前編
最近、乙女ゲーム転生小説にハマったので流行りに乗ってみました。
どうやら私、ヒロインに転生したようです。
なんて言っても、実感なんか沸いてこない。むしろこれ、夢でも見てるんじゃないの? っていう意識の方が強い。
おかしいな、前世の記憶を取り戻す前の記憶はしっかりと思い出せるんだけど……。
でもこんなテンプレ転生なんて物語でしかありえないよね。やっぱり夢だわ、これ。
ちなみに前世のことを思い出したのは、ちょうどこれから入学する学園の門をくぐった瞬間だ。そう、きっかり私の転生した世界の乙女ゲームのスタートする時間軸。
タイトル? それはいちいち覚えてないからなぁ。乙女ゲームというだけで悪食だってするくらいの数をこなしていたから、プレイしている間はともかく、一旦フルコンプしちゃえば記憶の端からこぼれ落ちる。クソゲーと呼ばれるものも、良ゲーと呼ばれるものも、なんだって手を出してきたせいで正直言えばいろんなゲームの内容が頭の中でごっちゃになっている。
まぁ、幸いなことにこのゲームの内容は、私にとって印象深すぎる学院の名前のおかげで芋づる式に思い出せたわけだけど。
――『王立ゴンザブロウ学院』
何故にゴンザブロウ? 初見のときにそこで引っかかったよね。普通は国の名前――ヴィルシュティッツ――とかを付けるべきじゃないのか? って。舞台も西洋圏じゃん。せめてゴンザレスくらいにしろよ! と、どう考えても乙女ゲーにあるべきオシャレさの欠片もない名前に、ガクンと肩の力が抜けたよね。あ、実際にゴンザブロウって名前の人がいたらごめんなさい。渋くてカッコイイとは思っていますよ。ええ。
あとで雑誌に載っていた開発者インタビュー見たら、なんとなく笑いが取れそうだから付けたって理由だったらしい。いや、待って! なんでそこだけ笑いを狙っているの!? しかもそれめっちゃ滑ってるよ! そもそもシナリオの運び具合は割とシリアス調で笑いを挟む余地ないじゃん! と突っ込みまくった記憶が強い。
でもって内容は……前述される適当さ加減から想像できる通り、クソゲー枠に片足を突っ込んでいるどころか、キング・オブ・クソゲーを冠してもいいんじゃないかって内容だった。
そう、まるで某小説サイトで流行っている『ヒロインは身分が低いが、潜在魔力が高い』『攻略対象の婚約者が高位貴族の令嬢』『嫉妬した令嬢がヒロインを虐めて断罪される』要素が満たされていれば乙女ゲーだろ? と言わんばかりの投げやり具合。これ絶対内容をちゃんと考える気がなかっただろ。本気でこれが王道と思っていたのだろうか? これが王道としてまかり通っているのは某小説サイトでだけですよ?
でも、こんな明らかに手抜き感満載なストーリー展開をするくせにキャラの設定も、イラストも、声優にも力が入っていたんだよね。ちなみに私はそれ目当てで買ってしまったわけだけれど。クソゲーだって言いつつ、結局フルコンプしちゃったわけだけど! 内容はクソだけど、絵がすっごく好みだったんだもん。スチル全部見たくて頑張ってしまった。ちょっと悔しい。
そんな世界だから、ヒロインとして転生して嬉しいかと訊かれると大分困る。たしかにこの世界に存在するキャラクターたちは、イラストが好みだったことで補正も効いて大層魅力的に映る。けれど魅力的に感じるのはそれが2次元だからだ。
攻略対象たちの身分が高い? 高位貴族に嫁ぐほどに高い教養レベルを求められるんだよね。今まで平民として育てられてきたらしい私からすると、今からそれを覚えさせられるのは非常に面倒くさい。
攻略対象たちの心の闇を取り払うことで惚れられる? いちいちカウンセリングが必要な男が相手なんて、ますます面倒くさい。
2次元で、画面の向こうで可愛いヒロインとイケメンがイチャコラしている絵は見ていてときめくし憧れる気持ちはあるけれど、三次元で、自分が実際に相手をするとなると話は別だ。しかも婚約者がいる相手だ。仲良くなったら虐められるってことは決定事項のようなものだし、ドロドロ泥沼展開も絶対だ。
物語だからこそ面白い展開も、現実で巻き込まれるのは御免被りたい。いや、この場合だとむしろ中心に据えられるのか。余計に遠慮したい。
そんなわけで、私は攻略対象たちに極力近づかないよう気をつけることにした。
――気をつけようとしたけれど、結局は運命の糸という名の物語補正にガッツリ巻かれる結果になった。しかも逆ハーレムだ。どうしてこうなった。
「やぁ、ごきげんよう。今日も君の可憐さには磨きがかかっているね」
食堂で一人、ランチを食べようとしたところに現れたのは、公爵家三男のアーウィン・シュナイツだ。軽々しい口説き文句からわかる通り、軽薄男。さらりとした長めの茶髪と薄緑の瞳をしている。色彩は地味だが妙に色気があるのが特徴だ。彼は特に許可を与えてもいないのに、勝手に隣の席へと腰掛ける。
「あー、近づきすぎ! その肩に回してる手、さっさと外してよ! アイラちゃん嫌がってるじゃん!! ねーアイラちゃん!」
同じく無許可で逆隣に座り、アーウィンを威嚇しているのは宮廷魔術師長の息子・エーミール・クレマスだ。魔術師長の血をガッツリ継いだ天才児であり、ピンクのふわふわとした髪と黄色の瞳、そして低めの身長と可愛らしい容姿をした少年である。
ちなみにアイラとは私の名前だ。アイラ・ビュー。このゲームはデフォ名がないのだけど、自分の名前を付けるのは恥ずかしすぎて嫌で適当に考えて出てきたのがこれだった。単体だと普通っぽいけど、フルネームになるとダメージ抜群! 今、そのツケが回っている。
せめて家名を変えたい。名前変更機能は今からでも使えますか?
