Ⅲ
この世界には、魔法使いたちを束ねる二つの組織がある。どちらも世界の人々から等しく頼りにされているが、それぞれ瞳の色に由来する名で呼ばれる。
ひとつはエマーティノス、通称・朱の会。魔法行使時に赤く燃える瞳と、守るために浴びた返り血を思わせる、赤黒く染まった外套、そして神秘的な金のナイフが印象的だ。もうひとつはティルクアーズ、通称・蒼の盟。数こそ少ないが、魔法使いの青い瞳と白装束がどこか人の心を惹きつける。
エマーティノスの本部は、所属魔法使いたちの家でもある。一部の世帯持ちを除けば、大半がこの厳かな城のような建物で暮らしている。
「まあ、報告って言ったって、なーんもしなくていいんだけどね」
玄関へ足を踏み入れながら、リヴィナはうんざりしたように言った。
朱の会本部は、確かに家なのだが、賑わいや温もりがあるわけではない。
玄関から寮棟へ続く長い廊下には、明かりと静寂だけが延々と伸びていた。
若い魔法使いたちが多く暮らしてはいるが、そのほとんどは親を失い、誰もがただ眠りにつくだけの場所として本部を受け入れている。
「報告する人もいなければ、する前にネモリスさんは知ってるからな」
そう返したクノアの背後から、深みのある静かな声が響いた。
「クノア、リヴィナ。戻ったか。おつかれさま」
振り返れば、廊下の向こうに壮年の男が立っていた。短く刈り込んだ白髪と黒い瞳、年齢よりも引き締まった体つき。身を包む赤黒い外套には、細やかな金糸刺繍が光を反射している。その穏やかな表情の奥には、どこか計り知れない静けさと威厳が滲んでいた。
「ネモリスさん。お疲れ様です。滞りなく」
「ああ、知っている。減った分の血瓶は部屋に届けてある。しばらく休むといい」
「ありがとうございます」
「なーんでいつも分かるわけ?」
リヴィナが首を傾げ、といたずらっぽく訊ねる。
ネモリスは微笑を浮かべて応じた。
「それは教えられないな。私が朱の会の長たる所以だ」
「ざんねん」
無理だとわかっていたように、リヴィナはさっぱりと言い切った。
ネモリスはふと顔をクノアへ向ける。
「相変わらず、そのナイフも健在のようだな」
クノアの腰の銀のナイフを見ながらそう呟く。
「はい。父が守ってくれているような気がします」
「大事に使ってやれ。……次の任務は案外早いかもしれん。いまのうちに、しっかり休んでおけ」
そう言い残すと、ネモリスは赤黒い外套を翻し、廊下の向こうへと静かに去っていった。
その姿が見えなくなるや否や、リヴィナがぼやく。
「くっ、なんてくえないおじいさんだ。目が笑ってない。私にはわかる」
いつものことだ、といわんばかりにクノアは肩をすくめ、ふたり並んで無言のまま寮の自室へ歩き出した。
クノアとリヴィナに割り当てられた自室は、ほどよい広さと清潔さが保たれた空間だった。
魔法使いは基本的に二人一組で任務にあたるため、そのペアごとに一部屋が与えられている。必要なものは揃っているが、生活感らしいものはほとんどなく、寝室も区切られている。
夕刻の薄明かりが窓辺に差す中、二人はそれぞれ道具の手入れをしながら、取るに足らない雑談をぽつぽつと交わしていた。
その静けさを破るように、重い扉が控えめにノックされる音が響く。
「思ったより早かったな」
クノアが少しだけ渋い顔で呟く。
「ほんとに、休みの日くらい欲しいんだけどな」
リヴィナも同意するように、軽く肩をすくめる。
クノアが扉を開けると、フードを深く被った人物が無言で立っていた。
長い外套に身を包み、男とも女ともつかない、あまりに無機質な気配。顔立ちも影に沈み、判別がつかない。
その人物は、何も言わずに一通の手紙を差し出す。クノアは慣れた様子でそれを受け取り、静かに礼を述べた。
「ありがとう、パラシア」
パラシアと呼ばれたその人物は、ごく軽く頷き、足音すら立てずに廊下の奥へと消える。まるで人ではなく影が歩いたかのように、気配が残らない。
「次の任務はなんですかー?」
リヴィナが気の抜けた声で尋ねる。
クノアは封を切り、中身にざっと目を通す。
「ここより南側、森を抜けた先の村で魔物が現れた。準備ができ次第、迅速に向かえ、だと」
「みなみ……さっきの村よりだいぶ遠いよね」
「割と急ぎみたいだな。のんびりしてる暇はなさそうだ」
ふたりは迷いなく荷物をまとめ、必要な道具を手早く身につける。
「さ、行きましょか」
「楽な仕事だといいけどな」
どこか薄暗く殺風景な部屋を後にして、ふたりはまた任務へと歩き出した。




