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小説神髄

作者: Oshi

他意はないと思います

Aパート

 私は苛立っていた。

 苛立ちを発散させるように忙しなく足を進める。季節は冬も既に去り春の訪れを肌で感じるようになった頃だろうか、麗らかな日光を浴びながらも自身の内面をマグマのような激情が流れるのが分かった。

 

 事の発端は、数分前に書店に立ち寄ったことに始まる。約束の時間まで、いましばらくの空きがあったので目についた小奇麗な書店に足を踏み入れたのだった。入り口付近にはご他聞に漏れず流行作家の書いたくだらない低俗小説が並んでいた。私は一瞥すると鼻で笑い飛ばした。所詮はどれも似たような内容の、手癖で書かれた三文小説だ。そうした唾棄すべき同業者共には常々苦い思いを抱いていた。時代と寝た徒花となることを宿命付けられた紙束など資源の無駄だろう。連中は恥を知るべきだ。

 だが、私は違う。私は自身の作品について一片の妥協も許したことはないし、「作家」という職業について信仰にすら似た思いを抱いている。それだけに同じ物書きとして同列に並べられることすら不愉快だった。

 本物の創作は読み手の心を突き動かすものである。そこで綴られる物語はすべからく世界の真の姿を暴いてみせるべきだし、人間関係の本質を浮彫りにすべきだ。だからこそ私は己の全てを賭けてそうした物語を書き続けてきたのである。

 書店の奥へと進み目当ての一角を見つける。ここには志を同じくする仲間たちの著作が集まっている。統一された装丁が我々の分野の特徴であると言えるだろう。カリカチュアされた登場人物たちの姿が描かれた表紙は、読者に作中世界を一目で提示するのに役立つのだ。

 何分移り変わりの激しい分野なので、久しぶりに来ると初めて見る作家の名前も多かった。次代を牽引すべく現れ始めた新しい才能に感心しながらも、平積みにされた文庫本を眺めていると軽い違和感が胸中に立ち込める。何度か書架を隅々まで見渡すと、違和感は確信へと変わった。

 この店には私の著作が置いてない。

 これは異常な事態だった。確かに平時ならば品揃えが悪い店ということで済ませてもいいのだが、何といっても私は今月の頭に新刊を上梓したばかりである。とっくに店頭に並んでいる頃合だし、私ほどの人気作家との本を仕入れないというのもおかしな話だ。

 売り切れている、という可能性を考慮して店員に尋ねることにした。カウンターに座っている生真面目そうな青年に声をかける。筆名と作品名を告げると、彼は前に置かれたパソコンを長いこと操作していた。何度か試みの後、彼は顔を上げすまなそうに謝罪の言葉を口にした。

「すみません。お探しの本は今のところ出版される予定はないようです。」

私はその言葉に唖然とすると、パソコンを奪い取り自分で操作した。だが、いくら検索しても画面に表示されるのは“お探しの商品は見つかりませんでした”の文字だけだった。考えられる全ての検索ワードで調べてみたが一致する情報はネット上の何処にも転がってはいなかったのである。


 私は身を翻すと店を飛び出した。これは出版社の方で手違いが起きたとしか考えられなかった。例えば印刷段階のミスで出版が止まっているのかもしれない。だが、その場合に作者への連絡もないということがあり得るのだろうか。

 早足で歩いていると色々な考えが浮かんでくる。最近聞いた漫画家の話では、編集者が原稿を紛失した挙句に開きなおり作者が抗議するまで何も問題などないように振舞ったという。

私の編集者の顔を思い出す。物腰の柔らかな若造だったがどこか油断ならない目つきをしていたように思えた。もしかしたら奴が私の作品を掠め取ったのかもしれない。黒い感情が心を満たす。仮にそうならばただではおくまい。

 丁度、これから奴とは打ち合わせの時間だった。向こうから今日のこの時間を指定されていたのだ。その時は今後の方針程度の内容だと考えていたのだが、そこで真相を打ち明けられるのかもしれない。

待ち受けるかもしれない修羅場を想像すると血が沸き立ち、意味も無くせかせかしてしまった。興奮が興奮を呼びボルテージが上がっていく。

 気付けば待ち合わせの店の中に入り個室に着席していた。少しの差で担当編集者もやって来て前の席に座る。

 開口一番、先程の書店で起きた事件の概要を話した。そしてその説明を求める。目の前のまだ若い編集者は考え込んでいる様子だったが、やがて口を開き始めた。

「書店に貴方の本が並んでいないという事でしたが、それは当たり前ですよ。貴方が書いた話は本になどならないのですから。」

耳を疑う発言に時間が停止する。他にも何か喋っているようだったがまるで耳に入らなかった。今、何を言ったんだこの男は。

 黙りこくった私の様子に何かを感じたのか彼も口を閉じ観察する目つきになる。私は必死になって考えを巡らせていた。法的な手段に出るべきか、話し合いによる決着を図るべきか判断に迷う。暴走しそうになる感情を必死に自制するので大変だった。

