記憶喪失でも、真実の愛には関係ない。
最初、ミーア・クロウラーは結婚に反対だった。
第一に、私は子爵令嬢である。男爵なんかとの結婚なんて御免だ。両家の利害関係だけで結婚が決められるなんてたまったものじゃない。婚約の話が来た時はそう思っていた。
「ミーア様、初めまして。ライナー・ロロイアと申します。」
見合いで顔合わせしたとき、彼は私に微笑んでそう言った。
確かに、男爵といえど服飾のセンスも良く、礼儀正しい。そして何より、その綺麗な藍色の瞳には吸い込まれそうになった。両親がとりあえず会ってみろというのもわかる。
しかし、私だってそれだけで惚れるような初心ではない。
ちょっと容姿が良くても、性格はわからない。威厳を保ちながら、私も挨拶をした。
「......ミ、ミーア・クロウラーですっ。よろしくお願いしますっ!」
......少しあがってしまったが、取り乱してはいけない。なにせこの男は男爵なのだ。私の家より格が低い。そんな相手に弱みを見せてはいけない!
「大丈夫ですよ、僕も緊張してますから。実は見合いなんて初めてで......。お互い、ゆっくり進みましょう。」
駄目だ、相手に完全にペースを取られた。
私は震える手を震える手で押さえつけて落ち着こうとする。
「.....あの、ミーア様?」
「だ、大丈夫です!.....実は私も見合いなんて初めてで。ライナー様もそうだったんですね。」
「様なんて...!是非ライナーと呼び捨てにしてください。位が低いことは重々承知なので。」
「.....でしたら、お互い身分のことは忘れませんか?私、ライナーさんともっと仲良くなりたいので。」
「わかりました、ではミーアさんと呼ばせて貰いますね!」
そこから私たちはお互いに歓談したり、私の家の庭を見て回ったりした。当然、見合いが終わる頃には、頭からライナーさんのことが離れなくなっていた。
その見合いから何度もデートをした。
最初は主導権を握るつもりだったがどうでもよくなり、同時にライナーさんの優しさに触れていった。乗馬するときに手を差し伸べてくれたり、私の服装を褒めてくれたり。ちょっとしたことが重なるたびに、ライナーさんを思う気持ちは強くなっていった。
そんなある日、とうとう正式に婚約が決まった。
「ミーアさん、家同士で決めたことかもしれません。位が違うかもしれません。
でも、僕はあなたを愛しています。」
ライナーさんは敬語で堅苦しくそう言ってくれた。でも、私はそれじゃ満足できない。
「ライナーさん、もうさんなんてつけなくていいわ。敬語もいらない。」
「えっ?」
「私は男爵夫人になるのだから、身分なんて関係なくなる。ただ、『愛してる』って言ってほしいわ。」
「....あ、愛してる。」
「私もよ、ライナー。」
口づけをした。結婚式をあげる前で不埒なのは承知だったが、耐え切れなかった。ライナーは不器用に、私も不器用に互いの愛を確かめ合った。
そこから私たちは正式に夫婦になる......はずだった。
・・・・・・・・・・
貴族の結婚式には当然多くの人が来る。
当事者の親類はもちろん、関係のある貴族は全員来るのだ。
そして何より、婚姻自体に箔をつけるため王族の方がご出席される。
例えどんなに地位の低い者たちの結婚でも、貴族であれば必ずだ。王族は結婚するものたちに神酒を賜り、その婚姻を永遠のものとする。
私たちの結婚式も例外ではなく、第5王女のディール・ライリッヒ様が出席された。ディール殿下は私たちの前で誓いの言葉を尋ねる。
「ライナー・ロロイア、ミーア・クロウラーを愛すると誓うか。」
「誓います。」
「ミーア・クロウラー、ライナー・ロロイアを愛すると誓うか。」
「誓います。」
互いの親族や他の貴族たちが見守る中、ディール殿下は威厳に満ちた声で私たちに問い、それに私たちは緊張しながらも応える。
私たちが応えると、目の前に盃が二つ用意され、ディール様がそこに神酒を注ぐ。
「この酒を飲み、この王国への忠誠と、互いの愛を神へ示せ。」
まずは私が飲み、神に誓いを示す。
