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第十一話 皇太后アールマティ

ここにアールマティがいる事が信じられない。

しかも、彼女に先ほど言われた事も混乱に拍車をかける。



『貴女を助けに来たのよ』



そう皇太后は言った。



助けに来た?


私を?


どうして?


私はもうただの下女でしかないのに?



ルビーがこうやって、自分を卑下するようになったのは昨日今日始まった事ではない。

カーンに来てから、マルスはルビーに幾度と無く『ヴァシュヌ王家の姫はアビゲイルだけだ』と言い続けた。

それは周囲から何度も何度も言われる内、次第にルビーの皇女としての矜持を砕いただけでなく、本当に単なる下女だと言う事を植え付けた。故にルビーは、自分を皇女ではないと思い込むに至った。


そんな彼女を痛ましそうに見詰めるアールマティは、何も言わずに優しく彼女の頭を撫でていると、ちょうどグロアが戻ってきた。持ってきた薬をルビーに飲ませた後、すぐに眠ってしまった彼女を見て哀しそうにため息を付いた。

それを聞いたグロアは自らの主に隣の部屋にある椅子を勧めて、自らはお茶の用意を始めた。

険しい顔をしているアールマティにお茶を差し出すと、ありがとうと言って少し笑う彼女を認めて、ようやくグロアは口を開いた。



「…主様、如何なさいますか」


「そうね。考えていたよりもっと悪かったわ…。まさか一国の皇女に、こんな無体な真似をするなんていくらマルスと言え、どうかしているとしか考えられないわね」


「あの方が意識を取り戻されたのは、奇跡のようです。もしもあのままだったと思うと、ぞっとします」


「…本当だわ…それにしても彼に聞いていたよりも酷いものだったのね…もうこんな事は私が許しません。と言うか、彼が許さないでしょうね」



アールマティとグロアは、すぐ隣の寝室で眠るルビーを気遣わしそうな目線で見た。

初めに見つけた時より大分快方に向かっているとは言え、油断は出来ない。





* * * *


アールマティが秘密裏にカーンに入国したのは夫であった亡きマキディエルの慰霊の為で、本来ならば国に入る事すらも許されないのだが、疲弊しきったカーンでは国境警備と言うものが既に意味を成していない。兵に相応の金さえ払えば何でも通すようになっていた。その事実に愕然としながらも、亡き夫の墓標を目指して暗闇に紛れて移動する。


彼女は、未だにアビゲイルを王妃にした事を認めていない。

そればかりか、マルスを王位に就けたのは間違いだったのではと思い悩んでいた。二年ぶりに帰国した国は、自分が旅立ってから随分と荒廃しているように思えた。実際、王都までの道程は酷い物だった。


耕す物がいず、放棄された畑、荒れ野になった草原、決壊したままの堤防、朽ち果てる寸前の家。

そして覇気のない民。



言葉が見つからなかった。


アールマティが国を追放された期間は二年。

たった二年で何故これだけの荒廃が広がったのか、全くわからなかった。



確かにアビゲイルを王妃にすると言ったマルスを、愚かだとは思った。人の邪な思惑など理解するにはまだ早かったのかと。

しかし、実務に関しては信頼を置いていた。マキディエルや当時の重臣達ですら解決出来なかった事例を、易々とやってのけた手腕を高く評価していたのだ。


それなのに、この民の疲弊ぶりはなんなのだろう。

隣にいたシャリヴァーも半分青い顔をし、難しい顔で考え込んでいた。



そのまま二人を乗せたみすぼらしい馬車は、夜が明ける頃にはマキディエルが弔われている王家墓地に着いた。

そこにはカーン王国の歴代王や、王妃の墓がある。戦争で死んだ王や、病気で死んだ王や王妃、天寿を全うした王や王妃の墓標が整然と佇んでいる。シャリヴァーと二人でマキディエルの墓石まで行くと、すっと手を伸ばしてそれに触れる。

息子は手に持っていた花を手向けた。父が生前好きだったスミレの花。

可憐なその花は、妻アールマティに似て、控えめながらも心を捉えて放さないと言ってとても好きだと言っていたものだ。


だが、今となっては仰々しい白ユリが所狭しと植えられている。これもマルスの指示なのだろう。

マキディエルはバラやユリを好んではいなかった。確かに美しく、その華やかさには誰しもが(かしず)くだろうが、スミレのように地味な存在だがそこに居て和むような…そんな存在の方が落ち着くと言って。



それなのにここに植えてあるのは、生前の言葉を知らぬ、見栄えばかりを気にした大輪の花。


花が悪いわけではない。

だけれど、何故ユリが好きでは無かったかを考えずに、ただ表面的にしか物事を見ようともしない。




愚かな。


本質を見抜けない可哀想な子。



一国を預けるべきではなかった。

しかし、それを悔やんだとてもう遅い。




ガサリと草花を踏む音が聞こえた。音がした方を見ると、黒尽くめの男が一人立っていた。


白いユリを踏みつけて。



いくら好きではなかったとは言え、踏みつけられているのは王家の墓所に植えられているユリだ。

踏みつけるなんてもっての他、アールマティは叱責の声を上げようと思い、夫の墓標前で跪いていた自分をゆっくりと立ち上がらせた。



「貴方、ここがどの様な場所か知っているのかしら」



アールマティの冷ややかな声は彼女の怒りを押さえ込んでいるもので、それを知っているシャリヴァーや護衛達も身を引き締めた。

黒尽くめの人物…見たところ男のようだ。長身を隠そうともせず、長いマントを身につけている。フードを被っているので顔が見えない。ここが墓地だと言うことを思い出せば、目の前の人物はまるで死神のようだ。それだけでも異彩を放っていると言うのに、腰の左から僅かに覗く剣が嫌な予感を否が応にも沸き上がらせる。



