闇からの目覚め
またもや長いです。
目の前にあられもない姿の美女が3人。きっとこれがオレ史上、最高の夢だ。いや、夢などではなく、ひょっとするとオレは気付かないうちに天国に来てしまったのではないか。そうだとしても何ら不思議のない絶景がオレの目の前に広がっていた。
癖の強いショートヘアーで褐色の肌のブラン。見る者に元気を与える様な素敵な笑顔の持ち主だ。そんな彼女に足りないものがあるとすれば、それは胸。胸のボリュームだ。巨乳や爆乳は必要ない。目指すは奇跡の乳。ブランのAAカップを基準に考えれば、理想は2サイズ、いや3サイズは上か。大き過ぎず小さ過ぎない胸。そんな曖昧な定義に収まる存在。それこそが奇跡の胸。
ダークエルフである彼女が女性として生きることを選択すれば、このぺったんこの胸も徐々に大きくなるはずだ。これだけ可愛いブランがもう少しだけ大きな胸を手に入れたなら、それはもう弁慶に薙刀、走り馬にも鞭というやつだ。限りなく完璧に近い美の化身となることだろう。
では、その奇跡の胸とは具体的にはどのような胸なのか。
オレの前に3つの双丘が並ぶ。正確には2つの双丘と1つの平野なのだが。
黒科の姿のまま惜しげも無く胸をさらけ出すクラル。予想外のボリューム感と丘の頂点にあるはずの突起が見当たらない。引き締まり均整のとれた体に引けを取らない美しい胸を持つルチル。そして、海抜ゼロの滑らかな胸のブラン。それぞれに美しい。
「そ、測定のためちょっと触っていいですか?」
「はい」
何の躊躇もなく3人が即答する。
ああ。このまま夢の国の住民登録をしたい。
その刹那、オレの脳裏に見覚えのあるアイコンが浮かぶ。
『ステータスを更新しますか? ──── YES ── NO ────』
更新。何の更新だ。
わかったからオレの邪魔をしないでくれ。
今はゲームどころじゃない。現物が目の前に並んでいるのだ。
真っ先にクラルの胸をと思い手を伸ばし掛けたが、黒科の顔で見つめられると途端に何もできなくなる。夢の中とは言えその顔で見つめられたら流石に無理だ。行き場を失った右手はそのままルチルの均整のとれた美しい胸へと向かう。震える指先が双丘の先端に鎮座する艶めかしい桃色の突起に、今にも届こうかというその時だった。
いきなり目の前に星がチラつき、視界が大きくグラついた。指先から美しい双丘がゆっくりと遠のいて行く。まるでスローモーションの映像を見ているかのようだ。やがて何もかもが色褪せ、次第に目の前から光が消えていく。
『ダン様! ×××××××!?』
誰かが遠くでオレの名前を呼んでいる。
体が動かない。瞼が重くて目を開けることもできない。
そしてオレは深い闇の中へと落ちて行った。
目が覚めるとオレは見覚えのない天蓋つきのベッドに横たわっていた。
まるで永年の眠りから目覚めたかのような不思議な感覚を覚える。体が泥のように重く頭の奥に鈍い痛みが走る。ここはどこだ。オレは旧式のPCのように処理能力の低い、まるで徹夜明けの朝のような頭で考える。まるで格式ある高級ホテルのスイートルームだ。もちろんそんな場所に実際に出入りしたことなどない。あくまでイメージだ。もしかするとテレビや映画で見たことがあるのかも知れない。
窓から射し込む光の強さが、既に陽が高いところにあることを知らせる。ベッドから起き上がろうとするが体が言う事を聞かない。オレは這いつくばるようにしてベッドから滑り落ち、そのまま蛞蝓のような動きで部屋の隅にある窓辺を目指す。
『コンコン』「ダン様、もう起きてますか? 失礼します」
メイド服姿で癖の強いショートヘアーの美女が部屋へと入って来た。
あ、知っている。この娘は確か────。
「ダン様!? どうしたんですか!?」
