第二話 一年後
「ちょっと、あれって…」
「あら、本当。なんてみすぼらしいのかしら」
広い庭に、クスクスと嘲笑が響いた。
悔しくても、悲しくても、絶対に頭を上げる事は出来ない。
何故なら、私は只の下仕えの侍女だから。
それを知っている彼女達…カーン王国後宮に囲われた側妃達は、こうしてルビーを嘲笑う。
「そこに居るのは、ヴァシュヌ王家の石ころ皇女じゃなくって?」
「まぁ!失礼ですわよ。石ころでは無くて、原石と言って差し上げませんと。」
「でも磨かないままだと、原石と言えど只の石コロでございますわよ?」
ドッとその場が沸いた。だけれど、ピクリとも動かず頭を下げ続けて無反応を貫く私に苛立ったのか、一人の側妃がドンと私の肩を押した。
よろめいた私の後ろにあったのは、後宮の庭に造られた浅く小さな池で、私は呆気なくその池に後ろから落ちた。
浅いとは言え、後ろから落ちた私の全身はずぶ濡れで、結い上げていた髪もバラバラと幾筋か落ちてきている。あまりの事に呆然としていると、側妃達はこれでもかと私を嘲笑った。
「何をしている」
凛とした声がして、慌てて彼女達が笑うのを止めた。
白亜の廊下を威風堂々と進んで来たのは、カーン王国の国王マルス。
亜麻色の髪が柔らかくたなびき、榛色の瞳には強い意志が伺える。その隣には、一年前に王妃となったアビゲイルを連れていた。
「一体何をそんなに笑っていたんだ」
不審そうに側妃達を見回した後、池に落ちてそのままの状態でいる私を見て、盛大に顔をしかめた。
マルスが何かを言おうと瞬間、アビゲイルが小さく悲鳴を上げた。
「まぁ、何てこと…っ!ルビー…!!」
急いで池の側まで行こうとしたアビゲイルだが、マルスに腕を取られて引き止められる。
アビゲイルが引き止めている主を見ると、厳しい顔で首を振ってそれを拒む。
「駄目だ、行ってはならん」
「何故でございます!あのままではルビーが風邪を引きかねませんわ!」
「手を差し伸べた際、水に濡れてお前が風邪をひいてはいかん。今は自分の体の事を心配するべきだ。子になにかあったらどうするつもりだ」
「しかし、それではルビーが!」
「放っておけ」
「なっ…!」
「お前も何時までもそうしているな、みすぼらしい。」
射殺すような視線が私に注がれて、ようやくのろのろと池から這い上がった。上がる際に、足首がズキズキと痛んだが、極力顔には出さないように努めた。
既に服はたっぷりと水を含み、重い。最早、下着まで濡れている。靴も水を吸いグチョグチョと気持ちが悪い。だが、一切を顔に出してはいけない。それがここ一年で私がカーン王国で学んだ事だった。
俯いて顔を隠す。解けた髪からはポタポタと水が滴っているが、そのまま顔を下げ続けると、上からため息混じりの嫌悪の声が降ってくる。
「全く、本当にみっともないな。これが本当にアビゲイルの妹なのか?」
「何という事を仰います、陛下!!ルビーは正真正銘、ヴァシュヌ王家の!」
「ヴァシュヌ王家の姫はお前であろう、アビゲイル。しかし、ここは冷える。何時までもこんな所に居られぬな。行くぞ、アビゲイル。その方等も、下らぬ遊びをして風邪などひかぬようにな」
そう言い残し、王妃を伴いその場を去った国王を見送った側妃達は、口々に言う。
「本当にお優しいですわね、アビゲイル王妃は」
「それにとてもお美しい」
「美しい金の髪に宝石の様に輝く青い目。そして、匂い立たんばかりの芳醇なお身体…本当にお美しい…」
「麗しき我が陛下と並んでも、全く見劣りしませんわね!」
「全くですわ!」
「どこかで池に落ちて濡れ鼠になっている下女とは大違い!」
キャハハハと嗤いながら立ち去った彼女達が後宮の奥へと下がるのを見送って、ようやくルビーは堪えていた嗚咽を漏らした。
ヴァシュヌ王家第二皇女ルビー。今や、嫁ぐはずだった王にも見向きもされなくなった。現に今も、ルビーの身体の事など全く気にかけていない。
マルス王がいつも心配するのは、美しく優しい姉のアビゲイル。思えば初めからそうだった。彼は最初からアビゲイルと結婚するつもりだったらしい。直前になって気が変わったと言っていたけれど、真実は違うようだ。噂好きの城で働く者達は、そもそもが仕組まれていて、それに何故かルビーが入っていたと口を揃えて言う。
しかし、それをどういう意味なのか問いただすことは出来ない。マルスが箝口令を布いているし、そんな厄介者でしかないルビーに誰も話しかけようとする者がいないのだ。
だけれど、それを悲しく思うのはもう止めた。どうせ聞いても嘲笑で返ってくるのなら、黙っていた方がマシだ。そうやって黙って耐える事で一日が過ぎて行く。
そうして不遇すぎる一日一日を過ごすルビーが、カーン王国王宮の侍女より更に格下、下女となって気付けばヴァシュヌから出て来て早いもので、一年が経とうとしていた。