体が熱くなるのを感じ、神酒自体の力に圧倒される。同時にこれからの結婚への期待が高まり、幸せの絶頂だと感じた。
そして、ライナーが神酒を飲む。
盃を両手で押さえて飲む様子を横目に見ていると、その立ち振る舞いにうっとりとしてしまう。神酒は彼の喉元を通り過ぎ、腹に落ちる。盃を返すその時だった。
ライナーの手から盃が転げ落ちる。
会場にカランとした音が響くと、そのすぐ後に床を叩きつける鈍い音が私の足に伝う。私の思考が止まるよりも先に、人々の騒めきと衣服がかすれる音、靴が床を叩く音、そしてライナーが倒れた姿が頭に入ってくる。
そして、私の思考はそこで完全に止まった。
――――ディール・ライリッヒの目の前に、一人の男が倒れる様子と一人の女が崩れ落ちる様子が広がった。
私は今日、王族としてこの二人の結婚式に来たはずだ。
そうして、このようになっているのだろうか。私が注いだ神酒を飲み、倒れ、今は何も言わない男と、その様子を見て崩れ落ち、何も言えぬ女。
式は混沌と化した。
私は急いで医者を呼ぶように命じる。私に出来ることは、この場の絶対権力を持つことだけだ。犯人云々よりも、男の命が先だと考えた。
「殿下!今すぐこの場から.....」
「いいです、私はこの場に残るので。それよりも飲んだ酒を吐き出させなさい。それとこの女は意識があるわ、横にしてあげて。」
「.....承知しました!」
部下はすぐに男を運び、酒を吐かそうとしている。
それに対して貴族達は騒ぐばかりでうるさいだけだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は、気付いたら横たわっていた。
傍には家族がいて、私を心配そうに覗き込む。
「....おお!目が覚めたか!」
父が大声を上げ、その声が私を苦しめる。
私の体はなんともなく、酒を飲んで何か起こったわけではなかった。私には何も起きていなかった。私は無事だった。
「.....彼は?」
私が家族にそう聞いても、誰も応えてくれなかった。
それがきっと答えだった。
「......ディール殿下から話があるそうだ。ここの応接間で待っているらしい。」
「彼に先に会いたい.....。」
「それも含めて、お話があるはずだ。くれぐれも無礼のないようにな。」
いつも騒がしい父に、違和感を覚える。
この状況全てが異質に感じられて、正常なものなんか何一つ無いようだった。
私は、父に案内されて応接間まで行く。
そこには、お茶を飲んでいるディール殿下の姿があった。
「.....失礼します。ミーア・クロウラーです。」
「来ましたか、そこにかけてください。あと、その他の者は外に。」
ディール殿下がそう言うと侍女や父までも部屋の外へと出ていく。
一つの机を挟んで、ディール殿下とは一対一になった。
「まず....申し訳ないわ。私が担当する式でこのようなことになってしまったこと。
それと.....」
「殿下が、やったんですか?」
これは、聞くしかなかった。どんなに無礼だとしても、聞かずにはいられなかった。
彼が、殿下の注いだ酒で倒れたのだから。
私が尋ねると、殿下は笑って返した。
「あなた、よっぽどあの男を愛していたのね。
私もそれほどの人がいれば毒くらい盛ると思うわ。でも、今回は既に犯人がわかっているの。」
「....す、すみません、無礼なことを....。」
「いいの、きっと私もあなたの立場だったらそうしているから。」
殿下は私に微笑んでくださる。でも、その笑顔は偽りの笑顔で彼に何か起こったことがわかる。
「とっとと結論を言った方がいいようね。
犯人はあの男爵家の侍女だったわ。遺書が残っていて、あの男爵との心中を図ったようね。」
「し、心中?」
ディール殿下は私にその侍女の遺書を手渡す。
紙は上質で、とても侍女のものではないようだった。私はその遺書の中身を読む。
「
ライナー様の婚約者と、その共々へ
私はライナー様を心より慕っています。
その愛は、誰よりも大きく、誰よりも深いでしょう。
ですが、私は侍女で、ライナー様は男爵です。
お互い叶う恋などではないとわかっていました。