床に這いつくばるオレを見付けると、その娘は血相を変えて駆け寄って来た。オレに肩を貸しベッドまで戻すと『すぐに戻ります』と言い残して、慌てて部屋を飛び出して行った。娘から微かに草花のような香りがした。オレはこの香りを知っている。喉まで出掛かっているはずなのに言葉にならない。
しばらくするとバタバタと数人が部屋に入って来た。
「ダン様♪ お目覚めになられたのですね。良かったー♪ お体の具合はいかがですか?」
「ずいぶんとお顔の色が冴えません。すぐにお薬をお持ちいたしますので、もうしばらく横になられていた方が良いかと」
メイド姿の美女が口々に問い掛ける。1人は美しい白銀の髪をした長身のメイド。もう1人はどういう訳かまるで目が霞んだように顔の表情がはっきりと見えない。でも、オレはこの2人も知っている。
「喉が……渇きました」
「わかりました。何かお飲み物でもお持ちいたしましょうか?」
「……はい。お願いします」
白銀の髪のメイドは他の2人に何かの指示を出すと、3人同時に深々と頭を下げて部屋を後にした。
見たこともない豪華なベッドに、オレの目覚めを待つようにして現れた3人の美人メイド。不思議と混乱はしていない。ただ、自分でも信じられないほどに頭の回転が鈍い。オレは目を閉じてパズルのピースを整理するように、頭の中に散らかった記憶を1つずつ整理していく。
最後の記憶は何だ。
オレは必死に細い記憶の糸を手繰り寄せる。
そうだ。オレは真っ暗な部屋の中にいた。部屋の中でオレは小さな無数の光の粒になり部屋いっぱいに散らばった。核となるオレ自身を現す少し大きな光りの粒を中心に、小さな光の粒が吸い寄せられるように集まる。時折、オレから分離した光りの粒とは別の色のものが部屋のあちこちから湧き出すように現れて、核となる大きな光りに吸い寄せられて融合する。そんなことをどれくらい繰り返したのだろうか。元の姿に戻ったオレは闇の中で再び深い眠りについた。
あれは何だったのだろう。
『コンコン』「ダン様、失礼いたします」
白銀の髪のメイドが、黒色の燕尾服に身を包む老紳士を伴って部屋へ戻って来た。
「ダン様、お水をお持ちいたしました」
白銀の髪のメイドに差し出された水を勢い良く飲み干す。
美味い。こんなに美味い水を飲んだのは初めてだ。
「もう1杯いかがでしょうか?」
「……はい。お願いします」
オレは2杯目の水も一息で飲み干し、3杯目も注いでもらった。
ようやく少し喉が潤った。
「ダン様、お気付きになられましたか。バランでございます。まずはご無事で何よりでございます」
そうだ。彼の名前はバラン。
メイドたちはルチルとクラルとブランだ。
バランが優しい微笑みを浮かべながら言う。何だっけ。この人に何か話したいことがあった気がする。バランが徐に左目の眼帯を外す。やや白濁し光りを失ったかのような瞳が露わになる。
「ダン様、少しばかり失礼いたします────【絶対識別】」
謎の言葉と同時にバランの左目がぼんやりと輝く。やがて白濁したその瞳に赤紫色の怪しい輝きが宿る。バランはその瞳で静かにオレを見つめる。
「ほう。これは────」
『コンコン』「失礼します!」
バランが微かに感嘆の声を上げたのとほぼ同時に部屋の扉がノックされ、クラルとブランが両手にたくさんの荷物を抱えて戻って来た。
「回復薬と何種類かの薬草を持ってきました。それと、念のためにマンドラゴラの根とバロメッツの乾皮も持ってきました!」
ブランが両手に抱えた荷物を差し出しながら言った。
よくわからないがオレに飲ませるために持って来てくれたのだろう。
「ブラン、超位回復薬はないのですか?」
「うん。このところ頻繁に盗賊が現れてたから、いつもの薬師さんが来てないんだ」
「バラン様、いかがなされますか?」
ルチルが微かに曇らせた表情をバランへと向ける。
