隠れ家
読んでいただきありがとうございます。
じっくり楽しんで書いていきたいと思います。
3時間前────。オレはバイト先のカフェ『エルミタージュ』にいた。
ここでのオレの仕事はクッキングと呼ばれる厨房内での作業と雑用全般だ。調理ではなく作業と表現するのは、包丁やフライパンを使った調理らしい行為をまったくしないからだ。真空パックになった食材を電子レンジで温めたり、あらかじめカットされた野菜を袋から取り出してマニュアル通りの分量のドレッシングで和えたりなど。だからこそ自宅に包丁もまな板もないオレにでもこなせる訳なのだが。
バイトを始めた最初の1週間はひと通りの仕事を理解するためにクッキングだけでなく、接客をするホールの仕事も体験した。そのときの教育係が黒科だった。今思い返せばあれはオレの人生の絶頂期だったのかも知れない。メイド風の制服を着た彼女の可愛さは凄まじいまでの破壊力で、一緒に働くようになってもうすぐ6ヵ月となるが、今でも気を抜くとつい見とれてしまいそうになる。
「あ! 亜門くん、ちょうど良かった」
少し慌てた様子の黒科に声を掛けられた。何かあったのだろうか。
給料を貰えて彼女と一緒に働け、運が良いときは会話までできる。
この世に他にこれほど素敵な仕事が存在するだろうか。
「あ、黒科さん。お疲れさまです」
「お疲れさまです。あの、今日ってこのあと何か予定ありますか?」
少し恥ずかしそうに頬をピンク色に染めて話す。真面目で礼儀正しく、時折見せる適度な天然ぶりが、彼女の人の良さと可愛らしさを引き立てる。近くで見ると肌の透明感が半端ない。面と向かって話していると黒目がちな瞳に吸い込まれそうだ。
「やっぱり予定ありますよね。今日って亜門くん誕生日だし」
「!?」
黒科の艶やかな唇から、今日が誕生日だという本人すら忘れかけていた内容が。何故それを。ちなみに大抵の場合オレにアナザ―ワールドをプレーする以外の予定などない。ただ、今夜は早く帰って【ANOTHER WORLD 特別限定版メイドブースターパック vol.4】の外観設定の仕上げをしたいのだが。
そうだ。オレは今日、20歳になった。中肉中背。長髪ではないが、スポーツマン風な短髪にも程遠い。RPGで例えるなら村人A。街をうろうろしているがゲーム進行に必要な情報をまったく持っていないNPC。それがオレだ。そんな冴えないオレも周りと等しく歳をとる。
チャラチャラ、チャンチャンチャーン。
ダンはレベル20になった。
彼女いない歴が1あがった!
妄想力が2あがった!
キモさが2あがった!
孤独度が1あがった!
ゲームの世界ならきっとこんなステータス更新が行われたことだろう。一緒に祝ってくれる家族も彼女もいない。そんなオレにとって誕生日は大して特別でも喜ばしい日でもない。むしろ自分の孤独さと無力さを再確認する日のように感じる。
「もしかして彼女とデートとかだったりして?」
「いや。彼女とかいないんで」
心なしか黒科の表情が少し明るくなった気がする。オレに彼女がいないことを聞いて嬉しい。まさか。自分で言うのも何だがオレのような冴えない男に、彼女のような素敵な女性が惹かれる要素など微塵もない。だが、20歳と言えば大人の仲間入り。晴れの門出だ。
亀の甲羅を背負った仙人に修行してもらう、猿っぽい少年とハゲ頭の少年しかり。
人はときに自分でも気付かないうちに劇的な進歩を遂げるものだ。
オレにも気付かないうちに大人の魅力的なものが備わっていたのだろうか。
いや、もしそうだとすればオレ以外の大人にも等しく同じ魅力が備わるはずだ。
だとするとこれはいたい。
もしやこれが噂に聞くモテ期というヤツか。オレには無縁のものだと思っていたが、こんなにも予告なしにいきなり訪れるものなのか。
「もし良かったら────」黒科が少しモジモジしながら続ける。
その後に続く言葉はいったい。
レベルアップしたオレの妄想力は伊達じゃない。
「この後なんだけど────」
うわ、これ、知ってる。間違いない。
まるで耳元で鳴り響くかのように鼓動が騒がしい。
こんなこともあろうかとアナザ―ワールドの箸休めにプレーしていた、恋愛系シュミレーションゲームでの台詞が脳裏に浮かぶ。何てことだ。まったく一緒の台詞だ。
ゲームに登場する可愛い少女たちがモジモジしながら口にする『もし良かったらなんですが────』は重要なキーワードだ。そして、その後に続くパターンはいくつかある。
『メアドの交換』か『食事』や『カラオケ』への誘い。
いずれにしてもゲーム内では親密度が劇的にアップするキーワードだ。
そしてオレは知っている。このキーワードにはレアパターンへと続く裏技が存在することを。成功すれば2次元美少女が顔を赤らめていきなりのムフフ展開へと突入する神裏技。その名も通称『カウンター告白』だ。
この裏技はタイミングが肝心だ。勇気を振り絞って告白しようとする女子が口を開く寸前に、あえてコチラから『好きです』と毅然とした態度で告白する。その言葉に動揺を隠せない2次元美少女が次の言葉を口にする前に『付き合ってください!』と叩き込めば裏技完成。
その効果は絶大だ。通常の告白に比べ1.5倍の成功率上昇ボーナスに加え、ジャストタイミングボーナスが加算されれば、じつに2倍の成功率となる。更にラブパラメーターが70%以上の状態でこの裏技に成功した場合は、最低限その日の別れ際までに『チュー』が確約されるという超豪華プレミアオマケ付きだ。
「あの、私と────」来た。今だ!
