2.灰の名前
とりあえず、凜を召喚をしてしまったことを報告しなくていけないから、と申し訳なさそうな顔をするアシェラッドに、凜はそれはそうだ、とあっさり頷いた。不法滞在などで捕まる気はない。届け出るべきものならそうすべきだろう。
ではすぐに、と部屋を飛び出していきそうになったアシェラッドを掴まえて、凜はひとまず情報が欲しい、と彼を椅子に座らせた。
「とりあえず、聞いておきたいんだけど。基本的なこととして、ここはどこ」
「ここはカシェイラエアンの神殿学校です。僕は、ここで生活してます」
「あー・・・とりあえず片っ端から意味が分からないわー・・・そのかしぇ何とかっていうのは地名なわけ?」
「そうですね。三の国の王都の名前です。神殿学校は・・・基本的な読み書きを教えたり、後は導力術の使い方を教えたり・・・」
聞き慣れない言葉の登場に、しゅぴっと凜は手を挙げた。気分は学生のノリだが、アシェラッドは困った顔をするばかりで当ててくれない。
ノリが悪いなあ、と口を尖らせつつも、仕方ないので勝手に口を開く。
「はい先生。レソルテってなんでしょうか」
「せ、先生なんかじゃ・・・なんて言ったらいいんでしょうか・・・あの、たとえばあの灯り、あれも導力術で動いてるんです。色石を組み合わせて、導力器に組み込むと使えます。でも、あれは石だけの力だし、簡単な組み方なので弱くしか光らないんですけど、使用者が魔力持ちならもっと強く光らせることも出来ます。魔力持ちは多くはないですけどそれなりにいるので、その使い方を教わるんです」
「・・・・・・ようするに魔法学校って事ねーはいはい」
ファンタジーだよ、と凜は本日何度目かの天井を仰いだ。
視線の先では、レソルテとやらが動力源らしい明かりが、ゆらゆらと不安定に瞬いている。
あと10才若かったら、異世界召喚で私にも秘められた才能が!?なんて興奮したかもしれないが、30目前の、色々現実を知ってしまったお年頃の凜にとっては、うわあ、と背筋が痒くなるに過ぎなかった。
「一応聞いておくと、私にその魔力とやらはありそうな感じ?」
「どう、なんでしょう・・・一応、僕も魔力はあるんですけど、他人のは分からないです。リンさんは何か感じますか」
言われて、凜はふむと目を閉じ、自分に何か良く分からない力があるか感じてみようとしたが・・・さっぱり分からなかった。
いわゆる、なんか良く分からない熱い力の塊がーとか、チャクラがーオーラがー、というものはまるで感じない。
ちょっとドキドキしたのはまるで無駄だったようだ。
むしろそんなことをしてみる自分がちょっぴり恥ずかしくなって、凜は赤くなりかけた顔を咳払いで誤魔化した。
「んんっ・・・私も良くわかんないな。これって誰かに聞けば分かるものなの?」
「たぶん、神殿長か高位の神官なら分かるんじゃないでしょうか」
「なるほどね」
まあ魔力があるかどうかはこのさいどうでも良い。無くても生活に不便はなさそうだ。
とりあえずは保留、と頭の中の後回しリストに放り込む。
「ところで、私は今後どこで生活することになるのか、どういう対応を取られるかとか、そういう当ては予想付く?」
アシェラッドは少し考えるような素振りの後、躊躇いがちに頷いた。
「おそらくは、神殿預かりになると思います。後は、問題がなければ僕の・・・」
「僕の?」
言いよどんだアシェラッドに凜が首を傾げてみせると、もはやおなじみになりつつある泣きそうな顔をされた。
「怒らないで下さいね。あの、多分、通例通りならリンさんは僕の召喚獣として登録されると思います・・・」
「うわ来たよいきなりの獣扱い。この世界に人権はないのか」
「ごめんなさい!普通、人が召喚される事なんて無いから・・・っ」
「いや、別に怒ってないから。泣かない泣かないハイ深呼吸ー」
ぶわっと瞳に涙を浮かべたアシェラッドの頭を、凜はいささかおざなりな態度で撫でようとした。
ぽん、と手を置いた瞬間、面倒くさそうに細められていた凜の眼がカッと見開く。
「うわ、髪の毛さらっさら!しかもふわふわ!?見たまんまの手触りとか、なにこれほんと世の中理不尽だわ-」