ライナー様は毎晩婚約について悩み、苦しんでいました。
本当なら、私を愛したいと、そう何度も言ってくれました。
そして、ライナー様から提案があったのです。
結婚式での神酒の儀式で、毒を盛ってくれと。そして私と心中しようと。
あなたたちが手紙を読むころには私とライナー様は一緒にいるはずです。
真実を伝えたく、この手紙を残しました。
ロロイア家侍女、ファスより
」
「この内容が本当かはわからないけど、この侍女は毒を仰いで死んでいたわ。」
何も言わない私に向かって、ディール殿下はそう告げる。
この内容が本当ならば、
彼が私に向けた微笑みも、差し出した手も、誉め言葉だって、偽りだったということになる。すべてが、あの口づけでさえも偽りだったということに。
「神酒ではなくて、盃の方に毒が塗られていたみたい。
盃は婿側が用意するもの.....侍女が用意していたら納得行くわ。」
何も、何も考えたくなかった。
想い人が死んだこと、そして想い人が本当は私を想っていなかったこと。それが真実か偽りかなんて、とても考えたくない。
「あなた....そのことを彼に聞いてみたらどう?覚えてるかわからないけど。」
「えっ?ライナーは....死んでしまったのでは?」
私がそう言うと、ディール殿下の顔が曇る。
なにか、言い出しづらいようだった。
「聞いて、いないのね。まあ、普通じゃ言えないわ。
ライナー男爵のところまで行きましょう。ついてきてちょうだい。」
ディール殿下は立ち上がると、そのまま廊下に出る。
私は殿下についていき、ある部屋までたどり着いた。
ドアを開けると、男爵家の人々が目に入る。部屋の中央にあるベッドには.....彼がいた。
「ディール殿下....」
「そのままでいいわ。それよりも、この子に状況を教えてやってちょうだい。私が言うべきじゃないし、当事者同士で頼むわ。.......婚約の儀式に関しては無効にすることもできるわ。決まったら私に連絡して。」
ディール殿下はそう言って部屋を出ていった。
そうして、部屋には男爵家の人々と私、そして眠ったままのライナーが残った。
「ミーア様....どこまで話を聞いていますか?」
「....彼が生きているというところまでしか。」
彼の父が言い淀んでしまう。
彼が生きているなら、生きているのならば何が問題なのだろう。どこか体が動かないとか、そんなことでは婚約破棄などするつもりはない。なのに、どうしてここまで誰も話してくれないのだろう。
「うぅっ.....」
部屋にまとわりついた沈黙の空気を壊したのは、ライナー自身だった。
彼はベッドから上半身を起こし、辺りを見回す。
「ライナー.....!」
私は思いがけず彼に抱き着いてしまった。男爵家の人々もいるのに.....でも、彼が生きていることがとても嬉しかったのだ。
「ライナー!生きていたのね!私.....とっても心配でっ!」
どうしたのだろう、男爵家の人々は下を向く。
何か、申し訳なさそうな顔をして。
ライナーは....抱きしめ返してくれなかった。彼はゆっくりと私を引き離し、私の顔をみつめる。何もうつっていないような、純粋そうな瞳で。
「....やっぱり、わからない。」
「えっ?」
ライナーは、声を出すが聞き取れなかった。
侍女の遺書のこととか、聞きたいことはあるが、今はただお互い喜びたいだけなのに。
「ごめんなさい.....あなたが誰だか....わからなくて。
名前を、教えてくれませんか?」
ライナーは何をとぼけているのだろうか。別に、私はライナーが生きているだけで構わないのに。侍女の遺書とか、今までの思い出がすべて偽りかもしれないとか、構わないのに。
「私....今はあなたが生きているだけで構わないの。怒ってもいないの。
だから、今はただ、喜ばない?」
ライナーは俯いたままだった。
本当に何もかも、思い出せないような。そんな顔をして。
「.....医者からは、息子は毒で記憶が消えたと言われました。
すぐに毒を吐かせたので、命に別状はないと言われましたが。」
記憶が、消えた?
私との記憶も、すべて?