暗殺者。


遂にマルスは、私達も消そうとしてきたか。



そう聞こうと息を吸った瞬間、黒尽くめの人物がフードを取り腰に提げていた剣も外し、アールマティに跪いた。



「御前を汚す事、平にご容赦願います。だがしかし、花を踏みつけた事に関しては謝罪をする言葉を持ちません」



そう言い切った彼を見て、その場にいた全員が衝撃の余り息を飲んだ。


アールマティがその人物を見たのは、随分と前だ。まだ若干幼さの残る顔で、その時はまだ彼の王家を護る親衛隊の一隊にいたはず。カーン国に遊びに来ていた、まだ幼い皇女の警護をしていたのをアールマティは覚えている。


あまり外交に詳しくないシャリヴァーですら、風の噂で彼の事を知っていた。王家への絶対的な忠誠心とその献身。そして知謀もさる事ながら、戦術に関しては右に出る者がいないと。

親衛隊総隊長となった現在は、国内外に鳴り響く逸材中の逸材として名を轟かせる彼。

噂では、大変な美丈夫だと言うのも付け加えられていた。

しかし、どうやらその噂は外れていたらしい。



大変な美丈夫どころの話ではない。

自分の異母兄マルスも美形である。自分が持ち得ない華やかさと威風堂々とした気品を羨ましく思いこそすれ、嫉妬の対象では無かったし、外見に畏怖を感じたことはない。

だがしかし、今自分の前に立っている黒尽くめのこの人はマルスのそれを軽く超えている。人外の美貌とでも言うべきか。


身に纏うそれと同じく髪は少しばかり長い漆黒で、彫刻のような顔形寸分違わぬ位置にあるパーツは芸術的ですらある。

何よりも目を引くのは、冴え冴えとしたその瞳。

黒曜石の如く輝くその双眸には、確かに怒りが感じられる。だがそれは自分達に向かっているわけではなさそうだ。現にアールマティとシャリヴァーに対しては、幾分目許が緩み、口元にも優しい笑みを浮かべている。



「お久しぶりでございます、アールマティ皇太后陛下。それと、お初にお目にかかります、シャリヴァー殿下。どうぞ私の事はフレッドとお呼び下さい」


「ヴァシュヌ王家のフレデリック・ファルコン親衛隊総隊長がどうしてここに?今やカーンとヴァシュヌは国境閉鎖という事態にまで陥っているのに、どうやってここまで来れたのです?貴方が来た目的はなんなのです」


「それは今からお話します。皇太后陛下、それに殿下、お人払いを」


「必要ないわ。彼らは信用が置けるから」


「では、これから私が言うこと、聞くことを一切口外しないで貰いたい。口外した場合は、如何にアールマティ皇太后と言えど、我が手にかけさせていただきます」



その言葉に色めき立ったのは、護衛達だった。

素早くフレデリックを取り囲んで、抜刀し構えた。

だが剣を突きつけられたフレデリックは微動だにせず、静かに佇むばかりだ。辺りに不穏な空気が立ち込め、アールマティが護衛達を止めようとすると、彼が先に口を開いた。



「誰に剣を向けているかわかっているか」



底冷えのするような声だった。


剣を突きつけているのは自分達であるはずなのに、この恐怖は何なのだろう。目の前の美貌のその人はアールマティに跪いた格好のままだ。それなのに、こっちの方が無防備に、そして不利に感じられてしまう。黒い瞳は静かな炎を宿し、全身から醸し出される覇気に己の身が竦む。


アールマティの護衛を務める前は、彼ら全員マルス率いる軍に所属していた。彼らは、マキディエルを、そしてアールマティを敬愛していた者達であった為に、アールマティが国を離れると知って、全員自ら志願した。


当然、軍から放逐される。しかし静かに、だが着実に忍び寄っていた内政の腐敗から逃れるように彼らはアールマティの護衛として、彼女らと共に国を後にしたのである。

軍に所属していた頃では味わったことのない恐怖を、護衛になってから初めて感じている。

それもたった一人相手に。


言い知れぬ物を感じていると、アールマティが手を上げ護衛達を下がらせた。

それでようやく息を付いたのだが、見ればアールマティやシャリヴァーも蒼白な面持ちをしている。

医女であるグロアが、慌てて二人の顔色を見るなり、近くにある四阿(あずまや)に連れて行った。



そこで、アールマティとシャリヴァー、それにグロアや護衛達。カーン王国を離れていた面々がフレデリックが話した内容に驚愕することになる。

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