第十五話 反乱軍
王家の墓所から真っ直ぐ王宮へと向かったアールマティは、その道中、怒りに打ち震えていた。
自分がこの国を出た時は、少しずつ腐敗の足音が聞こえていたとは言え、これほどではなかった。
通りを埋め尽くす浮浪者やガリガリに痩せた子供達、引ったくりが起きても無反応な周囲の者達、警邏の軍人と思しき連中は、白昼堂々酒を飲み交わし店で暴れて手が付けられない。それなのに追い出す事も出来ず、店の物が壊されても泣き寝入りするしかない店主。
店先に並ぶ食料品の値段を見ると、到底考えられない値段にまで跳ね上がっており、それが店に還元されるのかと思えばそうではない。中間搾取で上手い事抜き取られるそれら全てが、富ある者達に分配されているはずだ。
城下に入ると流石に目立った悪事は見られなくなったが、それ以上に豪華な建物ばかりが建ち並んだ一角が目に付いた。
護衛の一人、パルチザンが不思議に思い街の住人に聞くと、初めは渋ったものの、恐る恐ると言った感じで教えてくれたのだが、その帰ってきた答えに呆れた。
「ああ、あれか…。あれは、王妃様がヴァシュヌの城が懐かしいとか言い出したらしい。だから、王が造って差し上げたんだ。わざわざヴァシュヌに近い村から石を持ってきて、それを組み上げる人材を攫ってな。今やヴァシュヌとの国交すら無いって言うのに、何を考えてるんだか…あれじゃあわざとヴァシュヌを怒らせてるようなもんだ」
一般的にヴァシュヌの建築様式は美しいと評されているのだが、それには独特の建築方法と彫刻方法は機密扱いとされ、そしてそれら全てを守り伝えていく専門家一族が一ヶ所に集まって住んでいる場所がある。
その定住地域は一般には知らされていないのだが、どうやらそれが運悪くカーンとヴァシュヌの境だっようだ。それをマルス側に知られたらしい。
攫って来たと言うことは、勿論ヴァシュヌは許可していないはず。と言うことは、完全にこちら側に非があるということだ。
何て言うことをしてくれたんだ、と舌打ち混じりに毒づいてその場を離れようとすると、教えてくれた住人に声をかけられた。
「あんた、いい体格してるな。旅行者かい?」
「…ある方の護衛を勤めてるんでね。この国をしばらく離れてたんだ。その方々は、もうどこかに行こうなんざ考えていらっしゃらないだろう」
「…へぇ…」
上から下までじろりと一瞥されたパルチザンは、何となく彼が言いたい事がわかったが、ここは無闇に動かない方がいいだろう。何と言ってもマルスのお膝元、何よりもアールマティとシャリヴァーがいる。
黙ったまま半ば睨み合っていると、先に男が破顔した。
「ははっ!いい度胸じゃねえか!…お前、秘密を守れる男か?」
「…内容にもよるな」
「この国を憂えているのは、民だけじゃねぇって事だ。付いて来い、俺らの頭に会わせてやる」
路地裏に誘い込まれ、少し躊躇したが意を決して男の後に付いていく。
そうして案内されたのが、一件の古びた宿屋兼酒場だった。
人気がないその店に入って行くと、人相の悪そうな奴らがギロリと睨んで来たが、知らないフリを決め込み、奥へと進む。
そうして通された部屋に入ると、タバコの煙が白く辺りを霞ませ、ようやく奥の椅子に誰か座っているのが見えた。
男がその人物に声をかけているのがわかる。
「頭首。ミネ様」
「何だ?新しいのを見つけたのか?」
「護衛を勤めているそうです。その対象者は旅を終えるようなので、もう護衛は必要ないかと…」
「ずいぶんと早計な考えよ、おい、お前。名前は何という?」
振り返った人物に唖然とした。
何故この人がここにいる。
呆然としながら自分の名前をなんとか音にする。
「パルチザンと言います。…ミネルヴァ様…」
「ほーぅ…妾を知っておるか。だったら話は早いな。パルチザン、おぬしは我が子、マルスを殺せるか?」
口角だけを上げてこちらを見る艶やかな顔。この顔は王宮に居ねばならない人だ。それなのに、王を退位ではなく殺す側に付いているのはどういう事か。
「おい、パルチザンとやら。妾が聞いておるのだが?」
「…少しお待ち下さい、ミネルヴァ様。俺の主を連れて来ても宜しいですか?」
「主?あぁお前は護衛を勤めていたんだったな。約束を違えぬという確信があるのならば、連れてくるがよかろう。覚悟もあるのか聞いてくるのだぞ」
失礼しますとその店を離れて、急いでアールマティの元へと戻ったパルチザンは、すぐさま事情を説明し、彼女とシャリヴァーを連れて先の店へと戻った。
姿を隠すように被っていたフードを落とすと、周囲が一様に息を飲む。何せ二年ぶりの皇太后と王弟殿下の帰還である。巷で囁かれる噂では追放されたとも言われていたのである。驚くなと言う方が無理な相談だ。ミネルヴァ様もその一人で、まさか新入りとして連れて来られた男の雇い主が、追放された皇太后だとは思いもしなかった。急いで立ち上がり、その前に跪く。