他の2人のメイドもバランを見つめたまま次の言葉を待つ。
「ルチル、ダン様に回復薬は必要ない」
「ですが────」
バランは優しい笑みを浮かべルチルを見て小さく頷く。
「ダン様、恐らく意識が朦朧とした感覚があるかと思われますが、それは異常ではございません。じきに落ち着くはずでございます」
そうなのか。バランの言葉を聞いて胸を撫で下ろしたのはオレだけではない。
3人のメイドが解り易く安堵の表情を浮かべた。
「ダン様、よろしければこのまま寝室で軽く食事でも召し上がられてはいかがでしょうか。この者たちの話では既に35時間以上もお休みになられていたようですので」
「!?」
35時間以上。オレは丸1日以上も眠っていたと言うのか。
それなのにまるで何も問題ないかのようなバランの口ぶりはどういう意味だ。
「ダン様、それでは早速お食事を準備させていただいてよろしいでしょうか?」
「ああ。はい。お願いします……」
3人のメイドは深々と頭を下げると急いで部屋を後にした。
静かになった部屋にオレといつの間にか眼帯を着けたバランだけを残して。
そうだ。オレはこの人に聞きたいことが山ほどあったんだ。
「バ、バランさん、聞きたいことがあるんです!」
「はい。私にわかる事であれば何なりと」
「えっと……色々とあるんです」
バランは何も言わず優しい微笑みを湛えたままオレの言葉を待つ。何から聞いたら良いのだろう。
「バランさん、これは……これは……」
どこからが現実でどこからが夢なのだ。『これは現実なんでしょうか』そう問い掛けようとして、喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。オレにはそれを聞く心の準備が出来ていなかったからだ。それに、もし夢から覚めてもまた別の夢の中にいたのだとしたら、バランの回答はオレの中で作り出されたものに過ぎない。そんなことにどれほどの意味があるだろうか。
窓の外から聞こえる鳥の鳴き声が、2人の間に流れる沈黙を誇張するかのようだ。それでもバランは変わらぬ優しい表情のままじっとオレの言葉を待つ。
「この屋敷がバランさんの言っていた、父の遺産の屋敷なのでしょうか?」
「はい。そうで御座います」
「父は富豪だったのですか?」
バランの表情が微妙に変化した。それは微かな驚きを意味するものだ。その問い掛けがバランにとって想定外のものだったのだろう。質問したオレ自身もどうしてそんなことを聞いたのかわからない。何をもって富豪とするか。大きな屋敷と広い土地を所有していること自体が富豪の定義に適合するのであれば、先代の領主であったレイは富豪と言える。だが、レイ自身はおよそバランの持つ富豪のイメージとはかけ離れた生活を好んだ。
レイは領主の傍らその時間の大半を研究と執筆に費やした。レイの書き残した500を超える書物は書斎と地下の書庫に大切に保管されている。研究と執筆の合間にたまにブラリと領内を散歩する。そんな者を世間は富豪などと呼ぶだろうか。事実、ロックランドは近隣の領地に比べて財政的に決して裕福なわけでもなければ、豊富な資源に恵まれた土地でもない。
その名の通り領内の大半は大小さまざまな岩の転がる荒地が覆う。これといった農産物も取れない枯れた土地に住み着く者は極端に少ない。近隣に居住区を持たない領土は他にはない。税収というものがまったく無いロックランドの唯一の収入源は、屋敷の東に広がる岩石群の地下に眠る【魔鉱石】だ。
魔鉱石とは高濃度の魔素を含んだ特殊な鉱石の総称で、主に魔具や魔法武具の材料や、純粋なエネルギー源として活用される。レイの遺言によりバランが筆頭となって、ダンが20歳の誕生日を迎える今日までこの魔鉱石の卸売によって、ロックランドの厳しい財政を何とか持ち堪えてきた。
