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もつれあいながら倒れ込んだ寝台で、己の上にのしかかる若い仔犬は目を潤ませた。
「あなたとの初夜……ずっと憧れていたので、本当に夢みたいです」
夢見がちな若者のセリフに、侍従長はピタリと動きを止める。思わずごくりと唾を飲み、そして
「……もしや、ハジメテかい?」
「はい」
「君、モテるのに」
何人もの雄と雌に言い寄られているのを知っていた。そんなやりとりを見かけるたびに、侍従長はめでたいことだと笑ってきたのだ。狂おしい本心を隠して。
「だって……最初は、あなたに捧げたいと、思っておりましたので」
「……それはそれは」
恥ずかしげに、くしゃりと顔を歪めて告白する仔犬への愛おしさに、年上の猿は込み上げてくる愛しさを必死に飲み込んだ。そして万感の思いをこめて囁く。
「光栄だね……最高の夜にしてあげるよ」
その言葉と共に、侍従長は強引にヘンリーの頭を引き寄せた。瑞々しい唇を奪い、自ら体を開いて、若い獣欲を受け入れたのだった。
「愛しています、あなたは私の、永遠の憧れです」
めくるめく情交の後、己を抱きしめてうっとりと愛を囁くヘンリーに、侍従長はふわりと笑う。そして初めて、本心からの言葉を返した。
「私も愛しているよ。どうか私を喰らい尽くして、私よりも長生きしておくれ」
思いがけないプロポーズじみた侍従長の言葉に、ヘンリーは一瞬驚いて瞠目し、そして破顔した。
「ええ、喜んで」
☆☆☆
「ってやつがいいっすね!ハピエンハピエン!今回こそ神様よろしくゥッ!」
脳内で最高のハッピーエンド確約エロシーンを描いた私は、意気揚々と盗聴セットと双眼鏡を準備して立ち上がった。すでに書き上げているこの二人の同人誌を五冊ほど神棚(本棚の上)にまつり、パンパンと手を打って、地元の神様に願う。よろしく頼む。
「ってことで、いざ尋常に勝負!」
***
「あ、の!侍従長!」
「おや、ヘンリー。どうしたんだい?妃殿下のところに行ったのでは?」
廊下を歩いていたら聞き慣れた声に呼び止められ、侍従長は軽く目を見開いた。振り向けば、予想通り顔を赤らめたヘンリーが耳をピンと立ててこちらを見ている。
「あ、そちらはもう……」
「おや、さすがだねぇ」
感心して軽い賞賛の眼差しを送れば、ヘンリーはますます顔を赤く染め上げる。
「えっと、あの、はい」
「ふふ」
何歳になってもこの仔犬は素直で可愛らしい。撫で回したいほどに。そんな内心を隠して穏やかにヘンリーの続く言葉を待てば、仔犬は意を決したように顔を上げた。
「あの……あの、もしよろしければ、あの、以前のお約束の……」
「あぁ、夕食だったね。いいよ、ご馳走しよう」
「あ!ありがとうございます!」
少し前に「食事をご馳走しよう」と誘ったことを思い出して助け舟を出してやれば、ヘンリーはわかりやすく安堵して目を輝かせた。
「でも、食べたら帰りなさいね」
「え?で、も」
おそらくはその先まで期待しているはずの仔犬を、侍従長はあっさりと牽制する。
「ダメだよ、君はまだ未成年だからね」
「いえ!もう成獣です!」
「あはは、そうか、誕生日が来たんだったな」
「はい!ですから!」
食い下がるヘンリーに、侍従長は苦笑して肩をすくめる。別に、意地悪を言っているわけではない。むしろこれは、ヘンリーのためなのだ。
「うーん、でもまだ早いと思うよ」
「なぜですか!?」
食ってかかるヘンリーに、侍従長は一拍の沈黙の後に告げた。
「……やはり、最初は雌と交わるべきだ。ヘンリー」
そうきっぱりと断言して、侍従長はヘンリーをまっすぐに見つめる。
「私は、ちょっと巧すぎるからさ。後ろでしかいけなくなってしまうと、君の人生の選択肢を狭めてしまうからね」
「構いません!」
冗談めかして告げても、ヘンリーは怯まない。
「私の生涯はあなたのものです!なんどもそう申し上げているのに」
「でも私と君は年も違うし」
のらりくらりと逃げようとする侍従長に、ヘンリーは泣きそうな顔で縋りついた。