「もし、ミーア様が婚約を解消したいと申されるなら、私たちロロイア家もそれに従います。ですので―――」
「....不躾なお願いで恐縮ですが、息子さんと、二人にさせて貰えないでしょうか....。」
私がそう言うと、男爵家は了承してくれた。
本当に心配なのは、家族のほうだ。私なんかがしていいことじゃないかもしれない。でも、それでも二人で話がしたかった。
「ごめんなさい、いきなり抱き着いたりして。」
「いえ.....父...から、聞いています。僕は結婚式で倒れたのだと。あなたが....僕の妻なんですね。」
そう言われて、胸が苦しくなる。私は、もしかしたら愛されてなどいなかったのかもしれないから。妻を名乗るなんて出来ないかもしれないから。
「ごめんなさい....名前、教えてくれませんか?」
「.....ミーア・クロウラーです。」
「ミーア様で、いいんでしょうか?僕は確か男爵で、あなたは子爵のお嬢様だから.....。」
本当に、忘れているんだなと感じる。最初に交わしたお互いの呼び方さえ、忘れているのだから。
もし、また思い出してくれるなら.....淡い期待を持って、私はこう告げた。
「お互い身分のことは忘れませんか?私、ライナーさんともっと仲良くなりたいので。」
「.....わかりました、ではミーアさんと呼ばせて貰いますね。」
一言一句、同じだけれども、ライナーさんは前のように積極的ではなかった。
以前の自分に合わせるような、義務感が感じられた。
「.....ミーアさん?」
彼の純粋な瞳に耐えられず、私はその部屋から出て行ってしまった.......。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「―――それで、婚姻の儀に関しては保留にしてほしいということね?」
私は今、王宮まで訪れていた。
私たちの婚姻の儀に関しての報告はディール殿下にしなくてはいけない。だからこうやってディール殿下と対面しているわけだが......
「あなた、何をためらっているのよ?」
「えっ?」
ディール殿下はいつものような威厳のある喋り方ではなく、完全に同世代として私に話しかけてきた。
「彼は、あなたを騙していたのかもしれないのよ?一回くらいあの遺書の内容を問いただしたら?」
「そ、それは.....」
「怖いのでしょう?目を背けていたいのでしょう?」
ディール殿下は的確なことをおっしゃる。
しかし、私にとってはそんな単純なことではないのだ。
「....ディール殿下には、愛する人などいないのですか.....?」
そう言うと、ディール殿下は顔を赤くし、俯いてしまった。
このようなことを聞くのは、さすがに失礼だっただろうか....
謝罪の言葉を口にしようとしたが、先に口を開いたのは殿下の方だった。
「わ、私にだっているわ。」
「誰です?」
「.....」
「私にあんなこと言うほどならば、恋愛など容易いのでしょう?」
私がそこまで言うと、殿下は完全に口を閉ざしてしまった。
無礼ではあるが、あんな風に言われたのだ。少しくらいやり返してもいいだろう。
「......私は、まだ相手に愛されていないわ。」
「そうなんですか?」
「ええ、もし私が王女なんかでなければ、素直に愛されていたのかもしれない。でも、私は王女で、真実の愛なんか手に入れられない。」
殿下は寂しそうだった。
確かに、王家との関係を持つために言い寄る家はたくさんあるだろう。例え殿下が純粋に愛していたとしても、相手にとって殿下は権力のための鍵でしかない。
「ミーア、あなたは王女でないわ。
だからこそ相手と対等でいられる。例え身分が違っても、替えはたくさんあるはず。その中から選ばれたことを、自覚しなさい。」
殿下の言葉には重みがあり、私は何も言えなくなってしまった。
ライナーさんは、なぜ私を選んだのか。当然家と家を結ぶという意味合いも大きいだろう。しかし、殿下が言うように必ずしも私の家でなくてはいけなかったわけではないはずだ。
「私は二人を応援しているわ。
当然、式もまたやり直すこともできる。相談があれば私に話してちょうだい。いつでも歓迎するわ。」
「殿下.....」
「でも、そのときは私の話も聞いてちょうだい?」
殿下は私に微笑みかける。
殿下という友達が出来たと同時に、私にも少し勇気が湧き出た。