「もちろん貧乏では御座いませんが、研究と執筆に明け暮れておられたレイ様には、富豪というイメージは相応しくはないかと────」
「……父は研究や執筆をする人だったんですか?」
「はい。お時間の大半を研究と執筆にお使いになられておりました。金品にはあまりご興味の無いお方でした」
バランの口から聞く父は、オレのまったく知らない父だった。
海外勤務での事故亡。今まで20年間そんな話を信じて疑わなかった。
「母は……母は無事なのですか?」
「はい。ここ数日は連絡を取れておりませんでしたが、北西にあるボーデンエッジという場所でお役目をご継続されております」
「そのお役目と言うのは?」
「簡単に言えば遺跡の調査でございます」
『簡単に言えば』と言う表現に微妙に引っ掛かるものを感じるが、考古学者の母の仕事としてはごく自然な内容だ。
「いずれシズエ様の元へもお連れいたしたいとは思っているのですが、その前にダン様にはまずこのロックランドの環境に体を慣らしていただき、万全の態勢を整えたうえで向かっていただきたいと考えております。シズエ様のお役目は過酷なものではございますが、頼りになる護衛が一緒でございますのでご安心ください」
たしかにバランの言う通りだ。無事な母の姿を確認したいのはやまやまだが、こんな体調で向かっても皆に迷惑を掛けることになるのは明白だ。
「わかりました。それと────」
『コンコン』「ダン様、お食事をお持ちいたしました。失礼いたします」
ちょうど次の問い掛けと同時に、3人のメイドが食事を運んで来た。『軽い食事』という話だったはずだが、部屋にはワゴン3台にホームパーティーでも出来そうなほどの食事が乗せられて運ばれて来た。
『コンコン』「失礼いたします。調理担当のピエネで御座います。よろしければぜひお食事の前にお目通りをお願い致したく────」
ノックの後に聞き覚えのない女性の声がする。
その声に一瞬バランの顔から笑顔が消える。
「ダ、ダン様、調理担当の者があのように申しておりますが……よろしいでしょうか?」
「はい。大丈夫です」
オレが答えた直後に部屋の奥の扉が勢い良く開いた。すると、まるで巨大なゴム毬が弾むかのように、信楽焼のたぬきの置物を彷彿とさせる恰幅の良い中年女性がオレの真横まで一気に駆け寄って来た。その迫力に圧倒されたようにバランも3人のメイドもまったく口を開かない。女性はそのままオレの頬を両手で優しく包み込み、鼻の先がぶつかりそうな勢いでオレの顔を隅々まで見回す。
「ああ。ダン坊ちゃま……良かった。お気付きになられたんですね! 覚えてらっしゃいますか? ワタシです。ピエネで御座います!」
ピエネと名乗るその中年女性は、目には涙を浮かべながらあまりにも近過ぎる距離でオレを見つめる。そうかと思うと今度は顔だけをグルリとバランへと向ける。
「バラン殿、ダン坊ちゃんがお目覚めになったら、真っ先に私に知らせてほしいとあれほど言っておいたではありませんか。本来ならば昨晩のうちにご成長されたダン坊ちゃんにお目に掛かりたかったものを、食事の片付けと仕込みを終えてお部屋へ窺おうかと思ったときには浴室でお倒れになったと聞きどれほど心配したことか」
ピエネの目からひと滴の涙が鼻の横の大きな黒子を伝い床へと落ちる。
そして、話は皿に勢いを増して続く。
「すぐにでも駆け付けてダン坊ちゃんのお傍にと思ったものの、安静にして休まれているとの話しだったので、このピエネ焼印を飲む思いでお会いするのを耐え忍び、ご成長されたダン坊ちゃまのお姿を想像しながら朝食の仕込みに没頭していたと言うのに」
「……も、申し訳ない」
口ごもりながら謝罪するバランの姿を見届けると、ピエネは再びオレに顔を向けた。そして、何度も『本当にご立派になられて』と口にしながら愛おしそうに見つめる。恐らく彼女は幼い頃のオレを知っているのだろう。