「……両方共うるさい。彼女は食事に集中したいらしいぞ?」
騎士団長の息子である、ゲレオン・ミッドハートは向かいの席に現れ、先の2人に鋭い眼光を飛ばす。紺色の髪と水色の瞳で見た目はクール系の青年だ。しかし常識人っぽく2人を注意しているが、昨日は彼がこっち側にいた。注意された2人とも、お前には言われたくねぇよ、と冷めた目で見返す。
「そうだよ、君たち。あんまり彼女を困らせないでやってくれないかな。拗ねると口を利いてもくれなくなるから」
「……殿下」
「ん? なんだい、僕の愛しいアイラ」
「私は今、貴方に一番迷惑をかけられています」
4人、と攻略対象は少ないが、最後に現れたのはメインヒーローでもある王太子、カールハインツ・ヴァン・ヴィルシュティッツだ。名前長過ぎ。ゲーム終わった後は速攻で忘れたけれど、この世界にいる限り、彼は王太子として存在するのだ。覚えられないでは済まされない。
というわけで覚えたけれど、一日の癒しの時間である食事を邪魔されるなら不敬も辞さない覚悟だ。背後から抱き込むように回された腕をさっさと退けて頂きたい。頭に顎を乗せるな。邪魔だ、食べにくい。
じろりと睨めば、彼はフフッと花が綻ぶように笑った。
「いいね、君のその目。お前には一切の価値がないんだ、って言われているようで、すっごくゾクゾクするよ」
……変態め。
ゲームで王太子がドMな設定はなかった。金髪碧眼、見た目はいかにも王子様らしく誠実そうな雰囲気だというのに。王太子だけでなく、なぜか他の攻略対象たちに対しても、どんなに冷たくしても彼らはめげずに近づいてくるようになったのだ。物語補正をするためにキャラ設定をねじ曲げたのだろうか。運命というものは残酷過ぎる。
そのせいで――。
「はぁ……」
憂鬱な気持ちがいっぱいこもった、重苦しい溜息を吐き出す。
いい加減、この状態でいるのも限界だ。相手をするのも面倒だと適当にあしらってきたけれど、結果はご覧の通り。
物語補正のせいで悪化してしまっている。このまま放置すれば余計に面倒なことになりかねない。ここらで手を打たねばと、とうとう腹を決めた私はいつになく真剣に、彼らと向き合った。
「殿下、そして御三方。私のような身分低いものが意見を申すのは大変おこがましいこととは存じますが、私もそろそろ限界ですのでハッキリと述べさせて頂きます」
――私は平民です。あなた方とは決して相容れない存在なのです。どうか、これからは私のことを放っておいてくれないでしょうか。
彼らとの関係を絶ちたいと、私はそんなような言葉を告げたのだった。
そうして渋る彼らをなんとか説き伏せた私は、嫉妬の爪痕が残るロッカーの片付けを行った。王太子たちが近づいてこなければ、こんな嫌がらせも徐々に鳴りを潜めるだろう。今まではどんなに片付けてもすぐに汚されるだろうと諦めていたけれど、これで本腰を入れて綺麗にできる。
ヒロイン業は楽じゃないね、まったく。
なんて、ホッと安堵していられたのは束の間の出来事だった。
「ミリエール・アヴェンスター公爵令嬢、君の貴族令嬢にあるまじき振る舞いは大変許しがたい。よって、本日をもって君との婚約を破棄させてもらう!」
学院の創立記念を祝したパーティーの会場にて、予想外の婚約破棄宣言がなされたのだ。しかもわざわざ私を中心に引っ張り込んで。
事の経緯はこうだ。豪華な料理の味に幸せを噛み締めていたところ、久々に顔を合わせた王太子と取り巻きたちに取っ捕まったのだ。そして会場にいる人々の目を集める場所まで連れて行かれ、ミリエール嬢と対峙するように立ったかと思えばこの発言だ。何この人たち? そんなに私の食事を邪魔することが楽しいのか? とりあえず王太子、腰を抱くな。暑苦しい。鬱陶しい。
不快感を隠さず王太子を睨めば、彼はうっとりと目を細め、頬を朱に染めた。気持ち悪い。無駄に美形なのだけが救いだね。
「殿下……婚約破棄など本気で出来るとお思いで? わたくしたちの婚約は政略的なもの。殿下がそう勝手にお決めになれることではありませんわ」