・・・・・・・・・・・・・・・
あの日から三日ほど経って、私は男爵家を訪れていた。
ライナーさんはまだ体調がすぐれないらしく、寝込みがちだという。しかし、男爵家の人々は私をライナーさんの部屋まで案内してくれた。
「こちらが、息子の部屋でございます。」
私は部屋の中へと入る。
ライナーさんはベッドで寝ていて、まだ起きそうになかった。
「息子はたびたび意識を取り戻すのですが、まだ毒の影響があるようで....」
ライナーさんの父親はライナーさんのことを詳しく私に説明したあと、私たちを二人きりにしてくれた。やはり、このようなことになってしまったことを詫びているように見える。
あの遺書の内容が真実かどうかなど証明できるわけもなく、また侍女はもう死んでいるので罰することもできない。男爵家は私たち子爵家には本来顔向けできない状況なのだ。
それでも、私が両親に話して婚約の解消については待ってもらっている。
両親からは将来性がないから縁を切れと言われるが、まだ私は諦められない。
私はライナーさんのベッドに向き合う形で椅子に座り、じっと彼の顔を見つめる。
顔は、出会った時より老けただろうか?でも、それだけ長い時間共にいたことを実感する。本当ならば、その時間はかけがえのない思い出なのだろうが、あの遺書のことを考えてしまう。それに、今は私しか持っていない思い出なのだ。
「ライナー.....私、あなたの真実を知りたい。でも、無理なのかしら....。」
ライナーさんは起きることなく、まだ眠っている。
ふと、私が部屋を見渡すと書案の上に一冊の帳面があった。......覗き見るようなことはいけないと思う。でも、開かずにはいられなかった。
それは、ライナーの日記だった。
「
〇月✕日
父を継いで領主となった。これから重要な出来事についてここに記そうと思う。ペンを持つのが苦手ではあるが、努力しようと思う。
〇月✕日
母が亡くなり、家には私と父だけになる。ファスという侍女を雇うことになり、それを筆頭に何人か雇うことになった。
」
それから日付がだいぶ開き、次の日付は二か月以上も先だった。
「
〇月✕日
父から見合いの話を貰い、子爵家のお嬢様と見合いをすることになった。恋愛などには疎く、無礼がないといいのだが。
〇月✕日
見合いをした。ミーアさんという方だ。とても美しく、可愛らしいお方だった。自分には不釣り合いかもしれないが、彼女とはまた会いたくなった。
〇月✕日
ミーアさんと乗馬をした。彼女が馬におびえて自分に抱き着くものだから、緊張してしまった。でも彼女は私に合わせて青い顔をしながら楽しいと言ってくれた。今度は別のことをしようと言うと、彼女は僕の好きな物ならば同じように好きになりたいと言う。今度彼女の好きなものも聞いてみよう。
〇月✕日
家の中で山羊の首が見つかる。誰がこんなことをしたのだろうか。使用人に片付けさせたが気味が悪い。
」
ここから一年も過ぎた。なにか不吉な感じがする。
「
〇月✕日
あまり、気分が良くない。あの日からずっと屋敷の中でいたずらが起こる。蝋燭が大量に砕かれているという些細なことから、動物の血が部屋中にまき散らされているということまで。ミーアさんと会うときが唯一安心できる。結婚するのならば、この問題を片づけなければならない。
〇月✕日
使用人のファスから、ミーアさんとの婚約でこのような異常が起きているのではないかと言われる。正直信じられない。しばらく、家の人には黙ってミーアさんと会うことにした。
〇月✕日
いたずらがおさまる。ここ一か月は見ていない。ファスに別館の管理を任せ、様子を見ることにした。
〇月✕日
いたずらをしていた者が見つかる。ある使用人の部屋から大量の動物の骨や血肉が見つかったのだ。その使用人は何もやっていないと言うが.....追い出した。罰を与えるほどの気力はなく、安堵だけで儲けものだった。
〇月✕日
ようやく、ミーアさんとの婚約が正式に決まった。ここまで何年かかっただろう。ようやく屋敷の問題も落ち着き、ミーアさんを迎え入れることが出来るのだ。当初は疑っていたファスも祝福してくれた。彼女には申し訳ないことをしたと思う。
」
ここで、日記が終わっていた。
......しかし、もう一枚めくるとまだ日記が続いていた。
「
〇月✕日