「あんなに小さかったダン坊ちゃまが────」
オレはまったく立派になどなっていない。立派な人間が裸のメイドたちを目の前に胸の大きさを比べた挙句、そのまま風呂場で倒れたりなどする訳がない。少しずつ蘇る記憶の欠片を集めながら心の中でそう呟く。そもそも『坊ちゃま』という呼び方はどうかと。しかし、そんなオレの思いなどまったく関係ないとばかりに、益々ピエネの昂りは増していく。
「ああ。目を閉じれば遠い日の思い出が、つい先日の事のように思い出されます。小さなダン様のオムツを取り替え、ミルクを飲ませ、真っ白なお召物に身を包んだダン様が寝付くまで、乳母車に乗せて近所を散歩しましたなぁ。ダン様は外の景色を眺めるのが好きなお子様で、乳母車に乗ると逆に目が冴えてしまい同じ道を何度も行ったり来たりと。ガッハハハ」
その当時、乳幼児だったらしきオレには、このピエネという女性の記憶がまったくない。そう考えれば仕方のないことなのだが、感動の再会への温度差があまりに大き過ぎて気まずい。
「思い出しますなぁ……あれはワタシがあちらの国へお手伝いに上がり3日目の晩のこと。ダン様が急な発熱でグッタリとされていたところに────」
「ピエネさん、ピエネさん」
「何ですかバラン殿。ワタシは今、ダン坊ちゃまとの大切な思い出の話をじゃな────」
「も、もちろんそのお話を聞いていたいのは山々ですが、まずはせっかく腕を振るって作ったお食事を、ダン様に召し上がっていただくべきでは?」
「おお! これは申し訳ございません。ワタシとしたことがダン坊ちゃまとの再会に、歳がいもなく興奮してしまいました」
バランの言葉で我に返ったピエネが、ピシャリと自分の顔を押さえそそくさと後退り、食事の乗せられたワゴンをベッドの横へと引き寄せる。
「さあ。ダン坊ちゃん、どうぞたっぷりとお召し上がりくだされ。ルチルちゃん、ダン坊ちゃんに取り分けて差し上げておくれ」
「はい。ダン様よろしいでしょうか?」
「あ、はい。お願いします」
クラルとブランがベッド脇にサイドテーブルを用意すると、ルチルが30時間も飲まず食わずだった相手に差し出すには、あまりにもボリュームのある食事を取り分け始めた。
分厚いローストビーフのような肉料理に、大きな鳥の丸焼き、拳ほどの大きさのハンバーグ、パスタ、見たことのない食材が満載のおでんらしき何か、青のりとは違う何かの掛かったお好み焼きのようなもの、大皿に盛り上げられた魚なのか肉なのか不明な何かの唐揚げの山、芋類を使った山盛りのサラダなど、その他にもどこか見覚えがあるようで何かが微妙に違う、まるで海外で見掛けるなんちゃって和食を思わせるメニューが小さなテーブルの上に所狭しと並ぶ。これからこの部屋でホームパーティーでも始まると言うのか。
「ピ、ピエネさん、ダン様はつい先程30時間ものお休みからお目覚めになったばかりです。その……もう少しお体に優しい食事のほうがよろしいのでは?」
「バラン殿、ダン坊ちゃまのお食事に、このワタシがそれしきの配慮もしないわけがなかろう?」
ピエネが遠慮がちに問い掛けるバランの顔をジロリと見ながら言い放つ。
「さあ、ダン坊ちゃま、たくさん召し上がれ」
ピエネはそう言ってオレが食事に手を付けるのを今か今かと待ち遠しそうに見守る。ルチルはピエネに言われた通りせっせと料理を皿に取り分け続ける。朝からこれほど食べられるだろうか。
「ダン様、何かお飲み物は何をご用意いたしましょうか?」ブランが笑顔で尋ねる。
「えーと、何か温かい飲み物を。コーヒーかお茶のようなものはありますか?」
「生憎、コーヒー……という飲物はございませんが、ハーブ茶であれば幾つかの種類をご用意できます」