一方、衆人環視のなかで急に婚約破棄を言い渡された令嬢は悠然としたものだった。余裕ある立ち居振る舞いと、扇で口元を隠しながらうっすらと笑う仕草。背に流れる銀髪はキラキラと輝く美しさを放ち、扇から覗く蒼の瞳には力強さがあった。豪奢な銀のドレスは彼女の美しさを引き立てる。
実に貫禄がある。雰囲気からして悪役令嬢そのものだ。
「そもそも、わたくしの貴族令嬢らしからぬ振る舞いとはどういうものでしょうか? わたくしには一切身に覚えがございませんが」
すぅっと目を細め、王太子をひたと見つめるミリエール嬢。美人が凄むと迫力が違うね。背筋がゾクッとした。殿下の隣にいる私は完全にとばっちりだ。
そんな視線を一直線に浴びている王太子はというと、まったく動じていない様子だった。むしろ見下すような、嘲るような笑みを口元に浮かべた。
「しらを切るつもりかい? ここにいる彼女、アイラが嫌がらせを受けていたという事実があるというのに」
「あら、それがわたくしの仕業だとでも言うおつもり?」
「彼女のロッカーを日々ご丁寧にゴミで汚したり、彼女の持ち物を切り裂いて使い物にならなくしたり、悪質な噂をばら撒いたり、その噂のせいで彼女の身は何度も危険に巻き込まれた。知らないとは言わせないよ。僕の寵愛が彼女に向いたからといって醜い嫉妬じゃないか。ねぇ、アイラ?」
「……」
……この人、私が嫌がらせにあっていたのを知っていたのか。こんな面倒事が起こらないよう彼らにはバレないよう細心の注意を払っていたつもりだったのに、全部筒抜けになっていたらしい。
どんな経緯でバレたんだろう。どんなに足掻いても面倒事を回避できないなんて、物語補正マジ怖い。でも、自信満々にミリエール嬢を糾弾しているところ悪いけど、私から一言物申したい。
ぐぐっと力を入れて王太子の手を引き剥がすと、私はミリエール嬢の横に立った。
「殿下、まさかそのような些事について気にかけて頂いていたとは大変驚きました。しかしながら、ひとつ確認をさせてください。それらの行為に関して、本当にミリエール様がされたという証拠はございますでしょうか?」
ざわっ、と周囲で野次馬と化していた人たちがざわめくのを感じた。うん、まぁそうだよね。王太子に庇われている人間が、まさか王太子が糾弾している相手を庇うなんて普通は思わないよね。むしろこの騒ぎは私がキッカケになって起こしていると思われているんじゃないだろうか。心外過ぎる。
「へぇ、君にもそんな優しい一面があるんだね。君を害した相手を庇うなんて……僕にはいつもつれないくせに。証拠ならもちろんあるよ。ちょうど現行犯を捕まえたら、彼女の派閥の人間だってわかってね。理由もミリエール様の為だ、って言うから」
「あらあら、困った子たちですわね。殿下にそんなことをおっしゃいましたの」
「ここまで判明したら、言い逃れはもうできないよね?」
「言い逃れ? おかしいですわね、殿下。その程度のことが証拠になるとお思いで?」
バチバチと2人の間で火花が散る。この2人って婚約者だったよね。いや、こんな騒動起こすくらいだから関係は良好とは言えないかもしれないけど、ここまで険悪なのも考えものだ。
まぁ、ここだけ物語補正がかからなかったのは幸いだけど。本来のミリエール嬢なら王太子に惚れ込んでいたしね。そのままのミリエール嬢だったら、私だって今の立ち位置に移動しなかった。
さて、そろそろ2人の睨み合いを止めないと。
「殿下、僭越ながら申し上げます。ミリエール様が私への虐めに加担されていた事実はありません」
「高位の相手だから庇っているのかい? 珍しいね、君は同じく身分の高い僕らには一切媚びなかったというのに、彼女にはそうするんだ?」
「……身分違いとは存じますが、ミリエール様とは友人関係を築かせて頂いておりますので。虐めに関しましても、以前よりミリエール様にご相談して極力抑えて頂いていたのです。大方、殿下が得られた証言というのは、勝手に暴走したミリエール様の派閥の人間が責任逃れするために口にされたことかと」
ピクン、と王太子の眉がわずかに動く。まさか私がそんな相談をするほどミリエール嬢と仲良くしていたとは思わなかったのだろう、驚いているのが伝わった。
