮かべた。笑顔とはそれだけでも十分に価値があるものだが、美人の笑顔はそこに大きな付加価値を生む。ブランほどの美貌の持ち主であればそれは付加価値などという枠には収まりきらない。


 ルチルが部屋の奥にある調理場へと向かうとすぐに、ブランが近付き果実の皮が入った水をコップに注ぐ。そして、僅かにオレの耳元に顔を寄せると小声で囁く。


 「ダン様、いかがでしょうか?」

 「ん?」


 問い掛けの意味を理解していないオレにブランが続ける。


 「少しずつではございますが奇跡の乳に近付きつつある思うのですが?」


 そう言われてオレはブランの胸元に視線を下す。

 そこには昨日までは見られなかった細やかな膨らみが。


 たしかブランの話によれば、ダークエルフは性別を決定した後に身体的な特徴が徐々に現れると。奇跡の乳にはまだずいぶんと物足りないが、こんなにもいきなりの変貌を遂げるものなのか。


 「何か予想以上の成長率ですね」

 「ですよね! アタシもちょっとビックリしてるんです。流石はダン様です!」


 何が流石はダン様なのかまったく意味がわからないが、ずいぶんと喜んでくれているようなのでとりあえず良かった。オレが小声で『その調子で頑張ってください』と伝えると、ブランは嬉しそうに元気な返事をして後ろへと控えた。

 

 オレは目の前に並んだ皿に目を向ける。昨日、あれだけピエネの料理を食べたのに不思議と食欲が沸いてくる。まずはパンケーキにバターとジャムが添えられた1枚を引き寄せ、テーブルの上に置かれたフォークとナイフを手にする。皿に伝わる熱と融け掛けたバターで、パンケーキまだほんのりと温かいのがわかる。見た目だけでも間違いなく美味そうな1皿だ。 


 パンケーキをナイフで4つに切り分け、一旦フォークを右手に持ち替えて大きめのひと切れを口に運んだ。バターのコクと優しい甘さが口いっぱいに広がる。今度はそこに鮮やかな黄緑色のジャムを乗せて頬張る。バターのコクと同時に、ジャムの柑橘類を思わせる爽やかな香り鼻に抜ける。少しカリカリした外側とモチモチとした内側の触感を楽しみながら咀嚼すると、口の中に絶妙な調和が生まれる。パンケーキとはこんなに美味しいものだったのか。それともピエネの作ったこのパンケーキが特別に美味しいのだろうか。


 日本は不思議な国だ。ある時、急速にブームとなった物が、何年か後には人々の記憶から完全に消え去ったかのように姿を潜める。少し前にパンケーキがブームになったときも、冷ややかな目で店の前に列を作る人たちを眺めて通り過ぎていた。あの頃の自分に立ち止まってその列に並ぶように教えてやりたい。


 続いて皿に盛られたフルーツに手を伸ばす。見たことのないフルーツだ。やや黄色味がかった乳白色のフルーツが厚めにスライスされている。フォークを突き刺すと、厚さのせいか確かな手応えを感じる。そのまま口元まで運ぶと何とも言えない南国の果物独特の甘い芳香が鼻先をくすぐる。これは安易に想像できる美味さだ。安心してそのままひと思いに口に放り込むと、予想に反したバナナのようなネットリとした食感と、そこから溢れ出る桃を思わせる大量の果汁に面食らう。味は完熟したパイナップルに似た濃厚でいながらサッパリとした酸味を併せ持っている。


 「美味い」

 「お気に召されましたか。その果実の名はレクルスと申します。南方の小島で採れる果実で、現地の言葉で『秘密』を意味します」


 思わず口を突いて出た言葉にバランが嬉しそうに答える。レクルス。きっとその島の住民たちは、この美味しさを自分たちだけの秘密にしたかったのではないだろうか。そう思わせる美味しさだ。


 そんな事を考えているとルチルがワゴンを押して戻って来た。

 ワゴンの上には巨大なディッシュカバーに覆われた大皿が乗せられている。

 その大きさを見てオレの横に控えるバランの眉が僅かに動く。


 ルチルのすぐ後ろからピエネが弾むように駆け寄り、オレの前で深々と頭を下げた。

 『おはようございます。ダン坊ちゃま』ピエネはそう言って満面の笑みをオレに向ける。


 「お目覚めはいかがでございましたか?」

 「お陰さまで気分も良く起きれました。ありがとうございます」

 「それはよろしゅう御座いました。さあ、どんどん召しあがって下さい。ルチルちゃん早速こちらをダン坊ちゃんに」


 そう言ってピエネがワゴンの上の巨大なディッシュカバーを外すと、一気に湯気が立ち上り中から枕ほどの大きさの巨大なオムレツが姿を現した。


 「ピ、ピエネさん、これは……」


 オレより先にバランがそう口にする。

 確かにこれはいくらなんでも少し大き過ぎる。


 だがピエネの料理には不思議な魅力がある。どう考えても物理的に食いきれるはずのない量の料理が、まるでどこかに消えて行くように口へと運ばれる。箸が止まらないとはこの事だ。フォークなのだが。それはホームパーティーでも行われようかという山盛りの料理を、片っ端から食い漁った自分が良く知っている。


