バンドマンと出会いたい女。飛岡莉子(1)
重低音の激しいリズムに合わせ、飛岡莉子は頭を8の字に振っていた。長い髪を振り乱すヘッドバンキングだ。同様に頭を乱す女性は何人もおり、さながら湖で羽を広げる鳥のようである。
ライブ会場は最高潮のボルテージで、莉子のようにパンキッシュな女性やゴシックロリータ服の女性たちが暴れている。
「おめーら、そんなもんかー? もっと! 来いよ!」
ステージにいるバンドのボーカルが観客を煽った。客席からは「イエーイ」という声もあれば、ドスのきいた「おおっ」という声も上がる。
観客はほぼ女性で埋められており、宗教めいた一体感で彼女たちはライブを楽しんでいた。
莉子は激しく動きながら、その瞳は上手にいるギターメンバーを見つめ続けていた。
(今日も、シンジはかっこいいな)
莉子は彼に恋をしていた。小さいライブハウスなので、距離は近く、何度も目が合っていた。
ズンズンと響く重低音が、彼から突き上げてきたモノのように感じ、莉子はうっとりとしていた。
*
「今日も最高だったよね。ライブ」
マナカが言った。彼女と莉子はSNSで知り合い仲良くなった。本名は知らない。
「うん。本当」
莉子は首肯し、オレンジジュースを飲んだ。二人はライブ終了後に会場近くのファミレスに入店し、感想と喜びを共有していた。
「新曲のリフ、よかった」
マナカは下手で演奏するギターメンバーのヤットが推しだ。シンジはリードギターだが、ヤットはリズムギターを担当している。
莉子が嵌まったバンドの名称は『ジシネンリョ』といい、ボーカルのホンディ、ギターのシンジとヤット、ベースのシュンスケ、ドラムのカワグチの五人編成のロックバンドだ。いわゆるヴィジュアル系バンドに括られ、メンバーはそれぞれゾンビを想起させる凝ったメイクや服装をしている。
「そういえば、よくない噂を聞いたんだけど」
マナカが深刻そうに、眉根を寄せた。なんだろうと、莉子は首を傾げる。
「よくない噂?」
「うん。あくまでSNSでの噂だけど、メンバーの誰かが、薬物をやっているとか」
「えっ」
莉子は驚き、ここ十年で逮捕歴のあるバンドマンやミュージシャンを思い浮かべた。
「噂なんだけど、やっていてもおかしくないというか……」
マナカは苦笑した。
たしかにバンドマンが違法薬物に手を出してしまうケースは枚挙に暇がない。ヴィジュアル系バンドと呼ばれるカテゴリの人たちにも何名も逮捕者がいるのが現状だ。捕まっていない場合も含めるとかなり存在するだろうなと、莉子は思う。
「嫌だよ。『ジシネンリョ』がなくなっちゃう」
切実な声で莉子は言った。
逮捕者が出ると、そのバンドは活動休止や解散に至ったりする。メンバーが離脱しても継続するバンドはあるが、空中分解や間違った方向に進む事が多い。
しんみりとした雰囲気になり、その後の会話も盛り上がりに欠け、二人は二十分後にファミレスを出た。
*
莉子はふらふらと夜の街を彷徨っている。バンド『ジシネンリョ』がなくなるのは嫌だと、何度も心中で呟きながら、ぼんやりと歩いていた。
彼女は現在十八歳で、高校卒業後、進学も就職もしていない。自宅近くのコンビニエンスストアでアルバイトをしているが、ライブ通い中心の生活のため、あまり働くことに時間を割いていない。実家暮らしのため家賃は発生しないが、両親は「不良娘」と揶揄して財布の紐を緩めないため、衣服や食費はすべて自費だ。ライブのチケットや地方開催のライブへ年に何回か行くため、金銭的には常に苦しい。
「経済的に厳しいなら、行かなければいいじゃない」
母親は冷徹にそう言うが、好きなバンドのライブがない生活は考えられず、莉子にとってはイコール死を意味するようなものだと、常々思っていた。
「落としましたよ」
繁華街の飲食店が建ち並ぶ賑やかな場所から、少し離れた細い道で、莉子は声をかけられた。
「はい?」
莉子は振り返り、ハッと息が詰まる。
「こちら、どうぞ」
声をかけてきた少女は、小さい紙切れを手渡した。ライブチケットの半券だ。
「ありがとう」
感謝を述べて受け取り、莉子は少女を見つめる。呼吸を忘れるくらい、同じ空間で酸素を吸うのが申し訳ないくらい、まばゆい美少女が目の前にいる。長く艶やかな黒髪、人形のような端正な顔立ち、醸し出す蠱惑的な雰囲気。
「この紙、なくさなくてよかったですね」