「大好きでふ!」しまった。噛んだ。
「え?」彼女の目がキョトンとなる。
やはり失敗か!? それとも、その『え?』は噛んだことに対する反応なのか。そもそも『好きです』と言うべきところでテンパって『大好きでふ』と言ってしまった。いや、このまま勢いで『付き合ってください』と力技で叩き込むべきか。そんなことを迷っていると、黒科が少し戸惑った様子で続ける。
「えっと、バイトの遅番のシフト代わってもらえないかなって────」
「ふぇ?」うわ。ヤバい。変な声が出た。
裏技完全失敗。まさかのバイトのシフト交代。
ウチの店では遅番の者は終業時間が2時間長くなる。
そんなパターンは恋愛系シュミレーションゲームには存在しなかった。
咄嗟に『もちろんOK! オレ、バイト大好きですから!』などと、意味のわかわないごまかし方ができた自分を褒めてやりたい気もするがさすが、流石に気まずい。気まず過ぎる。オレはボロボロの精神に鞭を打ち、精一杯の作り笑顔を浮かべながら足早にその場を立ち去ろうとする。
「あ、ちょっと待って。これ────」
「え?」
黒科の白い指に包まれて深緑色のリボンのついた小さな包みが差し出される。
何だろう。あれ、これってまさか。いやいや。ついさっき思い知ったばかりではないか。
オレのバカ。彼女がオレのために誕生日プレゼントを用意するなんてありえない。
「誕生日おめでとう!」
「……えっ? あっ、どうも」
黒科は包みを手渡すとちゃんとしたお礼の言葉を受け取る前に、小さく手を振って可愛い笑顔を残し去って行った。何が起こった。オレは手の中に収まった小さな茶色の包みを呆けたように見つめた。これは現実なのか。
「アーモンくぅ~ん!」
「あ、はい!」
オーナー兼店長の蛇園シオヤがオレを夢の世界から呼び戻す。彫りの深いハーフ系の顔立ちで細マッチョな30代独身。ちなみに彼は自他共に認めるゲイだ。有名企業のCEOのご子息だとか、大物政治家の外腹の子だとか色々な噂があるが、本人はあまり自分の事を語らない。そんな彼がバイトの面接時にオレに求めた採用条件は『無断欠勤をしない』でも『明るくハキハキとした接客』でもない。
『この髪型にしてきてくれたら採用してもイイわよ?』そう言って手渡され雑誌の切り抜きには、芸能界で最近売り出し中の男性グループが写っていた。蛇園は怪しい笑みを浮かべながら、自分の財布から1万円を差し出し『この子ね』と、中央に写る爽やかな笑顔の青年を指さした。
店を出るとその足でお洒落な美容室へと向かった。蛇園に『ちゃんとした店で切ってくるように』と念を押されたからだ。その『ちゃんとした』が何を指しているのかオレにはわからなかったが、いつもの安い床屋では何となく違う気がして、スマホで検索して見付けたのがその美容室だった。
ネットには『都心部にある超有名美容室で修業しただけあってクオリティーが高い!』と書かれている。もちろんオレは一度も足を踏み入れたことはないし、この日までは生涯無縁の場所だと思っていた。
予約をしていなかったのでダメもとで入ったのだが、偶然にもキャンセルによる空きができたらしくすぐに対応してもらえた。いつもの床屋の5倍以上の料金を支払って、雑誌の切り抜きを手渡し人生を左右するカットをしてもらった。出来栄えはよくわからないが、3ヵ月ぶりの散髪はなかなか気持ちが良かった。ただ、正直なところ自分でこの金額を支払ってカットしてもらう気にはまったくなれない。
見る人が見れば良い仕上がりになっているのかも知れない。そんな半信半疑な期待を胸に蛇園の待つ店へと戻った。『切ってきました! ありがとうございます!』オフィスに入るなりオレは頭を下げて、お釣りを差し出した。
頭を下げたままのオレに蛇園の表情は見えないが、小さな声が漏れ聞こえる。
やがてオフィスに蛇園の笑い声がこだまする。
「君、イイわね! よし。採用! 明日から来れる?」
「へ? 合格!? 本当ですか?」
最近になって聞いたことだが、蛇園は髪を切ってちゃんと戻って来さえすれば、髪型に関わらず採用するつもりだったらしい。金を持ち逃げするようでは自動的に不採用という訳だ。蛇園は大笑いさせてもらったからと言って美容室の釣りをそのままオレに持たせた。こうしてオレは黒科メルと一緒の職場で働くことになった。
「アモン君、ゴミ出しと厨房の掃除もお願いねぇ~」
「はい」