「す、すみません」
「うん、だから謝る事じゃないから。うわうわ、ちょっと癖になりそうしばらく撫でさせて」
指先で梳いたり、反対にわしゃわしゃと掻き回してみたり、と好きなように弄くり回しても、アシェラッドは困った顔でされるがままなので、凜は心ゆくまで撫でくり回した。気分はすっかりアニマルセラピーである。
「あー・・・実家の猫を思い出すわぁ・・・あいつは死ぬほど気位高かったから、ここまで撫でさせてくれなかったけど」
「も、もうよろしいですか?」
「あ、うんごめんありがと。堪能した。また今度撫でたくなったら撫でさせて」
「はぁ・・・」
凜がにっこりと笑って次回があることを匂わせてみれば、アシェラッドはさすがに恥ずかしかったのか、顔を赤くして後ずさった。
そちらの趣味の方の心臓を思いっきり鷲掴むような可愛らしさに、凜はつい遠い目になる。
「あーあーあー私は犯罪者にはなりたくないーこれは犯罪これは犯罪ー」
「リンさん?」
「あーこのこしょばい微妙な空気を払拭したい!てことでアシェラッド君、報告とやらに行こうじゃないの。ほれほれ案内して」
「あ、はい。こちらです」
強引に話をすり替えるも、アシェラッドは実にあっさり、素直に従った。
いい子だねえ、と凜は親戚の子を見るような気分でぽんぽんと頭を叩く。
少し戸惑ったような顔をするのを見るに、スキンシップは慣れていないのかもしれない。嫌がりはしないが、どう反応していいのか分からない、といったところか。
これだけ可愛い顔で素直なら、相当可愛がられていそうなのに。
「んー・・・なんだかなぁ・・・」
微かな違和感に首を傾げつつ、凜はアシェラッドに続いて部屋を出た。どういう仕組みなのか、部屋の敷居を一歩出た途端、天井で揺らめいていた光がかき消えた。
そういう設定にしてあるんです、と驚いた顔の凜にアシェラッドが説明する。
「人がいないときもついてるのって、なんだか勿体ない気がして。僕が組み替えたんですよ」
「おおーすごいね」
どの程度すごいのかは良く分からないものの、そう簡単ではないだろう。この歳でプログラミングをいじるようなものだろうか。そう考えるとかなりすごい気がする。
すごいすごいと素直に凜が称賛すれば、アシェラッドははにかみつつも嬉しそうな顔をした。
「アシェラッド君は優秀なんだねぇ」
「優秀・・・だったらいいんですけど。僕、一応あるっていう程度の魔力しかないので、工夫するしかなくて・・・どちらかといえば、落ち零れなんです」
「工夫するのも才能だと思うけど」
「時間を掛けて小細工するより、魔力を使った方がよっぽど早いし強力なんです。でも、導力術の勉強は楽しいので、好きなんです」
「ふうん・・・ま、なんにせよ勉強が好きなのは良いことだよ。色んな事をいっぱい知っておけば、将来何かしら役に立つからね」
「はい」
世知辛くなりそうな話の気配に、凜は当たり障りのない意見でその場を誤魔化した。
アシェラッドが良い子だろうという事は、この1,2時間で分かりつつあったが、あまり深入りはしたくない。適度な距離を保ちたいのだ。少なくとも、今はまだ。
そんなことを考えながら狭い廊下を進むと、幾らもしないうちに上に上がる階段が現れた。
緩い螺旋状に伸びる階段を登りきると、明るい日射しが眼を射貫いてきた。やはりあの部屋は地下だったらしい。
あの部屋には人工の灯りしかなく、時間の判断が出来ずにいたが、そう遅い時間ではなさそうだ、と凜は大きくアーチ状に設計された窓から外を見て判断した。
螺旋階段を登り切った先に現れたのは、中庭のような処に面した広々とした渡り廊下で、重厚な石で全てが造られている。
大きなアーチ状の吹き抜け窓が連続する設計の造りで、光が良く入って明るい。凜が外を覗いたのはその窓の一つだ。吹きさらしなので冬は辛そうだが、夏場は風が良く通って涼しそうでいいな、というのが凜の感想である。
「それにしてもずいぶん広そうな場所だこと・・・まあ神殿だし、そんなもんか。学校も兼ねてるみたいだし・・・」
「リンさん、こっちですよ」
「はいはいー」
