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マルコは宿屋で飲んでいた

作者: ミツキ

マルコはうんざりしていた。


宿屋が1階で営む酒場のカウンター。

明日の出立を前に、たまには酒を飲んでみるかと座った直後から、

酔った女にからまれている。


無理だ。緊張する。駄目だ。

いっそ機嫌良く話しかけてくる女の首をひっつかみ、店から引きずり出してやりたい。が、できない。

それなら一発、女が黙るようなセリフを

セリフを、


考えただけで手にじっとりと汗をかいてしまう自分が嫌になる。

1人で酒を飲みたいんだ。そんな簡単な言葉を噛んでしまう。声が、喉がひきつって変な音が出る。

おかしくもないのに、笑うように歪む自分の口が大嫌いだった。


マルコは今年で28になった。

肉屋の長男として生まれ、両親と弟2人、妹3人の賑やかな大家族で育った。

田舎では珍しくもないらしいが、王都のお膝元、城下町のなかでも一等地に店を構えるような家庭では平均は3人ほどと聞く。

マルコの幼少期の記憶は、弟妹達の世話をしているか、肉を解体しているかだけ。


家族は皆仲が良い。よく食べ、よく笑う。


母親が何故あんなことを言い出したのかわらかない。

ある日ふと、食事の最中にマルコに話しかけたのだ。

「マルコ、あんたいつまで店にいる気だい?」

いつもの軽口かと続きを待っていたが、母親は真顔でマルコを見上げていた。

「あんた、父さんに甘えるのもいい加減にしなよ。あんたがバカみたいに食ってる飯はタダじゃないんだ。

成人したのにこれから何年も家から出ないつもりかい?いい加減、ちゃんと働こうとは思わないのかい?ねぇ父さん」


食卓の賑わう音が止まり、全員の目がマルコを見上げた。

彼は配膳途中の皿を片手に持ったままピクリとも動けない。


「いい加減にするのは母さんでしょう!」

立ち上がったのは、末っ子のマリアナ。

「甘えてるのは母さん達じゃない!兄さんが何も言わないのをいいことに学校にも行かせなかったのは母さんでしょう!」

「むしろうちの男達でちゃんと働いているのはマルコ兄さんだけじゃない。

付き合いだのなんだので父さんや他の兄さんは遊び回ってばかりだしね」

「タダ飯食らいなら母さんでしょう。

食事の世話から身の回りまで。あたし達はマルコ兄さんに育ててもらった覚えはあるけど、母さんって何かしてくれたっけ?」

娘三人に言い返され、母は逆上した。


学校に行かせなかったのは、あの頃はうちは貧乏だったから。

マルコは働いているとは言わない、家の手伝いをさせてやっているだけ。

社交的な父さんや弟達が外で人脈を作ってくれているから商売が続いているのだ。

それを、汚い言葉で、聞いたこともない悲鳴のような高い声で怒鳴り返す母親。





「…びっくりした。いやゴメンねからんじゃって。しかも初対面なのに半生語らせちまったよ。お姉さん大失敗だねこりゃ」


頭の中にこびりついた母親の叫び声と真逆の、低くかすれた声に耳元でささやかれ、マルコは現実に無理やり引き戻されてしまった。

いつの間にか酒場の喧騒は遠ざかり、

深夜が近いのか、灯りを落とした店ではまばらな客が静かに酒を飲んでいる。


「いや、ああああのっ」

「あれ?最初に戻っちまったね。あんた途中からスルスルと喋っていたよ」

「いや、いやいやいやいやっ」

「ふぅん。まぁ水をお飲みよ。そしてそのあんた誰?って目をやめてくれると嬉しいね。この数時間で十回以上自己紹介は済ませてるんだからね」


そんな事を言われても。言われてもだな。

マルコの直前の記憶では、机を挟んだ場所にいた女に「お兄さんお1人~?私いくつに見える~?」と絡まれていたところまでで、ぶつりと途切れている。


なのにそれなのに。

マルコは女を膝に乗せ、両腕を女の腹に回してがっちりと抱きしめているのだ。

机には見たこともない数の酒瓶が倒れ、食った覚えのないつまみまで散らかっていて、そして何故か皿の上に銀貨や、銅貨が並べられていた。


「酒代なら気にするこたないよ。飲み比べに負けた奴らが払い済みだし、

お金は賭け金のあんたの取り分だね」


酒が覚めたようだからと女が付け足す。


「ちなみに、今なんであたしがここにいるかだけど、肩やら背中を出した服を着るのは、けしからんってマントにくるんで膝に乗せて。女が腹を冷やしてはいかんと、腹を撫でさすり、