「これは終わったライブの半券なので、捨てて大丈夫なんです。映画の半券のようなものです」
莉子は敬語で説明した。熱に浮かされるような、妙なモノを彼女から感じていた。
「へえ。初めて知りました」
微笑。美少女の微笑。莉子はくだらない親父ギャグを内心で唱えるくらい、彼女に圧倒されていた。
「あの、どこに住んでいますか?」
理由はわからないが、彼女にそんな質問をした。この世とは思えない雰囲気に当てられたせいだろう。
「知りたいですか? そこですよ」
美少女は後方にある建物を指さし、続けて言う。
「申し遅れました。私、羽織纏といいます。そこで、悩み相談ボランティアをしています」
*
纏に促されるまま、莉子は建物に入ると、「わあ」と彼女は感嘆の声を上げた。
色々なライブハウスを訪問しているので目が肥えているつもりだが、このような渾然一体となった不可思議な店舗は初めてだ。骨董品らしきものが所狭しと並んでおり、古物商だと言われれば頷いてしまう。
「どうぞ、お座りになって」
店内の壁に飾られた装飾品に比べ、質素なテーブルと椅子がある。そこに莉子は座り、対面で纏も座った。
「お一人ですか?」
この店は美少女一人で切り盛りしているのだろうかという意味だ。
「いいえ。もう一人、細川太という従業員がいますが、現在出かけています」
「このお店で、具体的に、どういうことをされていますか?」
「お客様のお悩みを聞き、相談内容を解決する方法として、無料で最適な道具をお貸ししております。もちろん、無料レンタルです」
纏はハキハキと答えた。まるで何年も同じ受け答えをしてきたかのようだ。
「道具……」
「危険ではないですよ。某国民的アニメのポケットから出てくるアイテムのようなものだと思っていただければ」
莉子は訝しむが、纏には説得力を与える凄みを感じていた。
「あの、お悩みって、どんな内容でもいいんですか?」
「はい。些細な悩みでも問題ないです」
「じゃ、じゃあ……」
莉子は辺りを気にしながら小声で語る。二人きりとはいえ、『壁に耳あり障子に目あり』の精神で警戒している。
「実は、私の好きなバンドマンが違法薬物に手を出しているようで、いつ捕まるのかどうかと考えると怖くて……。できれば、クスリは止めて欲しいけれど、それれがバレて、バンド自体なくなってしまうのも嫌で……」
莉子の切実な表情を見てとり、纏は「そうですね」と言い、腕を組んだ。何かを考えているような仕草である。
探るような眼差しで、
「どうすれば、止められると思うかしら?」
と纏は聞いた。
莉子は思案する。メンバーの誰かが薬物を使用しているかどうかわからないが、最近の言動を見る限り、シンジの可能性は充分にあった。止められるとしたら、信頼関係や交友関係のある人物による鶴の一声だろう。普段から「友達がいない」と発言している彼に、そんな重要人物が存在するかどうかは甚だ疑問である。
「親友、もしくは恋人がいれば……」
莉子がポツリと呟くと、纏は微笑んだ。
「では、それに最適な道具を貸します。あなたが、その親友もしくは恋人になればいい」
纏は一旦奥の部屋に引っ込み、数分ほどして、テーブルに戻ってきた。手に何かを握っている。
「こちら、お使いください」
彼女が机上に置いた物体は、二センチメートル弱くらい、緑色の三角錐の形で、頂点には短い鎖がついている。
莉子は怪訝そうに、
「イヤリングですか?」
と聞いた。
「はい。耳につけるイヤリングです。ただのイヤリングではありません。特殊な働きをします」
「特殊な働き?」
「このイヤリングは――」
纏の説明は次のような内容だ。
この装飾品は耳につけることにより、現在人間関係の結びつきがない人間とのきっかけを与える。きっかけはマーカーと呼ばれる赤いピンのようなものがリアルタイムに現れ、そこに立っていれば出会いが発動する。見えているのは装備者だけで、イヤリングを外すと消えてなくなる。
「な、なるほど」
胡散臭さを感じ、莉子の笑顔は引き攣っていた。そんな都合のよいアイテムが存在するわけがないとばかりに。
「とにかく、試してみてはいかがですが? 数日して気に入らないようであれば、いつでも返品可能です。もちろん、料金はとりません。ただし、転貸だけはしないでください」
押し切られ、莉子はイヤリングを耳につけた。
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