400光年後に生きた君へ
それは暑さが落ち着いた夏の夜、Nは湖の近くにある大樹の元に座っていた。
星々がみんな負けんばかりに光を降り注ぐなか、Nはただただ水面に映る星を眺めていた。
輝くものを見上げてばかりでは疲れてしまう、等身大の視点で眺める方が気楽だと思うようになったのはいったいいつ頃だったのだろうか。
Nはそこそこ名の知れた都内の大学に通う大学生である。Nにはかつて、大きな夢があった。それはロケット造りに携わることである。しかし、大学生活を送っていくなかで、自分と比較するのも申し訳ないほど頭の良い人に圧倒され、次第に女性にモテる人やお酒が強い人など様々なちょっとしたかっこいいことに小さな憧れが散りばめられていった。
そうしていくうちにいつしかロケットを造る夢はNの中で笑い話へと変わっていた。
「俺は何がしたいのだろう」
そよ風にかき消されそうな小さく弱々しい声でNは呟いた。
その時だった。Nの背中をグッと押す強風が吹いたかと思えば、誰もいなかったはずの正面から声が聞こえてきた。
「顔をみせて。どうしたの?」
おもむろに顔をあげた先には星が通り過ぎてしまうくらい透明な肌をしている美しい女性がNを覗き込んでいた。
「なんでもないさ。綺麗だなって。あなたは‥‥?」
「私はこの辺りで一番高い樹よ。」
何を言っているのだと思って大樹があるであろう場所に目をやると、なんとあんなにも堂々としていた大樹が消えてしまっているのである。
「あなたがとても悲しげな顔で毎日この湖に来るものだからつい声をかけちゃったのよ。」
Nは驚かなかったと言ったら嘘になる。ただ、眼前に広がる神秘的な光景は非現実を許すには十分であった。
「悲しくはないさ‥‥ただ、やりたいことを見失った自分を包み込んで欲しいだけさ。」
蛍の光のようにか細くNは声を吐き出した。
「北極星って知ってる?」
キョトンと頷くNにクスッと笑いながら女性は続けた。
「私は400年前に生きた画家なの。最初はただ高いところから見渡す自由な景色を描くのが楽しかった。けど他人が求める絵を意識するようになってから思うように描けなくなったの。」
女性が一息つくと、Nは自分の心臓が窮屈そうに喚くのが聞こえた。
「そんな時に父が死んでしまって、もう何もかもだめだってなった時に航海士だった父の『北極星だけ見続ければいい』って言葉を思い出したの。そっか、私が見つめるべきものはただ1つだったんだと思うとまた私の景色を描けるようになったわ。」
ありがとうと息を吸い込んでNは大の字になって寝転がり夜空にある暖かい色の星を見つめた。
いったいどのくらいの時間そうしていたのだろうか。はっと視界を戻した頃には、女性の姿の代わりに大樹が優しくNを見守っていた。
Nの瞳にはもう水面に揺れる星は映っていない。大樹の葉のささめきが吹くと同時にNは来た道を踏み締めた。