尻は妹と違って肉が厚くて立派だけど、胸が末の妹よりも平坦なのは

可哀想にってチーズを山ほど食べさせていたからよ」


もうチーズは当分見たくないよぅ。

女はしょんぼりとうなだれてしまった。

マルコからは女の表情は見えず、

うなだれたほっそりとした首と

巻き毛の絡んだ白いうなじ。

そこから甘い匂いがするような気がして、思わずゴクリと喉を鳴らした。


いつものマルコなら、全身硬直をし、滝のような汗を流してしまうような状況なのに、何故か、身体に力は入っていなかった。

いや、力が入っていないのは女だ。

背をマルコの腹と胸にぴったりとくっつけ、うなだれた頭ですらマルコの喉辺りへ置いて

くったりと脱力した柔らかな身体がマルコのこわばりをほぐしていた。


ふと、乱雑なままの机を見ると、

チーズが盛られた皿の隣にはフォークではなく、スプーン。

それを囲むハンカチで折られたウサギ。

…これは、俺だ。

…この配置には見覚えがある。


幼い弟妹を食べさせる時は、必ず膝に乗せて、スプーンで食材を細かく刻んでいた。ウサギは口元をぬぐうのを嫌がらせないために、毎回折っていた。


一つの記憶が目の前の光景と一致すると、酔っていた際に自分がしでかしてしまった出来事を霧が晴れたように思い出してしまった。


『お兄さんはさぁ~そうやって早口言葉みたいに喋るんじゃなくてさぁ~

一回息吸ってから、単語だけで答えたらどうなるんだろうね~、私はいくつに見える?はいっ!息吸って』

『~っ、さ、三十五』

『……』


目の座ってしまった女が無言で『飲めや』と酒瓶を机に置いた。


そこから何故か一問一答が始まって。

それが何故か、聞かれるままに自分のことを答える流れとなり、

そうだ、女が「発見した!」と途中ではしゃいだのだ。


『あんたさ、一回に吸う息が少ないんだよ!だから慌てて全部言っちゃうんだ!ヒュッ、ぼ、ぼくは!ほら似てる?これをスゥ~って吸って、むかぁしむかぁしの、スゥ~ことじゃったぁ』

やってみなよ、ね?とねだる女は、

マルコの喋り方をバカにしているわけではなく、異国の言葉を解きほぐすように会話を楽しんでいるように見えた。

だから、大発見!大発見!とはしゃぐ姿は不快ではなく、学校帰りの妹達に重なって見えた気がする。


あたしをちびっ子だと思ってさ。


その一言で、長らく閉じていた「お兄ちゃん封印の扉」が観音開きで解き放たれた。


マントで問答無用でくるんで膝に乗せ、いきなり給餌を始めるマルコに

他の客達は最初止めようとしたのに

「妹は渡さん!」と俺の屍を超えろ宣言。からの飲み比べ突入。


そして屍を積み上げた俺は、女に乳を育てさせようとチーズをせっせせっせ。


…よし。把握した。

全財産を差し出して土下座で謝罪しよう。

そして騎士団に自首するか。

いや、女性に不埒な真似をしたと自白したとしてもこの女の名誉に関わる。

よし。騎士団に殴り込みだ。


混乱と困惑がマルコの許容量を溢れ出て、えらいこっちゃ!えらいこっちゃ!と踊りながら、わけのわからない場所に辿りつこうとしていた。


「…話を聞いてさ、家を飛び出したくなった理由とか、人と喋る時につまっちまう原因はあったんだろうけどさ、

他の男連中は何も言わなかったのかい?」


えらいこっちゃ戻って来い。

驚くことに、女はくたびれていたが怒っている様子はなく、当たり前のようにマルコに話しの続きを促した。


「父は、そうだな、苦い顔をしていた。…俺に払うべき給料で遊んでいたからだろうけど、会話はなかったな。

弟達は母親を泣かせた俺が悪いと。

頭を冷やせと言われたっけな」

「ふぅん。でも隣国の成人は16でしょ?そのまま飛び出すのは無理がない?」

マルコは水を一口飲み、女にも杯を傾けて飲ますと、ハンカチウサギを女の口元に寄せる。女は慣れてしまったのかちゅっと唇の雫をウサギに吸わせて

それから?とまだ無意識で行動しといるマルコを呆れた目で見上げた。


「自分から商売相手の所へ行って、

家を出ることになりました。いままでお世話になりましたって回っているうちに、

行商の旅団に誘ってもらって、戦争が始まったのはどの辺りだったかな」


女はひょこりと首を傾げた。この国も隣国も、ここ十数年戦争は無かったはずだから、よほど遠い国まで行っていたのかもしれない。


「まぁだから保存食に目覚めて、自分で作ることに夢中になってたら

こうなってたなとしか」


だから。が、何を指すのかはわからないが、

酔ったマルコに食べさせられたのはチーズだけではないので保存食の下りは聞き流すことにした。

16で家を出、長い旅で旅団の下働きをした彼はとにかく腹が減るのと飯がまずいことが耐えられなくなったのだろう。

干した魚や、炒った豆、燻製肉、甘い木の実やらを全て説明付きで試食した上で、どれも美味しいがチーズが1番!