オレがこの店のバイトに採用されたもう1つの理由は、雑用をこなす男手が不足していたからだ。店長とオレ以外は4人とも女子。女子は容姿端麗の選りすぐりばかり。クッキングもこなすチーフの鞭目レイナ以外は、可愛い制服を着てお客様の接客をするホールが主な仕事だ。週に数日しか店に顔を出さない店長の蛇園は箸より重いものは持ちたくないと言う。決して体力に自信があるわけではないが、貧弱ながらもオレの力が必要とされていることが嬉しくもあった。
オレは黒科にもらった包みを急いでロッカーに隠すようにしまい、ゴミ出しの準備に取り掛かる。店中のゴミを集めている途中でオフィスに入ると、壁に掛けられたカレンダーの今日の日付が赤色のハートマークで囲まれ、その中に『アモンくん誕生日』と達筆な字で書かれている。蛇園の字だ。黒科はこれを見てオレの誕生日を知ったのだろう。
マジか。夢みたいだけど、夢じゃなかった。
世の中には不思議な出来事があるものだ。あの黒科がオレに誕生日プレゼントを。思わずこぼれる笑みを隠しながら、いくつかのゴミ袋を同時に持って店の裏手に設置されたゴミ置き場へと向かう。
吐く息が白い。そう言えば天気予報で何年ぶりかの強い寒波が訪れていると言っていた。フランス語で『隠れ家』を意味するエルミタージュは、その名の通り大通りからは少し離れた裏通りにあった。遠くの方から師走の賑わいを感じさせる街の喧騒が微かに聞こえる。あっと言う間に今年も終わりか。
建物の角を曲がると、ゴミ置き場の前にゴミを漁る人影が見えた。時々こんな事がある。裏通りに面した店のゴミ置き場は食料を漁るホームレスや、意味もなく悪戯にゴミを散らかす若者たちの恰好の的となっていた。食料を漁るホームレスならば心情的には黙認してやりたいところだが、ゴミ漁りは絶対にさせるなと蛇園にきつく言われていた。
「あの、すいません。ゴミを勝手に持ち出されると困るんですが────」
『ガサッ』声に驚いたように背中を跳ね上げ小さな影がこちらを向いた。薄暗い中に浮かび上がる背格好は小太りな子供のように見えた。迷子なのかも知れない。フードを深く被っており、街路灯の明りが逆光になって表情はまったく読めない。
「見付かった……まずいッス」
「い、いや。大丈夫ですよ。早く行ってください。ね?」
小さな影が怯えるようにゆっくりと後退りしながら発した言葉は、大人とも子供とも判別の付かないものだ。早くそのまま走って逃げ去ってほしい。内心でそんなことを考えていると突然、小さな影が立ち止まった。
「一応これも仕事なんで。注意しないとウチの店長がうるさいから。さあ、行ってください」
蛇園を悪者にすることで、自分は本当は注意なんかしたくなかったのだと匂わせてみる。
咎める気など毛頭ない。ただ早く立ち去って欲しいだけだ。
小さな影はボソボソと何かを呟いたかと思うと後退るのを止め、今度はゆっくりとオレの方へ向かって歩を進め始めた。もしかして本当に迷子なのか。そんなことを思っていると再び小さな影が口を開いた。
「腹も空いてるし……人間ひとりぐらいなら何とかなるッス」
背筋に氷水を流し込まれたかのような悪寒を感じた。
オレは自分の耳を疑う。こいつは今、何と言った。
まずい。ここにいてはいけない。
身の危険を感じたが足が言うことを聞かない。
両手に持ったゴミ袋がドサリと音を立ててその場に落ちた。
その刹那────。天を仰いだ小さな影のフードがずり落ちる。
化物。豚のような鼻に爛々と輝くつぶらな瞳。
食い漁った生ゴミで薄汚れた漆黒の牙が、唾液をまき散らしながらオレに狙いを定める。
「ねえ! アーモンくぅ~ん!」
そのとき裏口の方から蛇園が呼ぶ声がした。
店長、助けて。その叫び声は音にはならずオレの心の中にだけ響いた。
小さな影は立ち止り、少し戸惑ったように裏口の方へ顔を向けた。
「……アモン?」
化物が何故かオレの名前を口にする。
「アモン君? いないの~?」
「ま、まずいッス。本当に叱られるッス」
『グガァッ!』化物は何かに脅えるように天を見上げて咆哮を上げると、フードを被り直し四つん這いになって身を縮める。そして、一気に獣のような動きで勢い良く闇の中へと消えて行った。
「ねえ、アモンくんったら。聞いてるの?」
「て、店長……ありがとうございます」
「はぁ?」
その場にへたり込んだオレを蛇園が奇妙なものでも見るように見下ろした。
【To be continued……】
ご意見、ご感想などいただければ参考になります。
できるだけ更新できるように頑張りますので温かく見守っていただければ嬉しいです。 (桜)