 実を言うと今日は鞄の中に別の原稿を持ってきていた。次の作品にどうかと完成させておいたのだ。だが、この話の流れだと別の出版社に持ち込んだ方が良さそうだ。嫌味の一つでも残してやろうと取り出して「ならば、これは他の所で出させてもらいますね」と言い放ってやった。

 一瞬、男の顔が歪み無音で口だけが動いた。だが、その形から何を意図したのかが分かった。奴はこう呟いたのだ

「そんなもの」

と。

 意識する間もなく飛び掛っていた。奴を椅子から引きずり下ろし組み伏せると猛然と拳を振りかざす。着いた膝でリノリウムの床が冷たいのが分かった。だが、上げた拳が下ろされることはなかった。素早く扉が開き、入ってきた男達が私を取り押さえたのである。連中は奇妙にも揃いの服を着ていた。まるで看護服のように見える。唐突に首筋にひんやりした感触がして針が突き刺さった。そのまま何らかの薬品が挿入される。

 私の体に入れられた液体は、すぐさま化学反応を起こして急激に意識を奪い取っていった。これは何かの陰謀だ、嵌められたに違いない。必死に抵抗を試みるが目蓋が下がっていく。何とか顔だけ持ち上げると例の編集者がこちらを見下ろしていた。

 今気付いたが、奴は白衣を着て どうにかしてここから これ以上は 保て が  


Bパート

 青年は立ち上がると乱れた白衣を調えた。眼下には睡眠薬を打たれた患者が横たわっている。その呼気は未だに荒い。

 看護師たちが寄ってきて怪我がないか心配するのを、彼は首を振って否定した。

 患者が暴れるのは珍しいことではないが、それでもやはり馴れる類のものではない。彼は一人になりたかった。後のことを他の人たちに任せると、荷物を持って自分の部屋に引き篭もる。

 彼の心中には苦い思いが渦巻いていた。病状が安定したと思って退院させていた患者から「小説」と称する物が送られてきたのは今月の初めの頃だった。慌てて診察の時間を取ったのだが、結果は先の通りとなってしまったのである。

 デスクの上にはあの患者が取り出した原稿が置いてあった。うっかり持ってきてしまったのである。パラパラと項をめくってみる。

 相も変らぬ酷い内容だった。未だ義務教育課程の平凡な学生が、当人にとってだけ都合の良い世界に飛ばされ、得体の知れない能力を駆使して英雄と持て囃されるようになる冒険譚。終始狭い関係性で物語は進み、「きみ」と「ぼく」以外に内面を持つ登場人物は存在しないようだった。一言で言えば陳腐だったのである。

 青年医師は大きなため息を吐くと部屋を出て、病室の並びに向かった。先程の患者が空き部屋に運び込まれる場面に出くわして足を止める。眠ったままの男をベッドに寝かせると看護師たちは病室の鍵を外から閉めた。

 ガチャンという金属音がいやに大きく聞こえた。

 最近だと空いている病室が少ないのであの患者は運が良い方である。青年医師はもう一度大きなため息を吐いた。この一角には似た様な患者が沢山収容されている。いつ頃からだろう、自分が作家だと思い込んだ病人が大量に現れ始めたのは。大きな自尊心と裏腹に、彼らは稚拙な文章と幼稚な内容を同じように書き連ねた。それはまさに現代の病理としか思えなかった。

 少しの間、青年医師は窓からそれぞれの病室を覗き込む。彼らは飽きもせず壁一面に少年と少女が出会う話を書き続けていた。薄暗い部屋の中でその目だけが爛々と輝いている。これを「ワナビ症候群」と名づけようかな、と考えながら彼は廊下を歩き出した。

 彼の足音だけが廊下中に響き渡った。

[完]

別にラノベ嫌いじゃないぜ

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― 新着の感想 ―
[良い点] 夢野久作のタグがついていて気になって読んでみたら、現代版夢野久作のようでした。とてもよかったです。 [気になる点] 特にありません。 [一言] とても面白かったです! 最初は「なんて頭の堅…
2016/07/27 17:38 退会済み
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