と褒めてからの各種チーズ責めはきっと今日の夢に見る。


おかしい。こんなはずじゃなかった。

王都で話題になっている

凄腕傭兵団出身で王族の方々が引き抜いたと噂の騎士団隊長さんが

休暇で田舎村の宿に泊まると知って、

少しだけでもお話しができればと。


どんな荒地や戦場でも生き抜く凄腕傭兵団は、どんな食材でも美味しく頂く調理人集団だったとは。

王族が訪問国で彼らと出会い強引に引き抜いたのは本当だが、

仲間達のほとんどは王宮の厨房で働いており、マルコは新兵や国境警備隊への野戦料理指導要員。

…珍しい幅広の片手剣が肉包丁にしか見えなくなってきたわ。


想像したのとは大分違ってしまったけれど、話は面白かった。

一通り語り終わって安心したのか、まだ残っていた酒のせいか、途切れた言葉の続きは微かな寝息。


「ここで寝ちゃダメよ。ほら立って」


翌朝、マルコは日の出と同時に起き、出立の準備をした。

宿代は前金で払い済みだが、部屋を出て宿の主人に声をかけると、

預けていた荷物と、綺麗に皺を伸ばして畳まれていたマントを受け取った。

マルコはしばらくそのマントを見つめていたが、預けていた荷物をもう一度机に置いた。


「もう一泊、されますか?」

「いや、…ここで使い切ってくれ」

宿の主人はニヤリと笑い、マルコが求めるものの居場所を目線で教えた。


女は窓際の席で、頬杖をつきながらぼんやりと窓の外を眺めている。

昨夜の白粉のかけらもなく、そばかすの浮かんだ頬の産毛が窓から差した朝日で光っていた。


「出立する」

「…そう」

「休暇、ひと月。国へ帰る」

「そうなんだ」


一区切りずつ、息をゆっくりと吸ってマルコは女に語りかける。


「結婚式」

「そ、そうなんだ。おめでとう」

「妹の」

「変な倒置法使わないで!」


思わず立ち上がってしまった女は

旅装姿のマルコから慌てて目を逸らす。

その横顔にマルコはそっと手を伸ばし、

指で赤い口紅をぬぐった。


「22?」

「…正解」

「名前は、マリアナ?」

「っ、正解。何よ!あんだけ飲んだのにどうして覚えてるのよ!」

「初めて会った瞬間に美人だっから緊張した。妹と同じ名前で親近感を持った。笑顔が可愛くて正面から見ると眩しくて目を見れなかった。

まともに話が出来ない俺と楽しげに話してくれて、一目惚れだったけど

中身にも惚れた。

食い物に好き嫌いがなくて、

あといい匂いがして、あと柔らかくて、

宿の仕事も手伝う、近所のじぃさんばぁさんからも人気の働き者の自慢の娘で、

できれば嫌じゃなければ是非ともお付き合いして欲しい」

「ちょっ、まって、え?」

「まだ最後まで言ってない」


マルコとマリアナ。

2人とも耳まで真っ赤だ。

カウンターに隠れて覗き見をしているマリアナの親、宿の亭主と女房も真っ赤。

昨夜の飲み比べで負けたけどあれからどうなったのか気になっていた若者達は宿の外、窓の下で真っ赤。

若者達に連れてこられた娘達も、

みんな揃って真っ赤になってニヤニヤしている。


すぅーと息を吸って、

すぅーと息を吸って、

マルコは言った。


「結婚を前提にして俺と付き合って欲しいんだ。好きだよ、マリアナ」


さぁ!さぁ!さぁ!


目の前のマルコは噛まずに言えたことにほっとしたのか、耳まで真っ赤になりながらも、ニコニコと笑っている。

なのにマリアナには、二人きりのはずの空間で聞こえないはずの声が聞こえる。


さぁ!返事は!さぁ!どうなんだ!

さぁ!さぁ!さぁ!


色々と、突っ込みたい事がある。

あれだけ飲んだのに全部覚えてるのか

あれだけ詰まっていたのに、ちゃんと噛まずに言えたじゃないか

こ、告白の内容に村の評判が混じっているのはなんだ

(飲み比べ敗者達の証言参照)

それに、一目惚れした割には正面から顔を合わすのは今が初めてだとか

その初めての顔が寝不足と胃もたれでむくんでいるのはいいのか

色々と、浮かんだのだけれど。


なんだか全部いらない気がして。

大切なことだけをマルコは一生懸命言ってくれたのだから、


息を吸って、にっこり笑って

マリアナも、言った。


「はい。私も結婚するならあなたがいいわ。好きよ、マルコ」




・・・・・・(おわり)・・・・・






・・・・(おまけ)・・・・


宿の亭主「いやぁ、秋祭りでもないのに朝から飲んだのは久しぶりだ」

宿の女房「マルコさん、妹さんの結婚式に間に合うといいわね」

宿の亭主「祝いの品を途中で買い足すとおっしゃってたから、大変だろうなぁ」

宿の女房「あら、お預かりしてた荷物がそれなんじゃないの?何よニヤニヤして。あら、お帰りマリアナ。ご飯にしましょ。え?なに?どうして涙目なの?あなたチーズ嫌いだっけ?」

マリアナ「マルコォォォ!」

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