窓から覗いただけでも、中庭はそれなりの広さがあり、見上げてみれば幾つかの尖塔が眼に入った。位置的に同じ敷地内であることを考えると、相当大きな建物になりそうだ。
ヨーロッパの古い大学か寺院みたいだわ、と呟いて、凜は後で絶対探検しよう、と心に誓うのだった。凜は古いお城やお屋敷が大好きなのだ。
好きが高じすぎて、古城巡りお一人様ツアーを敢行したくらいである。
そんなわけで、好みどストライクな建物に凜は興奮していた。あっちこっちに気を取られながら歩いた結果、曲がり角で正面から人に激突した。
「リ、リンさん!」
「うわっ・・・とと、あいたぁもろに鼻打った・・・あー、すみません」
ぺこりと頭を下げ、すれ違おうとしたときだった。
がっと勢いよく二の腕を掴まれ、力尽くで引き戻される。
驚いた凜の視界に、不機嫌さを隠しもしない青年の顔が飛び込んできた。
「いった!ちょ、なにするんですか!?」
「この私にぶつかっておいて、その程度の謝罪で済むと思ったか。そんなことも知らないとは新入りだな。所属の塔を言え」
「は?いや、ぶつかったのは悪かったけど、そんなのお互い様でしょ。ていうか、そっちは対してダメージ無いでしょうが。男の癖にグジグジ言うとかなにそれだっさ」
「意味の分からん下薦な言葉を吐くな。耳が腐る。これだから平民は教養が低くていやなんだ」
「・・・あーそういやここ異世界だったっけ。ふうん、初めて見たわ典型的お貴族様」
「愚弄する気か!」
「いや全く。感心してるだけ」
噛み合わない話に苛立ちを募らせていく青年に対し、一瞬の噴火ですぐに怒りの鎮火した凜は、面白がるように青年をじろじろと眺めた。
着ている服はアシェラッドと大して変わらない。ずるずる長いローブ、丈夫そうなブーツ。違いとしては、素材が高級そうに見えるのと、ローブの腕の裾に金糸で二本の線が刺繍してあることくらいか。背は高いが顔立ちはまだ幼い。とはいえアシェラッドより五つか六つは上だろうか。
どちらにせよ、凜にしてみればはな垂れ小僧でしかないが。それも生意気な。
「その格好からするに、貴方も学生なわけでしょ。てことは、一緒に学んでいる内は身分とか関係ないものだと思うけどね。じゃなきゃ同じ場所で学ぶわけがないし。それと、私は学生じゃないから。残念でした」
「関係者でないなら何故ここにいる!?不法侵入か!」
「好きで来たんじゃないわよ。それに一応、関係者と言えば関係者だし。彼の」
くい、と顎をしゃくって示した先には、廊下の隅に縮こまるようにしているアシェラッドがいた。
突然視線を向けられ、びくりと華奢な肩が跳ねた。
「あ、ぼ、僕、その、」
「名無しの関係者だと?はっ!どおりで礼儀も何もないわけだ。おい、名無し。このことはお前の監督官に報告するぞ。ただで済むと思うなよ」
「は?それこそアシェラッド君は関係ないし・・・って!人の話を聞け!」
蔑むような眼差しでアシェラッドを見下ろし、勝手に何事かを納得した青年は、言いたいことだけ言ってさっさと立ち去ってしまう。
残された凜はあ然としてその後ろ姿を見送った。
「え、は?意味わからんわ、何あれ。選民意識?貴族意識?生で見るとすっごいむかつくんですけど?!」
吠えてやるー!と凜が気炎を上げる傍らに、萎縮した様子のアシェラッドが近寄ってきた。
「ごめんなさい、リンさん・・・僕のせいで嫌な思いをさせました・・・」
「だからいちいち謝る必要ないってば。ていうか、むしろアシェラッド君の方でしょうが、嫌な思いしたの。なにあれ、名無しって」
「仕方ないです。本当のことなので」
奇妙に透明な微笑が、アシェラッドの顔には浮かんでいた。
その年に似合わない、そのくせ染みついたように自然に浮かんだ笑みに、凜は声が出なかった。
「僕は、選名式も受けないまま竈の灰の中に捨てられた子供です。だから、僕の名前・・・アシェラッドは通称であって正式な名前じゃない。灰まみれの卑しい生まれ。神殿に拾われ、養われるだけの役立たず。それが僕・・・灰の子供なんです」
若干暗い雰囲気になりましたが、基本はほのぼのです。設定上、これだけははずせなくて。