「平民の分際で王太子殿下に取り入るなんて、と勝手に想像を膨らませて、勝手に憤っていた方たちには困っておりましたのよ。わたくしも本来でしたら婚約者たる立場、立場を弁えず婚約者に近づく者がおりましたら諭す必要があるのですが……それをする必要もなく張本人から相談を持ちかけられまして。いわく、殿下が自分如き下位身分の人間に不相応な親しさを寄せてきて困っているから、婚約者として諌めてはくれないか、と」
ミリエール嬢との出会いは、そのままミリエール嬢が言った通りの経緯だ。
時期としては、王太子との接触がなんだか多いなと感じた頃。気のせいかとは思うレベルだったからまだ嫌がらせも起きていなかったし、自意識過剰ではないか、という認識ではあった。
だけどその頃、私はあるひとつの違和感も抱いていたのだ。それは、悪役令嬢としてゲーム本編ではその役柄の名に恥じない我儘高飛車高慢ちきな評判を馳せていたはずの彼女に、まったくそんな噂がなかったということ。
さり気なく噂を集めてみれば、彼女は貴族としての務めを立派に果たす淑女として知られていた。
あ、これ絶対に中の人が断罪フラグ回避の為に動いているパターンだ、と私はすぐに察した。
そこからの行動は早かった。私はさっそく彼女に接触しようと秘密裏に呼び出し、そのときに含ませたヒロインという単語に反応したらしい彼女は呼び出しに応じてくれた。
そこで私はこの世界で攻略対象たちと親しくなる気がないこと、だけど物語補正のせいか妙に彼らとの接触が増えていること、このままだと大衆の前での断罪劇なんていう、どう考えてものちのち黒歴史にしかならないことをやらかす未来が、強引な物語補正のせいで起きるかもしれないということを訴えた。
回避する為にミリエール嬢に婚約者として王太子を諌めてもらい、ミリエール嬢に虐めを抑える側に回ってもらいたいとお願いした。当然、ミリエール嬢は快く引き受けてくれた。
なんたって断罪フラグ回避の為に動いていた人だからね。
まぁ、結局はミリエール嬢の目の届かない部分で虐めは行われてしまったのだけど。相手がわかるものは全部彼女に告げて裏で潰してもらっていたけれど、物語補正マジで怖い。
そんなこんなで、私達は頑張って物語補正に必死で抗ってきたのだ。すべてはこの日の断罪劇を起こさないようにする為。それなのに……。
恨みがましい気持ちをたっぷり込めて、私は王太子を見据えた。
「殿下、私のようなものにも心をお砕きくださるお気持ちには感謝申し上げます。ですが、それならわざわざこのように衆目を集める場でなくとも良かったはず。特に私に対しての事実確認もされていないように思いますが……殿下は何を考えてこのような事をお起こしになられたのでしょうか?」
フラグを潰したのに! もう関わるなって宣言したのに!
それでも回避しきれなかったこの茶番劇、どう収拾しろというのか。しかも王太子のせいで茶番劇の中心にいるのだ。上手く片を付けられたとしても、このあとの学院生活が一層面倒なものになることは簡単に想像がつく。
もはや私の王太子を見る目には敬意が微塵も含まれていなかった。すでになかっただろ、というツッコミはなしだ。とにかく、私の最大限の不満と怒りと様々な負の感情が私の視線には含まれていた。
それを受けた王太子は――今までで一番、恍惚とした表情を浮かべていた。
……え?
「ああ……やっと本気で僕を見てくれたね、アイラ」
……は?
「これまでずっと僕を見ているようで、別の僕を見ている視線だった。その視線がやっと、僕に焦点を合わせてくれたんだ。こんなに嬉しいことはないよ……!」
……へ?
「怒りでも、憎しみでも良かったんだ。これでようやく僕自身を見てほしいという希望が叶えられた。それだけでもこの茶番劇を始めた甲斐はあるね!」
「……」
言っている言葉の意味が、さっぱりと理解できないのですが。
王太子の発言に呆然としている間に、ミリエール嬢と王太子の取り巻きたちとで事態を収拾したらしい。それに気がついたのは別室に連れて行かれてからだった。