ハーブ茶か。とくに嫌いというわけではないが、あまり好んで飲んだこともないためどんな種類があるのかわからない。
「何かお勧めのものはありますか?」
「ロックランド・カスミール茶などいかがでしょうか? ロックランド・カスミールはこの辺りに自生するハーブの一種でございます。小さな黄色い花を摘み取って、風通しの良い場所で陰干ししたものを、煎じてお茶にしたのがロックランド・カスミール茶でございます。すっきりとした甘い香りと飲みやすい癖のない味のハーブ茶で、疲労回復や内臓機能の回復、美肌効果などが期待できます」
「ダン坊ちゃま、ロックランド・カスミール茶であればこの食事にも合うかと思われます」
ピエネもそのチョイスに賛成のようだ。
美肌効果はあまり必要ないが疲労回復効果は嬉しい。
「じゃあ、それをお願いします」
「かしこまりました」
ブランが深々と頭を下げ部屋を後にした。
まずは目の前の食事をどうにかしなければ。
オレが食事に手を付けるのを待ちわびるピエネの圧が半端ではない。
少し迷いながらもまずは、お好み焼きを思わせる何かに手を伸ばす。上から降り掛けられたものは明らかに青のりとは違う物体で、ソースも微妙に紫色がかっている気がするが、辛うじてお好み焼きをイメージしたであろうことは伝わってくる。そもそもフォークでお好み焼きを食べるという行為自体がしっくりこない。
オレは口に入れた瞬間に『美味い』の言葉を連発するテレビ番組の食レポが嫌いだ。そのコメントがいかにも嘘くさいなどという理由ではなく、いかに上手に食レポするか自体が重要視され肝心の食事がおざなりな扱いになっていることが多いからだ。
「美味い……」
そんなオレの口をついて出た言葉に自分でも驚く。そのお好み焼きを口にしたオレは驚きのあまり無意識に呟いていた。それは味に対する驚きと言うよりは、目の前にあるお好み焼き風の何かが、外見に反して完璧なお好み焼きであった事に対する驚きだ。こんな見た目なのに何故これほど美味いのか。ピエネの嬉しそうな顔が視界の端にチラつく。
オレは急いでおでん風の料理の載せられた皿の中から、桃色と白色の斑模様になった謎の具材を選びナイフで半分に切って恐る恐る口へと運んだ。
「普通に……いや、とても……」
『コンコン』「失礼いたします」
思わず『普通』と言ったのは見た目に反してという意味だ。実際にはとても美味い。
言い直そうとした最中に、ブランがポットとカップを運んで戻って来た。熱々の透明度の高い薄茶色のロックランド・カスミール茶をカップに注ぐと、部屋にほんのりと花を思わせる甘い香りが広がる。
「ダン様、お待たせいたしました。ロックランド・カスミール茶でございます」
「ありがとうございます」
息を吹きかけ冷ましながら少し口に含む。
癖のないスッキリとした優しい味わいだ。
リセットされた口に再びおでんを運んでみる。見た目はちょっとアレだが間違いなくオレの知っているおでんの味だ。日本人なら誰もが納得するであろう出汁の旨みがしっかりと染みた大根の味。その不自然な外見からはとても想像のつかない普通の美味さだ。それだけではない。先程のお好み焼きといい、このおでんといい、口当たりが軽く飲み込んだ先からスッと消えるようだ。
「ダン坊ちゃま、本日のお食事はあちらの国での食した記憶を思い起こし、特別に腕を震わせていただきました。お気に召していただけましたか?」
「驚きました。美味しいです」
ピエネが嬉しそうに頷く。何だこれ。手が止まらない。この食事に比べれば、今までそこそこ美味いと思って食っていたコンビニ弁当はまるで粘土だ。オレは何かに取り憑かれたかのように、次々とピエネの作った食事を貪り続けた。
【To be continued……】
読んでいただきありがとうございます。