「アールマティ皇太后…まさかパルチザンの雇い主がおぬしとは…」
「ミネルヴァ!本当にミネルヴァなのね?何故あなたがここにいるの?」
「…これには訳があってな。さあ、こちらへ…。むさ苦しい所だが御容赦を」
そう言って、アールマティとシャリヴァーを奥へと通す。
パルチザンも目線で付いて来いと促され、護衛も兼ねて三人の後を歩く。
その間、久しぶりに見たアールマティとシャリヴァーに陶然としている周囲は、誰も通すなよとミネルヴァが鋭く一声を発した事で、ようやく意識を取り戻していた。
「かように埃っぽい所で申し訳ない。」
「いえ、気にしないで。それで?どうしてマルスの生母であるあなたが王宮にいないの?」
「ミネルヴァ殿、あなたは国母となられたはずなのではないのですか?」
よく似た親子二人に同時に質問され、思わず苦笑を浮かべたミネルヴァだが、すぐさま顔を引き締めた。
「マルスはもう駄目だ。あれは完全にアビゲイルの言いなりだからな。最早、母である拙の言うことより、妻であるアビゲイルの事しか聞かぬ。拙は最早嫌気がさしてな、後宮を辞して今は離宮におるわ」
「…何と…」
「この国よりもアビゲイルを優先させた王なぞ、もう王位にあるべきではない。にも関わらず、あれは軍を掌握しおって…。ほんに忌々しい愚息だわ…」
実に憎々しいと言った感じで顔をしかめたミネルヴァを、なんだか不思議な気持ちでアールマティは見ていた。
ミネルヴァは先王マキディエルの第二妃で、マルスの母親である。
常であれば、皇太子を生んだ時点で正妃に召し上げられるのが慣例だったのだが、ミネルヴァがそれを激しく拒否。そしていつしか周囲も、正妃アールマティに気を使って口に出さなくなった。
その結果、マルスは皇太子でありながら側室の子として、周囲から一歩距離を置かれたのである。
そのアールマティとミネルヴァは一見すると不仲のようだが、実のところそうでもなかったりする。ミネルヴァが正妃を断ったのも、アールマティの立場を慮っての事だ。アールマティの貢献を側で見ているからこそ、自分が正妃に立てるだけの器ではないと自ら自覚していたミネルヴァは、強固に断り続けていたのである。
アールマティも皇太子を生んで、生母となったミネルヴァにいろいろと教え、そうしていつの間にか二人は仲良くなっていたのだ。
「ミネルヴァ、あなた、アビゲイルに付いてどう思う?」
「随分な女狐だぞ、あれは。見た目が美しいからと言って中身もそうだとは限らん例が、王宮に行けば見る事が出来ような」
「…同じような事を、ヴァシュヌの知り合いが言っていたわ。『あれが美しいなぞふざけるな』と…」
「ヴァシュヌの…?あぁ、フレデリックだろう。あの男、相当アビゲイルに対して腹に据えかねておるな」
「あなた会った事があるの!?」
「会った事がある以前に、この組織を支えているのはヴァシュヌ王家だからな。奴ら、相当憤っているぞ。ま、それも当然だ。第二皇女が返されない上に、機密扱いの建築一族がこちらに連れてこられておるのだからな」
「…あなたルビー皇女を知っている?」
アールマティがそう聞くと、途端に渋面を作ったミネルヴァは口元を扇で覆った。昔からよく見る、言いにくい事がある時によくする仕草である。
それでも何とか話し出したミネルヴァは、最後には何回も声を詰まらせた。
「あの皇女は本当に見ていられないぐらいに、こき使われている。それも、巧妙に隠されてはいるが、全てアビゲイルが仕組んでいる事だ。蔑まれ、疎まれ、厄介者扱いされておるのに、更にその境遇から逃げられない様に二重三重にも鍵がかけられた獄の中にいるような物でな。アビゲイルが身ごもった今、最早下女にまで落とされた。マルスの側妃達にも相当な嫌がらせを受けておる。…拙が気付いた時には、既に王女から笑顔が消えておった…拙は離宮に連れて行こうとしたが、その段になって皇女だという事実を持ち出される。知っているか、アールマティ。そのような対応をされておるのに、あの皇女はまだアビゲイルの事を慕っている。皇女も気付いても良さそうなものなのに、あのように盲目的に愛している者から迫害されるなんて思っていないのだろうな…。今や、後宮…いや、城全体がアビゲイルの言いなりだ。マルスの影響力なんぞ、アビゲイルの足元に及ばなくなっている。なあ、アールマティ、拙はやはりあの皇女を連れて出るべきだったのだろうな…」
「…あなたのせいではないわ、ミネルヴァ。」
「…今この時も、あの皇女は悪意の直中におられる。何とかせねばならぬ。その為には、マルスとアビゲイルをあの場所から廃さねば…っ」
友の強い光を持った瞳を見返し、頷く。
そう、自分達は王と王妃を引きずり下ろすためにここにいるのだ。その為に、マキディエルの墓前に誓った。
必ずや貴方の愛した国を取り戻すと。
ミネルヴァと決意の握手をして、王宮へと向かうアールマティの覚悟はとうに決まっていた。