「ですが、猿は犬より長生きでしょう!?ならば良いではありませんか!あなたより私が早く死ぬかも」
「ヘンリー!!」
怒気を孕んだ声で名を呼ばれ、ヘンリーは咄嗟に口をつぐむ。
「……そんな恐ろしいこと言わないでくれ」
「侍従長……」
悲痛な目で己を見つめる瞳に、ヘンリーは軽率な発言を深く悔いた。
「私に君を看取らせるようなこと、させないでおくれ。どうか君は長生きしておくれよ」
「侍従長……」
侍従長は肩を落としたヘンリーにそっと歩み寄り、優しく肩を抱いた。そして、ぐずる幼子にするように、額にそっと口付ける。
「ねぇ、愛する私の養い子。君は私の後を継いでおくれ」
額に軽い、祈りのようなキスを与える。どこまでも優しい瞳で、侍従長はヘンリーを見つめた。
「可愛い君には、可愛い雌と番って、幸せな家庭を築いて欲しいと願ってしまうんだ。君の心を無視して、ね。我儘な養い親でごめんよ」
この王宮でもあまり知られていないが、二人は仮初の親子だった。侍従長は流行病に倒れた部下夫婦の仔であるヘンリーを引き取り、ヘンリーが学園の寮に入るまで手元で育てたのだ。
いや、ヘンリーが己へ向ける眼差しが色を含んできたことに気がつき、距離を置いたのだ。思春期の勘違いなら、冷めるだろうと期待して。けれど。
「あなたに抱かれたいと願うことは、あなたを苦しめますか?」
「……困ったねぇ」
しなやかに生きる美しい養い親への憧れは、激しく一途なものだった。ヘンリーは侍従長を追いかけ、王宮へと足を踏み入れたのだ。
その純真な情熱は、侍従長の華やか過ぎる恋愛遍歴を知っても、決して揺らがなかった。
「君に抱かれるならまだ良いんだけれどね」
「でも僕は……あなたに抱かれたいのです。あなたの上を通り過ぎた、幾人もの雄と雌のように」
「ははっ、昔の悪さがこんなところで報いにくるとはなぁ」
苦笑しながらも侍従長は胸に広がってしまう温かさに、ため息を飲み込む。
いつか自分はこの温かな愛に絆され、若い仔犬の手を取ってしまうのだろうと予感して。
***
「え、養い子?そんな関係だったの?」
盗聴しつつ盗み見ていた私は大興奮だった。擬似親子BLは我が心の故郷である。しかし。
「まじか最高ジャン萌える追加設定来た!……いや、ちょっと待って?ん?」
思いがけない展開に、私は息を飲む。やはり神と私の性癖は今回も大きくズレていた。
「は?え?ありえなくない?まさかの?ここがプラトニックなわけ?純愛してんの?嘘だろ?」
茫然自失とはこのことだ。チューしかしない。そのあとは切々と互いに心情を伝え合うプラトニック展開である。まさかの全年齢かよ。
「おい侍従長、頑張れよ。イケオジの本気出せや」
なんとか押し倒せと拳を握りしめて願うが、全くその気配はない。
「うそー!?そんなジレジレ初恋パニックなの!?エロ振りまいて歩いてるみたいなイケオジのくせに!?」
振りまかれる色気の無駄遣いで私は血涙を流す。
「しかもヘンリー、中学生くらいでしょ!?それくらいって、脳みそが下半身と直結してるボーナス期間なのに!?」
あっさり二人きりの部屋から去っていく彼らを見送りながら、私は呆然とするしかない。
「馬鹿なの!?神様……特殊性癖すぎでは!?ラブを成就させる前に、この二人死なせないでよ!?」
ぞっとする。私と性癖噛み合わないからな、やりかねない。生涯プラトニックしかねない。クソが。
「チッ!……かくなるうえは」
私は全速力で自室に戻り、メラメラと燃え上がる闘志に任せて双眼鏡セットを机に叩きつけた。
「私が私の手で!奴らを結びつけ、ベッドインさせるしかあるまい……っ!」
使命感のままに、私はペンと紙をとる。これが私の武器。
「神への反乱だぁー!!」
***
さて。
そんなこんなで、ひたすらBL創作に打ち込み、信者とシンパを増やし続けた私が
「お前もう帰れ!!今すぐこの国からでていけぇえええ!」
「あ、喜んでェっ!」
と泣き顔の王様にインク壺を投げられるのは、数ヶ月後のことであった。
無論私は満面の笑みで受け入れ、あっさりと国に出戻った。