第五十話 荷馬車は走る
残酷なくだりがありますので、ご注意。
三人は狂喜乱舞する市民の喧騒を後宮内の一室で聞いていた。
この鬨の声は、今まさに城が陥落したことを喜ぶ民の声。だが、彼等が生まれ育った国の民ではない。彼等のうち、同じ顔を持つ双子は言う。
「僕達が来た事で、時が早まっただけって感じしない?」
「ああ、結局流れの勢いはせき止められなかった」
「アールマティ皇太后とシャリヴァー殿下がいなかったら、この国はどうなってたんだろうね。民主主義になってたとか?」
「どうかな。王族がいなくても貴族連中が覇権争いを繰り返すだろう。どのみち民は疲弊するだけだ」
ティソーンがこう言うのを黙って聞いていた兄、コラーダは苦笑しつつも同意する。
結局上に立ちたい人間というのはいるのだ。そう言った人間を祭り上げてしまう者もまた、同じ人間。
「人間の負の連鎖というのはどうにもなりません。それでも、逆境に負ける事なく立ち上がって日々の生活をするのもまた、僕達と同じ人なんですから」
「スルトったら真面目~!」
「コラーダ先輩が不真面目なだけです」
「その通り」
「え、ティソーンもスルトもひどい!」
嘘泣きのふりをするコラーダに構わずに、ティソーンとスルトは自分達が立ち塞がっていたドアからゆるりと動く。二人をよそにコラーダは相変わらず嘘泣きのふりをしていたけれど、それでもドアの真ん前に立っているため、大の男を突破することは不可能だ。
そんな切望的な状況にある中で、ティソーンらの動きに反応した中にいた女達は先程に比べれば大分静かになっていたけれど、それでも部屋中にこだまするようにしていた泣き声がピタリと止んだ。
号泣している者、恐怖で竦んでいる者もいれば、失神している者。いろいろな表情を浮かべている女達に共通するのは、『これから一体何が自分の身に起きるのだろう』という漠然とした恐怖だった。
それが、唯一救いのドアの前に三人、しかも遠く噂に聞こえてきていた『ヴァシュヌ王家親衛隊』の隊員が三人も。
彼女達に圧倒的な恐怖を植えつけたのは粒揃いだという彼等を束ねるという漆黒の男が、一瞬のうちに繰り広げた血の祭り。
側妃だったり、侍女の女は国から集められた良家の子女である。
その故に血だったり人が傷付いた様子など見た事が今までに一度もなく、それが一層ルビーに対して容赦がなくなった要因でもあるのだが、逆もしかりなのだ。
つまり、彼女達が目の当りにしたフレデリックがルビーを犯そうとしていた男への虐殺は、初めて見た吹き出す血と胴体から切り離されて目を見開いた人の首。それからルビーを押えていた側妃が腕を切り落とされた時も、あまりにも生々しい血の臭いと聞くに耐えない悲鳴と絶叫は、今まで特権階級という温水に浸かりきっていた彼女達にとっては、あまりにも現実離れしたものだった。
煌びやかで美しかった毎日から、地獄にも相応しい環境に堕ちた彼女達を待っているのは、目の前にいる死装束のような黒衣を着た男達だった。
彼女達の誰しもがニコリともしない近寄ってくる男達より、後ろのドアに立ちふさがった男の、やけにつり上がった口許が目に焼きついて離れなかった。
寂れた街道をひた走る二台の荷馬車。
舗装がなされていないため、随分と揺れるし乗り心地が悪い。いや、正確には舗装「されていない」のではなく、「されていたのが、いつの間にか走る馬車がいなくなったので道が荒れた」ということなのだが、そういう細かい事を御者役を担っている男達は気にしないのである。
「そう言えば、うちの国から拉致された人達ってどうなった?」
「ああ、カイム隊長がアスクレピオス様をお連れする際に捕らえられていた全員助け出したそうだぞ。距離的に離れてると思った直轄地が意外に近くて助かったな」
「そこにいた皆をアスクレピオス様が診てあげたそうです。だけど、如何せん被害状況が悪すぎる」
「ステュクス川沿いに配置してある騎士団に保護させたとしても、うちの国民だけじゃないとなると…めんどくさいねえ」
「まあ、仕方ないだろう。あのままの状態じゃ、国元の待っている人達のところへ帰る前に自ら命を絶つ者の方が多いだろうしな」
「アスクレピオス様、大変ですね」
「えー!?アスクレピオス様が!?総隊長の実の姉だよ、大変だとか思ってるわけないじゃん!!」
「それはそれで失礼だと思いますが…」
隣を走るスルトが呆れたように呟いたが、それは聞こえないものとしてコラーダは空を見上げる。ティソーンは手綱を握っているので同じように見上げたりはしないが、ちらりとコラーダの横顔だけを見るとも無しにみるだけだ。
「だってさあ、アスクレピオス様ったら15も取ったんだよ。ずるくない?」
「随分とつっかかると思ったら、そんな事か。コラーダ、それは仕方ないだろう。ルビー様のお身体を治せるのはアスクレピオス様だけだからな。」
「そんな事わかってるんだけどさー!でもでも、ずるいよなー!スルトもそう思わない?」
「確かに俺も少々納得がいきません…」
「だよねーーー!!!」
ガタン!!
コラーダ達が乗っている荷馬車の車輪が小石を踏んだらしく、やけに荷台の方が跳ねた。小さく何事か聞こえたような気がしたが、三人は一向に構う事なく疾走する。
彼等が操っている荷馬車は、先に行ったルビー達が乗っていたものよりも二回りほど大きな物で、大概ヴァシュヌでは大人数で乗る乗合馬車として使われる。
一年で現金価値が急降下し国民総所得が一気に下がったカーンにおいて、ここまで大きな乗合馬車は一握りの大貴族が持っている宿泊用の簡易ベッドが装備されたものしかない。それがステュクス川に向かう街道沿いを走っているのだから、当然のように貴族の夜逃げか何かと思われているらしい。
道中貴族連中に恨みのあるカーン国の民に何度も止められそうになったものの、一瞥もすることなく走りさる。
荷台には幌がかけられているため余計に目立つのかもしれないが、表立って運べるものではないので仕方がない。
「ルビー様はもう城におつきになられたでしょか」
「多分ね。もしかしたらファルコン公爵家にそのままいるかもしれないよ」
「ありえない話じゃないな」
「ファルコン卿、陛下の御前におられたんじゃ…」
「そうか、スルトは前総隊長のことあんまり知らないんだっけ」
「というと?」
「ふざけた人なんだよ、ほんとに…」
はー…と溜め息をついたのは今度こそ双子らしく、同時。
意味のわからないスルトは結局そのまま何も聞けないまま、彼等三人もまた、自分達の国であるヴァシュヌに戻ったのである。
彼等が国境を越えたのと時を置かずして、後宮に入った革命軍が見たものは、おびただしい血と肉片と化した死体。
そしてあれだけの権勢を競った側妃も侍女も誰もいない、がらんとした抜け殻のような後宮だった。