 「聞いてくだされバラン殿、今朝方ちょうど新鮮なロック鳥の卵が手に入ってのう。ちと値は張ったがダン坊ちゃまのためとあれば安い買い物だわい」ピエネが自信満々に答える。


 「ち、ちなみにそのオムレツにはいくつ卵を使われたのですか?」

 「驚くなよ、バラン殿。4つじゃ。ワタシもこの数を一気に調理したのは初めてじゃ」


 冴えない表情で問い掛けるバランに対し、ピエネは胸を張り僅かに頬を紅潮させ満足気に答える。それを聞いたバランの顔に意味深な色濃い影が落ちる。ルチルによって取り分けられた、湯気の上がるフワフワのオムレツがオレの前に置かれた。


 「さあ、ダン坊ちゃま、召し上がれ」

 

 バランの様子などお構いなしに、ピエネが笑顔でオムレツを勧める。確かにこれは美味そうだ。1つの皿上に2つの要素が混在している。しっかりとしたボリューム感と触れると崩れてしまいそうな程のトロトロ感。これをフォークですくうのは難しそうだ。オレはフォークをスプーンに持ち替えオムレツを口へと運ぶ。上質の綿花を思わせる軽い質感と、舌の上をスルリと滑る絹のような細やかさ。そして、オレの予想を遥かに超えた濃厚な旨味。


 こんなオムレツは初めてだ。気が付くとオレは皿を手に取り、トロトロのオムレツをかき込むように口へと運んでいた。ピエネがそんなオレの姿を見て目を細めて喜ぶ。


 パンケーキとフルーツを堪能し、巨大なオムレツをほとんど残さずに平らげ、オレは大満足のうちに朝食を終え書斎へと戻った。




 ゲップをしながら書斎にある黒色の革張りの椅子にふんぞり返って座り、ぼんやりと窓の外を眺めていると魔界もなかなか良い場所だなどと思えてくる。思えば人間界で底辺に近い生活を送っていたオレにとって、ここでの暮らしは魔界どころか極楽そのものだ。


 机の上に置きっぱなしになっていた本を手に取り、無造作にページをめくる。父が書いた本。オレは父が魔界の領主だった事はもちろん、本を出している事もまったく知らなかった。そんな父がオレに託したこのロックランドは、魔界で最も小さな領地らしい。本に記してある評価では人口、工業地、商業地、観光地が☆1つで、資源量と武力が☆2つ、そして総合評価が☆1つとなっている。これを書いた父はどんな思いで、自らが治める領地にこの評価をつけたのだろうか。


 いったいロックランドとはどんな場所なのだろうか。

 それほどまでに価値の低い領土とはいったい。

 実際に自分の目で確かめたくなった。


 オレは机の隅に置かれた青緑色に錆びついた小さな鈴に視線を向ける。バランが部屋を出る際に『ご用の際にはこの鈴を鳴らしてお呼びください』と言い残したのを思い出したからだ。手に取ると見た目以上に重量を感じるその小さな鈴を左右に振る。チリリンと鳴らない。鈴はまったく音を出さない。甲高い鈴の音どころか小さな物音すらしない。


 『コンコン』「ダン様、お呼びでございますか?」


 不思議に思い鈴をひっくり返して覗き込んだりしていると、突然バランがドアをノックした。いったいどういう仕組みになっているのか。バランには何らかの呼び掛けが伝わっていたようだ。


 「はい。どうぞ」

 「失礼いたします。いかがなされましたか?」

 「バランさん、ロックランドがどんな場所なのか実際にこの目で見てみたいんですが、外出するのは危険ですか?」


 盗賊が夜襲を仕掛けるような場所だ。普通に考えれば危険極まりない。すぐにバランはオレの意図を理解したらしく、いつもの優しい笑みを浮かべながら頷き『問題ございません』と言い切る。そしてあくまで念のためにと言った様子で『お伴をお付けしてもよろしいでしょうか?』と付け加えた。


 「はい。お願いします」

 「わかりました。すぐに準備いたしますので少しだけお待ちください」


 そう言って深々と頭を下げるバランの表情には、いつもとは少し違うどこか嬉しそうな感情が垣間見えた。誰がお伴してくれるのだろう。万が一の危険を考えて腕の立つ者を連れて行くに違いない。しまった。どうせ危険が少ないならお伴はオレに選ばせてもらうべきだった。


 RPG的に考えれば行動を共にするメンバー選びは、強さを最優先でパーティーが組まれることが多い。それ自体は決して間違いではない。死んでしまっては元も子もない。だが、それは危険な旅の場合の話だ。通常であればそれと同じくらい、旅を楽しむ事も重要だ。旅の良し悪しは結果ではなく経過だ。メンバー構成はそれを大きく左右する。想像して欲しい。念願のリゾート地へ2人で向かうのに、毛深いオッサンと2人きりと、可愛い女子と2人きり、どちらがよりワクワクするか。


 まあ、仕方ない。今回はあくまでロックランドがどんな場所なのかを、自分の目で見るのが目的だ。オレはそう自分に言い聞かせつつも、心の片隅で露出度の高い鎧で身を包んだセクシー女剣士がお伴に選ばれることを期待しつつ、出発の準備が整うのを待った。

  


【To be continued……】

読んでいただきありがとうございます。

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