これを読んでも、何も思い出せない。ファスという侍女の遺書と共に考えれば自分は騙されていたのだろうと考える。でも同時に、ここに書かなかっただけとも考えられる。早く思い出したい。
〇月✕日
ミーアさんに、酷いことをしたと思った。確かに何も思い出せないが、初めましてからやることは無かったと思う。自分のことしか考えられないなんて、馬鹿だ。
〇月✕日
今日も寝てばかりだった。それに一向になにも思い出せない。思い出して、ミーアさんを安心させたい。でも、自分にミーアさんの夫になる資格なんてないとも思う。
」
本当に、私は何をしているのだろう。ライナーの愛を疑って、信じ切ることが出来なかった。ライナーさんは私のことを考えてくれていたのに、私は真実かどうかばかり考えて、ライナーさんを考えることができなかった。
自分こそ大馬鹿者だ。
自分こそライナーさんの妻になる資格なんてない。
この日記からは、彼の愛が伝わってくる。私を心配させまいと、ずっと笑顔でいてくれたんだと実感できる。正直、もうあの遺書が真実かどうかなんて関係ない。私は、過去のライナーを信じるべきで、今のライナーさんを愛するべきなんだ。
「.....んん......ミーアさん?」
ライナーさんが、ベッドから起き上がる。
出会った時から変わらない彼の藍色の瞳が私を見つめる。
「....ん?、ああっ!」
ライナーさんは私の手にある日記に気付く。
私は後ろめたさからだろうか、日記を後ろに隠す。
「.....み、見ましたか?」
「い、いいえ?」
つい誤魔化してしまう。
ライナーさんはため息をついて、私を見つめ直す。
「前は....申し訳ありませんでした。
僕は、自分のことにいっぱいいっぱいでミーアさんのことを考えられなくて....。」
「い、いえ、私も.....」
「僕は、ミーアさんを裏切ってたかもしれないんです。
そのことを知ってから、どうにか思い出そうとしたんですが....思い出せなくて。」
ライナーさんは申し訳なさそうに言った。
私こそ、謝るべきなのに。
「僕は....ミーアさんの夫になるべきじゃないんです。だから、婚約破棄を―――」
「ちょっと待ってください!」
思いのほか大きな声が出てしまう。
私は、ライナーさんに想いの全てをぶつけた。
「私はまだ、別れたくありません。
ライナーさんが何も思い出せなくてもいいんです。遺書のことが真実かどうかなんて関係無いんです!」
「ど、どうして.....?」
ライナーさんは困惑している。
でも、私ははっきりとこう思った。
「私は、今のライナーさんを愛しています。過去や思い出の中のライナーさんを愛しているわけじゃないんです。」
部屋に風が吹き込んで、私とライナーさんの間をすり抜けていく。
再びライナーさんをライナーと呼べる日を信じて.....
「また、お互い、ゆっくり進みましょう....!」
・・・・・・・・・・・・・・
ディール・ライリッヒはデジャブを感じていた。
目の前に跪く二人の男女。
男はライナー・ロロイア、女はミーア・クロウラー。
でも女は今からミーア・ロロイアとなる。
「ライナー・ロロイア、ミーア・クロウラーを愛すると誓うか。」
「誓います。」
「ミーア・クロウラー、ライナー・ロロイアを愛すると誓うか。」
「誓います。」
デジャブが続く。
しかし、悪い気はせず祝福したい気分だ。
式が終わり、二人は私の元へやってくる。
「ディール殿下、この度は本当にありがとうございました。ほら、ライナーもっ!」
「本当にありがとうございました。ミーアと再び婚姻を結ぶことができるなんて、思っていませんでしたから。」
二人は仲睦まじい姿を見せつけてくる。
あれから何度もミーアの話を聞いた甲斐があっただろう。男爵の方も記憶は最後まで戻らなかったというが、もう関係なさそうだ。
「ミーア、また私に惚気でも聞かせなさい。ミーアは私の数少ない友ですから。」
でも、これから私の元を尋ねる回数も減るだろう。
二人は屈託のない笑顔を私に見せた。
記憶喪失して、記憶が戻らない物語を作りたくて書きました。
きっと、記憶を失ったままでもライナーはミーアと楽しく暮らせるはずです。
誤字報告ありがとうございます!
下の部分から、面白くなかったら☆1、面白かったら☆5、正直につけてほしいです。
ここまで読んでいただきありがとうございました!